コモンズを民主化する
ヨーロッパの公共サービスはなぜ再公営化されたのか?
“気候正義 Climate Justice”
日本ではあまり目にすることのない言葉ですが、ヨーロッパでは盛んに議論されている言葉で、先進国や富裕層のサステナブルでない活動によって多大な環境負荷をかけている責任を問い、環境への影響が少ない開発途上国が被害を被っている不公平さを正していこうという考え方があります。
たとえば、Oxfam Internationalという団体が2015年に発表した“EXTREME CARBON INEQUALITY”というレポートによれば、世界の全CO2排出量の約半分は所得上位10%の人びとの生活によるものとされます。先進国である日本人のほとんどが含まれる上位20%まで含めれば全排出量の68%にもなるのです。
持続可能性という観点から全世界が脱炭素という共通の目標に向かおうとするとき、この偏りは、貧しい国々や人びとからみた不公平・不平等以外の何ものでもないでしょう。ましてや、温暖化の結果として生じる気候変動による自然災害の影響を受けやすいのは、赤道近くの暑い国々の人びとだったりするのですから。
CO2の排出権なども話題にあがりますが、そうした権利の利用を含め、人間が生きていくために必要な財の利用の公平さ、公正さをどのようにして実現可能なものにするか?
それがサステナビリティという観点での社会課題の根本的なものの1つだと思います。
そんなことをちゃんと考えたり、いろんな人とディスカッションできるようになるきっかけを作りたくて、企画・実施したのが2月5日に開催したイベント「コモンズを民主化する〜ヨーロッパの公共サービスはなぜ再公営化されたのか?」でした。
ゲストは、オランダ・アムステルダムを拠点とするシンクタンク、トランスナショナル研究所(Transnational Institute)で、10年間にわたりヨーロッパの公共サービスの再公営化に関する社会運動の支援や研究に携わっている岸本聡子さんと、日本各地の地方をフィールドとしてサステナブルな新しい社会のかたちをプロトタイピングする活動をしているNext Commons Lab代表の林篤志さん。
複雑に絡み合った社会課題の本質的なところに触れた議論が交わされた、とても刺激的な時間で、イベントを企画し、モデレーターとしていっしょに登壇させてもらったわたし自身、得るものがとても多かったです。
その内容を背景的な情報の補足も含めて、レポートしてみようと思います。
執筆:棚橋弘季(株式会社ロフトワーク執行役員 兼 イノベーションメーカー)
コモンズ=みんなが利用できるもの
“誰のものでもない、けれど、みんなが利用できるものである”
ゲストのおひとり、岸本聡子さんは、今回のテーマ「コモンズ」をそう表現しました。それはイベントを企画したわたし自身の認識とも重なるものです。
現在の新型コロナウイルス感染症の世界的蔓延で明らかになったことは、人びとが生きていくうえで必要なサービスへのアクセスをどう維持するかという問題です。
PCR検査を受けたくても受けられない、陽性が判明して症状が出ても入院先が確保できないといったことは日本でも起きています。
林さんも話していましたが、このコロナ禍で多くの人が感じたのは「有事の際、国がすべて助けてくれるわけではない」ということでした。
「大きなものに頼っているだけではいけないということを実感した個人は多かった」という林さんの言葉には大きく頷かされます。
ただ世界に視野を広げると、そもそも感染防止のために必須な手洗いすら、水道にアクセスできないために行えないという人たちもいます。
いえ、開発途上国の話ではありません。アメリカの話です。貧しくて料金が払えなかったために水道が止められ、手を洗えないという人びとがいることが報道されています。
その要因としては、しばしば問題視される経済格差があります。ただ、経済格差だけが、コロナ禍でも手を洗えない人が生まれる要因ではないのです。
アメリカの水道サービスは、アメリカン・ウォーターなどの民営水道会社によって運営されており、その利用料金が高いことも要因の1つに挙げられます。
今回のコロナ禍においては、アメリカに公的医療保険がなく医療費そのものも高いため、貧困層は感染しても医療サービスを受けられないことも問題になりました。医療や水道など、生きていく上では不可欠なサービスへのアクセスが遮断されてしまう人が先進国においてすら存在していることが、このパンデミック下においては次々に明るみに出ました。
では、どうすれば水道や電気、住宅や交通、医療、教育、育児や介護などのケアといった、人が生きていくうえでは最低限必要なサービスに「みんながアクセスできる」ようになるのでしょうか?
今回の岸本さん、林さんのお2人の話にはそのヒントがありました。
ヨーロッパの公共サービスはなぜ再公営化されたのか?
ヨーロッパでは、この10年間、さまざまな地域で、水道やエネルギー、医療や交通、教育など、さまざまな公共サービスが、以前の民間企業による管理・運営から公営での管理・運営のかたちに変わってきている、と岸本さんはいいます。
岸本さんたちが提供している”International Database of De-privatised Public Services”というデータベースでは、そうした公共サービスの公営化・再公営化の事例が、ヨーロッパに限らず全世界的な範囲で集められています。その数は、1,400を超えるといい、公共サービスの再公営化がひとつの世界的な潮流であることがわかります。
このデータベースそのものが「市民や大学の研究員、労働組合の共同作業でつくられていて」、こうした「知恵や知識もコモンズです」と岸本さんは言っていました。自分たちに必要なものをみんなで作り、みんなで利用し、みんなで管理できるようにする。そのことが、“誰のものでもない、けれど、みんなが利用できるものである”コモンズを維持し続けるためには欠かせないポイントなのだと思います。
ところで、いま何故、こうした再公営化の動きが活発なのでしょう?
岸本さんはこう言います。
岸本 水道などのインフラサービスの官民パートナシップの契約期間は長くて、25年から30年なんですが、それがちょうど契約の更新の時期に来ているんですね。80年代終わりから90年代初頭にはじまったものが更新時期にさしかかっています。そのとき、自治体はこれまでどうだったかをふりかえって、これまでの民間との契約を維持するか違う形に変えるべきかを検討した結果、変化が起きていると考えていいと思います。
2010年代のヨーロッパで起きた公共サービスの再公営化の動きの背後には、そこから30年ほど遡った1980年代半ばからの新自由主義経済の流れのなかでの公共インフラの民営化の動きがあったといいます。「資金調達を含む公共事業の一括民間委託(PFI)」「公共資産の売却」「官民連携(PPP)」など、さまざまな手法を使って、それまで公的なものだったものを民間に移してきたのが、ヨーロッパでのこの30年の流れだったそうです。
ちなみに、日本でも同じ時期に、1982年に発足した中曽根内閣以降、1985年に電電公社がNTTに、日本専売公社からJTに、1987年に国鉄がJRへと民営化するなどの動きがありました。世界中でさまざまな規制が緩和され、多国籍企業がグローバルにマーケットを拡大していくことになりました。
また同時期には、農業ビジネスのグローバル化により、1993年には、73ケ国の164の組織から構成され、食糧主権や持続可能な農業生産を目的とした民主主義的な活動を行う中小農業者・農業従事者組織の国際組織ビア・カンペシーナが設立されたり、北米自由貿易協定が発効した1994年1月1日にはメキシコ・チアパス州でコーヒ豆の栽培や畜産で生計を立てていたマヤ少数民族を中心としたサパティスタ民族解放軍が起こした武装蜂起し、その後の政権奪取を目指すことのない民主主義的な主張は全世界的な支持を集めるなどの動きも起こっていたりもします。
そうした新自由主義経済の世界的な潮流のなか、ヨーロッパでも規制緩和にともない、さまざまな公共サービスが民間企業に委託されるかたちで管理・運営されるようになったのです。
では、なぜ30年前に民営化されたものを、ふたたび公営に戻す動きがあるのでしょう?
岸本 こうした民間サービスが自治体に取り入れられるとき、効率化、コスト、イノベーションを民間手法を使って向上させるということが言われる。けれど、この30年間でわかってきたのは、もともとやろうとしていたことがかえって悪化したというケースが非常に多いということなんです。
先に紹介したアメリカでのコロナ禍でも手が洗えない事例と同じように、貧困層が水へのアクセスをしづらくなるといった事態がヨーロッパでも起こっていたわけです。
岸本さんは著書『水道、再び公営化! 欧州・水の闘いから日本が学ぶこと』のなかで、こんな具体的な数字を示してくれてもいます。
パリの水道料金は1985年の民営化以降、2009年までに265%も値上がりした。この間の物価上昇率は70.5%であった。それに比べてはるかに大きい上昇率だ。
こうした利用料金の高騰以外にも、サービスの質の低下、環境への負荷など、民間による公共サービスではさまざまな問題が指摘されてきたことが著書では紹介されています。
こうしたさまざまな問題を含めて契約更新に際して「自治体はこれまでどうだったかをふりかえって、民間との契約を維持するか違う形に変えるべきかを検討した結果」、再公営化の道を選んだのが、この10年間のヨーロッパでのひとつの流れだったそうです。
オー・ド・パリが見据える200年の環境と社会
岸本さんは今回、たくさんの再公営化のプロジェクトのなかからパリでの水道事業の再公営化の事例を紹介してくれました。
2010年に再公営化されたパリの水道事業を管理・運営する「オー・ド・パリ」はこの10年さまざまな成果をあげてきたといいます。
パリ市内の複数の公園で無料で炭酸水を提供するサービスを提供していたり、水質を維持するために水源地とその周辺エリアの農家に資金を投じ、有機農業を推奨するプロジェクトを進めていることなどは、前述の著書で紹介されています。
そのオー・ド・パリの代表を務めるセリア・ブリエールさんは記念式典で「わたしたちの株主は市民すべての人たちです」と言ったそうです。
岸本 市民権がある人だけでない。移民や難民など水道への直接のアクセスがない人も含め、命を守るということなんですね。
公園での炭酸水の無償提供は、すべての人の生命を守るという考えが形になったものです。水道にアクセスできずに手を洗えないという話とはまさに対照的です。
それだけではありません。「200年後の環境と地域を守ること」がオー・ド・パリのマネジメント計画には含まれていると岸本さんは教えてくれました。
岸本 ビジネス契約の25-30年は、契約としては長いんですけど、コモンズを守るものとしては短すぎるんですね。
たしかにビジネスセクターでは200年という非常に長いスパンを視野にしたマネジメントはむずかしいでしょう。でも、そうした視野をもつ可能性が、さまざまな人の対話のもとで管理・運営される民主主義的な活動体であれば可能かもしれません。オー・ド・パリには市民によるガバナンスのしくみとして「パリ水オブザバトリー」というものがデザインされていて、多くの人々が自覚的に参加しているといいます。
「公=民主主義ではない」と岸本さんは言っていました。
公営化されたサービスが長期にわたって民主主義的に運営され続けるためには、オー・ド・パリのような市民がガバナンスに参加できるしくみが必要なのでしょう。
それが次の林さんが語る日本の問題にもつながっているのだと思います。
日本における「コモンズ」の課題
5年前の2016年に立ち上げたNext Commons Lab(以下、NCL)は、現在の「複雑な社会課題の根本的な解決を構造的にどのように起こしていくか」を課題意識としているとファウンダーである林さんは言います。
林 たとえば、シングルマザーの貧困の問題ひとつとっても、原因はひとつに限定できない。経済システムの問題なのか、雇用や結婚などのしくみが問題なのか、それとも労働環境なのか。複雑に絡み合っている問題に対して、ひとつひとつの解決に向かっていくのには疑問を感じるんです。個々の問題からは距離をおいて、社会全体をどうやったらリビルドできるのか? そういう風に考えて、地域のコモンズを、どのように新しい社会のかたちに変えられるかをプロトタイピングするチームがNext Commons Labです。
日本の歴史の流れのなかで、かつてあった血縁地縁の社会が解体されて、地方自治体を軸としたパブリックに変わり、しかし、いまやその地方自治体が人口減少や高齢化にともなう社会保障費の負担増によって衰退に向かっているのだと林さんは言います。
これまでの社会は、国家システムと資本主義システムの2つの大きなシステムの上で動いてきたが、いま、そのシステムが制度疲労を起こして、その結果、さまざまな社会課題が生じてしまっているのだ、と。
そうした社会情勢を反映して、この数年、地方自治体からNCLへの相談が、従来の「人口を増やすにはどうしたらよいか」「産業を新たに起こすにはどうしたらいよいか」というものだけでなく、「自治体の機能を縮小したい」という相談も増えてきているそうです。
過疎化していき、自治体そのものが維持できなくなってきていて、パブリック領域の崩壊が間近なのを林さん自身、感じているのだと言っていました。
地域に残る資源を活用して、新たな価値をデザインしなおす
そうした地方の自治体の課題に対して、NCLではいくつかの実験を進めています。
東京などの大都市に住む20-30代の若者を地域に移住させ、ローカル・アントレプレナーとして事業を起こすしくみを全国11の自治体で実施していたり、大企業といっしょにコモンズをつくるプロジェクトを立ち上げたりもしています。そのひとつの事例として、増え続ける無人駅をコミュニティスペースとして活用できるようにするJR東日本スタートアップ株式会社との共同プロジェクト「Way-Way」を林さんは紹介してくれました。
企業の地域への取り組みのスタンスもこの数年で変わってきているといいます。
林 10年前まではCSRだったものが、いまは社会課題にダイレクトに関わらないと大企業も生き残れないという姿勢に変わってきており、出島での実証実験を行うようになってきています。
林さんがそうしたプロジェクトに取り組むのは「地域に残っている貴重な資源を用いて、いかにしてその価値をもう一度あげるためにはどうすればよいか」という課題意識があるからだと言います。
といっても「昔の血縁地縁や自然回帰に戻ろうということではなく、どう合理的にデザインしなおすか」という考えで取り組んでいるそうです。そのスタンスがよくあらわれているのが、ブロックチェーンを用いたマイクロワークを共助するシステムの実証実験の例でした。
雪かきや車の洗車など、地域のなかでの困りごとの解決を、できなくて困ってる人とできる人のマッチングによって解決していくアプリ。地域通貨のしくみを取り入れているそうですが、地域通貨を貯めようという目的の人はおらず、「つながりがなかった人と仲良くなってよかった」「どんな人がいるのかを知れてよかった」という点が評価されているのだといいます。
このような形で「社会関係資本をどう増幅していくか?のアプローチをテクノロジーを使ってやっていくという挑戦している」というのが、NCLが次のコモンズを生み出すためのアプローチです。
新たな中間共同体をどうデザインするか
岸本さんが紹介してくれた公共サービスの再公営化に向かうヨーロッパの動きと、林さんが取り組む機能不全を起こしはじめた地方における自治体機能を補うものとして、ローカル・アントレプレナーとしての個人の活動とともに大企業の支援も入れていく動き。両者は一見、正反対の方向性をもった動きにみえます。
しかし、単純に正反対の動きが日本とヨーロッパで起こっているのかというと、2人の課題感を聞いていると、そうではないこともわかってきます。
80年代以降の新自由主義経済の結果、辺境の小さな田舎まで含めて全世界を巻き込んでしまったグローバル資本主義がもたらした環境・社会課題が山積みで、もう待ったなしともいえる状況をどうサバイブしていくのか。そのためには、生きるために必要なコモンズを新たなしくみの上で利用し続け、維持し続けられるようにデザインしなおさなくてはならないのだという認識は、2人に共通していました。
林さんは、このコロナ禍をきっかけに、従来はイデオロギー的な捉え方をされがちだった「コモンズ」という言葉の受け止められ方が変わってきたと言っていました。
まず「大きなものに頼っているだけではいけない」と実感した状況に巻き込まれた個人や小さな企業が多くいます。と同時に、業態によっては大企業も大きなインパクトを受けて変わらざるを得ない状況を眼前にして「拡大していく、無限成長を前提としたやり方ではだめなのではないか、サステナブルなやり方に変えていかなくてはいけないのではないか」と感じていたりするそうです。「そんなことがコモンズに注目が集まっている要因ではないか?」そんな風に言っていた林さんは、なぜコモンズに注目が集まるのか?のひとつの答えともいえるような、こんな話をしてくれました。
林 いまの暮らしは、大都市にいようと、田舎に住んでいようと、グローバルマーケットの一部と化しています。数年前、「保育園落ちた日本死ね」と書かれたブログは話題となりましたが、その場合の「日本」は国家で、国家に対する批判だったと思います。ただ、かつては小学校学区のような小さな地域のエリアのなかでいろんな問題を吸収できていたと思うんですね。どこそこの家でおばあちゃんが寝たきりで暮らしているなんてことを地域のみんなが知っていた。閉塞感や生きづらさがあったかもしれないが、地域内でいろんな問題が解消できていた。そうした地縁血縁のコミュニティが解体され、人口も増えていき経済成長しているあいだは自治体も機能していたのだけれど、いま人口が減っていくなかでほころびも生じてきている。
「平成の大合併で、かつて村や町だったものが大きな自治体のなかの支所的な扱いとなった」と林さんは言います。
林 支所になると職員も減り、提供できるサービスも少なくなる。最近はさらにフェーズが進んで、支所が撤廃されはじめている。小さな町の経済は、行政の職員で支えられているので、そうなると、まわりの飲食店などがたちいかなくなります。
自治体が機能不全になったり閉鎖されるだけでなく、連鎖して、その町自体の活動が滞ってしまうのです。
先のマイクロワークの実証実験も、「有事の際、国がすべて助けてくれるわけではなく」、さらには地方自治体の機能にもほころびが生じている状況で、それでも日々生じる生きていくための課題を解決していけるような「中間共同体をどうデザインしていくかが課題」という考えから生まれたものだと言います。
新しいコモンズのための「開き方」が問われている
岸本さんも、小さな自治体が大きな自治体に合併されていく「広域化、メトロポリタン化は、特にフランスを中心として、ヨーロッパでも顕著になっている」と言っていました。
岸本 職員の数は減らす、デジタル化するという流れは同じで、そこにさらにEUからの緊縮財政が加わります。自治体によっては予算が40-50%も削減され、基礎的なサービスが提供できなくなるところが増えています。スイミングプールや図書館、公的な保育園が贅沢なものになってしまうのです。
そこで自治体で提供できなくなった機能をすべて民間にアウトソースしてしまうと、自治体からはノウハウが失われるし、委託された民間の職員も低い給与で働かされたりして、「誰も勝つ人がいない状態になってしまう」という悪いループにはまっていってしまいます。
そうならないよう「自分たちでエネルギーをつくる、公共入札のしくみを使って地域の人に清掃をおこなってもらう労働協同組合をつくるなどして、地域で必要なサービスの提供を外にお金がでないよう、中で循環させて育てていく形でできるような戦略をとっている」というのがヨーロッパで再公営化が進むひとつの理由だそうです。
お2人の話を聞いていて、生きていくために必要な財へのアクセスをどのような形で可能にするか?というコモンズの問題意識は日本とヨーロッパで共通する課題だと感じました。
では、何がヨーロッパと日本でのアプローチの違いの原因となっているでしょうか?
それは、こんな岸本さんの話に答えがあるように感じました。
岸本 わたしが暮らしているベルギーのブリュッセルというEU委員会のある街にはたくさんのロビイストが集まっています。たとえば、コロナ禍で大きなお金が動いている状況では、病院などにケアサービスを提供する多国籍企業は、自分たちは解決企業だとしてロビー活動をして、そのお金をとるためのロビー活動をします。お金がどこにいくか? そのガバナンスが問題なんです。だから、新しい公を構築する際には意思決定が大事です。労働者や大学の研究者、サービスの利用者である市民、地元の小規模なビジネス、そうしたコミュニティの視点が「意思決定」に反映されるしくみがあるかです。でも、いまの公的機関は意外とそうではなかったりもします。コモンズの運営にとって、その「開き方」が問われています。地域の資源、知恵、そして愛が力になります。
日本とヨーロッパでは規制緩和の度合いが異なるのでしょう。
たとえば、日本の水道の民営化を可能にする水道法の改正は2018年12月12日に行われたばかりです。一方で、2019年11月22日に国会で可決された「外国為替及び外国貿易法」、いわゆる外為法の改正では、安全保障の面から原子力や電力、通信などの分野での日本企業への外国資本の出資に対する規制を強化する動きもあります。
これまでのところ、日本の市場に多国籍企業が入りこむ余地は、ヨーロッパに比べれば小さかったのでしょう。ただ岸本さんが「日本の市場も大きく狙われています。規制緩和が進むほど国際資本が入ってくる可能性がある、たとえば、水道、電力、病院という分野に」と指摘してくれたように、今後はヨーロッパがこの30年間苦労し続けたのと同じ道をたどることになってしまう危険性が日本にもあることは認識しておく必要はあるのでしょう。
その意味でも、わたしたちは自分たちが生きるために不可欠な、地域の資源、知恵、そして愛といったコモンズを、誰に対して、どんな形でそれを開いて共有していくのかという意思決定の議論の場にしっかり参加していかなくてはなりません。パリの水道公社オー・ド・パリが市民によるガバナンスのしくみ「パリ水オブザバトリー」をもっているように、自分たちの声が意思決定に反映されるようなしくみをつくったり、維持していかなければならないのだと思います。
そうした意思決定に市民の声が反映されるしくみをもった新たなコモンズの運営者が各地にでき、それがネットワーク化できたとき、気候正義をはじめとする公平さや公正さが実現された社会が生まれるのかもしれない。
そんな風に考えさせられた、とても深い議論が交わされたイベントでした。