日記

はじめてのアートへの寄稿 《祖母と桜》

私の祖母は、まだ子どもが幼い頃に夫(私の祖父)を結核でなくしました。彼女は、嫁ぎ先で細々と生きていくのではなく、洋裁学校に入り直して、女手ひとつで洋裁店を立ち上げることを選びました。子どもの頃、祖母の職場に遊びにいくと、何十人ものお針子さんが所狭しと働いていて、床には、拾う暇もなく打ち捨てられたたくさんのまち針が転がっていたのを覚えています。

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母と幼い頃の私

彼女はとびきり我慢強い人でした。夏休みで帰省していた私たちが東京に戻るときも、「さみしくなるわ」なんて甘いセリフを言ったことは一度もありません。「危ないから早く乗りなさい」とさっさと新幹線に乗り込ませるだけ。一緒にお風呂に入ると、太ももには仕事中に筋肉に入りこんでしまった縫い針を摘出したときの大きな手術跡が残っていました。

体調を崩した祖母の看病をしようと新幹線で故郷に向かっていた母の到着を待たずに、「潮干狩りにいくから起こさないでね」と言い残して、彼女は他界しました。外には満開の桜の花が咲き乱れていました。私たちは桜吹雪の中、祖母を見送りました。

大庭大介さんの「桜」の作品と出会ったのは、2009年に開催されたSCAI THE BATHHOUSEとmagical, ARTROOM(現在のisland)が共同で開催した大庭さんの初個展でした。偏光パールを用いる大庭さんのペイティングは、見る位置によって浮かび上がるイメージが大きく変わります。

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Daisuke Oba, SAKURA, acrylic on cotton and wood panel, 90x90x4.5, 2009

一見、何の色も見えない、上品なシルバーの幾何学模様。でも光のあたり方によって、そこに色鮮やかな「桜」が描かれていることがわかります。虹色に輝く桜を見つけた時、一生懸命生きて、潔く去っていった祖母を思い出しました。

何の迷いもなく、「これが欲しい!」と思いました。残念ながらその作品は売約済みだったので、大庭さんにお願いして改めて描いてもらいました。こんな風にして、私のアートコレクションは始まりました。ずいぶん経ってから、「夏休みのあとに部屋に残された孫のおもちゃを見るのがつらいとおばあちゃんが言ってた」と母から聞き、甘い言葉を飲み込みながら、時代を生き抜いた祖母の強さと優しさが初めてわかったような気がしました。

桜の絵は、今も毎日、玄関で私を見守ってくれています。

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笠戸島(山口県)にて

 



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