こんにちは。FabCafe Kyotoの浦野です。FabCafeでは、領域を横断した有機的なつながりや化学反応を仕掛け、社会にとって面白くてハッピーなものがたくさん生まれていくような環境づくりに取り組んでいるわけですが、今、そうした活動を今まで以上に促す仕掛けとして、レジデンスプログラムをスタートしました。

実は、一見ムダと判断されるようなこと(個人的な欲求や偏愛、オタク的な探究心、遊び心など、すぐにビジネスに繋がらない活動や社会に役立たないこと)が、化学反応を連鎖させ、領域横断のプロジェクトを進めたり、様々な人を巻き込んでムーブメントにしていく上で一番大事な要素の一つだと、私たちは経験から感じているのですが、この感覚を共有するのが非常に難しいなと思っていました。

そんな時に目に飛び込んできた東北大学のプレスリリース。なんと「自然界の『ムダの進化』が生物多様性を支えるということを論理的に提示した」とのこと…!これは研究されている先生とぜひ直接お話ししてみたい!ということで、この研究を進めている東北大学の近藤倫生教授へ思い切って連絡をしてみたところ、快く取材に応えてくださいました。本コラムでは、多様性やムダについての生命科学的見解について、近藤倫生教授へインタビューした様子をお届けします。

ムダは多様性そのもの。生態系は競争なんてしてない

— 初対面の見知らぬ者からのインタビューにも関わらず、お引き受けいただきありがとうございます!先生は長年、生態系における多様性をテーマに研究されていますよね。最近でも、群集生態学の論文を出されています。私たちも、FabCafeという場の運営をしながら、多様性は大切だと伝え続けていますが、生態学的にどう考えられているのかは気になるところです。

近藤 こういう連絡はあまりないのでびっくりしました(笑)。実は「どうして多様性が維持されているのか?」については、生態学でも長年証明されていない大きな問題なんですよ。

— 生物多様性って証明されてないんですか!?

近藤 そうなんです。生態学の理論と実際の現象が矛盾してしまうんですよ。まず、競争があるはずなのに多種共存しているという点。ふつう、2種類の生物が似通った環境を利用しようとすると、片方がもう片方を排除しようとする力が絶対に働きます。企業も一緒ですよね。そうなると、お互いに影響しあわない環境を整えることで共存しようとしそうですよね。実際、60-70年代の多くの生態学者はそう考えていたわけです。でも実際の生態系ではそんなにきれいにお互いのテリトリーを切り分けられていないんですよ。たとえば植物にとっての資源はみんな日光と土からの数種類の栄養だけですよね。同じ資源を共有しているのに何百万種類も共存できている。これは、ずっと生態学における大きな問いだったんです。

もうひとつの矛盾は、複雑なものは不安定なはずなのに安定的に維持されている点。普通に考えると、複雑なシステムほど壊れやすくて、シンプルなシステムなものほど強い。ハサミが壊れにくくて、パソコンが壊れやすいみたいに。でも、実際の生態系はすごく複雑なシステムが入り組んでいるのにもかかわらず、安定的に維持されているんです。これも説明されていません。

— 多様性が大事というのは説明しにくいことだと思っていましたが、生態系でも事実として起きているにも関わらず証明できていなかったとは驚きです…。

近藤 でしょう? そこで、これらの問いに対して今回僕たちが「ムダの進化」の研究の中で立てた仮説は「実は生物は競争なんてしていないんじゃないか?」ということなんです。競争が加速される時は拡大再生産が行われている時なんですが、意外と生物は手に入れた余剰エネルギーを拡大再生産に回していないんじゃないか?と。たとえば、鳥なら派手な羽で飾りたてたり、求愛の踊りを工夫するためにエネルギーを使っている。生産性を考えるとムダな活動です。でもこういう活動は他の種にとっては何の損にもならないわけです。だから競争が起きずに共存できているんじゃないかと。

「ムダの進化」を説明するために近藤先生たちが作成したイラスト

だって、僕たちに関して言っても、お金持ちってムダなもの買うじゃないですか(笑)だから世界って面白いですよね。みんなが踊ったり歌ったり、変なことして、いろんな人がいるから楽しい。皆が稼いだお金を使って金を増やして生活を質素に暮らすとか、嫌じゃないですか。ムダに高い車買ったりするわけですよね。

ムダは企業が「三方よし」であるためのキーワード?

— そもそも、「ムダ」の生命科学的な定義ってなんなんでしょう?

近藤 難しい質問ですね(笑)でも私が思うに、何かをムダと断じることって「私は XXの価値軸に決めた」という宣言の裏返しなんじゃないでしょうか。価値観というのは色々あると思うんですが、その指標をひとつに決めた時に、ムダという考え方が生まれてしまいますよね。あと、「全体」という価値観の捉え方もポイントだと思います。全体にとって良いことと個人にとって良いことって違うじゃないですか。たとえば、「日本社会にとって良い」とか「みんなのために」という言葉ってすごくパワフルだから、つい皆深く考えずにその言葉に従ってしまう。でも実際は「日本社会」という人物はいなくて、私たちは全員個人じゃないですか。全体を話すときの価値軸と個人の価値軸を対比をすることで、その文脈におけるムダが何なのかはっきりしてくるのかなと思います。

— たしかに、社会とか企業という言葉を使えば使うほど、対象や判断基準があやふやになっていく感覚はあります。

ムダの進化の例として、鳥たちの色鮮やかな羽や求愛ダンス、カエルの鳴き声などの「メスにモテるオスの特徴(先生たちは『モテ形質』と呼んでいます)」を挙げています。他の種にはムダな孔雀の羽も、孔雀のメスからはモテる要素になっています。

近藤 企業って儲けなければいけないって思ってますよね。でもあれって本当にそうなんでしょうか?儲けるって誰にとっていいんでしょうね? たとえば、ムダは誰にとってもムダなわけではないんですよ。ある階層にとってはムダかもしれないけど、ある階層にとってはムダじゃないんです。着飾っている鳥は、他の種類の鳥からみたら、ムダだな〜と思うかもしれないけれど、着飾っている鳥は、同じ種類のメスからはモテるわけです。

人間社会の幸せを考える時も同じだと思うんです。たとえば、会社と社員と社会という3階層くらいで考える必要があって、会社がハッピーならそれだけでいいのか?社員にとって、社会にとってどうなんだ?ってことを考えないといけないと思うわけです。

— 社会っていう概念も無視できないですよね。やっぱり社会という言葉は厄介だなあ。

近藤 近江商人の経営哲学で「三方よし(※)」という考え方があって、自分の核になっているんですが、究極それを実現できないと人って幸せじゃないってことだと思うんですね。私は、人が幸せを感じるのは、「俺いいね」って思えることと、「この社会いいね」って思えることの両方が実現できている時だけだと思うんですよ。いくら自分が良い思いをしていても、そのせいで周りの人が不幸になっていたら、なんか喜びきれないですよね。結局「俺いいね」ってならないんですよ。その逆もあって、社会がどんどん良くなっていても、自分が損したり不幸になった感覚があったら、社会を恨むじゃないですか。幸せかどうかはお金じゃなくて、社会と自分の関わりの中から生まれていくと思うわけです。それを言い当てているのが三方よしという言葉だなと思っているんです。
(※ 売り手と買い手が満足すると同時に、社会に貢献できてこそよい商売といえるという考え方)

— 実は、私たちもCounterPointの募集条件を考えるときに「社会のために良いこと」というニュアンスを入れなかったんですが、まさに近藤先生の考えに似ています。「社会のため」という言葉はパワフルなだけに、「俺いいね」を無視できてしまう。でも「俺いいね」を無視した世界にハッピーは存在しないと思うんです。うまく説明できないけれど、面白いと思うものや幸せを感じるものを大切にしたいですよね。

一方で、私たちが普段仕事をする中で、個人レベルでは「俺いいね」の大切さに共感する方がほとんどなのですが、組織を背負った瞬間難しくなってくる。このギャップをどう埋めるか、いつも悩みながらプロジェクトを進めています…。

近藤 そういう点でもやっぱり核になる人は大事ですよね。「合理的な決め方」をしようとすると失敗するし、多数決とかしちゃうと最悪ですよね!1番良いのは、熱量があって「これ面白いやろ〜〜〜〜〜!!!!」っていう人をいかに探すかというのが大事だと思いますね。なかなかいないですけどね(笑)

オープンだからこそ研究は面白くなる

近藤 ムダの話とは逸れてしまいますが、FabCafeの運営自体にもすごく共感していますよ。なぜかというと、私の研究室の運営とそっくりだからです。科学研究とは常に新しいことチャレンジしなければいけないので、ラボの運営者だけで考えるのには限りがあります。そこで、新しい知識やアイデアが集まるような「エコシステム」を作ることで研究室を活性化させています。具体的にはどうやっているかというと、普通、研究室で何か技術を持っていたらオープンにはせず、技術がほしかったらチームに参加してね、というスタンスです。

でも私たちは、技術でも情報でも全部公開することにしたんです。そうすると、いろんな人が声をかけてくれるんです。そういう方々ひとりひとりとお話して、情報も全部渡す。それを方々でやると何が起きるかというと、研究室がハブになるんですよ。「近藤さんのところに行ったらおかしな奴がいる」という認識になって、「近藤さん、△△な人知らない?」と、どんどん声をかけてくれるわけです。そうなると情報は勝手にどんどん入ってくるし、情報発信も活性化され、面白い研究がたくさんできるんです。

— なんと、研究室の運営とFabCafeの場作りが同じとは!そして、CounterPointの条件として「活動プロセスを公開すること」を条件としていることにも通じます。また、FabCafe Tokyoが2011年からオフィスシェアしている仲間の多国籍エンジニアによる市民科学グループ「Safecast」の活動とも共通するものがあり、すごくその信念に共感します。

関連リンク:SafecastがFabCafe Kyotoで開催したワークショップの様子

2011年3月11日に起きた東北地方太平洋沖地震の一週間後に活動を開始したNPO団体「Safecast」。市民が正しい情報を自ら獲得することで、それぞれが考え行動をすることを目的に、エンジニアたちを中心に放射線測量機の作り方を市民に伝えると同時に、市民が集めたデータが常にオンラインで閲覧できるシステムを構築。今も世界中に活動を広げている。

舞鶴湾での調査の様子

近藤 オープンデータの例でいうと、環境DNAという、水や土壌から生き物の情報を得るための技術を開発したんですが、2019年から全国の大学の研究室に協力してもらって、観測点を作ったんです。水を分析するキットを送っておいて、毎週水を汲んで調べてもらい、そのデータを集めて私たちが分析するという流れです。ポイントは、水のデータを分析してあげるかわりに、そのデータをオープンにさせてもらうんです。

このデータベース構築を進めて、川や海の動植物の天気図のようなものを作ってみたいと思っているんです。そうすると、気象観測のように、いろんな業界の人が活用できるようになっていくと思うんですよね。

この活動をしている理由はシンプルで、データって、活用されて初めて価値を持つので、自分たちだけで持っていても意味がないと思うんです。

— ロフトワークやFabCafeも、常にオープンであることで予想外な展開が生まれてきているので、共感しかないです!ぜひ市民科学のアプローチで何かご一緒できたら嬉しいです!

近藤 やりましょう!すぐこうやって安請け合いしちゃうんですよね(笑)楽しみにしています。

ムダに熱中するレジデンスプログラム「Counterpoint」

FabCafe Kyotoでは、好奇心と創造性に突き動かされた不可思議なプロジェクトのための、プロジェクト・イン・レジデンスを開始します。もし今「これ、すごく面白いんだけどきっと社会にとってはムダだ」と思っていることがあったら、まずは私たちとシェアしてみませんか? 衝動や偏愛を大切に、「俺いいね」を起点として、「社会いいね」への接続を試みましょう!

興味のある方は、ぜひこちらからお申し込みください。

FabCafe Kyotoのプロジェクト・イン・レジデンス「CounterPoint」

「CounterPoint」詳細・お申し込み

浦野 奈美

Author浦野 奈美(マーケティング/ SPCS)

大学卒業後ロフトワークに入社。渋谷オフィスにてビジネスイベントの企画運営や日本企業と海外大学の産学連携のコミュニティ運営を担当。2020年にはFabCafe Kyotoのレジデンスプログラム「COUNTERPOINT」の立ち上げと運営に従事。また、FabCafeのグローバルネットワークの活動の言語化や他拠点連携の土壌醸成にも奔走中。2022年からは、自然のアンコントローラビリティを探究するコミュニティ「SPCS」の立ち上げと企画運営を担当。大学で学んだ社会保障やデンマークのフォルケホイスコーレ、イスラエルのキブツでの生活、そして、かつて料理家の森本桃世さんと共催していた発酵部活などが原体験となって、場の中にカオスをつくることに興味がある。

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