北欧と横浜市の事例から学ぶ
ウェルビーイングな社会のために私たちができること
2050年カーボンニュートラルが宣言され、日本でもサーキュラー・エコノミー(循環型経済)に対する注目が集まっています。一方で、もはや「持続可能性/サステナビリティ」では不十分であり、「再生/リジェネレーション」が必要ではないかという議論も高まっているのです。
いずれにせよ、地球環境の再生を図りながら人間も含む生態系全体を繁栄させていくには、1社だけで取り組んでいても、なかなか解決には辿り着けません。産官学民が一体となり、具体的な活動を行っていく必要があります。
そんなリジェネレーションを目指す共創型デザインチームをつくり動かすには、どうすればよいのでしょうか。ロフトワークでは「コモンズを民主化する」シリーズ第3弾として「ウェルビーイングな社会のための準備室をつくろう〜企業に求められる共創型リジェネラティブ・デザインチーム」と題し、イベントを開催しました。
世界のソーシャルグッドなアイデアマガジン「IDEAS FOR GOOD」などのメディア運営を行っているハーチ株式会社代表の加藤佑さんと、ロスキレ大学准教授であり北欧研究所代表としてリビングラボを研究されている安岡美佳さんをお招きし、ロフトワークの棚橋弘季とともに、これから企業が共創型の取り組みを進める上で何が必要か、議論を深めました。
執筆:野本 纏花
編集:loftwork.com編集部
リジェネレーションの実現に寄与するリビングラボのアプローチ
<キーワード1:リジェネレーション>
加藤さんが経営するハーチは、サステナビリティやサーキュラー・エコノミーをテーマとするデジタルメディア運営を中心に、企業のサステナビリティ支援やまちづくりプログラムを展開されています。
ハーチでは、事業活動を通じて環境がより良くなり、社会に繋がりが生まれ、関わるすべての人々のウェルビーイングを実現することを目指しています。そのためには、「People(社会)」「Planet(環境)」「Prosperity(繁栄)」の3つのバランスをとることが大切だという考えから、メディアの1UU(ユニークユーザー)につき0.1円をNPOなどに寄付するプログラムを展開するなどの取り組みをしているそうです。
そもそもリジェネレーションとは、どういう意味なのでしょうか。サステナビリティとの違いについて、加藤さんは次のように解説します。
「端的に言えば、サステナビリティが環境負荷の“マイナスからゼロ”を目指すのに対し、リジェネレーションでは、さらに“プラス”を生み出そうという考え方です。ポイントは、人間も自然の一部としてエコシステム全体に関わっていくこと。人間が生きるための活動(経済活動)をすればするほど、自然環境がよくなっていくことを目指しているのです」
加藤さんはリジェネレーションの事例として、リジェネラティブ・バイイングを実践するLUSHの取り組みを紹介しました。
東日本大震災で発生した原発事故によって汚染されてしまった福島の土壌。米をつくれなくなった米農家の方々は、土壌の回復に向けて菜の花を育てるようになりました。菜の花には、土壌の汚染物質を吸収して、土壌の質を改善する能力があるからです。また、菜の花が吸収した放射性物質は水溶性のため、菜種油には移行しないことが分かっています。
そこで、LUSHではこの菜の花から搾油した菜種油を農家の方々から買い取り、石鹸をつくって販売するという取り組みを始めました。このモデルでは、石鹸が売れれば売れるほど、福島の土壌が再生されるだけではなく、農家の方々にも新たな収入源をもたらすため、地域コミュニティの再生にもつながります。
「大切なのは、『People(社会)』『Planet(環境)』『Prosperity(繁栄)』のバランス。リジェネレーションとは、人間と自然の関係をリカップル(再結合)することです」
<キーワード2:リビングラボ>
2005年にスウェーデンに渡り、2009年からデンマークに在住する安岡さん。16年にわたる北欧生活を続けながら、ICTの社会実装に取り組んでおられます。
安岡さんが人間中心のICT活用を考える上で注目しているのが、リビングラボ。イノベーションネットワークやエコシステム、コミュニティネットワークといった言葉と同義で使われることが多く、「日常的な生活環境(Living)の場(Lab)でオープンイノベーションを起こす共創(Co-Creation)の仕組み」だと言います。
現在、リビングラボのマニフェストを制作中だという安岡さん。ベータ版としつつ、リビングラボのエッセンスとして、次の8つを紹介してくれました。
- 日常生活の一部である
- 参加者が集まる必然性
- 対話の場
- トライアンドエラー
- エビデンスベース
- 長期視点
- 新陳代謝が見られるコミュニティ学習の場
- マインドセットの変容
その上で、安岡さんの考えるリビングラボ的な事例として挙げられた、2つの事例を紹介します。
AL2
コペンハーゲンの基幹駅のすぐそばにある、AL銀行がつくった施設。1階はふつうのカフェで、2階はプロジェクトワークできるソファ席やワークショップができるスペースがあります。デンマークの学生がアクセスしやすい環境が整っており、若者が集まる場所となっているそうです。AL銀行は、ここで若者のニーズに耳を傾け、ポッドキャストのコースを開設したり、貯蓄や運用の仕方を教えるワークショップを実施したりしているのだとか。なんだかロフトワークのFabCafeに近い気がします。
SPACE10
IKEAが次世代の持続可能な生活を探求することを目的につくったイノベーションラボ。他企業や外部組織とのパートナーシップをベースに、さまざまなプロジェクトを実施しています。ここは先進的な試みが行われる場所として、世界中のイノベーターから注目されているそう。実は、パナソニックの100周年記念にロフトワークがプロデュースした100BANCHも、このSPACE10を参考にしていました。
「リビングラボは、社会を変える手助けをスムーズにする仕組みです。この仕組みがあることで、一過性にとどまらず継続して変化やイノベーションが生まれやすくなる。デンマークでは、多くの人を巻き込むイノベーションの方法として、リビングラボが活用されています」
改めて考える「ウェルビーイングとは何か?」
ウェルビーイングとハピネスは、同じなのでしょうか?この疑問に対し、加藤さんは「ハピネスは『おいしいごはんを食べて幸せ』のように短期的なもの。一方、ウェルビーイングは、『人生を振り返って幸せだったと思える』ような、もっと長期的なものだと捉えている」と説きます。さらに、「ウェルビーイングは、リジェネラティブ・エコノミーの究極の目的でもあります。なぜなら、人は豊かな自然環境さえあれば幸せかと言われれば、そうではないから。経済的な土台の上で、誰かとのつながりや社会的な役割もなければ、幸せとは言えませんよね」と続けました。
加えて棚橋はウェルビーイングに必要な要素として、「民主主義」があると言います。「従業員のウェルビーイングを追求することが業績の向上につながるからと言って、その推進を会社任せにしていいというものではない。ウェルビーイングは、ウェルな状態で居続けられるよう、誰かに依存するものではなく、従業員自身も一緒に追求していく姿勢が大切なのかなと思います」
そんなウェルビーイングを追求する場として最適なのがリビングラボ。加藤さんは2021年1月から3月にかけて、横浜市を舞台に、産官学民連携のサーキュラー・エコノミー学習プログラム「Circular Economy Plus School」を運営していました。この経験から、「リビングラボで共創を進めるには、ビジョンがとても大事だ」と言います。「ビジョンがない状態だと、どうしてもステークホルダーとの間に利害関係が発生してしまう。けれどもみんなで目指すビジョンがあれば、矢印(以下の図参照)が平行に近づくので共創関係が生まれやすくなるんです。1人では実現できないビジョンを掲げることで、多様な人々の間につながりが生まれ、イノベーションが生まれやすくなると感じています」
北欧でイノベーションが起こりやすい2つの理由とは
安岡さんは「北欧の人たちに比べて、日本人はウェルビーイングに関する議論をもっと深めていく必要がある」と提言します。「たとえば北欧の人たちに『ウェルビーイングを達成するためにはどうすればいいか?』と聞くと、『街を住みやすくする必要がある』と即座に答えが返ってきます。“自分はどんな生活をしたいのか”“どんな人生を送りたいのか”“どんな地域にしていきたいのか”といったことに対する総意のようなものができている」。
これこそビジョンが共有されている状態なのではないでしょうか。
北欧ではリビングラボのような共創型のコミュニティが浸透しやすい暗黙知が機能しているように思えると説きます。今注目しているのは、「『ダオスオーデン』と『フォイーニング』という2つの仕組みです。
ダオスオーデンとは、会議において使われるテンプレートのことであり、英訳すると“agenda”です。ダオスオーデンは、次の6ステップで構成されています。
- 議長を選ぶ
- 書記を選ぶ
- 本日の議題リストについて承認を得る(不足している議題があれば挙げてもらう)
- 議題1。承認の可否を確認。
- 議題2。承認の可否を確認。
- その他
このリストを見てわかる通り、必ず議長や書記を選ぶところから始まり、議題について意見を述べる機会があります。学校の保護者会のような日常の社会活動における会議では、この形式をとることが当たり前になっていると言います。「すべての参加者の中から議長や書記を選ぶことで、一人ひとりが等しく必要とされた参加者であると明示されるとともに、議事録の改ざんを防ぐことにもつながっている」と安岡さんは指摘します。ダオスオーデンによって、民主主義が担保されているのですね。
もうひとつのフォイーニングは、英訳するとAssociation。公的に認知された活動団体のことです。フォイーニングの仕組みを使って団体をつくることで、全国の学校や運動場といった公共施設が無料で使えたり、潤沢な活動ファンドに申請可能となったりするため、何かアクションを起こしたいと思った人が、すぐに立ち上がって手軽にプロジェクトを始められるのです。フォイーニングで団体を組成する場合、もちろんいくつかの制約はあります。しかし、法人格を得ると銀行口座が開けるだけでなく、万一に備えて有限責任にでき、社会制度として機能しています。近年では10代20代の若者の参加率が高まっているほか、環境問題に関する団体が増加しています。「デンマークで社会課題がすぐに社会のうねりとなる背景には、フォイーニングの存在も一因ではないかと考えています」
ビジョンへ向けて動き出す第一歩はコミュニティづくりから
残念ながら今の日本にはダオスオーデンやフォイーニングのような仕組みはありませんが、昨年「2050年カーボンニュートラル宣言」がビジョンとして示されたことには大きな意味がある、と加藤さんは語ります。「事業者自らの排出だけでなく、Scope3と呼ばれる上流から下流まで事業活動に関連するサプライチェーン全体のCO2排出量をゼロにするには、絶対に他社との協業が必要となる。このような長期的なビジョンがあれば、この方向に向かって進めば大丈夫だという安心感が生まれ、信頼の流通も起きやすくなります。信頼はあらゆるコストを下げるんですよ。ビジョンの難易度が高いからこそ、各所でおもしろいコラボレーションが起こっています」
ビジョンがあることの利点は、他にもあります。ビジョンができれば目標と現状のギャップが明確になることで、一人ひとりに役割を与えられるようになるのです。加藤さんは、その具体例として、「Circular Economy Plus School」で地域のウェルビーイングについて考えていたときのエピソードを話してくれました。
「横浜のリビングラボコミュニティには、薬局の薬剤師さんがいるんです。薬局は地域に住む人たちの健康状態が集まるビッグデータの宝庫。『コロナ禍に入る前は風邪薬が一番売れていたけれど、今はメンタル系の薬がよく売れている』といった事実を、薬剤師さんは知っています。『それなら薬を処方するだけでなく、薬局をサーキュラー・エコノミ―活動の拠点にして、コミュニケーションやつながりを処方することで、地域のウェルビーイングを保つ動きをしよう』という発想が生まれる。サーキュラー・エコノミーの視点と薬剤師さんが出会ったことで、イノベーティブな話ができるんです。リビングラボ的な発想がなければ、なかなか生まれてこないアイデアだと思いますね。そういう意味でも、多様な人々が集まること自体が、とても大事だと思います」
何もないところにいきなりリビングラボをつくっても、人を集めるのは大変です。ビジネスの領域ではオープンイノベーションが根付き始めていますが、日常生活の中に溶け込んだリビングラボをつくっていく取り組みは、まだまだこれからです。「リビングラボは、市民だけでつくればいいとか、自治体だけでつくればいい、という話ではない。企業は自社の持続可能性を考えていく上で、さまざまな人たちを巻き込んだ産官学民連携の取り組みとして進める視点を大切にすべきなのではないでしょうか」と棚橋が締めました。