著者:川上 直記

オザケンがテレビで20年ぶりに「ぼくらが旅に出る理由」を歌った翌日、
僕はロフトワークの勤続10年の福利厚生を利用して旅に出た。

旅のテーマは勤続10年の節目に「クリエイティブ」という言葉に向き合うこと。

自分の職種は「クリエイティブ・ディレクター」だ。
入社した頃は全社的にも「ディレクター」のみで、いつの頃からかつくようになった
この「クリエイティブ」という冠について、戸惑うときがある。

クリエイティブとは・・・何か?
どういう状態がクリエイティブと言えるのか?

今年の京都オフィスの新年会において、弊社の林が言った。
ロフトワークのクリエイティブの定義は川喜田二郎氏の中にある、と。

という理由で、川喜田二郎著「創造性とは何か」を持って旅に出ることにした。

ロフトワークでは勤続10年になると、「アニバーサリー10」という制度があり、
連続2週間の休暇と、20万円までの宿泊費と交通費が支給される制度で、
過去に先輩方がスペイン1600キロの旅とかで謳歌してる中、
僕は「3泊4日九州の旅」というクリエイティビティに欠けるチョイスをした。
(なぜなら、会社の台湾合宿ですらシンプルにホームシックにかかるような人間なので・・)

以下、旅(というか移動)の合間に書籍を読み、
印象的だった文章の引用に感想加えたものをホテルや旅館で下記連ねたメモです。
興味を持ったひとは是非書籍を手に取ってください。

オリックスの宮崎キャンプを見学しながら「創造性とは何か」を考える

創造行為の本質/創造とは何か

創造とは「ひと仕事やってのける」こと、創造性とは「ひと仕事やってのける能力」を持つこと

明治維新以降のめまぐるしい変化により、伝統的な固有技術だけでは新しい「物づくり」はできない。
江戸時代の庶民の中での、ひとつの問題を初めから終わりまで解決し達成する意味の
「ひと仕事やってのける」ということが創造である。

いきなり、江戸時代や明治維新からの引用というスケール感が面白い。 

また、創造的行為の三カ条として「自発性 / モデルのなさ / 切実性」を上げていて、
その中でも「切実性」というワードが印象深く、後々でもキーとなってくる。
その仕事をやることが、冗談や酔狂ではなくて、自分にとって切実であればあるほど創造的であるということだが、
はたして、そういった切実になれる機会はどれほどあるだろうか?

創造性とは問題解決の能力である

「ひと仕事やってのける」をわかりやすく言うとこうだ。
とすると、クリエイティブを生業にするということは、
一筋縄でいかないこれまでのやり方では答えが導き出せない問題を解決する」ことであり、
そこで活動する者に求められることになるだろう。

以下のたとえを見たことががる
「問題提議をするのがアート/問題解決をするのがデザイン」
とすれば、クリエイティブと同じように定義が曖昧な「デザイン」というコトバも身にしっくりくる。

自分自身、2年前に子を持つようになり、
子どもたちや、その子どもたちの世代が希望を持って暮らせるようになってほしい、
そのために尽力することが後世のテーマとしてじわじわと上書きされいくのを感じている。
とすれば、ロフトワークというクリエイティブ・エージェンシーの中で、
世の中の多種多様な課題と向き合う機会があることは本望なのかもしれない。

保守と創造は、矛盾しながらも補いあって循環する

「人間が生きることがどういうことか」という視点から創造を考えると、
「生き永らえたい」という”保守性”と、「新陳代謝」という”創造性”という、
必然的に随伴する二つの根本的原理があり、
そしてそれらは、「保守なくして創造なし、創造なくして保守なし」という関係性にある。

何度も「保守的になりやがって!コロス!」と叱咤激励されてきた自分だが、
その保守性も循環して創造性に繋がっているということであればうれしい。
これからは個人での「現状打破」への意識を高めつつ、
チームではメンバーの創造性をうまく引き出せる存在になりたい。

創造的行為の内面世界/生み出し方

鹿児島は桜島を眺めながら「創造性とは何か」を考える

混沌、出会い、矛盾葛藤、そして本然

過程自体の説明は割愛しますが、、大事なことは
混沌のなかから「何とかしなければならない」という意思が生まれる、ということ。

クリエイティブの三原則の一つの「切実性」が関係してきますが、ロフトワークで言うと、
クライアント×クリエイター×ロフトワークというチームが如何にして混沌を分かち合えるか、
混沌のレベルまで深く潜り、混沌の底から真の光の指す方へ導いていけるか、
そういった力がこれからのクリエイティブ・ディレクターに求められている能力だと思った。

天命を感じ、絶対感で事を行う。

創造的行為というものはいつでも成立するものではなく、
「そのとき」の持つ絶対感、いわゆる「一期一会」の独自性があるということ。
それを実現するには、受け身ではなく積極的に全体状況に対し、価値創造へ寄与する意識を持ち続け、
考え行動する必要があるということ。

絶対的受け身から真の主体性が生まれる

自分がやりたいからやるんだという底の浅いものではなく、
全体状況が自分にこういうことをやれと迫ってくるから、やむなくやっているという絶対観。
この一節を読んで、弊社の林のことが浮かんだ。
正直、何故こうもいろんなことを始めてしまうのだろうと思ってしまうこともしばしば、だけども、
全体状況への絶対的受け身の境地から、天命のように主体性が生まれている結果なんだなと。

「自己の状況への置き方」、これからの自分自身のチャレンジポイントだと思った。

創造的行為によって自らが変わる

創造的行為は、その「客体」を創造するが、同時にその創造を行うことによって自らも脱皮変容させる。
つまり「主体」も創造される。またその行為を通じて「愛と連帯感」が生まれる。
そしてその創造がおこなわれた「場」も、また新たな価値を付加され、第二第三の「ふるさと」になる。

終わりに

ロフトワークのクリエイティブと向き合う旅だったが、
その答えはどうやらロフトワークという混沌に潜った先で見つけ出すしかないようだ。

九州3泊4日の旅で、何を格好つけてるねんって話だけども。(苦笑)

川上 直記

Author川上 直記(クリエイティブDiv. シニアディレクター)

2006年にロフトワーク入社。プロジェクトマネージャ兼ディレクターとして、大中規模のサイトweb構築や新規サービスの立ち上げ等のWeb系プロジェクトから、オープンイノベーション・空間に関するコミュニケーションデザインまで、幅広い分野のプロジェクトに携わっている。2011年から京都オフィス立ち上げメンバーとして京都に移住。

Next Contents

昨年度滞在制作作品が多数の映画祭で入賞。
延岡発、縦型ショートムービーに特化した映像祭の第2回を開催!