8月8日の末広がりが誕生日。たくさんのお祝いのメッセージをもらいました。「ありがとう!」と、ぎゅっとハグしてまわりたいけれど、それも叶わないので、感謝の気持ちを言葉に乗せて届けてみます。
気がつけば40代半ば。若手どころか中堅というグループからも外れ、熟年とか老年に足を踏み入れているわけで、時の流れの早さに驚いています。何歳になっても、若いつもりでいるからダメですね。
花王をやめて、ニューヨークで記者見習いをしていたのは27歳の時。給料が10万円弱。交通費と家賃と最低限の食事であっという間に消えてしまいます。それを知っている先輩記者が何かと声をかけてくれ、ランチをご馳走してくれたり、ジャズのライブに連れて行ってくれました。
それでもひもじくなったら、物価が安いニュージャージーの日本食スーパーに行き、鰻の真空パックを買いました。支払いには虎の子のファミリーカード(つまり請求は両親にいく)を使い、「お母さん、ありがとう」と心の中で手を合わせていました。
いろいろな人のお世話になりすぎて、将来、カーボンオフセットのように自分も同じ量を後輩に返さないといけないとしたら、借金が膨大すぎる。そんな心配をしたのを覚えています。
それでも気がついてみると、ちゃんと歳をとり、少しは人にご馳走をしたり、支える立場になっているから、人生って不思議です。鰻の借りも、この夏、エルメスの鞄をプレゼントして、返済を完了させました(笑)
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自分がしてもらって嬉しかったことを、人にもしてあげられるようになりたい。自分が嫌だったことは、ルールを変えられるようになりたい。シンプルだけど、目指しているのはそんなこと。今の社会は、過去の誰かが未来を想像し、いくつもの障壁を乗り越え実現してくれた結果で成り立っている。だとしたら、私たちにも同じように想像力を働かせ、次の世代のために変えることを変え、作るものを作り、社会をデザインしていく責任がある。
一方で、しあわせって何だろう。死ぬときに、どんな風に人生を振り返るんだろう、と考える自分がいます。
きっと、仕事のことなんて思い出さない。それよりも、くだらないことを言って笑いあった仲間の顔とか、友だちと一緒に行った温泉のお湯のまろやかさとか、田舎でご馳走してもらった五平餅の美味しさとか、菊三の寝顔とか、そんなことを思い出す気がする。そして、楽しい人生だったなって、にやけるのだと思います。だったらなおさら、大胆な挑戦をすればいい。
もう年だからと、自分に制限をかけるつもりはありません。むしろ、この年齢になったから担える、担わないといけない責任と向き合いたい。そうして人間やこの世界のありようそのもの、複雑なものを複雑なまま受け入れ、愛する懐の深さを手に入れたい。人生の最後にその顔を思い浮かべるであろう、大好きな人たちからのメッセージを眺めながら、いま、そんな風に思っています。