「すべての道はローマへ通ず」というように「すべての仕事は街づくりに通じる」が僕の持論だ。どんなタイプの仕事もそう思ってやっている。最近は、都市や建築のプロジェクトに関わる機会が増えたものの、例えば、オープンプラットフォームのカメラ開発も、イノベーションを考えるハッカソンやアワードの企画も、はたまたWebサイトの構築でさえ街づくりの一環だと思ってやってきた。ビルを建てたり、インフラを整備することだけでなく、ましてや政治家や行政、都市計画の専門家のトップダウンで行うことだけが街づくりではない。
 
学生時代にそう教え込まれた影響も大きいけれど、業界に関係なく全ての活動が、すなわち街づくりだと思っている。糸井重里さんが講演会で「自分は、仕事としてデザインをやっているその先に、行きつくところは、街のデザインにつながっていると思う。」と言っていたし、先日、MIT Media Labのイベントに参加してみると、どんなに専門的で高度な領域の研究やプロジェクトであっても、その多くは都市、街をより良くすることが彼らのモチベーションであることを知って、やはり、すべての仕事は街づくりに繋がっているという思考に自信をもった。
 
「街づくり」というと大げさに聞こえるかもしれないが、つまるところ「街の快適さの追求」であり、「居心地の良さをつくること」、あるいは「街の不快を解決すること」だ。それほど難しい話ではない。
たとえば、こんな考え方を持っているパン屋の店主がいたら、どうだろう。そのパン屋の店主は、毎朝、街で一番最初に店のシャッターを開けて仕込みに入る。今日売り出すパンが焼ける頃に、街の人たちが動き始める。(朝の通勤路、パン屋の前を通るサラリーマンが)「昨日、会社で少し嫌なことがあったけれど、それを帳消しにしてくれるくらいに、パンの焼けた良いにおいを嗅いで、今日も頑張れそうだと気持ちを持ち直せた。」というような朝の体験を提供したいと店主は、本気で思っている。店主が、毎朝パン屋を開け続けることで街の環境が良くなったらいいなと「意識して」お店を切り盛りしていたら、どんな小さな行為であれ、それは「街づくり」と言って良いのではないか、と僕は思う。
 
難しいのは、「全ての仕事は街づくりに通じる」と全ての人が意識しているわけではない、ということ。さらには、「街を快適にする or 不快を解決する」という事と自分の仕事とは関係ないと思っている人も少なくないということ。(自分でも論理の飛躍があるとは思っている。)問題は、「こんなもんでいいでしょ。」という仕事の積み重ねが「街の不快」につながる可能性があるという事に無意識な人もいるということ。街の不快なシーンを思い浮かべたとき、「こんなもんでいいでしょ。」の体裁をよく目にするし、大抵は誰かの仕事の結果、そうなってしまっているようだから、これは悲しいが現実だ。もし、自分の仕事が街になんらかの影響があるというマインドを持てたら、街の不快は随分減らせるのではないか。
 
自らが常に実践者であると同時に、どうしたら多くの人も「すべての仕事は街づくりに通じる」と思って共に街づくりをできるか、それを仕掛けられるかが自分のライフワークでありたいと、最近、思いはじめた。特に大企業とのコラボレーションが増えて、彼らをテコの原理のようにして動かせたら、小さい力ながらも大きな変化を生み出せるような気がしている。(この話は今回の主題と異なるので、また別の機会に。)
 
大企業でない一般の人や若者たちはどうだろう。SDGsのような世界レベルの話でも、自分が住まい働く街のことでも良いと思う。あるいは、自分の子供や孫が住むかもしれない街と思ったら、この実践は、さらに加速できるのではないかと思っている。今回は、少し若者へフォーカスして話をしたい。(もちろん若者以外にも読んで欲しい。)
 
学生時代、都市計画や街づくりの理論の詰め込みに飽きた僕は、書を捨て街へ出て実践することにした。自分の住まう街(横須賀)で、同級生や後輩、彼らの紹介伝いに、ちょっとした規模の集団を結成し、「自分たちの街は自分たちでデザインできるはず」と言って「ヨコスカン」という学生活動を始めた。
 
ある時、行政の公募の知らせを見つける。市政100周年にむけて、市民自ら企画主催する事業が街の公益に資するならば、市が50%まで事業費を助成してくれるという。僕らは、何度も集まっては議論して企画書をつくり、行政へ提案したところ幸運にも採択された。(これが人生で初めてのプロデュース経験)。
 
商店街の店舗を活用して、そこで期間限定のコミュニティカフェを開き、市民誰でも参加できるフェスティバルを催して、アート作品の展示やライブ、ワークショップ、建築家をよんでシンポジウムを開くといった事業は、総事業費50万円の計画だった。しかし、行政から採択は受けたものの、半分の25万円の目処は全くたってなかった(企画書には目処は立っていると見栄を張った)。
 
採択後、お金はないけれど、街を面白くしたいというパッションとやる気だけはあった僕らに街の大人たちが次々と手を差し伸べてくれた。商工会議所が寄付してくれる地域の名士を紹介してくれたり、商店街組合が街のフラッグのデザインの仕事をくれたり、匿名の寄付が口座に振り込まれたりと奇跡的に資金繰りができた。お金は出せないけれど、ご飯はおごるよとか、人の紹介や事業の手伝いをするよ、情報誌で宣伝を手伝うよという人が、大勢いてくれた。横須賀美術館の設計をしていた山本理顕設計工場の桂有生さん(当時)を筆頭に所員の人たちや東北大の小野田先生がメンター・アドバイザー的に心の支えになってくれた。僕らのような元気な若者が街の為に何かをしたいと活動すること自体が珍しかったから、大人たちが面白がって協力してくれたのかもしれないが、会う人、会う人、皆が街をもっと良くしたいと言っているのが印象的で、また彼らも若い頃同じようなに大人の支援でやりたいことをやってきたという話を記憶している。
 

この事業をきっかけに僕らヨコスカンは、街に関わるデザインの依頼がコンスタントに増えて、立ち上げ当初に想い描いた「街のバスラッピングのデザインとかしてみたい」「街なかをアートでジャックしたい」「造船所跡地でイベントしたい」という妄想さえも1年内に実現できてしまった。ベンチャー企業を起こした事はないが、構造は、ベンチャーとメンター、エンジェル投資家のそれにきっと似ているのだと思う。

ヨコスカンがデザインしたラッピングバス「乗ると良いことがある」という都市伝説が生まれた(笑)。
「自分たちの街は自分たちでデザインできるはず」という仮説に確信を持てたが、それは僕らの「これやりたい」を実現させてくれた大人たちが縁の下にいてくれたおかげだ。社会人になってから、いろいろな事業に関わって、そして街づくりに関わることで、当時の経験が自分の基礎になっていること、自分たちの能力以上に多くの支援のおかげで自分がやりたいことができていた事をますます認識していている。そしていま、ようやく支援できる大人の側に立ちはじめ、時は来た。
 
この世界は、ますます複雑で多様になり、私たちの未来がどこに向かうかは誰にもわからない。ただ一つ明らかなのは、いま、私たちの目の前に見えている物や街の景色も誰かの仕事や活動の結果によって生まれていること。期待も込めて言うならば、一人ひとりの「私たちの未来をこうしたい」という想い、パッション、想像/創造とその試行錯誤の集積によって街が、未来がつくられるということ。
 
「未来を予測する最適な方法は、それを実際につくること」とコンピューティングの父、アラン・ケイは言った。未来は突然やってくるものではなく、今の私たちの手仕事の延長にあって、それ以外に未来は創造されない。ならば未来をつくる挑戦権は私たち誰もがこの手に持っている。
 
もし、あなたが、僕より若く、いま描きたい未来と行動したい何かのアイデアを持っているとしたら、100BANCH (ヒャクバンチ)にアクセスして欲しい。100BANCHは、実現したい夢や創造したいパッションをもった多様な人々が集う実験の地だ。
2017年、最新の都市開発が進む東京。最先端の情報と若者、ITベンチャー企業、テクノロジーやクリエイティビティ、世界から絶え間なく人が集まる渋谷の南街区、これからの街づくりの実証実験が進む渋谷川沿いにそれはある。3階建ての小さな倉庫跡に実験場=100BANCHをインストールした。
 
ここ100BANCHでは、時代をリードする多種多様な才能が集まって未来について議論している。例えば、ジャーナリズムの異彩、新進気鋭の建築家、そして、クリエイティブのプロフェッショナル、アーティスト、経済学者、食と農のイノベーターたち。さらに、100年をかけて日本と世界の近代化を進めてきた大企業も、次の100年に向けての準備の為に同じ場所を共有している。渋谷からアーバンカルチャーを創造してきたパイオニアが、自社のラボを構えて未来への実験をしている。この空間の一角をあなたに解放したいと考えている。プロジェクトの拠点にしてもいい、何かプロダクトを創ってもいい、仲間と作品発表してもいいし、もちろん未来への議論に参加してもいい。
 
100BANCHは、場所の名称であり、壮大な実験と協力のエコシステムだ。実験場だから生煮えで構わない。あなたの「これやりたい」を持ち込んで欲しい。ここに交差する才能と仲間がその想いを一緒に形にするだろう。ここで試行錯誤したアイデアは、渋谷の街へ、東京へ世界へ発信することを100BANCHは約束しよう。
 
そして僕は、あなたのパッションを全力で応援したい。
「ローマは1日にしてならず。」ここでの1日目が100年先の未来へつながるはずだ。
 
“次の100年”をつくる、100のプロジェクトを募集します。 100BANCH.COM
松井 創

Author松井 創(Layout CLO(Chief Layout Officer))

1982年生まれ。専門学校で建築を、大学で都市計画を学ぶ。地元横須賀にて街づくりサークル「ヨコスカン」を設立。新卒で入ったネットベンチャーでは新規事業や国内12都市のマルシェの同時開設、マネジメントを経験。2012年ロフトワークに参画し、100BANCHや SHIBUYA QWS、AkeruEなどのプロデュースを担当。2017年より都市と空間をテーマとするLayout Unitの事業責任者として活動開始。学生時代からネットとリアルな場が交差するコミュニティ醸成に興味関心がある。2021年度より京都芸術大学・空間演出デザイン学科・客員教授に就任。あだ名は、はじめちゃん。

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昨年度滞在制作作品が多数の映画祭で入賞。
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