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地球の鼓動を感じる 〜竹村真一氏

憧れの文化人類学者 竹村真一さんが代官山ロータリークラブに来てくれた。宝物のような竹村さんの言葉を少しでも留めたくて、気がついたら必死でメモを取っていた。竹村さんの伝えたかったニュアンスと異なる部分もあるかもしれないけれど、インスピレーションを与えてくれる貴重な言葉ばかりだったので皆さんにもおすそ分け。
 
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地球の感覚神経系であるインターネット
 
地球の体温を、まるで自分のことのように感じられる時代になったと感じている。地球と人間は、規模で例えるなら、大きな象の背中にちっぽけなノミが乗っているようなもの。ノミには、とても全体像は捉えられない。それでも人間は、人工衛星を飛ばして状況を感じ取り、情報を繋ぎ合わせ、必死で地球全体を把握しようとしている。巨象の上にいるノミが、仲間と情報を共有して象の全体を理解しているようなイメージだ。
 
その際、インターネットは重要な役割を果たす。人はまるでジクソーパズルのピースを集めるように、ネットで集められた断片情報をつなぎ合わせ、地球の全体像を少しずつ掴み始める。「これは全く違う時代に突入するな」と感じていた。そのインスピレーションから生まれた作品が『Breathing Earth 呼吸する地球』である。
 
時間は少し遡るが、阪神大震災を経験してショックを受けたのは、関西で地震が起こるわけないと思っていた自分に対してだった。日本列島の成り立ちを冷静に眺めれば、地震が起こらない地域なんてないのは明白だ。地震観測データを当てはめたら、日本全国、地震で塗りつぶされるような列島なのに、そういう実感を持っていなかった。そして、そのことが問題だと思ったのだ。
 
時を同じくして、インターネットエキスポを企画していた村井純さんから「インターネットだからできることを何かやってもらえないか」と相談を受けた。世界中の地震学者たちがほぼリアルタイムに微震レベルのデータを集めていることがわかっていたので、それをほぼリアルタイムにビジュアライズできたら地球の鼓動を感じられるのではないかと考えた。地球で起こっている自信をもっと日常的に感じられる社会インフラ。それが『呼吸する地球』の原案となった。
 
ひとつずつのデータは小さなピースにすぎない。でもそれを集めたら全体が見えてくる。地球の胎動を感じられる。インターネットという情報網は地球規模であり、地球とつながる神経系みたいなものである。インドのインダバという町で、京都の水琴窟の音をリアルタイムに流すインスタレーションを行ったことがある。インドという遠く離れた場にいる人たちに、京都の水琴窟の音色をリアルタイムで聞かせられる。まるで、京都に聴診器を当てているような感覚があった。
 
地球大の神経系が、人類にもたらしうるツール。それは地球そのものを進化させる可能性も持っている。見落としがちだが、生物は地球を何回も進化させてきた。20億年以上前にシアノバクテリアが繁殖して、地球上に酸素を大量に生み出した時期がある。酸素に慣れてない植物にとって、それは公害みたいなもの。しかし自ずと、増えすぎた猛毒である酸素を利用する「生物」が生まれ、抗酸化作用という形で酸素と戦いながら進化してきた歴史は、人体を見ると明らかである。
 
緑豊かな今の地球の状況も、陸上に生物が上がれるようになった構造も、ある意味で生物が作り出してきたものである。従来の秩序を超える大きな変化を、生物は地球にもたらしてきた。そして今、インターネットがある。あらゆるものがインターネットにつながる時代。例えば、車のワイパーの動きがリアルタイムに世界中の雨の状況を教えてくれる。それが現状の把握と、未来への対策へと生かされていく。地球を進化させるためのプロセスに参加できる時代ともいえそうだ。
 
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自然に柔らかに働きかける日本人の自然観
 
高度経済成長期における環境破壊の反動もあり、欧米では「人間は悪いことしかしない。人間が触らない自然が一番だ」という論調が主流である。でもその思想を突き詰めると、究極自然のためには人間はいない方がいいとなってしまう。しかし、日本の自然との関係を振り返ってみると、そうではないだろうと感じている。
 
日本は雨が多く、地震も多く、洪水もあり、荒ぶる水流に古くから苦労してきた。それに対応する方法として水田や稲作、治水の技術が発展した。昔は河川の下流域は洪水や氾濫の危険が多くて住めなかった。しかし室町時代から治水技術が進化し、下流域での居住を可能にしてきた歴史がある。
 
ちなみに、徳川家康が江戸に都を設けたのは大革命だったと思っている。それまでの武士や大名が目指すのは常に京都だった。家康が初めて関東に江戸城を築き、当時、田舎の漁村に過ぎなかった海辺に都を移した。その際に利根川の治水に取り組み、川の流れを付け替えて、その後の経済発展を実現した。
 
なぜ京都を捨てたのか。それは京都では充分な水と食料を賄えないという読みがあったからだ。戦国時代は、水と食料が足りない時代。つまり、水と食材が不足している状況では、いつまでたっても争いはなくならない。仮にこれで天下をとっても、長くは続かず、再び下克上に成ってしまう。それを防ぐために、ポテンシャルのある関東平野に目をつけたのが家康である。
 
関東平野が肥沃なのは、火山と地震のおかげである。箱根山や富士山などの噴火で火山灰が降り注ぎ、それを台風や洪水で下流地域に集められて堆積し、平坦な土地が生まれた。それが関東平野だ。ここからで見えてくるのは、我々が災いだと思っているものも、恵みの元になるという発想の転換だ。川を付け替えたり、水田を作ったり。それは洪水と渇水を繰り返し、他の生物にとっても生きづらかった地球において、人間が手を加えることで、他の生物の多様性も支えてきた。地球と共に進化してきた歴史でもある。
 
人間が手を加えることで災いを減らし、恵みを増やすことも可能である。そんな自然観を作ってきた日本。それは地球規模に広げていく価値があると思っている。CPV (Creating Planetary Value)という思想はそこに立脚している。地球規模の価値を創造する。それは、例えば「レジ袋の節約」のような、環境配慮ではない。もう少し大局を捉えた視点を大切にしていきたい。地球大の神経系がある時代に入ったのだから、全く違う視点で設計できるはずである。
 
ちなみに、31億塩基対(つまり60億の文字情報)で描かれているヒトゲノムのうち、99%がジャンクDNAだと言われている。単なるコピーミスが残っているだけでなく、昔使われていたけれど今は使われていない情報などが残っているのだと。
 
ちなみにコレステロールが溜まりやすいかどうかの体質は、ヒトゲノムの60億文字のうち、たった1つの塩基の記述で決定される。小さな変化がドラスティックな変化をもたらし得る。しかしここで忘れてはいけないのが、「誤りの許容」である。ジャンクDNAが残っているように、誤りを許容することが生命を維持しており、それが多様性や進化につながっている。環境の変化に合わせて進化しても、過去の働きを設計する情報を捨てない。それは、いつかまた役に立つ時代が来るかもしれない。それが生命が持っている豊かさなのである。一人の人間が生きている時間は短い。しかし、何万年前の人間の知恵を引き継いで生きていける。
 
例えばコレステロールが溜まりにくい体質の方がいいと思うのは、現代の時代を生きているから。昔は飢餓との戦いだったので、コレステロールという栄養が、少しでも体に溜まるように遺伝子が進化した。人間の多くが、十分に食を得られるようになったのはこの数十年の話。だから遺伝子が不適応な状況になっている。しかしコレステロールを貯める遺伝子は、再び肉が毎日食べられない時代になった時に、再び役に立つのである。
 
人間には判断ができない領域のことがたくさんある。だから人間ができる唯一の選択は、選択肢を両方維持していくことである。DNAとしてジャンクであろうと、99.9%の無駄を大切にしていく。人類はまだ幼年期。いい形でパフォーマンスするように、実験を始めたばかり。生物として何ができるか、我々の人類の実験は始まったばかりである。


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