※本コラムは2017年4月7日,21日に開催したBusiness Aproach Compass vol.2 『入る』講師 好井裕明さんへのインタビューです

とても久しぶりにコラムを書きます、渡部です。自分の中のあたりまえを疑うのって、案外大変なことですよね。というか、そもそもそれに気づくことすらできない。

その昔、渡部の中でたこ焼きは、外かり中ふわがあたりまえでした。でも大阪の友達に連れられて入ったたこ焼き屋さんで、生まれてはじめて外ふわ中とろなたこ焼きを食べたんです。うまかった。あのとき受けた衝撃が、今でも忘れられません。

かなり話しが脱線したんですが、今ロフトワークでは「あたりまえを疑う」というテーマで『Business Aproach Compass』という連続講座をやっています。vol.1のゲストにはアーティスト長谷川愛さんをお呼びして、彼女のアイデアや作品表現の根幹にある「あたりまえを疑う」スタンスについてじっくりお話しを聞きました。

世の中を質的に捉えるメソドロジー

そしてvol.2の講師は、実地調査を中心に社会課題について研究をしている好井裕明さんです。

“「あたりまえ」を常に疑い、「普通であること」に居直らない「ものの見方」が、
いかに「わたし」という存在を心地よく変えていってくれるのか。
そうした社会学的な見方や営みの可能性があることを知ってほしいと思う。”

この言葉は好井先生の著書『「あたりまえ」を疑う社会学 質的調査のセンス』(光文社新書)の一節。生活に潜むたくさんの「あたりまえ」と向き合い、量だけでなく質的に世の中を切り取ってきた好井先生に、その真髄を聞きました。4月7日、講座の直前に好井先生と、ロフトワークの岩沢も交えて対談をしました。その様子をお送りします。

ハウツー本じゃ得られない、本質的な学びの2日間

── 今回、講座の講師に好井先生を選んだのは岩沢さんですよね。どうして好井先生とやろうと思ったんですか?

岩沢 学生のころから、マーケティングやコミュニケーションに興味があって勉強をしていたんだけど、その中でも特に、いわゆる定性的な調査について学ぶのが好きだったんだよね。机の上で勉強をするよりも、とにかく現場に出るのが好きだった。価値観や生き方がまったく違う人が、なにを考えていて、どうやって生きているのかを知ることで、自分自身が変わることってたくさんあると思って。単純にそういうことに好奇心があって、その頃から好井先生も知っていました。

卒業後もマーティングやリサーチの仕事にはずっと関わっていて、インタビューなど定性的なマーケティングリサーチはたくさん経験していました。ロフトワークに入社したときに驚いたのが、いわゆる新規事業の領域でクライアントと一緒に新しい価値を創り出すための手法として、今まで自分が経験していたリサーチ手法が「デザインリサーチ」として実践されていたこと。

私が経験してきたリサーチって、調べる人とつくる人が分けられていることが多かったんだけど、それを「デザイン」の手法として捉えて、デザイナー・マーケ・R&Dなど色々な立場の人たちが一緒になりリサーチに取り組んでいるのがとても新鮮だったのを覚えています。

ロフトワーク 岩沢エリ

一方で課題も感じていました。デザインリサーチとかフィールドワークとか、質的調査の方法は世の中にたくさんあるけれど、それを学ぼうとすると結局表層的な方法論しか学べなくて。「なぜやるのか?」「どんな意義があるのか?」っていう、もっと根本にある大切なものを学びたいと思っていて。そんな想いから好井先生に声をかけてみました。

例えるなら、温泉の素で入った気になって誤魔化さないで、源泉までちゃんと行って、じゃぶじゃぶ掛け流しをみんなで浴びたい。好井先生や、参加者のみんなと対話を繰り返しながら、気づくことや学ぶことがたくさんありそうだなと思って。

── 源泉掛け流し(笑)。たしかに、〇〇メソッドみたいにした瞬間に分かった気になっちゃう怖さがありますよね。

岩沢 そうそう。ハウツー本になった瞬間に、方法論をマスターすればすべてが解決するって視点になっちゃう。本来求めていたこととか、その人が教えたかったこととか、やろうとしていたことの、本質的なものが抜け落ちちゃうんじゃないかって感覚があったんだよね。

好井 裕明
日本の社会学者、日本大学教授。 大阪市生まれ。1980年東京大学文学部社会学科卒、85年同大学院博士課程単位取得満期退学、99年「批判的エスノメソドロジーの語り-差別の日常を読み解く」で京都大学文学博士。広島修道大学勤務、裁判係争ののち[1]広島国際学院大学現代社会学部教授、2003年筑波大学社会科学系教授。2012年日本大学文理学部社会学科教授。

── 先生はどう思いますか?大学の先生という立場で、生徒に教えるときはある程度体系化した手法として教えないといけないジレンマがありそうですが。

好井 『「あたりまえ」を疑う社会学』の副題には「質的調査のセンス」と書いてるんです。この本を書いた当時、社会調査を扱った色んなテキストには、まさにハウツーしか書いてなかった。でも岩沢さんが言うように、これでは大切なことが何一つ学べない。

「他人の家にあがるときはまず靴を脱ぐ」とか「挨拶をする」とか、人としてまさに「あたりまえ」にすべき所作を全部すっ飛ばして、調査技術しか書かれていなかった。私が伝えたいのは、世の中を見通すための”まなざし”だったり、世の中と向き合うための態度なんです。だから質的調査の”センス”とつけた。

学生に教えるときも、モットーを作ってます。授業ではパワーポイントなんかは使わない。意味のないことが意味のあるように見えてしまうからね(笑)。だから必ず板書をして、伝えるべき最低限の知識は教えるが、その他はほとんど昨日あったこととか朝見たニュースとか。私の日常生活の中で得た気づきを雑談も交えながら話します。いわばパフォーマンスだよね。

── それは楽しそうな授業ですね!

岩沢 良いですね!自分の学生時代を思い返しても、雑談も交えながら進めてくれる授業が一番楽しかった。今回の講座でも、そこは慎重に設計していったポイントです。1時間の講義でも、結局伝えたい大切なメッセージって文字に起こしたら1行か2行くらい。だからそれをどう伝えるか、何パターンも試してみながら、来たお客さんの表情だったり、会場の空気をみながらアレンジできる余白を残していきました。

── そうですね、教える⇄学ぶって関係をどうやって崩すのか、これは我々のチャレンジポイントのひとつですよね。この後の講座が楽しみです。

質的に世の中をとらえるとは?

── 好井先生がいう「質的調査」っていうのは、どういうことなんですか?

好井 今朝ね、テレビをみていたらとある政治家が失言しているニュースがやっていて。ある立場にいる人たちを傷つけるような発言をしていたんです。おそらく彼の中には、大前提になっている価値観があって、それがたとえ間違っていても気づいていない。発言の対象となっている人たちに対して、すごく狭いイメージがあるんですね。

私も差別問題について調査をしていたときに、当時は、被差別当事者たちはこういう感じだという思いがどこかにあった。でも実際に対話を重ねていくと、すごく良い人もいるし、そうでない人もいる。まあ、考えてみたらあたりまえのことなんだけど、その時自分の中にある「あたりまえ」が、どんどん崩れていくのを感じた。それはとても心地よい体験だったんだよね。質的に調査をするっていうのは、なんとなくこういうことなんだなって、その時思いましたよ。

岩沢 それって、知った情報を自分の中にどうやって取り込むのかというところに、なんかヒントがあるような気がする。知ったとしても、自分の中にある前提条件が何ひとつ揺らがなければ、それは知ることにはならない。たとえば渡部くんを知ったときに、自分とは全然違う価値観や考え方にぶつかるはずで、自分の中にある前提も何らかの形で変わっていくはず。そういう、少しでもある自分の中の変化の兆しをちゃんと掴み取ることが質的な調査ということな気がする。

── とことん向き合う必要があるんですね。なんか、〇〇調査とかリサーチってなった瞬間に、そこにいる自分はもう第三者で一歩引いた存在になってしまう。そうなるとそこで得られたことって、先生がいうような「質的」なものではなくなっているんですね。

好井 質的な調査の中でたくさんの生情報に出会うけれど、それを量的に処理しようとする発想だけだと絶対にうまくいかない。あくまでも研究だとかビジネスなんだと割り切って、一定の距離を取ることも必要だけど、そういうのばかりトレーニングをしてしまうと他人との対峙の仕方が画一的になってしまう。そうすると本当に大切なものを掴み取ることができなくなってしまうと思う。

岩沢 先月3月2日に『経営×デザイン』というカンファレンスをやりました。その中で、新しいものに出会う時の心構えとして、自分の知らないものを楽しむ・自分ごとにする姿勢って大事だねって言っていて。発見や気づきってとっても主観的で、何か違和感があったり気持ち悪かったり、そういう感情から紡がれていくものだから、客観的な気づきって意外とありえなくて、自分ごとにしていくことが一番大切だなって思ってます。

自分の安定した世界を崩せ

── 好井先生が調査で相手に入り込むときに心がけていることってありますか?

好井 相手に話してもらうためには、自分のことを語るのが一番良いんです。つまり、うまく相手から引き出すためには、まずはその話題について自ら話すこと。そうすると相手も、徐々に心を開いてくるし話しやすくなる。だから、常に自分ごととして考えたり話すセンスが大事なんだよね。

私の本の中でも、家族や子供のことをよく書きますけど、これも自分のことを語って相手に心を開かせるということなんだよね。

── 先生の本を読みながら、やっぱり自分も家族のことをいろいろと考えていました。自ら語ることによって相手に語らせる。うーん、なかなか難しそうですね。

好井 あとは本でもよく書くんですが「驚く」という感情は、何かを発見するときのとても大切な主観だと思うんです。

岩沢 確かにそうですね!自分ごとになる前に、何も知らないものに出会ったときのリアクションって大事ですよね。その驚きがどんなに小さなものでも、自分が今驚いたということに気づける姿勢もすごく大切だと思います。

好井 驚くことで、ある意味で自分の安定した世界が揺らぐんです。揺らぐと人は不安になる。その不安も楽しめるかどうかじゃないかな。人間は不安になんかなりたくない、だからいつも常識的な意識を持ち、常識的な発想をする。自分を不安に陥らせないためにね。

色んな感情が混じった驚きがある。ワッとなる単純な驚きだけじゃなくて、怒りや、落胆、つまらないとかくだらないとか。色んな驚きに気づけるととても面白いね。

世の中を丁寧に「しらべる」姿勢

岩沢 先生の話しを聞いていると、先生の実践していることって「調査」と呼んでいるけどそれとも少し違う気がしますね。もし調査という言葉を使わないと、どんな言葉になるんですかね?

好井 私はよくひらがなで「しらべる」と言っているかな。深く考えたことはないんだけど、「調査」と言った瞬間にみんなの頭に「調査はこんなもの」という囚われが生まれてしまう気がする。私たちは日常生活の中で色んな「しらべる」を結構やっているよね。私がやっている質的調査も、まさにそんな感覚で、日常にある色々な気になる事柄を「しらべる」作業なんだね。

── ひとつぜひ聞いてみたいことがあったんです。以前先生の研究室に伺ったとき、ものすごい膨大な量のレポートを見せてくれましたよね。インタビューの内容だったんですが、対話が克明に記録されていて。ああいうのを質的な調査とそこで得られたデータなんだなと、感心したんです。

でも一方で、ああいう情報を「調査結果」として誰かに伝えなければいけないとき、一般化したり、概念化したり、カテゴリー化したり……、本来的な意味と価値がどんどん削ぎ落ちちゃう気がして。カテゴリー化の問題については本の中でも語られていますね。

好井 誰かを納得させたりするための調査には、量的な分析の方がわかりやすい。基本的に今の行政のやってる調査なんかは全部そうでしょ。でも一方で、質的なものをベースにしておいてから、量的な結果として提示するのとでは全然違うと思っています。そもそも、定量的な調査と質的な調査では、その役割がまったく違う。定性データは「エビデンス」として、誰かを説得したり評価するときに使いますよね。でも質的な調査の本来の役割って、答え合わせをするためのものじゃないんです。

定量的調査が仮説検証型のアプローチなのに対して、質的な調査はどちらかというとファクトファインディング。新たな価値を発見するためのもの。発見したことを検証しようとするなら、また違ったアプローチが必要になるんです。

あとは定量的な調査が馴染まない事柄に対して、質的な調査が有効な場合もあります。たとえば性的マイノリティの問題について考えるときのように、当事者の全数はわからないし、母集団もはっきりと規定できない場合がありますね。

岩沢 確かに、質的調査にも役割が明確にあるんですね。川喜田二郎のKJ法も、表層だけなぞって実践してしまうと、質的な情報を分類する過程でその情報の持つ価値が無くなっていく危険ってあるんですよね。質的な情報をどうやって伝えるのか。そこは細心の注意を払いながら進めていかなくちゃいけないですね。

── 最後に、この講座を通じてお二人が、参加者のみなさんに伝えたいことってなんですか?

岩沢 やっぱり、講座全体のテーマとしてある「あたりまえを疑う」っていう態度かな。2日間かけてしっかり身につくことではないけれど、講座を終えた後、参加者のみんなが自分で反芻してもらってそういう視点が日常に根付くきっかけになればと思っています。

好井 歳をとればとるほど、驚くことが恥ずかしいことみたいになってますよね。みなさんにはぜひ、新鮮に驚くという体験をして帰ってほしい。歳を重ねたからすべて知っているという”あたりまえ”に囚われずに、新しい価値観にぶつかりたくさん驚いてほしいです。

── 驚くこと、いいですね。本当にそう。僕は好井先生とこうやって2回、色々とお話しをして驚きの連続でした。楽しい講座になりそうです!

次回講座のテーマは『語る』

次回講座は演出家の下司 尚実さんをゲストに『語る』というテーマで開催します。普段何気なく使っている表現や、当たり前のようにやりとりしている言葉の裏側に隠されている意味を探るワークショップです。演出家であり振付家でもある下司さんと、劇作家としても活動しているロフトワークの石神夏希が、二人ならではの身体を通じた方法でワークを実践していきます。

人気の講座となりますので、ぜひお早めにお申し込みください!

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