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特許庁が実践したデザイン経営とその成果
デザイン経営2019イベントレポートvol.3

2019年7月29日(月)、永田町GRiDにて「デザイン経営2019」を開催した。経済産業省特許庁の『「デザイン経営」宣言』発表から1年。改めて「デザインと経営」を考えるカンファレンスとして、デザイン経営宣言を取りまとめた中心メンバーや実践企業・行政をまじえ、デザインを経営に取り入れる価値とは何か。どんな変化やインパクトを生み出すのかの議論を深めた。当日の内容を4回に分けてレポートでお届けする。

(テキスト/編集:長谷川賢人 写真:加藤甫

ーレポート一覧
vol.1 「デザインはビジョンを具現化する」上場廃止の危機を前に、JINSを救い出した“デザイン経営”の要点
vol.2  パナソニック株式会社コネクティッドソリューションズ社で実践される「現場を変えるデザインのちから」
vol.3 特許庁が実践したデザイン経営とその成果
vol.4 5分でわかる「デザイン経営」の実践

2018年5月に経済産業省特許庁から発表された『「デザイン経営」宣言』は、現代のグローバルな競争環境において、日本の「弱み」として挙げられるデザインへの向き合い方を説いている。

「デザイン経営」の文脈では、デザインには「人々が気づかないニーズを掘り起こす力」が宿るとされる。そして、掘り起こしたニーズに、企業の「価値」と「意志」を照らし合わせることで、既存事業に縛られない事業構想が可能になっていく。言い換えるならば、デザインは企業が大切にしている価値、それを実現しようとする意志を表現する営みでもある。

今回の『「デザイン経営」宣言』を発信した特許庁では、自らこの宣言をもとにプロジェクトチームを発足させ、サービスを変えていくための実践を行ったという。

官公庁という重たいイメージのつきまとう環境で、彼らのチームはいかにして変革を進めたのか。その実例は、大企業をはじめとする大型の組織、あるいは固着化した組織を有してしまっている職場の参考となるだろう。

トークセッションには、特許庁デザイン経営プロジェクトのチーム長を務めた今村亘氏、同チームの外山雅暁氏、そして改革の現場に伴走した株式会社ロフトワークのシニアディレクターである原亮介が登壇した。

日本発イノベーションが、ゆるやかに衰退していく危機感

特許庁の主な職務は、特許、実用新案、意匠、商標制度からなる「産業財産権制度」に関する施策立案とこれら産業財産権の審査および権利付与にある。ただ、日本において特許や意匠の出願件数は、微減ないし横ばいの傾向が続いていた。世界の「5大特許庁」の一角であるものの、特許出願件数で見れば中国やアメリカに次ぐ第3位。

「特許は“イノベーションの源泉”とも呼ばれるため、微減していることに課題を感じていました。日本発のイノベーションがスローダウンしているのではないかと。我々はお客様である出願人の皆様が何を考えているのかを知りながら、変えていく必要があったんです」(今村)

そこで2017年に、まずは、デザインを保護する「意匠法」は、どうあるべきか、どのような変更が必要かを検討するために、デザインや経済等の実務家、デザイナー、学者などから構成される「産業競争力とデザインを考える研究会」が結成された。メンバーの中には、後に『「デザイン経営」宣言』でも役割を果たした、ロフトワーク代表の林千晶の姿もあった。林は「そもそもデザインはプロダクトだけのものではない。デザインそのものの捉え方から考えなくては」と提言し、論点も仕切り直しとなった。

出発点を見直したことに加え、当時特許庁の長官を務めていた宗像直子氏の強い旗振りのもとでディスカッションを重ねると、庁内にも変化が起きていったという。

「長官自らが『この提案はユーザー目線で考えられていますか?』と問いかけたり、『デザイン思考とは何か』といった議論が、幹部の間でも多く出るようになりました。すると、実務部隊である管理職にもユーザー視点やデザイン思考という言葉が広まり、ゆっくりと特許庁全体の空気が変わっていったように思います」(外山)

そして、特許庁は2018年5月23日に、「産業競争力とデザインを考える研究会」の報告書である『「デザイン経営」宣言』を公表した。この宣言をもとに、特許庁自らもデザイン経営を実践するプロジェクトを立ち上げた。

「部署横断型の柔軟な組織」でプロジェクトスタート

同年8月9日に、特許庁はデザイン統括責任者(CDO)を設置し、CDOをトップとする「デザイン経営プロジェクトチーム」が発足した。メンバーは、特許庁では初となる“庁内公募”で集められ、計60名でチームが作られた。特許庁は約2800名の職員がいるため、全体の2%程度の人員である。

「入庁1年目から13年目くらいまでの職員が参加しました。公募制度にしたのは、モチベーションとかこのプロジェクトに対する熱量が大切だと考えたからです。普段、役所の仕事というのは指名される形がほとんどですが、このプロジェクトに関しては自発性が鍵になると踏んだのです」(今村)

特許庁も基本は旧態依然とした「縦割り組織」という感じであったが、このプロジェクトは、「やりたい人が参加する、部署横断型の柔軟な組織」になったと今村氏は振り返る。

プロジェクトチームにはロフトワークも伴走した。登壇者の原を含む6名が参画。まずは60名をUIチーム、海外チーム、国内スタートアップチーム、国内中小・ものづくりチーム、国内サービス・ブランディングチーム、広報チームという6つに分け、それぞれで課題を設定。

半年の期間をかけ、課題についての発見や解決策を見出すべく動き始めた。ロフトワークは6チームの「コーチ」として関わり、毎週4時間、特許庁内に設けたプロジェクトルームに常駐。メンバーからの相談に答えたり、ワークショップなどを開催していった。

このプロジェクトルームの設置には大きな効果があったと、原は語る。

「デザイン経営やデザインプロセスを進める以前に、創造的であることが重要です。そのための心構えやマインドセットを整えることから始めたかったんですね。当初はよくある会議室でしたが、みんなのクリエイティブなベースキャンプとなり、編集や議論をクイックにできる場所にしたかったんです。そこで、クリエイターにも協力してもらい、プロジェクトルームや議論ができる環境を整えました」(原)

「最初は正直疑問だったのですが、プロジェクトルームは本当に作ってよかった。職員は普段からヒエラルキーの中で職務にあたっています。ところが、この部屋に入ると、不思議と縦割り組織から離れて全員が対等な言葉で意見を交わせました。場があることで心理的な安心感が生まれ、自然にヒエラルキーから抜け出せたようです」(外山)

「正しい課題設定」を見つめるダブルダイヤモンドの実践

環境づくりの次には、デザイン経営への理解を深めるための合宿や、実際に特許庁で出願をするユーザーなどにインタビューを実施していった。その数は6チーム全体で240名にも及んだ。この段階から、それまでの特許庁職員に欠けていた視点に気づくことができたという。

「特許庁職員はこれまでもユーザーインタビューは十分行っていると自認していたのですが、“ダブルダイヤモンド”で考えた際の『課題を考える』ためのインタビューにはなっていなかったんです。つまり、引き出したい答えありきで質問をしていた自分自身に気付いていなかったのです」(外山)

“ダブルダイヤモンド”とは、デザインプロセスやデザイン思考におけるシンプルなフレームワークの一種だ。2つのダイヤモンドを描く過程で、思考の発散と収束を行い、「正しい課題の発見・定義」と「正しい解決策の創造」を導いていく。

「これまでの特許庁は、早く、安く、強い権利を取りたいというユーザーの希望を叶えるのがすべてだと思っていましたが、違ったんです。我々に必要なのは観察でした。たとえば、審査で軽微な不備があった場合にも『拒絶理由』という通知がなされるのですが、簡単な修正で是正されるようなものでも、その“拒絶”という言葉が強すぎて、「ダメだったのか」と諦めてしまう出願人の方がいました。実務者からすれば、「通知書に示したようなところを直さないと、このままでは権利がとれませんよ」程度の通知なのですが、いきなり“拒絶”なんて言われたら普通は、びっくりしちゃいますよね。こういった、これまでは、普通だと思っていたことも、特許庁側と出願人側の捉え方にズレがあり、本当の課題が何なのかということを捉えるため、観察とダブルダイヤモンドで検証していきましたね」(今村)

検証の過程で、メンバーにも変化が表れていった。まずは課題の設定から始め、現実のユーザーと対話を行う。その理解が進むにつれ、ユーザーの日常と特許庁の距離を実感できた。そして、課題に対する視点が特許庁からユーザーへ移ることで、自ら思考し、解決策に奔走できるようになる。途中の段階では最終的な落としどころが見えず、困惑した職員もいたが、最後には、仕事に「楽しさ」も覚えていったという。

「ビジョンは夢でなくてはいけない」

6チームはそれぞれ課題と向き合い、プロダクトやイベントの実施といった成果を残していった。

一例を挙げると、国内スタートアップチームは、スタートアップの方が、知財について、まずは何をしたら良いのかわからない、知財の専門家に相談したいがどうしたら出会えるのかといった声を耳にし、スタートアップがまず見るべきウェブサイトIP-BASEを構築した。
IP-BASEでは、「スタートアップを理解する知財人材に出会えない」という悩みを解消するべく、企業内の知財人材や弁理士のプロボノ・副業支援として、それらの知財人材とのマッチングできる会員限定のサービスを提供することとした。

特許庁はこれまで中小企業・スタートアップを一括で捉えて、いろいろな施策を展開してきていた。ところが、ユーザーインタビューの結果、中小企業とスタートアップとでは、スピード感や資金面など全く異なる環境の違いを実感した。そこから「スタートアップ知財戦略」のためのポータルサイトとしての「IP-BASE」を開設するに至った。

他にも、海外チームからは出願に関する翻訳コストを下げる仕組みの検討が始まり、広報チームは「創造の喜びを伝える」ための子供向けイベント「ジュニアイノベーションフェス」を企画。いずれも、これまでの特許庁からは生まれ得なかったアイデアばかりだった。さらに、実現までのスピードも段違いに速い。

 

「企画を実施に結びつけるまでに、絶対失敗することのないように、検討に時間を要したり、せっかく方向性が見えても途中で却下されたり再考を求められたりして、通常は実現までに1年とか2年とかそれ以上かかることもある。ただ、今回のプロジェクトはCDOや宗像長官から、『失敗してもいいから、まずはやってみよう。やってみて、不都合なところは、直していけば良い』と後押しもいただき、チームの提案が半年ほどで形にできるほどスピーディに実現できたものもあります。特許庁の組織も考え方も、ずいぶん変わったと感じましたね。もちろん良い方にですが」(今村)

プロジェクトチームは一定の成果を見たが、次なる課題にも取り組んでいる。

「今回、プロジェクトを進めてみて、プロジェクトとしてのビジョンが欠けていることにも気づきました。ビジョンがなければ、選択肢が出たときの判断ができません。今後はその点についても議論をしていきます」(外山)

「JINSの田中社長の言葉にもありましたが、デザインはビジョンを具現化するツール。その通りだと思います。そして、ビジョンは夢でなくてはいけないと思っています。今年度新しく、2025年の大阪・関西万博を見据え、世界に向けて、未来の知財制度の形を日本から発信するためのプロジェクトを立ち上げました。このプロジェクトにおいて、人材、教育、サービス、そして知財制度はどうあるべきか、未来の知財制度の夢を国民のみなさまとも一緒に考えていきたいと思っています」(今村)

デザイン経営の実践を考えるうえで、特許庁が経たプロセスにはいくつもの学びがある。トップが理解をすること、動きやすい組織をつくること、ヒエラルキーを取り去ること、環境を整えてマインドセットを変えることなどが発見できるはずだ。

セッションの最後に、外山氏は「国税庁や内閣府といった他の省庁も我々の取り組みに関心を持っていただき、問い合わせがきています。省庁としても、これから取り組む企業のためにも、情報をオープンにしつつ、自分たちでもサービスを改善していくため、引き続きデザイン経営を実践していきたい」と言葉を結んだ。

登壇者プロフィール

特許庁 デザイン経営プロジェクトチーム長
今村 亘

1994年特許庁入庁。特許審査官(機械)を経て、2001年に米国プリンストン大学客員研究員。2009年から審判部審判官、2012年から総務部情報システム室企画調査官、2013年から総務部企画調査課特許戦略企画調整官、総務課企画調査官を経て、2014年からジェトロ・ニューヨーク事務所知的財産部長兼、知的財産研究所ワシントン事務所長として知財動向を中心に米国の動向を調査。2017年より特許庁総務部企画調査課長兼、オープンイノベーションプロジェクトチームリーダー兼、ベンチャー・基礎研究支援チームリーダー。2019年4月からデザイン経営プロジェクトチーム長を兼任。

特許庁 デザイン経営プロジェクトチーム
外山 雅暁

Valand School of Fine Arts(Sweden)を経て金沢美術工芸大学美術工芸研究科(大学院)修了。アーティスト活動を経て、2001年に特許庁入庁。意匠審査官、総務部国際課、EJEF(UK)留学等を経て、2012年から経済産業省商務情報政策局クリエイティブ産業課にてデザイン政策とクールジャパンを担当し、デザイン思考の研究会の立上げ等を行う。その後、特許庁国際協力課、意匠審査官を経て、2018年2月からデザイン思考の研修を担当し、同年5月からはデザイン経営プロジェクトの立上げも担当。8月からデザイン経営プロジェクト総括チーム及び広報チームに所属。

ロフトワーク シニアディレクター
原 亮介

関西のファッション/カルチャーマガジン編集長、ロボットテクノロジー関連ベンチャー、戦略PRコンサル会社を経て、2014年6月よりロフトワーク所属。マーケティング視点を軸に、クリエイティブな価値創出〜価値浸透まで幅広いプロジェクトを手がける。“ヒトを動かす”と“ユースカルチャー”が生涯の学習テーマ。

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