こんにちは、ライターの杉本です。 普段は「greenz.jp」や「雛形」などのWebメディアで、主にインタビュー記事を執筆しています。 昨秋、ロフトワークのディレクター・堤さんのお誘いで「ロフトワークの多様な背景を持つメンバーや、その仕事を紐解くインタビュー」をはじめました。今回お届けするのは「ロフトワーク京都の立ち上げメンバーによる座談会」です。

ロフトワーク京都立ち上げメンバーの3人(左から川上、国広、田根)

ロフトワークが京都オフィスの立ち上げを決めたのは、2011年5月。あの東日本大震災からわずか2ヶ月後のことでした。代表の林千晶さんは、何の前ぶれもなく朝のミーティングでスタッフに発表しました。

「京都オフィスを立ち上げるから行きたい人は手を挙げて〜!」

すぐさま、国広信哉さんと田根佐和子さんがサッと手を挙げるのを、横目で見ていた川上直記さん。2時間ほど経ってから、林さんのもとに向かいました。「さっきの件ですけど、僕も手を挙げていいですか?」 ーー今改めて読んでいただきたい、ロフトワーク京都オフィスはじまりの物語です。

テキスト=杉本恭子
写真=北村渉

3人だけで京都オフィスに引っ越してきた

――みなさんは、そもそもなぜ京都オフィスの立ち上げメンバーに立候補しようと思ったのですか?

国広 もともと関西出身だったから、いつかは帰りたいと思っていたんです。ちょうど、僕が入社したその週に東日本大震災が発生して、「これは帰るタイミングじゃないか」という気持ちが強くなっていました。そこに、京都オフィス立ち上げメンバーの募集があったので手を挙げたという感じです。

田根 私も、やっぱり震災は大きな理由だったと思います。東京を中心とした社会のあり方に少し疲れていたタイミングで東日本大震災が起きたんですけど、大きな出来事だったにも関わらずそのあり方が変わりそうにないと感じてしまって。「このまま東京が変わらないなら、自分のほうを変えよう」と思っていたタイミングだったので、「はい、行きます!」と。

川上 いや、それでもその場で即決するのはおかしいでしょ。場所も決まってなかったし、拠点をつくることが何を指しているのかさえわからない状態だったのに(笑)。

実は、すでに林さんが「拠点を広げよう」と考えはじめていたのは知っていたんです。しかも、いわゆるシニアディレクター* 層のなかで関西出身は僕だけ。ここで僕がスルーっていうのも格好がつかないと思って手を挙げました。 ※ロフトワークのクリエイティブディレクターを束ねる、リーダー的な役職

リーダーとして京都オフィスの立ち上げメンバーに加わった川上直記

――立ち上げのときは、この3人だけでオフィスに引っ越してきたんですか?

川上 はい、引っ越した後は3人だけです。渋谷のメンバーがココン烏丸* に場所を決めるところと、仕事ができる環境だけは整えてくれて。 ※四条烏丸にある複合商業施設。4階以上はオフィスフロアになっている。

田根 いやー、広々していましたね。当時は、渋谷オフィスとFaceTimeで接続したモニター越しに「おーい!」と声をかけあったりしていました。

30脚の椅子と業務用冷蔵庫を備えたオフィスにたった3人でスタートした京都オフィス
モニターで渋谷のオフィスと常時繋げることで、遠隔でも気軽なコミュニケーションがとれるよう工夫した

国広 最初の頃は、毎週のように3人で飲みに行ったりしていたよね。

川上 今思うと、この3人の組み合わせはバランスが良かったと思います。僕は日常が好き、国広さんは非日常的が好き、田根さんは僕らとは別の価値基準を持っていて、全然タイプが違うから、干渉もしないし利害もない。それぞれ個人主義で自分の好きなことに向き合いつつ、必要なタイミングでは協力し合うこともできました。

京都でのネットワークはどうつくっていった?

――新しいオフィスの立ち上げを任せられることについては、どう捉えていたのですか?

川上 視点を変えて、「チャレンジして失敗をさせてもらえる環境で、ベンチャーを起業する」と捉えるとすごく恵まれていたと思います。しかも、ロフトワークのバリューを武器に持っていて、ココン烏丸という最高の拠点も用意されているわけですから。

田根 ロフトワーク創業期は社内の部署がそれほど別れていなくて、ディレクターが案件を受注するところから納品までをひとりで担当することが普通でした。私はその頃から在籍していたので、「昔に戻ったなあ」という感じで違和感はなかったです。

――3人とも関西出身とはいえ、ロフトワークとしては初の拠点づくり。どうやって、ネットワークを広げていったのでしょうか?

田根 そうそう。京都に友だちはいるけれど、ビジネスのネットワークがなくて。林さんや諏訪さんから「週末の3日間で起業に関するイベント『Startup Weekend Japan』が京都であるから行ってきなさい」と情報をもらって全員で参加したりしましたね。

国広 他にも、『DESIGNEAST』などのイベントに参加して、いろんな人にあいさつをして回ったりしました。できるだけ多く足を運ぼうと思ったのは、まだ完成していないけどこれから面白くなりそうな場所。当時は京都もコミュニティが多くなくて、面白いものが生まれ始めたタイミングだったんです。そのおかげで京都のコミュニティやつながりも把握できたし、自分たちのことを知ってもらえたのは良かった。

大阪で毎年開催され、デザイナー、建築家、編集者など、多彩なクリエイターが集まるデザインイベント「DESIGNEAST」にて

――その時に知り合った方と、今でもお付き合いされることはありますか?

田根 もちろんありますよ。でも知り合った方々と無理に関係を維持しようとしたことはないんです。必要なタイミングで自然とゆるやかに関わりを持ったり、持たなかったり。それが東京のコミュニティとの大きな違いではないかと思います。

川上 自分たちの足でかせいでつながりを広げていくのもあったけど、入居したココン烏丸も良かったと思う。京都精華大学のサテライトスペース『karas』や京都シネマ、α-station(京都FM)の本社などがあり、当時はカヤック、ゆめみ、1→10などの同業他社も入居していたんです。一緒に忘年会をしたり、五山の送り火を屋上から見たりするなかでゆるやかなつながりも生まれました。また、林さんや諏訪さんも、積極的に京都のキーパーソンを紹介してくれて。

田根さんという存在もまた、京都オフィスの発展の強みでしたね。もともと、世界中のクリエイターとオンラインでつながって、イラストなどのコンテンツを制作するのが得意だった田根さんは、京都でも同じ仕事ができた。また、関西在住のクリエイターとのつながりから、新しいネットワークを広げる役割も担っていたんです。

”ロフトワークらしさ”をどう引き継いでいく?

――当時は、「ロフトワークといえば渋谷」というイメージも強かったし、すでに独自の文化ができあがっていたと思います。社員3人だけで新しい拠点をスタートアップするなかで、「会社の文化を受け継いでいく」という意識はありましたか?

川上 京都オフィスの責任者として、プレッシャーはありましたね。林さんと諏訪さんからは「小さい東京にはなるな」「京都ならではのことを探しなさい」ということしか言われていなかったんですよ。早い段階で、京都オフィスとしての売り上げ目標は達成できていたけれど、それだけだと代表の2人は「面白くない」と言うのもわかっていたので。

田根 私は、逆に一切プレッシャーを感じていなかったです。私や川上が入社した2006年頃にはまだ、「ロフトワークってこうだよね」というものは明確ではなくて。みんながそれぞれに勝手にやっていくうちに醸成されていくのが「ロフトワーク」だったと思う。だからいつも通り仕事に打ち込みさえすれば、いろいろな共創が積み重なって、自然と「ロフトワーク京都らしさ」になるだろうと感じていました。

現在はMTRLのコミュニケーターとして、企業とクリエイターを繋げる活動を担当している田根佐和子

川上 最近思うのは、京都も東京も同じ日本だし、そんなに違うわけではない。結局は人なんだと思います。ロフトワーク京都にいる人がどれだけ個人で、かつチームでも何を面白いと感じ、やっていくのか?がロフトワーク京都らしさにつながる。たとえば、国広さんのやっていることの色が濃くなっていけば、それが結果的にロフトワーク京都の色になるんじゃないかな。

そのためには、多くの人とつながる仕組みをつくりながら、多様なメンバーをバランスよく採用していく必要がある。

田根 私はすぐに仕事にならないことも京都らしさだと感じています。顔をつないで、ゆるやかに関係を持っていれば、一緒にお仕事ができるタイミングがくるんですよね。非常に属人的というか、長いおつきあいのなかから仕事が始まるところが、東京との差です。

――渋谷オフィスと比較したときに感じる、京都オフィスの特徴はありますか?

国広 渋谷はいろんな人が行き交っているから、自分のアウトプットに対する意見を気軽に聞ける。他の人の仕事を見て「次はあれをやってみよう」と刺激を受けられる良さがあります。一方で、京都では自分の仕事が凝縮されて、集中できる感じがします。

あと、京都はより個人商店的であり、一人ひとりが担当する仕事の幅が広い。特に、最初は人が少なかったから、自分が苦手なことも含めてやりきらないといけなかった。振り返ると、Webリニューアルも、デザインリサーチもやったし、だいたい何でもひとりでできる力がついてきて、結果的には良かったと思っています。

川上 たしかに。僕は最初の頃はディレクターとしての仕事だけでなく、プロデューサーも兼ねていたし、総務と人事採用も兼ねていました。その役割が分かれていったのは、2014~15年頃。MTRL KYOTOの企画が持ち上がる頃だったと思います。

ホームとしてのFabCafe Kyoto、そしてこれから。

――少し視点を変えて、京都に住む人たちから見てロフトワークはどんな風に受けとめられていると思いますか?

田根 京都の職人や企業の方と話していると、歴史が深いだけにしがらみもあるとお聞きすることがあります。そんな中でロフトワークは、「外国資本みたいな感じ」「自分たちの中からは起きない一気通貫する動きをつくってくれる」と言っていただくことが多いですね。京都側から見ると「新しい風」的な扱い。特に、FabCafe Kyoto/MTRL KYOTOができてからは外部の意見を求める人たちが、気軽にいろんな話が持ち込こんでくれるようになっています。

2ヶ月に1回開催されるFab Meetup KyotoとMaterial Meetup Kyotoでは、毎回京都ならではの素材や技術をもった方々も多く集まり、熱いトークを繰り広げている

――FabCafe Kyotoができたことは、お仕事に対しても変化をもたらしているのでしょうか。

国広 いっぱいあります。たとえば、プロジェクトのなかにハッカソンが含まれるときや、デザインリサーチでプロジェクトルームが必要なときに、FabCafe Kyotoのカフェスペースや和室を利用できるのは大きいですね。プロジェクトにおける手法の選択肢が広がり、やりたいことを実現しやすくなりました。

ココン烏丸のときには、そういう想像力は働かなかったし、やっぱり働く場所は重要なんだなと思います。個人のやりたいことと空間がつながっている感覚がすごくある。いろんなことができる余白があるから、「こんなこともやってみよう」と思えるし、他の人に対しても「来てね」と言えるホームができたのは、ありがたいなと思っています。

――ロフトワーク京都ができてからの8年間で一番変化したと思うのはどんなことですか?

国広 扱う案件が全然違うなあと思います。当初はWebとイラストコンテンツが多かったけど、今はプロジェクトの種類も数も全く別な会社のようになっています。

川上 ロフトワークはWeb制作会社ではなくクリエイティブ・カンパニーであり、またコラボレーションを通じて課題を解決する会社である以上、時代や世の中が変われば僕らも変化していくことを改めて実感しています。

そのなかで、ロフトワーク京都としての強みが蓄積されて、面白みが広がっているという実感はあります。いろんなバックグラウンドをもったスタッフが集まって来ているので、空間系プロジェクトやオープンコラボレーション、デザインリサーチなど様々なタイプのプロジェクトの経験値が貯まってきていますし、またFabCafe Kyotoという場所を活かして、それらが複合的に組み合わさり始めている。

リサーチをベースにした新規事業案件を得意とするクリエイティブディレクターの国広信哉

――世の中とともに変化していくとしても、やはり変わらない軸のようなものもあるのではないでしょうか。

田根 ロフトワークはずっと、「クリエイティブを流通させる」会社だと思っていて。京都という街でのクリエイティブが職人技やものづくりであるなら、それを欲しい人につなげていく。そのアウトプットのかたちは問わない。その軸を持ったまま、様々な手法を取り入れてアプローチを繰り返していくんじゃないかという気がしています。川上さんはどう思っているの?

川上 ロフトワーク立ち上げ時のミッションだった、「世界中の人々の、機会がなくて埋もれてしまっている創造性を流通させる」という意味での、「クリエイティブを流通させる」は一番の目的ではなくなってきていると思う。今のロフトワークのミッションは、クリエイティブ・カンパニーとして、ロフトワークにしか解決できない難しいことにチャレンジして解決していくこと。クライアントではなく「パートナー」と「コラボレーションするチームである」という軸があって、そこからぶれないようにいろんな人がチャレンジしているのかなと思います。

国広 そうそう、僕もコラボレーションがロフトワークの軸やと思っています。全然違う得意分野を持つ人たちが、いろんな視点を持ち寄ってつくるほうが、何ができるかわからないワクワク感がある。それがロフトワークらしさじゃないかとも思うし、ただきれいな気持ちの良いものだけを作るのではなく、人の心を動かすものをつくるのが役割なんです。京都は東京に比べてコンパクトなので、そういったトライ&エラーが実行しやすい。

川上 これまでは、新規事業のアイディアを考えたり、機会領域の発見を手伝う、未来への種まきのようなプロジェクトが多かった。ですが、プロジェクトで生まれた面白いアイディアも、形にして世の中に出さないと意味がなくなってしまう。

ありがたいことに、ここ数年はクライアントと一緒に考えたアイディアを実装して、エンドユーザーに届けられる機会は増えてきています。この流れをもっと増やして、社会に対してインパクトを与えるところまでやりきりたいですね。

――ありがとうございました!

座談会メンバー

川上 直記

川上 直記

株式会社ロフトワーク
クリエイティブDiv. シニアディレクター

田根 佐和子

株式会社ロフトワーク
MTRLプロデューサー / コミュニケーター

Profile

国広 信哉

株式会社ロフトワーク
シニアディレクター / なはれ

Profile

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