今日の「厄介者」は、明日の「友」かもしれない。
生態学者ロブ・ダンと考える他種との関係
全9回のプログラム「From Foe to Friend」のキックオフとなるDay1(2026年9月10日)で、生態学者のロブ・ダン氏(ノースカロライナ州立大学)が「Pigeon Paradoxから20年 — 都市の厄介者との関係は変わったか」をテーマにキーノートセッションを行いました。
都市の厄介者とされているハトはかつて「最高のごちそう」で、その糞は畑を肥やす宝でした。麹菌はもともと、食べ物を傷める厄介ものでした。私たちが今「敵」と呼んでいる生きものは、いつから、なぜ敵になったのでしょうか。
気候変動や社会の変化に直面する今こそ、新しい友を探すときではないか。友にはなれなくても、居場所を与える「寛容」や、相手の価値を認める「謙虚さ」という関係もあるのではないか。そして、未来にどんな種と生きていきたいのか。ロブ・ダン氏が投げかけた問いを、トークと参加者とのQ&Aを収めたこの講義録でたどります。
はじめに|相利共生と友情
今日はこうして皆さんにお会いして、一緒に学び、話を聞き、これから一緒に取り組めることをとても光栄に思います。
今日の話は4つのパートに分かれています。1つ目は「今」という時代の特徴、つまり私たちが今、他の種とどんな関係にあるのか。2つ目は相利共生の歴史と先史、つまり私たちと他の種との「友情」の話です。3つ目は、それぞれの文脈で「敵」を「友」に変えてきた事例。4つ目は、そうした事例がなぜ少なくなってしまったのかという仮説です。一番時間を使うのは2つ目で、3つ目と4つ目は質疑応答で深められればと思います。
今日は「相利共生」という言葉を「友情」という意味で使います。生態学者にとっての相利共生とは、2種以上の生きものの個体どうしの関係で、双方が利益を得ている状態のことです。生態学者はこれまで、この利益を繁殖の成功で測ってきましたが、今はそれ以外の尺度でも考えます。皆さんも他の種の「友」について考えるとき、利益や友情をどう測るのか、その友情はどんな条件で成り立っているのかを考えてみてください。正解はありません。今日はこの言葉を使って話を進めます。私の2冊の本の内容も少し紹介します。
PART 1|「今」、私たちは他の種とどんな関係にあるのか
地球の哺乳類の大半は、人間と、人間が食べている「友」でできている
まずは「今」の特徴からです。地球全体で見ると、私たちはとても特殊な生態学的時代にいます。
私たちが集団として何に頼っているかを、バイオマス(再生可能な動植物由来の有機性資源)やカロリーで測ってみましょう。
世界のカロリーの大部分は、驚くほど少ない種から来ています。大豆、サトウキビ、テンサイ、トウモロコシ、大麦、米。この数種が、人類のカロリーのとても大きな割合を占めています。日本のような特定の場所で見れば、私たちは多くの種に頼っているかもしれません。しかし地球規模で見ると、人類はごく一部の種に偏って頼っているのです。
私たちが頼っている動物を考えると、この偏りはもっとはっきりします。このダイヤモンド型の図で、一番上の赤は人間のバイオマスです。青は野生の海洋哺乳類、緑は野生の陸生哺乳類、そして下の濃い赤はすべて家畜化された哺乳類の生体量です。地球の哺乳類バイオマスは、人間と、人間が食べているものに大きく偏っています。彼らは私たちの「友」です。友を食べるのは複雑な友情ですが、それでも友です。これはとても奇妙な瞬間だと思います。

もう少し近づいて見ると、さらに奇妙です。イヌのバイオマスは今、地球上のすべての野生哺乳類と同じくらいになっています。なんて奇妙な友情でしょうか。私たちはこれをどう考えればいいのでしょう。ネコのバイオマスはそこまで大きくありません。ただ、私たちはネコに海の食べ物をたくさん与えているので、ネコは二次捕食者、つまりハイエナのような存在になっています。私たちが与えている餌が奇妙だからです。
また、私たちは地球規模で木を「友」として頼っていますが、森林が失われるスピードは上がり続けています。
私たちは数万種に頼っている。その裏には巨大な依存の網がある
私たちは、多くの点で筋が通らない奇妙なことを他の種との関係でしています。それでも、それが私たちと他の種との関わり方の一部なのです。ここまでは量とカロリーで測った依存の話でした。
生物多様性で測ると、話は変わります。人類は数万種を消費していて、その一つひとつがさらに数十以上の種に頼っています。種子と植物だけを見ても、スヴァールバル世界種子貯蔵庫には130万の種子の品種が保存されています。その種子の多くは微生物と結びついていて、多くは他の相利共生者、つまり他の「友」に頼り、さらに多くは特定の送粉者(花粉を運んで受粉を助けるハチやチョウ、鳥などの生きもの)に頼っています。平均すると私たちが頼る種の数は少なくても、その裏には巨大な依存の網があるのです。
その一つひとつが、フンコロガシや送粉者、特定の土壌、さらには体の中の関係にまでつながっていると想像してみてください。
私たちは、どの「友」を未来に連れていくのか
私は昆虫のことをよく考えます。たとえばシロアリの女王と王は、新しいコロニーをつくるために飛び立つとき、巣に使う木材以外の、自分たちが頼るすべての種を連れていきます。
私たちも未来を考えるとき、どの「友」を連れていくのか、正しいものを連れていくにはどう計画すればいいのかを考える必要があります。そこで考えなければならないことの一つが、いつか頼るようになるかもしれないけれど、まだ頼っていない種です。今日は「敵」でも、未来には地球規模で重要になるかもしれない種を、どうすれば守り、未来に連れていけるでしょうか。
このパートのまとめです。私たちは集団として多くの種と、それらが頼る種に依存しています。それなのに、人類のカロリーと地球のバイオマスの大部分は、ほんの一握りの種が占めているのです。
PART 2|他の種との「友情」の歴史
ミツオシエは、人間に「友達になろう」と呼びかけてくる
ここからは私たちの「友情」をもう少し詳しく見ていきます。その枠組みとして、ミツオシエという鳥の話をします。
ミツオシエは茶色で地味な、あまり色鮮やかではない鳥です。でも、根本的な生きづらさを抱えているところがとても興味深いのです。ミツオシエはミツバチの巣の蜜蝋が大好きで、それが必要で、それを食べると幸せになります。ところが、自分だけでは巣の中に入れません。周りに完璧な食べ物があるのに手が届かない。それがこの鳥の問題です。
そこでミツオシエは、人間の集落に来て特定の鳴き声を出す能力を進化させました。「ミツバチの巣を見つけられるよ。ついてきて巣を割ってくれたら、あなたは蜂蜜を、私は蜜蝋をもらえる。友達になろう」と伝える声です。多くの人間の文化がこの呼びかけに応えてきました。人間は「わかった、ついていくよ」という鳴き声で返事をして、実際についていきます。この返事の声は、土地ごとに違います。
鳥と人間はもっと広い地域に暮らしていますが、この関係の文化はそれぞれの土地に根づいています。驚くべき友情で、注目したい点がいくつかあります。まず、人間ではない種が人間に呼びかけ、パートナーになろうと誘っていること。このパートナーシップには、おそらく片方の種では遺伝的な進化が関わっていますが、より目立つのは文化の進化です。そして当たり前のことですが、この関係は両方の種の感覚と喜びによって形づくられています。ミツオシエは蜜蝋が好きで、人間は蜂蜜が好き。ミツオシエは蜜蝋の匂いを嗅ぎ、人間はミツオシエの声を聞き、姿を見る。この点は後でまた大事になります。
ミツオシエのことを考えるたびに思います。今、どんな種が私たちに呼びかけているのだろう。あなたにはどんな種が呼びかけているでしょうか。私たちは、それに応えられるほど注意を払っているでしょうか。もし自分の家の裏庭にミツオシエがいたら、気づけるでしょうか。
もう一つ注目したいのは、この関係の中のミツバチにとっては最悪だということです。2つの種の友情が、3つ目の種にとっての「敵」を生み出すこともあるのです。
イルカやシャチと、人間は一緒に狩りをしてきた
よく似た話として、世界のいくつもの文化で、イルカが人間のところにやってくることが知られています。ブラジルでは今もこれが続いています。イルカが入江に来て、「網の準備をすれば魚を追い込んであげる」と合図を送ります。人間は網を持って待ちます。イルカが「追い込んだ」と合図すると、人間が網を投げます。これはよく研究されていて、人間とイルカの両方が利益を得ていることがわかっています。
意外な友です。これは特定のイルカの種の、特定の亜種の、特定の個体群との関係です。つまり、どちらの側にとっても家族のような関係なのです。
オーストラリアにも例があります。比較的最近まで、イーデンという町で、トゥア族(Thaua)の猟師たちはシャチが知らせに来るのを村で待っていました。シャチはヒゲクジラを追い詰めたことを知らせに来て、人間が到着するまで、ヒゲクジラを自分たちの体の間に挟んで押さえていました。人間がヒゲクジラを仕留めると、その舌をシャチに与えました。
このことを書き残したトゥア族の長老、スティーブン・ホームズさんはこう述べています。「私たちはシャチ(ベオワ)を兄弟だと考えている」。これは友情よりも大きなものです。「私たちのドリームタイムの物語では、トゥア族の一員が亡くなるとベオワに生まれ変わる。ベオワは亡くなった後もトゥア族の一部であり続ける。ベオワは湾でほかのクジラを追い込み、男たちが仕留められるよう助けてくれた。アボリジニの人々は、仕留めたクジラの舌をベオワに与えた。これはやがて『舌の掟(law of the tongue)』と呼ばれるようになった」。


おそらく、人類の祖先とオオカミの関係もこれとよく似ていて、パートナーシップの主導権は人間と同じくらいオオカミにもあったのだと思います。こうした関係はどれも「共同捕食」、つまり他の種と一緒に狩りをする関係です。起源は古いのに、今も続いているのです。
これは過去の遺物ではなく、「今」の多様性だ
これらの多くは、過去の話ではありません。「今」がどれほど多様かを示しているのです。
少し時代をさかのぼると、もっと古いパートナーシップがあります。私たちは、ほぼ確実に500万年ほど前からイチジクの木とパートナーを組んできました。イチジクの実を食べ、糞と一緒に種を運び、祖先はイチジクの木の上で暮らしていました。イチジクは私たちから利益を得て、私たちもイチジクから利益を得てきたのです。
こうしたとても古い木と人間の関係は、今の暮らしの中にもいろいろな形で残っていますし、私たちの近縁種の暮らしにも残っています。イチジクはさらに別の友に頼っていて、受粉にはイチジクコバチが必要です。私たちは共同研究者と、アフリカの熱帯全域を対象にしたプロジェクト(Pan African Project)でこれを研究しました。チンパンジーの糞を採取すると、中に含まれるイチジクのDNAだけでなく、イチジクコバチのDNAも読み取れます。一つひとつの種の体が、パートナーシップの物語を抱えているとも言えます。
自分の人生に当てはめて考えてみてください。もしあなたの人生の配列を読み取ったら、どんな友が見つかるでしょうか。
私がもう一つ気づいたのは、過去は私にもあなたにも想像できないほど多様で、奇妙だということです。それぞれの土地の過去を掘り下げていけば、想像もしなかった面白い友情がきっと見つかります。日本もきっとそうでしょう。1000年前、5000年前の日本にはどんなパートナーシップがあって、そこから何を学べるでしょうか。
友情は続きながら、形を変えていく
もう一つ注目したいのは、最も古い関係でさえ、続きながら形を変えているということです。私たちは今も木を愛し、木を必要としていますが、そのスケールが変わりました。多くの場合、私たちはもう身近な木に直接頼ってはいません。それでも、木が地域規模で私たち全員のためにしてくれていることには頼っています。
そして先ほども言ったように、私たちは友に頼りながら、その友に意地悪をすることもできます。私たちはいつも良い友とは限らないのです。
友は変わる。森の木から草へ、そして微生物へ
友そのものも変わっていきます。何百万年ものあいだ、私たちの友は森の木でした。やがて一部の人間の集団が草(イネ科植物)とパートナーを組んで農耕民になり、パートナーを乗り換えました。
さらにさかのぼると、私たちの最も古いパートナーは微生物です。今日はあまり時間を取れませんが、私が長年取り組んできたテーマです。
皆さんの体は、微生物という友で満たされ、覆われています。それをどう考えますか。以前、アーティストのジョアナ・リスーさん(Joana Ricou)と一緒に、人々に自分のおへその微生物に話しかけてもらうアートインスタレーションをしたことがあります。人々がおへその微生物に何を言いたいのかを見るのは本当に驚きでした。
だから皆さんにも聞いてみたいのです。あなたなら微生物の友に何と言いますか。周りに暮らす種に何と言いますか。彼らにはどんな言葉を返してほしいですか。もし話せるとしたら、何を話しますか。
馬に乗っているつもりでも、行き先を決めているのは馬かもしれない
私は、一つひとつの友情がもたらす結果についてもよく考えます。「シンビオゲネシス(共生発生)」という言葉があります。複数の種が一緒になって、それぞれの部分の総和とは異なる全体を形づくることです。
シロアリを考えてみてください。シロアリは食べ物を消化するのに微生物が必要で、微生物がいなければ消化できません。そして実験室では、たいてい微生物なしでシロアリを育てる方法も、シロアリなしでその微生物の多くを育てる方法もわかっていません。互いに頼り合っているのです。
同じように、人間と他の種が組み合わさることで、それぞれの部分の総和以上の文化的な全体を形づくり、そこに独自の傾向(ルールというよりは傾向)が生まれる「文化的シンビオゲネシス」も考えられます。私はレベッカ・ソルニット(Rebecca Solnit)が紹介している仏教の話が好きです。馬に乗って全速力で駆けていく男に、僧が「どこへ行くのか」と尋ねると、男は「馬に聞いてくれ」と答えます。
ここから私が受け取るのは、他の種とパートナーを組むとき、私たちは自分が主導権を握っていると思い込みがちだということです。でも実際には、その種やその種との関係性のほうが主導権を握っていることがよくあります。
たとえば人間と馬の友情です。馬とパートナーを組んだ人間の文化は、馬と出会う前とは違うものになりました。ピーター・ターチン(Peter Turchin)は、馬の文化は植民地主義的で好戦的になりやすいと論じています。馬そのものは植民地主義的でも好戦的でもないし、人間の文化も常にそうだとは限りません。でも両者が一緒になると、新しい人格を帯びるのです。
だから、どの種と友情を結ぶかを考えるときは、その友情が何を予兆しているのか、その友情を通して自分が何になるのかを考えてみてください。馬についてはこれが当てはまるように見えますが、馬とパートナーを組みながら好戦的にならなかった文化があることも知っておくといいでしょう。
例外は必ずありますが、気をつけるべき傾向はあります。パートナーを組むかもしれない一つひとつの種が、人間を特定の未来へ向かわせるとしたらどうでしょう。その未来は決まっているわけではありませんが、起こりやすくなります。だとしたら、私たちは自分たちの未来と、どの種と組むかをどう考えればいいでしょうか。
たとえば遺伝子組み換えトウモロコシ、つまりある細菌の遺伝子を組み込んで蛾への耐性を持たせたトウモロコシは、産業に縛られたトウモロコシです。そのトウモロコシは、私たちをどんな未来に縛りつけるのでしょうか。
PART 3|「敵」を「友」に変えてきた人間
「敵」だったものが、「友」になってきた
ここまでが長いパートで、ここからは短めのパートです。次は、かつての「敵」を相利的な「友」に変えてきた話です。私たちの友の一部がどこから来たのかを少し話します。
イヌとオオカミを考えてみましょう。イヌとパートナーになる前、オオカミは私たちと同じ捕食者で、私たちと競い合っていました。やがてオオカミは人間の集落から食べ物を得るようになり、集落の端で暮らすようになったと考えられています。だから、オオカミを愛するようになる前は、たぶん憎んでいたのだと思います。敵から友への移行は、どんなものだったのでしょうか。オオカミからイヌへの移行は、人類の先史を大きく形づくったとても重大な出来事です。
ライ麦パンもそうです。ライ麦はもともと畑の雑草でした。人間はその雑草を利用できることに気づきました。問題として始まったものが、特に北方の人々にとって素晴らしい友になったのです。
発酵もそうです。ワインやビールに使う酵母や乳酸菌、そして麹菌。これらの微生物はかつて害虫のような存在で、私たちの食べ物に入り込んでくるものでした。でも私たちは、それを友に変える方法を見つけました。麹菌は本当に美しい例だと思います。問題のある種を、個人を超えて文化や地球のレベルで深く大切な友情に変えた例です。
私たちは、これを何度も繰り返してきました。ハトはもともと崖に暮らす種です。人間が石で町や都市をつくり始めると、ハトはそこに移り住みました。ハトは最初はほぼ間違いなく「厄介者」でしたが、やがて人間はハトの味を評価するようになりました。今の多くの人には考えられないでしょう。私たちはハトを食べ物だと思っていません。でも数千年のあいだ、多くの文化にとってハトは最高においしいものでした。伝書鳩のように役に立つ存在でもあり、美しさを与えてくれる存在でもありました。
ギルガメシュ叙事詩をはじめ、多くの西洋の物語ではハトは良い時代の象徴です。ハトのやわらかな鳴き声は、良いことが起こる前触れでした。それなのに私たちはそれを忘れ、ハトは厄介者になりました。それは単に、私たちのハトの見方が変わった結果なのです。
ミルパは、害虫も病気も廃棄物も「友」に変える畑だ
次はミルパです。ミルパはメキシコの一部に伝わる伝統的な農法で、3種の作物からなるとよく説明されますが、実際にはもっと多くの種が関わっています。中心の3種は豆、カボチャ、トウモロコシで、畑の中でこれらは互いに友です。でも畑には他にも25〜30種の生きものがいて、それらも互いに友になっています。つまりミルパは、古代メキシコの人々が友情の数を増やすためにつくり上げた農業システムなのです。
もう一つは、古代メキシコの人々が、畑の害虫や廃棄物を友に変える方法を見つけたことです。
まずトウモロコシやカボチャ、豆を食べてしまうバッタがいました。古代メキシコの人々は、そのバッタをおいしい食べ物にする方法を見つけました。バッタにとっては友情ではないでしょうが、人間にとっては利益です。厄介者を高い価値のあるものに変えたのです。市場によっては、食材としてのバッタのほうが、バッタが食べる作物より高く売れることさえあります。
もうひとつ、スライドの隅に写っているのはウイトラコチェです。これはトウモロコシの病原菌ですが、メキシコの農家はそれを食材にする方法を見つけました。今ではメキシコの名物のひとつです。トウモロコシの病原菌、つまり敵が、おいしい友に変わったのです。
畑には廃棄物もあります。カボチャの雌花は実になりますが、雄花は地面に落ちるだけです。その雄花が、今では多くのメキシコ料理に使われています。畑にいる種を友、あるいは少なくとも利益に変えることで、畑とより持続可能に暮らしているのです。とても美しい例なので、後でまた触れます。
友でも敵でもない「寛容」という関係性を探る

ここから、これから友になりうる種の話に移ります。この数年、身の回りの種を見る力が上がるにつれて、実はどれだけ多くの種がいるかがわかってきました。
私たちは「Never Home Alone」というグローバルなプロジェクトをiNaturalist上で行っていて、一緒に暮らしている種の写真を誰でも投稿できます。これまでに、人々の家から9,190種の写真が投稿されました。そして私たちは、その多くを敵だと思っています。
でも、それらを友として見て、どんな利益があるのかを考えるとどうでしょう。私は特に、私たちを助けてくれるクモのことをよく考えます。日本からの投稿はまだ多くありませんが、いくつかあり、日本の家庭で見つかった種もこのプロジェクトで見られます。
このプロジェクトを通して、私は友でも敵でもない第三のカテゴリーについて考えるようになりました。私の大好きな一茶の句があります。
『隅の蜘蛛案じな煤はとらぬぞよ』
(部屋の隅にいるクモよ、心配するな。お前を取るような大掃除はしないから安心していいよ、という句)
この句が好きなのは、第三のカテゴリー、つまり「寛容」を示しているからです。
敵を見つけ、その美しさを見つけ、ただ居場所を与える。それはどういうことでしょうか。このクモは一茶の友かもしれませんが、単に一茶と一緒に暮らし続けている別の種なのかもしれません。
日本で一番良い「友」と「敵」の例は何か。日本では敵を友に変えてきた歴史をどう考えられるのか。皆さんとグループで、もっと話したいと思っています。
PART 4|なぜ、新しい友は生まれにくくなったのか
新しい友をつくらなくなったのは、化学肥料が農家を「持続可能性」から切り離したからだ
ここで、友情と敵についての一般的な理論を考えてみます。トークの最初に、私たちがいかに少ない種に頼っているかという現実を紹介しました。この100年で起きた一般的な変化の一つを、ゆっくり説明します。
伝統的な社会は、より多くの種をパートナーにすることで、食べ物や持続可能性、風味、喜びという形で報われてきました。この最初の点に注目すると、それはしばしば大きな気候変動や社会変動の時代に起きていました。
メキシコのミルパで言えば、古代メキシコの農家はより多くの種から利益を得る方法を見つけることで、その土地でずっと暮らしやすくなり、土地を持続的に使えるようになりました。それは文化として報われ、成功として報われ、存続として報われたのです。
ところが、ハーバー・ボッシュ法で窒素を工業的につくれるようになると、化学肥料が安くなり、農家は持続可能性に気を配る必要から解放されました。そのため、私たちは他の種との友情の伝統を数多く失いました。大切だった友情が、周縁的なものになってしまったのです。
「もみ殻」は、かつて廃棄物ではなかった
2つ例を挙げます。私の研究室の元ポスドク、ヴェロニカ・シノーテさんは、スコットランド北部で「ソーワンズ(sowans)」を研究しています。かつてオーツ麦の農家は、オーツのもみ殻という廃棄物を発酵させてソーワンズという食べ物をつくり、それを楽しんでいました。廃棄物を食べ物に変えてくれる微生物との友情です。でも農業が工業化するにつれて、その関係は変わり、ほとんど失われてしまいました。
同じように、私たちは最近、ブルガリアでアリを使ってヨーグルトをつくる方法を研究しました。牛乳にアリを入れると、アリの微生物が牛乳に入って発酵し、ヨーグルトになります。アリへの直接的な依存です。アリと牛とヨーグルトの微生物、そしてその土地とつながる方法でしたが、ヨーグルトの大規模な商業化によって失われました。今も残ってはいますが、珍しいものになっています。

https://doi.org/10.1016/j.isci.2025.113595
もみ殻は、ここでとても興味深い言葉です。植物のうち私たちが使わない部分ですが、かつてはそれを使えるようにしてくれるパートナーの微生物を見つけていました。今では廃棄物を指す言葉になっていますが、かつては別の使い道があったのです。
チーズづくりも同じです。カード(凝乳)とホエー(乳清)で言えば、ホエーはかつて友情を支えるとても大切な食べ物でしたが、多くのシステムの中で廃棄物になってしまいました。
大きな「必要」の時代に、新しい友は生まれてきた
3つ目の点に移ります。歴史的に見ると、私たちの新しい友情の多くは大きな必要に迫られた時代に生まれてきました。そして今、私たちは気候変動や社会変動によって、地球規模で大きな必要に迫られています。だから新しい友を見つけることは、面白いだけでなく、とても重要だと思います。皆さん40人がしていることはとても美しく、同時にとても意義のあることだと思います。
では、私たちが敵と見なしている周りの種に目を向け、もっと多くの種を良い関係に迎え入れる文化的なムーブメントを、どうつくればいいのでしょうか。
4つ目の点は、私たちの周りの世界は、かつて考えていたよりずっと多様だということです。私が大学院生だった頃、地球には100万種の生きものがいると考えられていました。今では、昆虫だけで800万種いるかもしれず、そのうち700万種にはまだ名前がないと考えられています。細菌は1兆種いるかもしれないのに、名前があるのはそのうち3万種だけです。潜在的な友の数は途方もないのです。その力、その可能性をどう活かせばいいでしょうか。
ハトの糞は、かつて大きな恩恵だった
私はハトが最も面白い例の一つだと思っています。ハトはかつて本当に大切な存在でした。食べ物として、美しさとして、そして糞としても大切だったのです。
これはイランの鳩小屋(ダブコート)で、数万羽のハトを収容できます。人々は下の扉から中に入ってハトの糞を集め、農業に使っていました。ハトはかつて大切な友だっただけでなく、今私たちがハトの問題だと思っている糞が、かつては大きな恩恵だったのです。
私たちの見方は、なぜ変わったのかをあまり意識しないまま変わってしまうことが多いのだと思います。

むすび|どんな種と、どんな未来をつくるのか
立ち止まらなければ、未来は1万2千年前の獣道の上に積み重なっていく
最後にもう一つ話をします。皆さんが一緒に取り組んでいることは、本当に美しく大胆なことだと思います。その一番大事な点の一つは、私たちには自分たちが望む未来を考える場がとても少ないということです。地域の会議でも企業の計画会議でもそうです。まして、未来にどんな種と一緒にいたいかを考える場はもっと少ない。私の地元、ノースカロライナ州の例を紹介します。
都市計画者や建築家は未来をつくっていきます。AIのリーダーたちも未来をつくっていきます。私たちが地球規模の対話に加わるかどうかに関係なく、彼らは未来をつくります。そして今つくられているものは、人間と生きた世界との関わりに長く影響を残します。
今のところ、未来は過去の上に積み重なっていきます。これはアメリカ南東部の地図で、私が暮らすノースカロライナ州、サウスカロライナ州、ジョージア州です。黄色が今の都市、赤が私たちが予測した将来の都市です。南東部には巨大な一つの都市が生まれると予測していて、シャーロットからアトランタまで続くので「チャーランタ(Charlanta)」と呼んでいます。実際、ほぼそのとおりになりつつあると思います。

https://doi.org/10.1371/journal.pone.0102261
この論文を発表した後、私はなぜそこで都市化が進むのかを考え始めました。主な理由は、青で示した州間高速道路I-85です。道路があると新しい家を建てやすくなり、都市どうしがつながりやすくなります。
では、なぜこの道路はここにあるのでしょうか。都市化という芋虫を伸ばしているのはこの道路です。時代をさかのぼると、道路はかつての鉄道路線とほぼ重なっていました。つまり、未来の都市化は道路の位置で決まり、道路は鉄道の位置で決まっている。私たちは能動的に決めているのではなく、過去の層の上に未来の層を一枚ずつ積み重ねているのです。
では、なぜ鉄道はそこにあるのか。地図の濃い青は、ヨーロッパ人が来る前に先住民族が使っていた植民地化以前の小道です。鉄道はその古い小道の上に建設されたようです。未来の都市は道路の上にあり、道路は鉄道の上にあり、鉄道は古い小道の上にある。これは驚きでした。
さらにある考古学者に話を聞くと、「その小道があるのは、そこが古いクローヴィス文化の狩りの道だったからだ」と言われました。1万2000年前、人々はたいてい川沿いを移動していましたが、南北に移動するときは川を渡りやすい場所を通りました。そこは、今は絶滅した大型動物を追って狩りをするときに川を渡る場所でもあったのです。
つまり、アメリカ南東部の未来の都市は道路に頼り、道路は鉄道に頼り、鉄道は古い小道に頼り、その小道は絶滅した大型動物が通った道に頼っているのです。この話から私が受け取るのは、立ち止まって自分たちが望む未来を考えなければ、私たちは過去の層の上に次の層を積み重ねるだけだということです。
そして、その道が示すとおりに建設し続けることになります。だからこそ、何を望むのか、誰とパートナーになりたいのか、どんな未来をつくれるのかを考える時間が必要なのです。その時間を取る人はごくわずかですが、皆さんがまさにその時間を取っていることははっきりしています。

(チャットコメント:「日本でも、東海道から現代の高速道路へと同じパターンが起きています」)
素晴らしい例ですね。これは何度も繰り返されてきたことで、私たちがつくる未来のメタファーでもあります。この場合、その道がたまたま都市にとって理想的な場所で、絶滅した大型動物にとって理想的な場所や道と完璧に重なっていたのか。あるいは、私たちが能動的に決めることをせず、1万2000年分の「いつもどおり」の意思決定に囲われた世界をつくってしまったのか、どちらかです。だからこそ、このシナリオを変えるために能動的な選択をする必要があるのです。
Q&A
参加者がチャットに書いた質問やコメントに、ロブさんが答えました。進行はケルシー、通訳はケイレンが担当しました。質問文はチャットの内容をもとに短く整えています。
Q. 他の種にとっての「利益」は、繁殖を助けること以外に何がありますか
他の種と相利的な関係を築こうとすると、まずその種の繁殖を助けることが思い浮かびます。それ以外にどんな可能性があるでしょうか。他の種から見た「利益」とは何かを考え直す機会だと感じました。
ロブ・ダン氏: 素晴らしい質問です。少しお話ししますが、これからも話し続けたい豊かな問いです。
あなたの裏庭や近所に暮らす種は、私たちに何を求めているでしょうか。ある種がいちばん求めているのは、放っておいてもらうこと、居場所を与えてもらうこと、自分の声を出せる場所を与えてもらうことかもしれません。
他の種と話すことは、少しずつ簡単になってきています。クジラとも話せるようになり始めています。だからもうすぐ、ある種に「何がほしいのか」と尋ねられるようになるでしょう。それはとても面白いことですが、私たちがしたくないことを言われるかもしれません。もしクジラに「サメを全部殺してくれ」と言われたら、どうしますか。大事なのは、他の種との関係は「ぐちゃぐちゃ」になりうると認めることです。
それでも、裏庭にいる種だけでも考え続けることはできます。それぞれの種が何を求めているかのリストをつくってみたらどうなるでしょう。あなたの花は、送粉者として何千匹ものハチを求めているでしょうか。種を特別な方法で運んでほしいのでしょうか。それは私たちの暮らしに何をもたらすでしょうか。目に入る種の一つひとつに「あなたは何を求めているの?」と問いかけながら歩く散歩は、どんなものになるでしょうか。
Q. 厄介な種を深く知ることで、新しい友情を築けるのでは
本当に厄介だと感じる種を深く知ることで、その種と新しい友情を築ける可能性が生まれるのではないでしょうか。(コメント)
ロブ・ダン氏: とても良い考えだと思います。多くの人は都市のハトをとても厄介だと感じています。でも面白いことに、同じ一つの都市の中にも、ハトを美しいと思う人、おいしいと思う人、役に立つと思う人がいます。
どんなに厄介な種でも、人間は一つの場所の中でさえ違う角度から見ることができます。それは、その人自身の経験によるのかもしれません。その種の最悪の面を経験しているのか、それとも離れたところから見ているのか。ネズミも、自分の家にいなければ愛しやすいものです。
Q. 私たちが失おうとしているものの大きさに衝撃を受けました
このレクチャーを聞いて、私たちが失おうとしているものの規模の大きさに衝撃を受けました。(コメント)
ロブ・ダン氏: 私たちが失いうるものの大きさは本当に驚くべきものです。でも同時に、人は今あるものに驚くほど強くしがみつくこともできます。
私たちはウクライナの市民科学者と一緒に活動してきましたが、彼らは戦争の最中でも身の回りの種を調べ続けています。戦争中でさえ、人々は木を見て、花を見て、蝶を見て、カタツムリを見ている。私にとってそれは、こうした関係がそれほど大切だということを意味しています。
Q. 生態系の変化に、どう向き合えばいいですか
生態系の変化が起きています。私たちはどう対応すればいいのでしょうか。
ロブ・ダン氏: どれも素晴らしい質問ですが、これは本当に難しい問いですね。どの変化に対応するのか、いつ行動するのかをどう選ぶか、という問いだと受け取りました。
たとえば気候変動によって、中米から多くの新しい種がアメリカに入ってくることがわかっています。その多くは、最初は敵として見られるでしょう。これからやってくる種とどんな関係を築きたいのか、その関係をどうすれば早く見つけられるのかを考えることは、大切な仕事になると思います。そして、本当に危険な種はどれで、友にできる種はどれなのかを見極めることも。
Q. なぜ私たちは、他の種を厄介者と見なすようになったのですか
ロブ・ダン氏: 私たちが種を厄介者と見なしやすくなっている要因はたくさんあると思います。一種の清潔さを重んじるグローバルな文化があり、すっきりした直線を重んじる建築の伝統があります。自然に対する資本主義的な向き合い方もあります。時間と忍耐も足りません。寛容さを育てるには忍耐が必要だと思います。そしてデジタルの世界に意識が向くことで、私たちは生きた世界を見なくなっています。
Q. 相利共生は、数式で定義できますか
ロブ・ダン氏: はい。人間以外の関係、たとえばアリと、アリのために住まいをつくる植物の関係なら、アリの適応度(子をどれだけ残すか)と植物の適応度の関数として、相利共生を数学的に定義できます。人間以外の文脈では、その関係をストレートに式に書くことができます。
でも人間は、パートナーシップにいろいろなものを求めることが多いのです。今の人間の場合はもっと難しくなります。私は子どもを増やしたいからイヌを飼うのでしょうか。イヌがあなたの適応度、つまり子どもの数に与える利益は、イヌを飼う理由ではありません。麹菌の恩恵も、子どもを増やしてくれるからではなく、おいしいからです。だから今日の私たちの関係はもっと複雑で、数式にするのはもっと難しいのだと思います。
見る場所が変われば、同じ虫も違って見える
ロブ・ダン氏: (昆虫についてのコメントを受けて)どこでその種を見つけるかによって見え方が変わる、というのは本当にそのとおりだと思います。それは、人間の脳にも「謙虚さ」があることを示しています。
Q. 害虫との敵対関係を、どう考えればいいですか
ロブ・ダン氏: 害虫との単純な敵対関係についても、忍耐が必要だと思います。害虫を見つめ、注意を払い、好きになれなくても美しさや面白さがあると気づくための忍耐です。私たちは、忍耐を持ち、注意を払う方法を見つけなければなりません。
ここで小林一茶の句がよい例になると思います。一茶はクモや蚊に深い注意を向けていました。彼にとってそれらは厄介者であり、同時に仲間でもありました。彼らにも価値があると認める謙虚さを、私たちはどうすれば持てるでしょうか。謙虚さは私たちみんなのためになると思います。家族に言わせると、私も例外ではないそうです(笑)。
一茶は、家の中の生きものについて何百もの句を詠みました。もう一つ思い出す句があります。
『やれ打つな蝿が手をすり足をする』
(叩いて殺してはいけないよ。ハエが手やすねを擦り合わせて、まるで『命だけは助けてくれ』と命乞いをしているようではないか、という句)
ハエもまた、一つの瞬間を生きています。一茶のような謙虚さを持つには、何が必要なのでしょうか。
ロブさんから最後のひとこと
ロブ・ダン氏: 最後にひとこと。他の種とのパートナーシップについて考えるとき、私は自分の経験や、よく知っている土地という荷物を持ち込んでしまいます。だから、これからこのグループで対話を続ける中で、皆さんにとって大切な、皆さん自身の経験に結びついた例をもっと学びたいと思っています。皆さんから、もっと学ばせてください。
クロージング
最後に、プログラムディレクターの浦野が次のように振り返りました。
「ロブさんのトークはたくさんの事例を交えたものでしたが、最初に相利共生の話がありました。コーポレーションは、人間どうしのように同じ種が同じ利益を求めて協力すること。一方でロブさんの言う相利共生は、異なる種が一緒に利益を得ようとすることです。イルカと人間が一緒に狩りをするように、同じ意志を持っていなくても相利的な関係が成り立っている。互いにうまく使い合って利益を得て、互いにリスクを取り合う関係が生態系の基本で、そこから離れたときにおかしなことが起きる。そういうお話だったと思います」

編集後記
小さい頃、祖母に「クモは神様だから殺しちゃだめ」と言われて育ちました。こうした言い伝えにも、「寛容」や「謙虚さ」をもって周りの生きものとの関係を捉え直すヒントが隠れているように思います。日本の暮らしに残る「第三の関係」を探すことは、厄介ものとの付き合い方を考える手がかりにもなりそうです。自分と他の生命との関係性について捉え直す素敵な機会となりました。(矢部)














