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演劇とダンスにイノベーションのヒントを探してみた

「当たり前」を疑うイベントシリーズ第三弾は「語る」

「これからの人材には、異なった視点を一人の人間の中に持つことが必要とされている」と言うのはMIT Media Lab所長の伊藤穰一さん。多様性のあるチームで取り組むことが増えてはきているものの、一人の人間の中に、さまざまな視点を持つというのは簡単なことではありません。それは、各々の持つ既成概念や「当たり前」を疑う姿勢を持たないと得られないのではないか?

そこで、主に新規事業に携わるビジネスパーソンを対象に、様々なフィールドで活躍するスペシャリストの考え方をなぞり、視座を養うシリーズイベント「Business Approach Compass」を2017年3月に開始しました。これまでアーティスト、社会学者、振付家・演出家をお迎えし、ワークやディスカッションを行ってきました。毎回テーマが難しい分考えることがたくさんあって、個人的にもすごく楽しく、新しい学びがたくさんあります。

特に直近で開催したVol.3については、ダンスや演劇からビジネスのヒントを探るという難しいテーマだったのですが、だからこそ噛めば噛むほど味が出てくるというか。実際にワークショップに参加していないと伝わりにくいところもあるかもしれないのですが、ぜひエッセンスを残しておきたいと思い、こうして言葉をつづることにしました。

今回は、泥棒対策ライトというダンス/演劇カンパニーを主宰する、演出家兼振付家の下司さんをお迎えし、「語る」というテーマで、言語化しにくい情緒的な機微を認識することや、伝えることを身体を通して体験するイベントでした。ファシリテーターは石神夏希。彼女もロフトワークの社員でありながら、劇作家として活躍している演劇人。下司さんのワークと石神の導きで、身体を使う時間と語り合う時間を交互に進めていきました。

日常の機微をとらえること

そもそもなぜ今回下司さんをお呼びしたのかというと、「日常の情緒的な機微」に気づくことは、新規事業やイノベーションにとても大切なエッセンスだということを、体験を伴って伝えたかったから。

新規事業やイノベーションを“今まで見たことはないけれど、実際に社会に出た時に、人々が「あーそれそれ!」と腑に落ちるもの”と定義するならば、まだ言葉になっていないものを探していく作業こそ、私たちが日々取り組んでいることなのですが、言葉にならない価値を探すってすごく難しい。そのためには、日々言葉にはしていないけど感じている機微なことに気づき、それを適切な方法で周囲と共有する力が必要。

「枯れ木に花咲くを驚くより、生木に花咲くを驚け」という、自然哲学者・三浦梅園の有名な言葉があります。設計された美しさに気づき感動するのは当然で、ある意味受動的な行為だけど、ありふれた日常の機微に感動できる視座を持つことこそが積極的で豊かな営みではないかと。今回お呼びした下司さんの世界に飛び込むことで、それを体験できるのではないかと思ったんです。

下司さんの作品づくりの世界については、こちらのインタビュー記事をぜひ!
>> 「共感を生み出す視点とは?──振付家・演出家下司尚実に聞く、あたりまえへの光の当て方」

演劇やダンスがイノベーションのヒントになるのか?

ロフトワークで最も新規事業を手掛けているプロデューサーの松井も、下司さんの活動にはイノベーションのヒントがあるといいます。

イノベーションを実現させるための思考法の「デザイン思考」は、共感、問題定義、プロトタイプ、創造、テストの5つのステップで成り立っています。この一番最初のステップといえる「共感」が、まず難しい。これがきちんとできずに最初の問い(課題設定)が甘いと、良いアウトプットに繋がらない。

では、良い問いとはどうやって作るのか?それは、日常の「なぜ」を深掘りしていく作業に尽きるのではないか。顕在化している「なぜ」は答えが出ているものが多い一方で、潜在的な「なぜ」は、日常の中で言葉にされていない情緒的なもので、そこに新しい価値を見出せるのではないか。

潜在的な「なぜ」を発見するためには、相手が言葉として出す情報だけではなく、その背景にある情報をいかにくみ取れるかが大切。たとえば、フィールドリサーチで新しいまちに足を踏み入たとき、まず町全体が見えるカフェに座って、ひたすら目の前に繰り広げられる日常を朝から晩まで観察して大量にメモを残すこと、ありますよね。実は、下司さんも作品を作るときに同じことをしているそうです。

言葉で表現できるものがすべてではない。日常の中で言葉になっていないものを見ようとする活動にこそ、イノベーションを起こす種が潜んでいるのではないでしょうか。

非言語の“語り”を感じる回路を開く

今回ファシリテーションを担当したのはロフトワークの社員でもあり、劇作家としても活躍している石神。彼女は、今回のイベントの冒頭で参加者に「非言語の語りの回路を開きましょう!」と語りかけました。たとえば、クライアントに企画をプレゼンした時、相手が笑顔で「いいですね!」と言いながら、提案書を閉じて横に追いやったら、どう感じますか? 私たちはこうして広い意味での「身体的なコミュニケーション」を無意識に行っていますが、意識的には使えていなかったりします。この回路を開いて、味方につけると、言葉を使って語るときにもより効果的に伝えることができるはず、と。

イノベーションを実現させるための思考法の「デザイン思考」は、共感、問題定義、プロトタイプ、創造、テストの5つのステップで成り立っています。この一番最初のステップといえる「共感」が、まず難しい。これがきちんとできずに最初の問い(課題設定)が甘いと、良いアウトプットに繋がらない。

では、良い問いとはどうやって作るのか?それは、日常の「なぜ」を深掘りしていく作業に尽きるのではないか。顕在化している「なぜ」は答えが出ているものが多い一方で、潜在的な「なぜ」は、日常の中で言葉にされていない情緒的なもので、そこに新しい価値を見出せるのではないか。

潜在的な「なぜ」を発見するためには、相手が言葉として出す情報だけではなく、その背景にある情報をいかにくみ取れるかが大切。たとえば、フィールドリサーチで新しいまちに足を踏み入たとき、まず町全体が見えるカフェに座って、ひたすら目の前に繰り広げられる日常を朝から晩まで観察して大量にメモを残すこと、ありますよね。実は、下司さんも作品を作るときに同じことをしているそうです。

言葉で表現できるものがすべてではない。日常の中で言葉になっていないものを見ようとする活動にこそ、イノベーションを起こす種が潜んでいるのではないでしょうか。

非言語の“語り”を感じる回路を開く

今回ファシリテーションを担当したのはロフトワークの社員でもあり、劇作家としても活躍している石神。彼女は、今回のイベントの冒頭で参加者に「非言語の語りの回路を開きましょう!」と語りかけました。たとえば、クライアントに企画をプレゼンした時、相手が笑顔で「いいですね!」と言いながら、提案書を閉じて横に追いやったら、どう感じますか? 私たちはこうして広い意味での「身体的なコミュニケーション」を無意識に行っていますが、意識的には使えていなかったりします。この回路を開いて、味方につけると、言葉を使って語るときにもより効果的に伝えることができるはず、と。

この時に出たみなさんの悩みを抜粋すると、こんな感じのものがありました。

・言いたいことが伝わらない
・感覚や熱量が伝わらない
・客観的なことは説明できるけど、主観的なことはうまく伝えられない
・相手によって適切な伝え方が分からない

どれも共感するものばかり。このモヤモヤにどんな変化があるのか楽しみです。

Day1:感じたものを言葉以外の方法で伝える

1日目のワークは、見たり感じたり思ったことを、言葉を使わずに表現するワークを中心に行いました。擬音だけでひとつの「世界」を作ったり、街で見つけたシーンを組み合わせてひとつのダンス作品にしたり。

ワークの雰囲気はこんな感じでした↓

Day2:言葉を使って伝える(でも言葉の周辺の意味を繊細に感じ取る)

1週間おいたDay2のワークは、Day1と違って言葉を多く使うプログラム構成。言葉から受け取る自分と他者のイメージにあえて「ズレ」を感じさせることで、言葉に含まれる情報を繊細に感じ分けようというワークでした。

Day2のワークショップでは、Day1のワークの気づきをネタに「語るおみくじ」を入れたフォーチュンクッキーを手作りしてみました(笑)

たとえば、適当なものを手に持ち、それを使って真っ赤な嘘話をするワークでは、それが嘘だとわかっているのに、皆すごく引き込まれてしまう。それは、しゃべっている人が相手も嘘だと知っているから自信をもって喋れてしまうからなのか、嘘だという前提があるからこそ、その人が普段は出さない考えや密かな憧れなどがあぶりだされてしまうからなのか、どなたのお話も訴えかけてくるものがありました。

初めて手に取った石について「実はこれ、おじいちゃんなんです」と嘘トークを繰り広げる

伝えるということ、伝わるということ

普段やったことのないような身体表現やダンスをいきなりやることになるこの状況に、参加者の方はどう対応するだろうと少し心配していましたが、下司さんもびっくりするくらい表現力豊かで素敵な世界観を作り出していました。みなさんも、ワークをしてみて、「情報をすべて言語化しないほうが伝わる」とか、「“伝えよう”ではなく、自分自身が深く感じていればおのずと伝わるということを感じた」という気づきがあったようでした。

一方的な「伝える」という行為に囚われてテクニックを身につけても、本質的に伝わる言葉にはならない。それは、自分自身がどう感じているか自分でも認識できていないことが多いのかもしれない。日常の機微なことに気づく回路をたくさん開くことと、感じ取ったものをきちんと認識すること、そしてそれを豊かに表現するという営みを、記号としての言葉の交換に制限してしまうことで、捨ててしまっているものがたくさんあるのだなということを感じました。

以前石神に、彼女の作品制作スタイルとして、本人が本人役をするということにこだわるのはなぜかと聞いた時に、「本人役を“演じてもらう”のではなく、その人が魅力的に表現される環境を作っている」と言っていました。まさに、それこそが、細やかな非言語の情報を丁寧に拾い、共有しながら価値を探していく行為そのものなのではないかと感じました。

当たり前を疑う

イベントを終えて参加者のみなさんからいただいた言葉の中で、個人的に印象に残っているこんな感想がありました。

「最初は、言われたことをやるのにすごく恐れがありました。でも身体を動かしているうちに徐々に分かってきたのは、普段『こんなこと別にいわなくてもいいのかな』とか『当たり前』だと思って飲み込んでいることとかをちょっとでも発してみると、意外とみんな興味を持ってくれたりするんだなと。」

シリーズを通して、ビジネスに向かうための視野を広げる態度として「当たり前を疑う」というテーマがありました。今回も何か当たり前が崩れた瞬間があったのだということがすごく嬉しかったです。

このイベントシリーズ、ぜひまた企画していきたいと思っていますので、どうぞお楽しみに!

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