切腹というコミュニケーション、「減点法」の組織(歴史学者 山本博文)
デザインの根幹を探す勉強会・第2回レポート
経済産業省・特許庁による「産業競争⼒とデザインを考える研究会」に参画するロフトワークが、「デザイン」という概念に関する解像度を上げるために開催する「デザインの根幹を探す勉強会」。
10月30日に開催された勉強会第2回では、『切腹〜日本人の責任の取り方』の著者、山本博文先生を講師に迎え、責任はどのようにデザインされてきたのか考えました。
テキスト=中田菜摘
次回の勉強会
1:「責任は自分でとる」という考え方
昨今、「組織のデザイン」というフレーズがしばしば耳にされるようになりました。そももそも日本における「組織」がいかなる源流をもっていたのでしょう? そんな問いを考えるために、ロフトワークは「切腹」という日本固有の「責任の取り方」を学ぼうと思いました。
講師としてお越し頂いた山本先生は、今の日本にも「切腹」という概念は息づいているといいます。
「今の時代、実際に切腹を行う人はまずいないでしょうが、皆さん言葉自体には馴染みがあるのではないでしょうか。かつてある野球チームの監督が、『今年優勝できなかったら、自分は切腹するしかない』といった発言をしたのを覚えている方もいらっしゃるかもしれません」
その「切腹文化」というべき思想の背景には、武士道の考え方があるといいます。
「戦国時代から江戸時代にかけて、切腹という行為は決して珍しいものではありませんでした。切腹というのは、自分で自分の腹を切ることで、自らがなした行為に対して、自ら責任をとることです。過ちを犯した当事者が腹を切れば、事態はある程度収束し、それで終わりということになる。ときには、必ずしも自分が悪くなくても、『自分が死ねば事態が収まる』という理由で切腹する人もいたようです。
典型的な例としては、文化5(1808)年、鎖国中の長崎港にイギリス船が侵入し、オランダ商館員を拉致した『フェートン号事件』が挙げられます。日本人が対処に追われているうちに商館員は釈放され、イギリス船は長崎を去ったため、実質的な被害はなかったも同然でした。しかし長崎奉行の松平康英は、幕府に事態を報告したのち、切腹により自らの命を断っています。
現代の私たちからすると、松平は報告後、幕府の処罰を仰ぐのが筋の通った行為のように思えます。しかし、彼はあっさり腹を切ってしまう。騒ぎが起きてしまったからには、誰かが責任をとらなければいけないという発想です」
過失がないのにも関わらず、自ら死を選ぶ松平の行為に、参加者からは疑問の声も上がりました。しかし、「武士」という存在、そして彼らがかかえる倫理観は、現代人からは考えられないほど大きな責任の上に成り立っていたのだそうです。
「切腹という行為の背景には武士の倫理があります。武士というのは命をやりとりする階級です。武士が過ちを犯すということは、自らの命、ひいては仲間の命、集団の命を危険にさらすことにつながります。どんなに小さなことでも、命をかけて正しい行いをなさねばならないのです。
江戸時代の士農工商で言えば、武士以外の階級の者は、自ら腹を切るような場面はまずありません。悪事を働いたら、お上からお咎めがあるのが通常です。しかし、武士は最高の人格であり、国家権力を分有しています。その分、何かあったときの責任も大きく跳ね返ってくる。古くは室町時代まで遡る武士の気概が、江戸時代まで続いているんですね」
2:名誉を回復するために死ぬ
また一方で切腹は、武勇にあふれる行為として、周囲から称賛されるものでもありました。
「自ら腹を切り、命を断つというのは、言うまでもなく非常な勇気を要する行動です。これをあえて行う者は、勇気ある立派な者とみなされます。過ちを犯しても、切腹という行為を見せれば、彼らの所属する藩や、残された家族の名誉は保たれることになります」
武士は名誉を重んじたため、非常に些細なミスであっても、迷いなく切腹した武士も少なくはありませんでした。
「武士たるもの、立場が上の者に命じられたら、理由がどうあれ、迷うことなく腹を切ります。名誉を回復するために切腹するんですね。例え過ちを犯しても、切腹すれば、名誉だけは回復することができる。家庭でも、小さい頃から切腹の練習をしている。それが武士という身分だったのです」
3:切腹は言葉なしに「誠意」を伝えた
また、切腹には、自らの真心を相手に見せるという側面もあったようです。
「日本においては、人の魂は腹に宿ると考えられます。『腹黒い』という表現もありますね。室町時代の武士は、腹を十文字に切り開いて内臓を見せつけたという話まで残っています。腹のうちを見せることが、自らの真実を示すという発想があるのでしょう」
武士は言葉で説明をするのではなく、切腹で「コミュニケーション」を取っていたともいえるのかもしれません。
「新渡戸稲造は、1900年にアメリカで刊行した『武士道』において、切腹は単なる自殺の手段ではなく、様々な意味をもつと述べています。自分が犯した罪を赦されること。死によって恥をそそぐこと。自らの本心を証明すること。死という対価によって、自分の誠実さを認めてほしいという考え方があったようです」
4:「死人に口無し」という責任逃れ
ここまでの講義で、切腹の背景には武士道の考え方があり、様々な意味をもつ行為だったことが見えてきました。しかし、切腹を単なる美談として結論づけるわけにはいきません。切腹文化がもたらした負の影響も大きいと、山本先生は言います。
「江戸時代前期の会津藩では、財政窮乏の折に打開策を計画・実行した長岡久八郎が、その失敗を理由に切腹を命じられたことがありました。彼は藩主より財政対策を立案するよう命じられており、政策の実行前に、家老や藩主の承認を得ています。しかし、責任をとらされたのは長岡でした。
誰かが切腹すれば、それで問題はなかったことになる。その考え方が、結果的に現場への責任の押し付けを生んだのです」
さらに、切腹には「不祥事の隠蔽」という現代の日本の問題にも繋がっています。
「徳川の分家である一橋家では、切腹を命じた百姓がそれに応じなかったことを受けて、周囲の者で百姓を殺してしまい、自ら切腹したものとして報告したというできごともあったそうです。ここには、不祥事が表に出る前に、内部で処理しようという発想が垣間見えます。
切腹は責任をとるための行為ですが、真の責任者が追及されるケースばかりではありません。弱い立場の者に責任が押し付けられたり、誰かの死によって問題自体がなかったことにされたりすることも、実際には多く起こっていたと考えられます」
世界でも類をみない風習が、現在の日本にまで尾を引いていることは、「組織のデザイン」を考えるうえで、忘れてはいけないのかもしれません。
「罪滅ぼしをした人間がいるんだからそれいいじゃないか、という考え方は、現代の日本組織にも残っているかもしれませんね。日本ではよく謝罪会見が行われますが、担当者が謝ることによって、なんとなくなあなあに事態が収束するわけです。真相を究明しようとする力学は働かず、だから失敗は繰り返されます。
これは非常に日本的なやり方で、国際的には通用しないでしょう。しかし、古くから続いてきた切腹の歴史を考えると、『誰かひとりが責任をとることで丸く収める』というのは、日本人に非常に馴染みのある、納得しやすい考え方なのかもしれないとも思います。これからの組織のあり方について考えるときにも、そのことをしっかり認識しておく必要があるのではないでしょうか」
5:責任のリデザインを始めるために
山本先生の講義ののち、会場では1時間にわたり質疑応答・ディスカッションが行われました。デザイナーや経営者などからは、日本でイノベーションを生み出すことの難しさは「切腹」と関連しているのではないかという説も展開され、歴史からデザインを考える時間となりました。
とくに、デザイン思考の基本的な概念であるプロトタイピングでは、「どんどん失敗をする」ことが重視されます。しかし、失敗即切腹という風土が残る日本では、「失敗したくない」と考える人が多くいるように思えるという意見がでました。そんな日本で「積極に失敗をしよう」という文化が日本に根付き、イノベーションが起こることは難しいのではないかと思ってしまうという悩みに、山本先生はこう答えました。
「日本人は、恥をかきたくないという意識が強いんですよね。名誉とは言いましたが、人に笑われないとか後ろ指をさされないとか、そういう後ろ向きなところがあると思います。積極的に名誉をもとめるというよりは、恥をかかないことが人間の名誉。そういう社会通念がありますよね。当然多くの人が、失敗しないようにしないように行動します。
積極的に失敗しようという文化が根付くのは、社会全体で言えば、まだまだ難しいかもしれませんね。でも、ビジネスの中の先端領域、例えばデザインならデザインの業界で、失敗は悪ではないという考え方を広めるのは、不可能ではないと思います。そういった事例がいくつも出てくれば、あるいは社会も変わっていくかもしれません」
さらに、会場では他にも、小さな失敗をチームで乗り越える仕組みを作ることや、失敗という概念自体を問い直すことで、「恥をかきたくない」日本人の行動の幅を広げることができるのではないかといった声が挙がりました。
「『失敗』の定義を変えないといけないのかな、と思いました。失敗することが不名誉じゃない、と思えるようにするのは難しくても、『実行したら、その時点で成功』というふうに、考え方を変えられないかなと。いまは『失敗したら恥であり、それは不名誉』と思っている人も、『全てがうまくいったわけではないが、これは失敗ではない、だから恥ではないんだ』と思えたら、楽になるのではないでしょうか。恥をかくことを恐れ、メンツを気にする日本人でも、新しいことに挑戦できるような仕組みを作っていきたいです」
「切腹とデザイン」というテーマから繰り広げられた2時間の勉強会からみえてきたのは、切腹が生んだ日本の文化のなかに我々は生きているということ、そしてその社会はある種の「減点法」に立脚しているということでした。そんな日本の風土のなかで、ブレイクスルーを起こすべきか、我々はようやく思考のスタート地点に立てたのかもしれません。
次回の勉強会は12月18日(火)。「生命は、どこに向かっているのか? 生き物のデザインと系譜」と題して、生物学者の本川達雄先生をお迎えし「生き物のデザイン」について学びます。
講師 / 開催概要
講師
歴史学者(日本近世史)。1957年岡山県生まれ。東京大学文学部国史学科卒業。同大学院人文科学研究科修士課程修了。文学博士。東京大学史料編纂所教授。『武士道のことがよくわかる本』(中経出版)、『サムライの掟』(読売新聞社)など武士道に関する著書を数多く手掛ける。また、NHKにて現在も放映中の「100分de名著」では新渡戸稲造著の『武士道』について全4回にわたり解説。他、大奥や江戸文化に関する著書も多数。