いまある言語は不完全?
世界共通の「未来の言語」を発明するイベント体験レポート
「全人類が会話できる言語」
8月のとある週末の午後、渋谷で開催された「未来の言語ワークショップ」に参加してきた。会場であるモノトーンの外観の「100BANCH」は、渋谷ストリームをはじめ、再開発が進む渋谷川沿いにある。このなかで、若者たちが各分野のトップランナーと一緒に、さまざまなプロジェクトを進めているとのこと。
ファシリテーターである「未来の言語ワークショップ委員会」のメンバー4名は、イベントのテーマである「未来の言語」についてこんな考えを共有した。
いまある言語は不完全である
既存の言語では何語であれ、「音声」と「文字」がメインストリームにあるのが現状で、「手話」、「点字」、「身体言語」はそのなかに入っていなく、「障がい」と認識され、言語そのものがバリアとして作用してしまう。 全人類が会話可能な言語、新しいコミュニケーション方法として、100年後の言語「未来の言語」を発明する。
ワークショップの趣旨は、実際に参加者が「みえない」「きこえない」「はなせない」を体験する中で生まれる「気づき」を共有しながら、いまある言語を超越した、世界共通の「未来の言語」を開発してみようというもの。7月に第1回目が開催されたばかりで、大盛況に終わったそうだ。
今回は、第2回の様子をいち参加者の体験レポートとして記録したいと思う。
テキスト=石塚理奈
わたしの伝えたいこと、伝わってる?
果たしてどんな参加者が集い、どんな「気づき」に出会えるのだろうか。期待と不安を抱えたまま会場に入ると、既に沢山の参加者がリラックスした雰囲気のなか雑談していた。見渡してみると10名掛けテーブルが5つ、50名ほどの年齢様々な人が集っている。2度目の参加者も何人かいるなか、私を含めた初参加の人は、Facebookから見つけて面白そうだから参加してみた、普段から100BANCHのイベントをフォローしているので、といった動機だった。また、福祉関係の仕事をしているので、テーマに興味を持って参加した、という人もいた。
実際に「未来の言語」を体験するワークでは、5名のグループに分かれ、ランダムに「みえない」「きこえない」「はなせない」のカードを引いて、それぞれアイマスク、イヤホン、マスクを着用し、自己紹介や、しりとりゲームを進めていく。
例えば、「はなせない」ときは、自分から音を発せられないため必然的にジェスチャーか筆談によるアウトプットを試みるが、他者からのインプットでは音を認識出来る。隣の人は「きこえない」し、もう1人の人は「みえない」し、誰にどのツールを使えばいいのか、瞬時に混乱してきた。「私は海が好き」といったシンプルなフレーズすら、会話能力や視覚を失った瞬間、うまく伝えられないのだ。
「きこえない」カードを引き、イヤホンを付けて同じグループのメンバーの会話が聴こえなくなったとき、聴こえなくても口から言葉を発することは出来るのに、そのことを忘れて、押し黙っている自分を発見した。
- 「みえない人へ伝えるときに、はなせる人に伝えてもらうお願いを早くすればよかった」
- 「きこえない人へ、音声を視覚的に通訳するべきだった」
- 「はなせる人にファシリテーターになってもらうなど、もっとどうにか出来たはず」
といった反省がメンバーから出た。
いくつかのフェーズを経て、筆談もジェスチャーも禁止されていく中で、5人のコミュニケーションが次第にぎこちなくなっていく。どうやって伝えればいい? みんな、私の伝えたいこと、わかっている? それぞれの内なる思いが、沈黙のなか交錯する。
そのとき、「『わかった』『わからない』の意思表示をみんなで統一させよう」というアイディアが出る。すると前回も参加した男性から、経験をふまえた意見が。
ルールが多いと複雑になってより意思を発しにくくなる。なんでもいいから、自分が使えるツールで意思表示をする方がいい
相手を理解しようとする、積極的な気持ちが大事
日本人同士でも、家族でも、言葉の通じない異国でも、どんなコミュニケーションの場面でも、やはり大事なのは「積極性」ということに行き着くのか。
いまある言語の概念がバリアをつくる
そして、最難関のチャレンジへ。「みえない」「きこえない」「はなせない」全ての条件を持つジョーカーのカードを引いた2人のペアで、「触る」ことのみでコミュニケーションをする。ジョーカーを引いた私は、お題である「大きな古時計を歌って」というリクエストを、何も知らないもう一人のジョーカーへ、触覚のみで伝えることに。
メンバー全員とは事前に「名詞を伝える前には相手の手のひらを、動詞のときは手の甲を、形容詞のときは相手の手首を触る」というルールを決めておいた。相手の手を持って動かすことで、“大きな”や、身体を揺らしながら“歌う”を表現してみたり、“時計”を表現した粘土を触らせてみたり……。
しかし、相手がそれを理解したかどうかのフィードバックが、優しく手を触られるのみでよくわからない。こちらもどうアクションすればよいのかわからなくなり、もどかしい。「もっと手を触ったり動かしたりして、私に意思を伝えてほしい!」と声を出したいのに、出せない。
このときの私は、名詞、動詞、形容詞の3段階で触れることで、相手に伝えようと試みた。けれど、その品詞の概念が、コミュニケーションの領域を狭めてしまったのかもしれない。もっと皮膚感覚でわかるような伝え方は出来ないものか?とメンバーと振り返った。やはり、いまある言語は、不完全なのか?
未来言語のタネは「触れること」
最後のファシリテーターの総括のなかで、目でも指でも読める文字「Braille Neue(ブレイル・ノイエ)」の発明者である高橋さんは、「触れることが一番相手に意志が伝わるのでは?」と語った。ワークショップ中の参加者たちが、必死に伝える様をプリミティブな動きであると捉え、「言葉はこのような過程で生まれたのでは?」と感じたそうだ。
日本語教師である永野さんは、「前回のワークショップでは触ることへの抵抗感を持つ参加者がいたので、今回はいろいろな物(スプーン、粘土等)を用意したが、結局、参加者のほとんどは物を介さず、直接肌に触れることでコミュニケーションを図っていた」と振り返った。
参加者たちの体験を通じて、人と人との意志伝達の原点は、どうやら「触れる」という感覚ではないだろうか、ということが見えてきた。
そのとき私の頭をよぎったのが、お母さんのお腹の中にいる胎児のこと。一説によると、胎児の五感の中で、もっとも早く機能しはじめるのは触覚だそうだ。さらには、外の世界に出てきた赤ちゃんとお母さんも、スキンシップにより、双方の脳内に愛情ホルモンが生まれ、結果的に子どもの自立や健やかな心の成長にも繋がるとされている。
頭でっかちに理論武装したクールな「未来の言語」より、感覚的に、伝えたいこと、思いを、肌と肌との触れ合いで伝達する。100年後は、そんな右脳的なコミュニケーションに回帰していくかもしれない。そんな思いを強くした。
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