実用書レベルの知識にすぎない?!
2016年11月、早稲田大学で開催されている「EDGEプログラム」に講師として呼んでいただいた。そこで、仕上がったばかりの「高齢化にまつわる基礎調査報告書」と「デザインリサーチ実践ガイド」<を自信満々で紹介したところ、恩師である恩蔵先生からこんなコメントが返ってきた。
「今のままだと実用書レベルの知識にしか映らないよ」
「ナ・ン・ダ・トーーー!」思わず、心の中で叫んだ。今回披露したのは、近年稀にみる自信作である。プロジェクトには、国連や世界銀行などをクライアントに持ち、世界で活躍するリサーチの専門家、ヤン・チップチェイスにも加わってもらった。ロフトワークの先鋭メンバーも4ヶ月間専念して、報告書とリサーチ実践ガイドをまとめ上げた。
リサーチを共にしてヤンのリサーチャーとしての鋭い視点や、小さな発見の連なりからインサイトを導き出す強力な統合スキルを目の当たりにしていただけに、恩師といえども、大学教授にはビジネスの現場がわかるまいと、先生の言葉を一笑に付した。
しかし、不思議なことに何日経ってもこの言葉が心から消えない。むしろ、少しずつ重みを増してくる。デザインリサーチのみならず、私が実践してきたデザインイノベーションの手法やノウハウも、ライフハック的なテクニックに過ぎないというのだろうか。そう考えると、地面からグラグラ揺らぐ気がした。
学術的な理論と、実践的なテクニックとの距離
恩蔵先生の言葉は、何を意味しているのか。自分はなぜ引っかかっているのか。そんなことを自問しているうちに、いつの間にか先生の指摘に同意している自分がいた。確かにこれまで実践してきた手法は、学問として長い時を経て紡がれている「知の連なり」に接続できていない。
デザイン思考、デザインスプリント、ハッカソン、デザインリサーチなど、次から次へと生まれる新しい手法。つい「どんな効果が得られるか」や「どう実践すればいいか」に意識がいってしまい、既に存在している経営・マーケティング理論との関連付けや、統計的な有効性、さらに大局的な視点では、組織論や人材育成などへの考察が足りていなかったのは事実だ。
もちろん、現場から生まれる新しい手法や取り組みに価値がないわけではない。時代が変われば、武器も変わる。弓矢から鉄砲に変わったように、インターネット時代のビジネスを創造するために必要な手法やフレームワークを、生みだし続ける必要がある。でも、だからこそやっとみえてきた新しい思考やアプローチを、私たち自身が価値と認識して、育て、学術的な考察と検証を経て、強度を高める必要があることに気付いた。
新たな手法のルーツを遡る
そもそも多くの事象において、「全く新しい」という認識は、傲慢か、あるいは無知から生じると考えている。私たちは、先人たちが長い年月、脈々と積み重ねてきた知恵を礎に、わずかな(でも大切だと信じている)更新を加えながら、現在の社会やビジネスを成立させている。でもつい、更新された部分にばかり目がいきし、知恵の共有地(コモンズ)の存在を忘れがちである。
学問とビジネスの現場は、「知恵のコモンズ」と「更新作業」の関係のように感じられる。両者は一見、距離があるようだが、密接に関わりあっている。実践から生まれた技法は、学問という時間を遡るプロセスを経て無駄が削がれ、本質的な価値へと昇華する。丁寧にルーツを遡ることで、新たな技法には帰属する学術領域が定められ、忘れされることなく、次世代へと継承されていくのだろう。
この気づきは、一つの決意につながった。ロフトワークを設立してから17年。ずっと現場に身を置き、新しい領域に体当たりでぶつかってきたが、今年度からアカデミアの世界に足を踏み入れることにした。光栄なことに、母校の早稲田大学で、学部横断の授業を持たせてもらうことになった。テーマは『イノベーションプラクティス』。ビジネスの現場から生まれてくる手法は、眼前に広がる課題や機会に対応できる柔軟性があり、機能的でもある。それをアカデミアの領域から問い直し、整理統合することで、自分たちの手にある「未来を生み出すフレームワーク」の強度を高めていきたい。今年は夏学期だけだが、週1回の授業を通じて、私自身がしっかり学び直すつもりだ。
振り返ると、恩蔵先生から指摘されるまでの私は、井の中の蛙。学問という広くて深い海の存在を知らなかった。大海を前に、戸惑いはある。自分という存在の小ささに、情けない気持ちにもなる。でも、己の小ささを実感できたのはありがたいこと。大海に出た蛙、まずは波乗りでもマスターしてみるか!