1. Roots デザイン経営とはじまり

デザインの悲劇は、明治時代、西欧文明とともに「design」という語が日本に流入した際に、訳語を「意匠」や「図案」とビジュアル的意味だけに留めてしまい、元から含んでいる「設計・構想」という概念が抜け落ちてしまいました。しかし、「意匠条例」が施行された1889年当時、「意匠」の語釈に「経営」も含んでいたという論文があります(*)。
ここでは、水と油のように距離があると感じている「経営」と「デザイン」について、各々のルーツを遡りながら、二者のランデブーについて考察します。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jssdj/50/5/50_KJ00000848420/_pdf

1880〜 産業革命とアーツ・アンド・クラフツ運動

19世紀後半のヴィクトリア時代のイギリスで、ジョン・ラスキン、ウィリアム・モリスらの主導によって始まった「アーツ・アンド・クラフツ運動」は、20世紀のデザインに大きな影響を与えた。産業革命から起きた商業主義による大量生産は、人々に安価で均質な商品を提供することを可能としたが、一方粗悪品があふれることにもなり、その反動として、中世時代の手仕事の美しさを讃え、生活と芸術を統一することを主張。「アーツ・アンド・クラフツ運動」は、後のフランスの新しい芸術運動「アール・ヌーヴォー」や「バウハウス」、日本の「民藝運動」にも影響を及ぼすことにもなる。
近代デザインは、産業革命に対する「社会運動」として生まれたことは忘れてはならない。

18世紀半ばから19世紀にかけてイギリスで起きた「産業革命」は、モノづくりのメゾットを刷新した人類史最大のイノベーションだ。蒸気機関による新エネルギーの創出で、「工場・工業化」が誕生したことによる技術革新と製造業スタイルの変革、蒸気船や機関車など大型輸送機器の発明によるモビリティ革命・流通革命でもある。
また、産業革命により中流階級が誕生し、消費社会が成長、さらに植民地拡張によって貿易は急伸し、資本の増加にも繋がる。
インダストリアルデザインは産業革命から生まれたと言われるが、その後も技術革新と商業主義の成長と併走し、相互に推進することで飛躍的な進歩を遂げることになる。

1900〜 大量生産・大量消費時代の幕開け

1919年にドイツのヴァルター・グロピウスによって開かれた20世紀で最も有名なデザインスクールが、バウハウスだ。日本でも1920年代中頃から「デザイン」の四文字が一般的に使われだしたと言われている。最初は服装デザインであったろうが、「図案」「意匠」から脱し、本格的なモダニズムに入り込む時期にあわせ、使用範囲は徐々に広がっていく。
一方、柳宗悦、河井寛次郎、浜田庄司らが「日本民藝美術館設立趣意書」を発表し、民藝運動が始まったのは1926年のことだ。華美な装飾を施した観賞作品ではなく、名も無き職人の手から生み出された日常の生活道具を「民藝」と名付け、新しい美の概念、価値観を提唱した。これは、西洋から広がってきた工業化による大量生産品の浸透が背景にあり、思想的にはアーツ・アンド・クラフツ運動と繋がる。

大量生産方式を適用した最初の自動車は、1908年に発売されたT型フォードだ。ベルトコンベアによるライン生産で、安価を実現し、アメリカをはじめ世界各国に均一モデルが広く普及。それに対し競合するゼネラルモーターズが開発した経営戦略は、デザインと性能の暫定的アップデートによる「モデルチェンジ」という手法だ。前商品との「差異」をつくることで、前商品を陳腐化させ、消費者に購買意欲を掻き立て、同社は世界一の自動車会社となる。
同時に発達しつつあったマーケティング戦略にモデルチェンジを組み込むことで、その後、企業経営は加速度的に拡大した。その後、家電業界も同手法を追従し、企業の国際化を推し進めた。モデルチェンジの発明は、世界市場の制覇者が、イギリスからアメリカに移行した要因の一つとも言えよう。

1950〜 企業内デザイン部門の誕生

松下幸之助が1951年にアメリカを初めて視察し、ビジネスの決め手がデザインであることを目の当たりにし、帰国時タラップを降り立った際「これからはデザインの時代だ!」と述べた話は伝説だ。直ぐに千葉大学工業意匠学科の真野善一を招聘し「宣伝部意匠課」を設置。これが日本で初の企業内デザイン部門の誕生である。
1952年にタバコ「ピース」のパッケージをリ・デザインしたのが、レイモンド・ローウィだ。総理大臣の月給が11万円の時代に、デザイン料が150万円だったことから「デザイン」が大きな話題となる。しかしローウィの著作『口紅から機関車まで』の翻訳者が、外務大臣なども務めた実業家藤山愛一郎であったことの方が革新的と言えまいか。
1955年に銀座松屋にグッドデザインコーナー設置により、日本のグッドデザイン運動が始まり、1957年には通商産業省によるグッドデザイン選定制度(現在のグッドデザイン賞)がスタートする。

ゼネラルモーターズが発明した「モデルチェンジ」に必須だったのが、デザインであった。これを完遂させるには外部の専門家に都度依頼をするのでなく、社内に「インハウスデザイナー」を雇用し、レギューラー業務としてモデルチェンジを担わせる方式をとった。デザイナーもラインの一部となり、マスプロダクションの一翼を担うことで企業経営は効率的となり急伸した。その世界的な成功例が日本の家電メーカーで、松下電器産業以降、東芝、ソニーにデザイン部門が発足し、日本の工業生産を飛躍的に発展させ「3種の神器」と呼ばれる家電ブームを生み出した。
また、近似するのが日本のゼネコンだ。欧米の建設業界は、設計と施工は分業体制となっているが、ゼネコンは社内に設計者を雇用し、工事一式を請負う形態で成長する。家電メーカーとゼネコンが、その後の日本の高度経済成長役を牽引する。

1960〜 "Good Design is Good Business.”

製造メーカーの躍進は、「カー・クーラー・カラーテレビ」の「新三種の神器」と呼ばれる第2次消費革命を生み出し、多くの家庭の日常生活を変化させた。
日本のデザイン会社の代表「GK」(1952年創立)は、1960年にキッコーマンの醤油瓶をデザインし、企業の顔(象徴)を作り出し、全国の家庭にグッドデザインを普及させる媒体にもなった。またGKが創業時から深く関与しているのが、ヤマハ発動機だ。1955年発売の一号機「YA-1」から、ほとんどのバイクを二人三脚的に手掛け世界企業に成長。それは創業者川上源一の強い意思によるもので、デザインを経営資源と捉え「インハウス」ではなく「アウトソーシングスタイル」をとった稀有な経営スタイルだ。

IBMの名経営者トーマス・ワトソン・ジュニアが、1966年にコーポーレート・メッセージに掲げたのが、経営とデザインの関係を明確に示した名言 ""Good Design is Good Business.” だ。これ以降、IBMは経営戦略にデザインを活用することで世界的企業に成長していく。またIBMのCI(コーポレートアイデンティティ)は、現在においても企業の存在価値(パーパス)をビジュアライゼーションした良きお手本となっている。
しかし、 ""Good Design is Good Business.” を本当の意味で体現したのが、IBMを宿敵として創業したスティーブ・ジョブズのアップルであることは皮肉であろうか。

1970〜 Made in Japan とCI

中西元男率いるPAOSにより1971年に発刊されたのが『DECOMAS 経営戦略としてのデザイン統合』だ。CIのバイブルと言える同書によって、日本でCIが認知・浸透し、80年代以降、企業のブランド戦略、その後の「ブランディング」に繋がっていく。しかしCIというと今でも「シンボルマーク」という認識を持つかもしれないが、書名が示す通り「経営とデザインの統合」がCIの本質だ。今からちょうど「50年前」の提唱を、我々はどう受け止めるべきか。
また、1970年代初頭に企業の社会的責任や環境について考えるデザイン思想が生まれた。ヴィクター・パパネック著『生きのびるためのデザイン』は、大量生産やデコレーションとしてのデザインを痛烈に批判し、エコロジーや発展途上国、福祉のためのデザインなど、現代のSDGsに通じるイシューをいち早く提議した。

1979年にアメリカの社会学者エズラ・ヴォーゲルによる『ジャパン・アズ・ナンバーワン』は、日本的経営を高く評価し、70万部を超えるベストセラーとなる。1969年に日本がGNP世界2位となり経済大国となった黄金期を象徴する書籍と言え、日本人の自尊心をぐっと高めた。
同じく1979年には累計販売台数4億台以上となるウォークマンがソニーから発売され、80年代にかけて「Made in Japan」「ジャパンデザイン」が世界を席巻する。

1980〜 日本デザインの沸点

1964年の東京オリンピックと、1970年の大阪万博は建築を含む日本のモダンデザインを世界に示した。この二大国家プロジェクトにより、新幹線や高速道路などのインフラが整備され都市化が進み、オイルショックを乗り越え、1991年のバブル崩壊まで日本のデザインのピークが続く。インダストリアルデザインだけでなく、建築、ファッション、インテリア、グラフィック、広告など多くのデザインが、高度に発展した資本主義とがっちりタッグを組むことで共に大きく拡張した。
デザイン経営の代表格として名が挙がるのがイギリスのダイソンだが、初代機「G-Force」(1989年)が、日本企業の製造で日本人デザイナーが関与していたからこそ実現したことはあまり知られていない。ジェームズ・ダイソンはアートとデザインの大学出身で、「デザインエンジニア」という新たな職種を社会に顕在化させたことでも知られる。

1985年にNTT、JT、1987年にJRが発足。いずれもCIを導入することで、民営化による価値訴求をデザインによって行い、日本型CIが確立する。また1980年代は「企業と文化」がビジネス界で話題となり、経営に文化的素養を組み込む企業が増え、1990年には「企業メセナ協議会」が設立する。
この時代を代表するのが、パルコ、LOFT、WAVEなど新業態を次々生み出したセゾングループで、堤清二最大の""作品""が、1980年に西友のプライベートブランドとして誕生した「無印良品」だ。創業時から田中一光などデザイナー複数名による「アドバイザリーボード」を組織図の上層に置き執行役員的に機能させているのが、無印良品が唯一無二の存在となった要因だ。チーフ・デザイン・オフィサーであり、正に「デザイン経営」の実践者で日本を代表する世界企業となった。

1990〜 アップルの隆盛とデザイン思考

スティーブ・ジョブズがアップルに復帰し(1996年)、"Think different”キャンペーンで狼煙を上げ、1998年に発売したのが「iMac」だ。iMacは名実ともに「パーソナルコンピュータ」の誕生であり世の中を変えたが、真の意味での「パーソナルコンピュータ」は2007年発表の「iPhone」とは言えまいか。iPhoneの累計出荷台数は既に20億を超え、産業革命以降、最も世界中で普及したプロダクトだ。アップルの時価総額が2022年後半には3兆ドル(約316兆円)に達する可能性があると言われるほど、デザインによって世界を制覇した企業である。

1999年に日産自動車がルノーと資本提携し、カルロス・ゴーンによるリバイバル・プランの一つがデザインの復権で、いすゞ自動車デザインセンター部長だった中村史郎をヘッドハンティング。中村は3代目マーチや2代目キューブなどを筆頭に、全てのデザインを任され、ゴーンと共に日産を大きく牽引。専務執行役員チーフ・クリエイティブ・オフィサーに就き、デザイン経営宣言におけるCDO設置の先駆けとなった。
1990年代後半から2000年にかけて、ビジネス界及び教育界で突如話題となったのが「デザイン思考」だ。書名に用いた初書は、ピーター・ロウ著『デザインの思考過程』(1990年)だが、一躍有名にしたのはデザインファーム「IDEO」の設立者ディビッド・ケリーが、スタンフォード大学に「d.school」を創設(2004年)したからだ。日本で現在でもデザイン思考に注力するのは、デザインよりビジネス界隈であるのは、スタンフォードという由来が大きいと言えよう。

2000〜 デザインと経営の蜜月時代に

本格的なインターネットの時代に突入した2001年に、デザインとアートに造詣が深い一人のマーケッターが始めたのが「au Design project」だ。「INFOBAR」などでコンセプトデザイン手法の導入は少し知られているが、その実現に際しては世界初となる開発製造をキャリアが自ら負ったこと、さらにレギューラーアイテムのライナップのデザイン力を飛躍的に高め、トータルとしてauブランドを構築しシェアを拡大し、ケータイのデザインを一新させた事実はあまり知られてはいない。
「デザイン経営宣言」の影響の有無は不明だが、2020年7月に内閣府が発表した「成長戦略実行計画」の中に、社会人の創造性育成の重要性として「デザイン」の一言が前年に引き続き使われた。本格的なデザイン経営の時代を迎えるが、その担い手を育成する教育機関の更新が最も重要視される状況と言えよう。東京理科大のような経営系学部がデザイン経営を取り込むケースと、武蔵野美術大学や多摩美術大学など美大系がビジネスデザインを学ぶ学部・スクールが同時期に誕生したのが、2020年のリアルである。

現在のユニクロの時価総額は10兆を超え、アパレルSPA企業で世界一の座についたが、その起点となるのが、柳井正会長から2006年にクリエイティブディレクターに要請を受けた佐藤可士和と、世界の広告界で圧倒的な影響力を持つジョン・ジェイを2015年からグローバルクリエイティブ統括者に任命したことだ。佐藤可士和自身も「デザインは経済の一部」との認識を持ったと言うほど、デザインと経営が相思相愛の仲であったことが、同社躍進のエンジンである。
2000年頃から俄然話題となるのが「スタートアップ」であるが、創業メンバーで必須なのは、ハッカー、ハスラー、デザイナーの3人という説がシリコンバレーから届くが、日本においても同様の動きが徐々にでてきた感がある。
こうした時代状況を背景に経済産業省と特許庁は、国のデザイン政策としては15年ぶりとなる「デザイン経営宣言」を2018年に提唱した。これは、どちらかと言うと経営サイドがデザインサイドに急接近することになる。インターネットがデフォルトとなったビジネス界において、企業がユーザーとダイレクトに結びつく状況となったことで、UI/UXが重要視され、デザインを経営の最上位に置くIT業界やスタートアップ界隈の熱量が特に高い。

Writing

公益財団法人日本デザイン振興会 常務理事 矢島 進二

公益財団法人日本デザイン振興会 常務理事。1962年東京生まれ。1991年に現財団に転職後、グッドデザイン賞を中心に多数のデザインプロモーションに従事。東海大学、九州大学、武蔵野美術大学等で非常勤講師。

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2. Define デザイン経営とは

あらゆる場面でその言葉が使われるようになったデザイン経営とは、そもそも何か? その定義について、経済産業省と特許庁が発表(2018年)した「デザイン経営宣言」に基づき、ご紹介をします。

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