「前陣速攻」という言葉を聞いたことありますか?私は先日対談させてもらったMITメディアラボの石井先生から初めて教わりました。
Wikipediaによると元々は卓球の戦術用語。前のめりで卓球板に位置し、反射神経を頼りにとにかく攻める、そんな戦い方らしいです。
「幸福の神様の前髪をつかめ」という言葉は時々聞きますが、前陣速攻はまるで「幸福の神様らしき姿が視界に少しでも入ったら、迷わずその髪の毛をつかんで引っ張りだせ」ぐらいの強さを感じます(笑)
その「前陣速攻」をモットーに世界に挑戦し、現在日本人で初めてMITメディアラボで副所長にまで登りつめている石井裕先生。対談内容はWisdomサイト「あの人に会いたい」で10月に掲載予定ですが、少しだけ生のコメントで先生から教わった「今の時代を生き抜くるということ」について、整理してみます。
△石井先生と一緒に(写真:池田晶紀)
『僕たちが子供に残すのはライカのカメラじゃなくてYahoo!アカウント』
私たちを取り巻く環境は大きく変わっています。特にテクノロジー領域ではクラウドが出現し、私たちの生活パターンを変えている。
△石井先生が使っているクラウドサービス一覧(古川さんと石井先生の対談)
その例えで先生がおっしゃったのがこの言葉です。従来であれば大切なカメラやそのカメラで撮影した写真を子供に遺してきた。でもこれからの時代は次世代に遺すものは物理的な写真じゃなくて、それらをアップしてあるクラウドサービスのアカウント情報になるだろう。そしてそれを嘆いたり恐れたりするのではなく、新しいビジネスが始まる「機会(opportunity)」と捉え、この大きな波を楽しんでほしいと言っていました。何歳になっても変化を楽しむ好奇心と柔軟性が大切なんですね。
『すべては必然、と考える知的トレーニング』
なぜそんなに前陣な生き方ができるのですか?という質問に対する答えがこの言葉。目に入ったもの、自分の置かれている状況を「偶然」ではなく「必然」として解釈してみる。そのために「なぜなぜなぜ?」を7連射。そうすると世の中の事象は哲学レベルにまで還元できる。事象を哲学にまで昇華できると、本質や原理が見えてくる。その思考トレーニングを普段から積むことが大切だと。
例えば目の前に川が流れているとする。「大きい川だな」「奇麗な川だな」で終わらせない。
「なぜ水は流れるんだろう?」
「水とは自ら流れたがるもの。
そして流れない水は死水となり、淀んでくる」
「そうだとしたら情報はどうだろう?
情報も流れたがっている?流れない情報はどうなる?」
そうすると「情報」と「水」が概念的に繋がり、情報に対する新しい解釈が生まれてくる。メタファーに置き換える、セオリーを見いだす、そういった思考トレーニングを普段からやっておくことで、反射神経を高め、知的な前陣速攻的ディスカッションができるようになるらしいです。うーん、なかなか難しいトレーニングですね。
『あらゆるラベルを拒否する』
もうひとつ先生が言っていたことでとても印象的なのは、先生は「科学者ですか?アーティストですか?それとも教育者ですか?」と良く聞かれるそうです。でも「僕はその何物でもなく、そのすべてを超える人間でありたい」と。
確かに私たちは情報処理の効率を高めるために、入ってきた情報を驚くほど記号化&簡略化して日常生活を営んでいます。
例えば初対面の人に会ったとする。「この人はどんな人だろう?」と思ったらじっくり相手と話をして解釈しないといけない。数時間はかかりますよね。でも例えば「この方は高校の先生です」と紹介されたら、相手を理解しようとする前に自分の中で勝手にもっている高校教師のイメージとその人をセットにして、記憶にインプット。それで処理終了させてしまう。
この記号化はとても効率的ではあるけれど、先入観や常識や偏見にもなり、他人だけでなく自分にさえも「束縛」を生む危険を孕んでいる回路なのです。
だから自分にレッテルをはらない。少なくとも自分は何なのか、ラベルに押し込んでしまわない、と意識することが大切なのでしょう。
「自分の前に広がるのは荒野。自分の前に道はない。自分の後ろに初めて道ができるのだ。」そんな感覚を持ってほしいと強く言っていました。(高村光太郎の詩「道程」と同じメッセージですね。私も大好きな詩です。ここに全文掲載されていました)
他にもここには書ききれないエネルギッシュな話をたくさん聞かせてもらいました。
知的好奇心を忘れない人はいつでも輝いています。まずは私たちも自分たちのレッテルを外してみるところからやってみましょうか?
△子供のような好奇心でガラスの椅子を覗き込む