日記

生命は機械ではない、生命は流れだ

代官山ロータリークラブに、福岡伸一さんが来てくれました。「生物と無生物のあいだ」を読んでからずっと憧れていましたが、1時間話しを聞いて、心臓のどきどきがとまりませんでした。この感動を忘れないために、メモを共有します。

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「生命の神秘は、神が作ったものだから追及しきれない」という時代から、遺伝子がすべて解明される時代に移り、生命も機械部品のように、それぞれの役割が明確に捉えられる時代になった。「機械論メカニズム」という視点 それ以来、世界を分けて、分けて、小さくして、私たちは生命の機能を解き明かし、進化してきた。 福岡氏が大学の研究室に入った頃、その流れはますます強まっていた。生物を個別にみるのではなく、生物全体で捉える「分子生物学」という新しい流れが生まれていた。幼少時代、昆虫の新種を見つけることを夢みていた福岡氏は、細胞という巨大な森の中で、新種の細胞を見つけることになった。

しかし、細胞の役割を機械的に解明しようとすればするほど、それだけでは解明できない壁にぶつかった。その時に目にしたのがルドルフ・シェーンハイマーのこの言葉だった。 “生命は機械ではない、生命は流れだ” 機械論に寄りすぎた生物学に対し、シェーンハイマーは独自のアプローチをした。人間はなぜ食べつつけるのか?機械論者はこう考える。「食べ物は、人間が動き続けるためのエネルギー。車にとってのガソリンのようなもの。だから常に食べ物を摂取し、その燃えカスを老廃物として排泄するのだ。」 「それは本当だろうか?」シェーンハイマーは、食べ物を細胞レベルで着色し、摂取した際の体中での流れを緻密に測定した。すると50%以上はエネルギーとして燃やされずに、身体の中に「細胞」として取り込まれていることを発見した。同時に、多くの外部の細胞を新たに取り入れているのに、体重は増えていないことにも注目した。 つまり、生物の身体は、身体の原子を食べ物の原子と入れ替えているのだ。自分自身を分解しながら、新たな細胞を統合している。うんちの主成分は、食べ物のカスではない。自分の身体の分解されたものなのだ。最も入れ替えが早いのは消化器系の細胞。数日の単位でどんどん入れ替わる。入れ替わるペースは違っても、骨や脳細胞ですら入れ替わっている。 “私たち人間は、絶え間ない分子の流れに身を置いているのだ。” 分子的には、一年も経つとほとんど入れ替わってしまう。だから久し振りに会う人に「お変わりありませんね」というのは大間違い。細胞レベルではほとんど入れ替わっている。それなのに、約束やアイデンティティにこだわる人間の不思議。 生きている本質は、絶え間なく更新すること。それが生き続ける唯一の法則であり、それを「DYNAMIC STATE(動的平衡)」という。 要素はたえまなく更新される。平衡はたえまなく求められる。絶え間なく入れ替わることが、エントロピーへの抵抗。だから人間は、頑丈ではなく、柔らかに緩くつくられている。 それでも捨て残りが少しずつ溜まる。それが老化。そして緩やかに更新が滞り、いつかはエントロピーに捉えられるのだ。



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