このコラムは、株式会社OKB総研が刊行する機関誌「REPORT 2020 Vol.176」[SPECIAL INTERVIEW]
(2020年1月発行)に弊社代表 諏訪光洋、林千晶がインタビューされた記事の転載です。前編、後編に分けてお届けします。(写真提供:OKB総研)

2000年2月創業

──まずは貴社の創業の経緯からお聞かせいただけますか。

諏訪 着想したのは1999年、最初のインターネットブームの頃です。林はジャーナリストとして私はデザイナーとして、たまたま二人ともニューヨークにいました。インターネットの可能性を二人で話しているうちに、当時はあまり流通していなかった『クリエイティブ』というものが世界でもっと流通すれば面白いムーブメントが起き、新しい価値が生まれるんじゃないかと考えていました。そのようななか、ロフトワークは『Loftwork.com』というクリエイターのプラットフォーム、クリエイターのコミュニティを作るところからスタートしました。会社として創業したのは、2000年2月です」

──その後はどのように展開してこられたのですか。

林 創業当初はどうやってお金を稼げばいいのか分かりませんでした。稼ぐ手段を知らなかったのに会社を創っちゃったのです(笑)」

諏訪 その頃、林のお母さんが手伝ってくれたことを覚えています。当時のロフトワークには、今でいうEtsy(手芸や古物、独自の工場生産などの商品を扱う電子商取引サイト)みたいなクリエイターが創ったものを直接売るという機能や、今でいうクラウドソーシングみたいなクリエイターに仕事を頼むという機能がありました。売れたものを彼女のお母さんが発送してくれました(笑)」

林 私の母がいつの間にかクリエイターとして登録していて、その母が作ったマフラーを買っている人がいたのです。『マフラー売れてるね』って言ったら、『あと何本マフラーを売ったら、千晶ちゃんはお給料がもらえるようになるの?』と聞かれました(笑)。それがフェーズ0ですね。次のフェーズ1では、はがき制作ソフト『筆王』の仕事をしました。」

諏訪 いわゆる年賀状素材です。当時すでに数千人のクリエイターがロフトワークに登録されていましたので、そうしたクリエイターにいろいろなイラストをつくってもらい、それを大量に納品しました」

林 その時の報酬が数十万円でした。すごく嬉しかったのですが、請求の仕方がわからなかったのです(笑)。複数のクリエイターを束ねて仕事をするという、ロフトワークの一つのプロセスが初めてお金になりました。

その次のフェーズ2は、ソフトバンクの『ブロバンガイド(ブロードバンド・ガイド)』です。それまではたくさんのクリエイターからイラストを集め、これを1年に1回『筆王』に提供していました。これに対して、『ブロバンガイド(ブロードバンド・ガイド)』はたくさんのクリエイターから毎日更新される記事を集めて、これを複数の先に提供しました。多くのクリエイターの力を多くの人に納品する、世の中に広めていくという、今でも変わらないロフトワークの仕事の原形を実現した、そういう記憶に残る仕事でしたね」

諏訪 いま林が言ったことには、二つのポイントがあります。一つは当社の強みを活かすことができたということ。もう一つは多くの起業家に共通すると思うのですが、成長のきっかけを与えてくれるクライアント、可愛がってくれる、伸ばしてくれるクライアントとの偶然の出会いがあったということです。こうした出会いにすごく感謝をしています」

林 そうですね。ロフトワークは、どのような仕事がしたいかということだけを考えて創った会社ですから、そういう意味では、20年経ってやっと今『クリエイティブカンパニー』になれたという感じです。世の中もっとクリエイティブになればいいなという私たちの思いが、ようやく社会に受け止めてもらえたのかなと思いますね」

もっとクリエイティブになれる!

──貴社の理念を具体的に教えていただけますか。

林 創業当時の理念は『クリエイティブを流通させる』です。今は創業20周年に向けて、考え直しているところです。クリエイティブを流通させるだけではなくて、自分たちで生み出していきたいということから、『もっとクリエイティブになれる』『世の中もっとクリエイティブに』というように考えています。

『クリエイティブ』と言うと、皆さんきょとんとされるのですが、そこには深い意味があります。『デザイン』はクライアントの課題に対して解決を図るものですが、『クリエイティブ』はそれだけではなく、『もっと楽しく』にあると思っています。これは、今後日本企業がどんどん社是社訓に取り入れていくべきだと思っています

諏訪 私の視点は、林とは違います。当社の一つの特長として、社内にデザイナーがいないことが挙げられます。当社には120~130人くらいの社員がいますが、デザイナーは一人もいなくて、デザイナーはすべて社外にいるのです。

一方で、社内にはものづくりのクリエイターが集まるFabCafeという組織があります。FabCafeは世界に10カ所あって、それぞれがクリエイティブのすごく大きなハブ(中核)になっています。本社1階にあるFabCafe Tokyoでもクリエイターたちの面白い作品を日常的に展示しています。私たちはそのクリエイターと一緒にいろいろなものを創り出すという『クリエイティブのコミュニティ』、おそらく現在動いているコミュニティとしては、世界屈指のコミュニティを運営しています。『FabCafeのクリエイターたちの力を借りながら、どれだけ面白いものを世界に対して問えるか』ということをロフトワークで行っています。創業当初から作り始めたプラットフォームが今では逆にFabCafeというリアルな場、世界的なコミュニティになっていて、私たちはそこで社会に対しての価値という形でロフトワークとしての回答を出しているというところがあります」

林 ロフトワークの中にデザイナーがいないということは、確かに特長的です。それはなぜかと言いますと、世界中にたくさんいるクリエイターを結びつけるために、ロフトワークがあるからです。FabCafeで結びついている人もいれば、MTRL(マテリアル)、AWRD(アワード)、ヒダクマ(株式会社飛騨の森でクマは踊る)で結びついている人もいる。全体を見ると、『クリエイティブ』ってこんなに広がりがあり、こんなに多くの人たちに可能性があるということを示すために、ロフトワークはあります。ですから、FabCafe、MTRL、AWRDなどロフトワーク全体が常にクリエイターの人たちと共にあり、それをプロジェクトとしてマネージし、クライアントに提供する。クリエイターもクライアントもすごく多いのですが、そうした両者をつかさどっている結節点がロフトワークなのです」

FabCafe Nagoya

──今度、名古屋の公園にFabCafe Nagoyaがオープンすると伺いしました。その特長を教えてください。

諏訪 もともとFabCafeはアイデアをどうやってフィジカルなものに落とし込んでいくのかということを問うてきました。そうしたFabCafeが公園という広い空間に面しているところに、かつ、日本のものづくりの中心地である名古屋というところに、OKBさんと一緒にできるということで、より大きなダイナミズムが期待でき、すごく楽しみです(笑)」

林 名古屋は自動車産業が強いですよね。自動車産業はものすごく裾野の広い産業ですが、そうした企業の一つひとつが、FabCafe Nagoyaのオープンイノベーションの名のもとに他の企業に貢献するだけではなく、それ以外のもっともっと新しい可能性だってあるんじゃないかというところを探していくと、すごくワクワクします。もう一つは、FabCafe Nagoyaが面している公園、つまりFabCafeにとっての『敷地外』をどれだけ上手く活用できるかがポイントだと考えています。これまでのFabCafeは『敷地内』だけを考えていましたけれど、『敷地外』も含めてデザインするという点が、これまでのFabCafeにはない、初めての企画ですね」

諏訪 そうした『敷地外』をフィジカルなものに落とし込めるかもしれないというところも、FabCafe Nagoyaの特長ですね。例えば、『敷地外』では人が走ったり、歩いたりできるわけですよね。すると、モビリティとしては電動キックボードみたいなものや車椅子みたいなものも考えられます。『移動』というものがこれからもっとシームレスになっていく中で、その概念が結構変わってくると思うのです。高齢者の事故防止のために、より小さな車をつくったり、より良い電動車椅子みたいなものが出てくるかもしれません。そして、それらの位置情報もかなり精度化されています。だから、公園までどうやって人がくるのかという最先端のモビリティも含めてデザインしていこうと思います」

──FabCafe Nagoyaの内装はどのようにお考えですか。

林 私はどんな人数にも応えることができる長いカウンターの設置を考えています。しかも、店内と店外がはっきりと分かれていないレイアウトが希望です。食品衛生上の最低限の縛りはあるけれども、スタッフとお客さんが一体となったコミィニティができるようにしたいですね」

諏訪 あともう一つは、これまでのFabCafeにはスタートアップ企業が集まっているのですが、残念ながら彼らが最も求める資金や、すごく深い技術みたいなものをインストールするという機能はありませんでした。軽めの思考やラピッドプロトタイピング、彼らに足りない才能を見つけることは提供してきましたが・・・。でも、FabCafe NagoyaはOKBさんと一緒にアクセラレーションプログラムをつくることで、スタートアップ企業が求める資金や技術をインストールする機能を提供することができ、すごく面白いものになると思います(笑)」

FabCafe Tokyo

ヒダクマ~世界中の建築家のコミュニティ

──2015年に「株式会社飛騨の森でクマは踊る(ヒダクマ)」を設立されました。その設立の経緯と現状を教えてください。

林 株式会社トビムシという森林の再生等をしている会社があって、その会社と飛騨市から『ロフトワークの力を貸してもらいたい』という申し出があり、『一度だまされたと思って、飛騨に来てください』と言われたことが設立のきっかけです。最初は気乗りしなかったのですが、実際に行ったら本当にだまされちゃいました(笑)。飛騨は都心で忘れていたものを思い出させてくれるところでした。それまではクリエイティブなことはなんでも東京でできると思っていたのですが、飛騨でしかできないことがあるということを気づかされました。その一つが木工です。飛騨には千年以上の歴史の中で育まれた『飛騨の匠』という営みがあって、その中で、新たな『飛騨の匠』を機能させるために、ロフトワークが何かしらの役割を果たすというのは面白い試みだと思っています。デザイン思考とか、デザインリサーチとか日本で初めてということを生きがいにやってきましたけれども、歴史は浅いですよね。私たちがやる前からずっと培われてきた『飛騨の匠』に対して、無限のクリエイターの可能性をその歴史に掛け合わせることができるということは、飛騨で初めて教わったことでもあります」

──すごいことですね。

諏訪 要するに、林が飛騨の価値にほれ込んだんですね。飛騨の課題は森です。ロフトワークは当然ながら林業のことは分からない。でも、その中で設立したヒダクマが現在非常にうまくいっているのは、建築家に着目したからです。建築家は木に取り組みたいと思っていますが、それを学ぶ場がないということを知りました。そこで、世界中の建築家に対して木のことを学ぶ場、木と向き合う場としてヒダクマを創り、FabCafe Hidaを創りました。そこには、ニューヨークの建築科の大学院生やシンガポールの学生が来ています。建築家を志したい、木のことを知りたい、組木のことを知りたい、日本の匠の技を知りたいという世界中の人たちが集まるコミュニティになりつつあります」

林 これは飛騨だからできるのです。どこでもできるわけではありません。平安時代くらいからずーっと飛騨の人たちは匠として京都に出稼ぎに行って修行していたのです。そういう飛騨だからこそ、木工の技術があるのです。ただ、今の時代に木工をやる人は誰でしょうか?と問うた時に、建築家こそが木をどのように使うのかを見つける表現者であるわけで、そこのところをデザインできたというのは、ものすごく嬉しいですね

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