日記

やじろべえ

怒涛の3月も終わりゴールデンウィークも近くなって、ようやくブログを連続投稿したくなるくらい、心の余裕がでてきました。だから久しぶりにどうでもいい些細なことをブログしてみようと思います。
こないだ業界紙BCNの木村さんから取材を受けました。
木村さんとは妙に気があうので、ついつい話が脱線してしまいます。今回の取材はBCNの最終面を飾る「FACE」というコーナーで、IT業界で活躍している人を紹介する内容なので、今までのキャリアや苦労/成功について話さないといけないはず。それなのに、「高校生の頃に法政の男の子とみんなでお茶をしたんだけどね、全然自分は話かけてもらえないわけ。この時に私は顔じゃ人生勝負できないって痛感したの」なんて話をしているわけです。これがどうビジネスマン向けの記事になるのかしら。私が木村さんの立場だったら真っ青です。でも木村さん、笑顔で「ばっちりです!」と答えてくださったので、きっとまとめてくれるのでしょうね。さすがだな。


さて、ここからが本題。
その取材の中で「林さんはいつも前向きでエネルギーに溢れているように見えるけど、何が秘訣ですか?」と聞かれました。
それはね、さすがに会社の代表をしているので、オフィシャルな空間で「あー、もうダメ。全然うまくいかない。もうやめたい」なんて言えないし、言いたくない。だからいつも前向きのように見えるけど、人間だからめちゃめちゃ後ろ向きに考えることだって、落ち込むことだってありますよ、と答えました。
その質問をうけて気がついたのですが、私はものすごく振れ幅が大きいタイプだと思うのです。「ちょっと前向き⇔ちょっと後ろ向き」じゃなくて、「もう底抜けにパワフルな時⇔人に言えないくらいどんよりシクシクな時」を行き来するわけです。
そこは他の人に比べて普通じゃないところかも。だからどんより側を見てない人は「すごく前向きな人」に見えるのだろうなと。
このことを諏訪くんに相談しました。「私って異常者かな?振れ幅が大きすぎてロフトワークのみんなに迷惑かけてない?」と。(ちなみにこういう発言するときの私はまさに後ろ向きモード 笑)
すると諏訪くんが「君はやじろべえなわけね」と言うわけです。
「やじろべえは手が長ければ長いほど安定するから、つまり、安定してるってことなんじゃないの?」と。
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おおおおおお、なんかブレイクスルー

そうか、やじろべえか~。しかも思いっきり手の長いやじろべえか。
なんか嬉しいなぁ。
普段からジョブズのConnecting the dotsに影響を受けて「できるだけ大きな弧を描きたい」、だから思いっきりやりたいことをやろうと思っているので、振れ幅が大きくなるのは仕方ないんだけど、それはそれでちゃんと安定しているってことなんだ、と思ったら心がふっと楽になりました。
これからも何か普通じゃないことに挑戦するときは、手のながいやじろべえを想像しながらよっしゃっ!と頑張ってみようと思います。
あ、でも手の長いやじろべえはひとつだけ気をつけないといけません。
極端な領域まで手を伸ばすことになりますから、どちらか一方で手をついてしまうことがないよう、バランスをとることを忘れないようにしないと。そうでないとただのクレイジーになってしまいまする。チャンチャン。



Comments 6

  1. 「私って異常者かな?振れ幅が大きすぎてロフトワークのみんなに迷惑かけてない?」
    感情の起伏が激しいというのはリーダーとして決して欠点にはならないと思います。以前聞いた話ですが、「人間は理性だけでは決断できない」らしいです。事故等で脳の感情を司る部分を損傷した人は決断が出来なくなるのだとか。論理的に色々考えても「完全なる正解」は日常生活でも社会生活(つまり、ビジネス)でも絶対出てこないもの。何割かの不安な部分を押し潰して決断するには最後はえいやっという部分が必要になります。それが、理論に傾く人にはなかなか出来ないのだとか。
    感情の起伏が激しいというのは「欠点」にも思えますが、実際は大きな決断には必要な要素なんですね。だから、触れ幅が大きいということは大きな決断も出来る「胆力」が備わっているということでもあるので、決して欠点ではないのですね。その欠点と思えるところを理解してフォローしてくれる仲間がいるのであれば、あまり気にしなくても良いのだと思います。
    ホンダやソニーなどの起業期の話を聞くと、怒って灰皿を投げつけるような人をその人柄を理解し、愛した仲間が支えていくというのは絶妙な組み合わせなんだろうと思います。アントレプレナーシップには「事業機会・リソース(資金)・起業メンバー」という成功のための三要素が必要ですが、起業メンバーの成功要件は個々の能力というよりは絶妙な組み合わせなんだろうと思います。

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  2. Taiichi

    陽だけの要素を持った人と、陰と陽を持った人を比較すると、きっと陰陽を持った人の方が魅力があるはずです。うん。

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  3. chiaki

    賢太郎さん、Taiichiさん、いつもコメントありがとう。二人の言葉に本当に癒されますよ。ブログ書いてて良かった、と思う瞬間です。
    でもね、さすがに灰皿投げつけあっても理解し愛してもらうっていうのは、ちと厳しそうですね(苦笑) それをメンバーに言ったら「千晶さんのパワハラ〜」と笑われそうです。
    でも感情の起伏の激しさは、必ずしも欠点ではないということかな。というか、欠点だとしても、それを自分で認識してネガティブな表出しないように意識することが大切なんでしょうね。がんばりまーす!

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  4. > でもね、さすがに灰皿投げつけあっても理解し愛してもらうっていうのは、ちと厳しそうですね(苦笑) それをメンバーに言ったら「千晶さんのパワハラ〜」と笑われそうです。
    最近は本気で怒ると「パワハラ」と指摘されるので変な世の中だな~と思います。厳しく指導するのは「やりすぎ」に至るリスクもあるので指導する側の「自制」が必要ですが、ビジネスにおいて本気で感情をぶつけ合う機会がもっとあって良いのではないかと思います。時には感情的な軋轢も生むでしょうが、そもそも自分の人格までも掛けてビジネスに取り組めない人に他人が着いていくことはないでしょう。その意味では世の中が「ドライ」になってきてしまっているんだなと残念に思います。

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  5. chiaki

    そうですね~。本気で怒るには信頼関係がないとできないですよね。
    会社だけじゃなくて、学校でも先生が生徒を全然怒らなくなっているんですよ。これも先生と生徒の間がある意味でドライになってしまっているからかもしれませんね。
    ただ私の場合、実際のところ、かなり怒る方だと思います(笑) でも「ベースに愛」をもって怒れる人間になりたいですよね。

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  6. > 会社だけじゃなくて、学校でも先生が生徒を全然怒らなくなっているんですよ。これも先生と生徒の間がある意味でドライになってしまっているからかもしれませんね。
    僕は以前塾の講師をしていて、悪がきを叱り飛ばしていたのですが(頭をはたいて座らせるなどということはしょっちゅうやっていました)、ある日生徒が「教育委員会に言うぞ」と言ってきました。僕は「塾は教育委員会と関係ないから無駄だよ」と言いましたが、そもそも親が望み生徒自身が望んで来ている塾で、授業中に席を離れたり騒いだりしていて注意されてもそう言って反抗するというのが理解できません。教育委員会云々は親御さんや友達が言っていたものの受け売りなのでしょうが、教育委員会も体罰ごときで右往左往するのが情けない。僕が小中学生の時は宿題を忘れるとお尻を定規で叩かれたものです。それが今では先生にしても親にしても「ちゃんとした体罰」が出来なくなってしまっているのですね。
    愛がなければ怒りは湧かないと僕は思います。相手を思えばこそ、相手が接する人や社会を思えばこそ、怒りが湧いてきます。逆に自分が追い詰められたことによる怒りは相手には響きません。林さんの愛ある怒りが受け止められる仲間がいることは、林さんにとっても仲間にとっても幸せなことなのでしょうね。
    ウェット万歳!

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