EVENT Creators Talk

緻密な作業と人の感性が支えるプログラミングの美しき表現力
ロフトワーク展 01 - Creators Talk #3

人間の感性に依拠しないクリエイティビティの可能性とは?デザインエンジニア 堂園翔矢さん(Qosmo)と、プログラマーとして映像制作やパフォーミングアーツを手がける清水基さん(backspacetokyo)をゲストに、デジタルとアナログ、数値化できないものとプログラムの可能性を考えました。

2017年12月、ロフトワーク初の展覧会「ロフトワーク展 01 – Where Does Creativity Come From?」で「創造性の源」をテーマにしたクリエイターズトークを連続開催。デザインエンジニアとしてさまざまなジャンルで活躍する堂園翔矢氏と、プログラマーとして映像制作や舞台演出のテクニカルサポートなどに関わる清水基氏をゲストに招いた第三弾のテーマは「プログラミング」だ。

「プログラミング」と聞いて、どんなイメージを持つだろうか。数字の羅列、難しい言語、緻密な作業、見えない裏側……。文系か理系かによってそのイメージはちがっても、プログラミングを専門的に扱うプログラマーという職種に対しては、専門性が高く知的でカチッとしているイメージを持つ人は多いのではないか。作るものが明確に決まっていて、ふわっとした曖昧なことは言わなそうな、そんなイメージ。モデレーターの石塚からのこんな言葉でイベントはスタートした。

人間の感性に依拠しないクリエイティビティの可能性について今日はふたりに聞いてみたい

ゲストのふたりの話を聞けば聞くほど、思い描いていた数字だらけのプログラミングのイメージは、外国人が描くちょんまげ姿の日本人のように、ある種の幻想だったのだと気づく。今回トークイベントの参加者も、プログラミングのことをよく知らないという方が多数。まずは、清水さんがプログラミングについてこう語った。

テキスト:内海 織加

作って見せるコミュニケーションで
妥協なく作品を磨き上げていく

清水(backspacetokyo):プログラマーではない人に向けたワークショップをやることがあるんですけど、「コンピューターってなんですか?」っていう話からはじめるんです。

コンピューターができることを噛み砕いていくと辿り着くのが、「処理して出す」みたいなプロセス。そして、こんなことしたいっていう要望を細かく分解して、そのひとつひとつを処理して出して次に繋ぐことがプログラミングです。例えば、「ピアノを弾く動作をするとピアノの音が鳴る」という要望があったら、(1)ピアノを弾くっぽい動作を認識して、ピアノを弾く動作としてアウトプットする→(2)ピアノを弾く動作をインプットして音を鳴らす指示をアウトプットする→(3)音を鳴らす指示をインプットして音をアウトプットする、 みたいなことが行われるわけです。

そのインプットとアウトプットの指示出しがコードであり、そのコードを自分で書けるということは、自由にどんなことでもできる可能性を秘めているということ。だから、プログラミングって、とても楽しいんです。そのインプットとアウトプットの取り決めをちゃんとして繋がることができれば、どんなジャンルの人とも協業することも可能ですね。

堂園 翔矢(写真左)/清水 基(写真右)

── 協業という点では、堂園氏はまさにさまざまなジャンルの人と一緒にものづくりに携わっていて、グラフィック、ダンス、物理学など、その分野は多岐に渡る。一体どんなコミュニケーションを取りながら、他ジャンルの人とひとつのものづくりを進めているのだろうか。

堂園(Qosmo):ここ数年、ダンサーであり振付師の梅田宏明さんの作品のビジュアルを担当しています。例えば《Intentional Particle》という作品では、梅田さんから「力の動きを可視化したい」というオーダーがあったので、線を身体の動きに合わせて出したらおもしろいかな、と思って、線の出方のバリエーションをたくさん作って見せながら調整していましたね。

基本的に、プロトタイプからコードベースでやっていて、実際に見てもらいながら、線の太さを細かく調整したり。ピクセル数値やアンチエイリアスのかけ方を変えながら、詰めていきました。最終的に選ぶ作業は、梅田さんに委ねていたので、私はどれを選ばれても納得できるように、たくさんネタを用意しておく、という感じでしたね。

Hiroaki Umeda - Intentional Particle(2015)

清水:私も、そういう場合は同じようにしていますね。相手がアーティストであっても企業であっても、特にやり方を区別してはいなくて、どんどんデモを作って、動画に撮って送りつけまくりますね。それで、こちらのペースに持ち込む感じです。

堂園:コミュニケ―ションとしては、見えているものだけで話します。裏側の話はしません。修正したいところが出てきたら、それを修正するための裏側のコードが頭の中にはありますけどね。

── 裏側では、細かいコードの書き込みとトライ&エラーの連続など、計り知れない緻密な作業が行われているはずなのだが、彼らはその作業を表には出さない。清水氏は、「どうしたらよく見えるとか、よりコンセプトに合せるためにはどうすればいいかとか、そういうところは試行錯誤しかない」とも言う。その見えない作業こそが、恐らく、氷山の一角を支える水面下の部分。膨大なアイデアとテストとエラー、そしてモチベーションと努力が、その一角の美しさを支えている。

プログラミングの根底にあるのは
数値化できない体験や感覚

── 2016年に手掛けた堂園氏の作品に、2020年の東京オリンピックのエンブレムデザインで知られる野老朝雄さんとの映像がある。これは、野老朝雄さんの展示会場で使われたもの。市松模様のような四角が次々に現れ繋がっていくものだ。この作品は、自分の見てみたかったものを目指して作ることができたと堂園氏は言う。

堂園:野老さんの展示に向けて作ったこの作品は、好きにやっていいよと寛容に任せていただいたところがあって。オリンピックのエンブレムについて、どう作っているかとか、形の規則性についてお話をうかがう中で、このエンブレムの模様が永遠に繰り返されていく風景を見てみたいって思って。スピードとかフェードは、私の感覚で作っています。自分がぐっとくるスピード感とか展開を探っていきました。

── 堂園氏から出てきた「ぐっとくる」というふんわりとしたワードに注目が集まる。正確さや緻密さが求められるプログラミングという手法とその感覚的な言葉に、多少の温度差を感じたからかもしれない。しかし、清水氏はこう補足する。

清水:プログラマー=難しいことをしているイメージがあるかもしれないですけど、プログラマーの中にも3つくらいの業種があると思っているんです。銀行のお金の管理とか「保守」と呼ばれる仕事をしている人と、目で見たり耳で聞いたりするものを作る「表現」のレイヤーの人、あとはそれを繋いでいく人。表現のレイヤーの人は、評価基準が定量化しづらいところがあるので、ふわっとした感覚的な言葉を使うことが多いですね。

── まさに、堂園氏と清水氏は、アウトプットするものが感覚的なものだ。しかし、その感覚にもなにかしらの根拠があるのではないか。清水氏が堂園氏に質問を投げかけた。

清水:野老さんの作品で、動きは自分が気持ちがいいと思うところに着地したって言ってましたが、そういうのって、長年培ってきた必殺技だったり、影響を受けているルーツみたいなものがあるんじゃないかと思っていて。モーショングラフィックが得意な人って球技をやっていた人が多いとか、同業でたまに話題にあがるんですけど、どうですか?

堂園:そう言われてみれば、私はサッカーやっていて、感覚的なところに完全に通じている気がしますね。実は、サッカーをやっていた頃は勝ち負けにはあまり興味がなくて、パスの軌道とかスピード感に美しさを感じていたんです。小野伸二選手のベルベットパスっていう優しいパスがあるんですけど、それを見るのが好きで(笑)。そういう感覚は、フェードの仕方とかにも表れているかもしれません。清水さんは、ずっと音楽をやっていますよね。それも、また独特の感覚なのかなって思うんですけど……

清水:私の場合は、モーショングラフィックの担当ではないので、またアウトプットの感じはちがうかもしれませんが、音楽をやっていることで養われている感覚っていうのはあると思いますね。音楽をやってないとできないタイム感とか、なんか具合いいぞっていうのは、音楽やっていた人には通じるものがあります。たぶん、ステージに立ってライブやってたような経験があるプログラマーは、「具合がいい」とかフワッとしたこと言っちゃうんです。

表現におけるデジタルとアナログの関係

── これまで体感してきた身体的感覚や見てきたものという、いわばアナログな経験が二人のプログラミングの根底にあるというのは興味深い。ところで、アナログとデジタルという相対するものの関係は、彼らの目にどう映っているのだろう。

堂園:私は、アナログとデジタルについて、対立関係的に見ていないんです。作品づくりの対象も、ダンサーとかアナログなものが多いですしね。

清水:そうですね。私も見方としては区別していないのですが、以前、プロのダンサーの方にモーションキャンプチャーのスーツを着て踊ってもらって、データを取らせていただいた時に、数値を見て衝撃を受けたことがありました。データが生きてる!って思ったんですね。プロの方の前に、自分でスーツを着て試しに動いてみたりしていて、その時と動きがちがうのは当然のことなのですが、数値にもそのちがいが明らかに表れていて。

── 感覚的に見ても美しいものが、数値としても美しく表れてくるというのはおもしろい。一見、真逆に見える表の表現力と裏側のプログラムも、美しさという基準で言えば、比例するものなのではないだろうか。だとすれば、プログラマーは、作品の「表の美しさ」と「裏の美しさ」という2面の魅力を知っているということになる。そして、裏側の美しさにも魅了されてしまった人が、プログラミングという世界を極めることができるのかもしれない。最後に、今後のプログラミングの可能性や目指す方向性について聞いてみた。

清水:やりたいことや思いついたことを、言葉で表現することができたら、コードに置き換えられるので、大概のことは実現できると思います。でも、その可能性だけを追っていてもしょうがないと思っていて、ライブとか音楽の興行業界とプログラミングの融合点を突き詰められたらおもしろいなと思っています。まだまだ掘り甲斐のある分野ですしね。自分が過去にやってきたことと、今やっていることを繋いだときにできるベクトルの方へ一歩進められたらと考えています。

堂園:私は、これまでもいろいろな領域や分野を横断しながら制作をしているので、それらを繋ぐハブのような役割を担いたいと思っています。それができれば、表現の幅はもっと広がると思うんです。そのためにも、それぞれの分野の専門性を深めたいとも思っています。例えば、ある物理学者の方とよくご一緒するのですが、その方とのやりとりって、数式が送られてきて、これをビジュアライズして欲しい、みたいなオーダーなんです。数式をプログラムとして実装することはできるのですが、まだその数式の意味を読み取ることはできていないですね。その専門性を深めて理解できたらまた広がると思います。

── プログラミングという制作の手法は、簡潔な数値の世界だ。しかし、表の美しい表現を支えているのは、そのプログラミング言語だけでなく、プログラマーの感性であり、経験であり、制作の魅力や愛情でもあるのだろう。そして、彼らをストイックに突き動かしているのは、美しいものを作ることへの飽くなき探究心ではないだろうか。

登壇者プロフィール

・堂園 翔矢
1988年東京都生まれ。2012年東京造形大学デザイン学科メディアデザイン専攻領域、2014年情報科学芸術大学院大学(IAMAS)修了。2016年Qosmoに参加。
在学中からオンスクリーンのビジュアル表現・画面構成の研究を行うとともに、振付家/ダンサー/ビジュアルアーティスト・梅田宏明のダンス作品・オーディオビジュアル作品での映像プログラミング、物理学者・橋本幸士(大阪大学)とのコラボレーションによる高次元空間のビジュアライゼーション等、プログラマーとしても活動。第21回文化庁メディア芸術祭アート部門審査員会推薦作品選出。
http://qosmo.jp/about http://shoyadozono.com/ 

・清水 基
1984年生まれ 東京出身。 国際情報科学芸術アカデミー IAMAS DSPコース卒業、School for Poetic Computation卒業。 IT系企業数社に務めた後、2015年より少人数のプロダクションチーム backspacetokyo を共同主催。コードカルチャーに根差した表現をモットーに、柔軟な姿勢で映像制作・舞台演出テクニカルサポート・VJ・R&D・モバイルアプリケーション開発・Web制作等、様々な場面でフットワーク軽く働いている。 
http://aoiannex.com http://backspace.tokyo

・石塚 千晃
多摩美術大学、IAMAS卒。2016年よりロフトワークにてBioClubのディレクションに携わる。メディアアートやバイオアート、ハッカースペース、サイエンスアカデミックなど領域を横断しながらテクノロジーにおけるオープンな議論と実験の場を運営する。アーティストとして生命と人間とのインタラクションやボーダーに着目した作品の制作・発表を続ける。

内海 織加

Author内海 織加(エディター、ライター)

新潟生まれ。広告制作会社を経て2009年よりフリーランス。雑誌や広告プロモーション分野で企画・編集・執筆・コピー制作などを行う。ライフスタイル提案やカルチャー記事、インタビュー記事を中心に幅広いジャンルで執筆。ネーミングを担当した池ノ上のギャラリー&コーヒースタンド「QUIET NOISE arts&break」にて、展示キュレーションも行う。音楽のライブ、ダンスやお芝居の舞台にも頻繁に足を運ぶ。
https://www.instagram.com/ori_/

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