外的要素を取り込み変化してきた、諏訪の地形と文化
毎年恒例、ロフトワークの全社合宿。2018年は長野県・諏訪市となりました!6月28日・29日の2日間、海外ブランチも含めたロフトワーク全社員で諏訪へお邪魔します。
そして、古代日本の歴史や文化が好きな安藤が、全4回にわたって諏訪の魅力を解き明かしていくシリーズコラム第二弾は「外的要素を取り込み変化してきた、諏訪の地形と文化」をテーマにお送りします。
第一弾:縄文までさかのぼる、諏訪に根づく“ものづくりのDNA”
外から様々な要素が流れつき、取り込んで変化していったのは、「諏訪のものづくり」だけではありません。今回は、もっとディープな「地形と文化」から諏訪を紐解いていきます!まずは地形から見てみましょう。
断層の交差点・諏訪
諏訪は、地形的にもとても稀有な土地で、2つの大規模な断層線の交差点にあります。
1つは、日本列島を横断する「中央構造線」。2つ目は、新潟県糸魚川市から静岡県の安倍川付近へと縦に伸びる「糸魚川静岡構造線」です(以下、糸静線)。
諏訪周辺では、糸静線(写真の青線)はいくつかの断層が断続的に並走しています。ところが、中央構造線(赤線)は諏訪を挟んで大きく途切れています。
これは、糸静線が地盤運動をおこした跡なんです。
ややS字を描く糸静線が南北にズレたことで出来た窪地が諏訪です。その窪地に水が溜まってできたのが諏訪湖で、古代はもっと広大な湖でした。下の写真は、茅野市尖石縄文考古館にある諏訪周辺のジオラマです。
緑のマーカーが旧石器時代、赤が縄文時代、青が弥生時代の遺跡を表しています。縄文時代の遺跡の多さにびっくりですが、マーカーは諏訪湖を囲む山の麓に沿うように集中し、花びらのような線を描いています。
このことからも、かつてはマーカーあるところが湖岸だったことが伺えます。では、どうして現在の形になったのでしょうか。
溜まりやすく、流れにくい。諏訪湖の特徴
諏訪湖は31もの川から水が入ってきますが、出口は天竜川たった1つしかありません。「溜まりやすく流れにくい」という特徴から、一度大雨が降れば、周りの急峻な山々から大量の水と土砂が流れ、次第に積もって周りを埋め立てていきます。
また、しばしば水害も発生しました。古くは江戸時代から護岸工事が進められ、自然と人間、両方の手によって現在の諏訪湖が出来上がっていきました。
外来の神様と、土着の神様の共存?
諏訪大社は4つある
では次に、諏訪の観光スポットとして有名な諏訪大社。創建は不詳ですが、その起源を神話に求めるくらいには古いです。
ところで、実は諏訪大社は4つあります。
- 諏訪大社上社前宮
- 諏訪大社上社本宮
- 諏訪大社下社春宮
- 諏訪大社下社秋宮
現在、メインは上社本宮ですが、諏訪祭祀の起こりは上社前宮といわれています。
『古事記』とは異なる地元の伝承
その由緒ですが、『古事記』では次のように述べています。
天照(アマテラス)大御神を中心とした天上の神々が、大国主に地上の統治をゆずるよう迫り、建御名方は強く反発。
しかし、力くれべで健御雷(タケミカヅチ)に破れ、諏訪まで逃亡。とうとう追い詰められ、諏訪から出ないことを条件に命は許された。
しかし、当地に残る言い伝えはかなり違います。
例えば、鎌倉時代の『大祝信重解状』。
諏訪明神は、元々守屋大臣の領地であった守屋山麓に天より降臨された。守屋大臣は抵抗し、争論や合戦に及んだが雌雄が決まらない。明神は手に藤鎰(かぎ)、守屋大臣は鉄鎰を持って互いに引き合った結果、明神が勝利して守屋大臣を成敗した。そして居住を当社に占い定め、以来この地に鎮座した。
守屋大臣というと、古墳時代に蘇我氏との争いで負けた物部守屋を思い出しますが、伝説なので本人かはともかく、諏訪と物部氏は実は縁が深いです。
諏訪にはこうした「外来の神様がやってきて、土着の神様と戦い、勝利した」という言い伝えがいくつか残っています。
外来の神様と、土着の神様が保ってきた関係
この諏訪明神と守屋大臣(あるいは洩矢神)の末裔ともいわれる2つの氏族(※)が、明治の初めまで諏訪大社を守ってきました。
諏訪明神の後裔・諏訪氏は代々「大祝」(おおほうり)という役職で、諏訪明神の神霊を宿す”生き神”、シャーマンの一族でした。守屋大臣の後裔・守矢氏は、大祝を祭る神官の長「神長官」として、諏訪大社の神事を統括していました。
上社前宮の境内には、かつて大祝の居館だった神殿(ごうどの)跡があります。
※諏訪氏、守矢氏の出自については諸説あります。
前宮からさらに北西に道を進むと、茅野市神長官守矢史料館があります。守矢家の敷地内に建っており、代々伝わってきた貴重な文書を収蔵・展示しています。
その裏手には、守矢家が古来から祀ってきた神・ミシャグジ神をお祀りしている御頭御社宮司総社が鎮座しています。
海がないのに、海藻を使った特産品
ちょうど諏訪大社上社前宮の向かいぐらいに、松木寒天の直売所がありますが、この寒天も諏訪の名産品です。
寒天の原材料ですが、海藻のテングサ。内陸なのにどうして海のものが特産品なんでしょうか。
寒天を諏訪に持ち帰った行商人
江戸も終わりの天保年間。寒天製造は、農閑期の副業として関西地方で盛んでした。他の地域から出稼ぎに来ていた一人に、茅野出身の行商人・小林粂左衛門(こばやしくめざえもん)という人がいました。
粂左衛門は丹波地方で寒天を知り、寒天製造が自分の故郷の気候に向いているのではないかと気が付きました。
そこで粂左衛門は製造方法を身につけ、諏訪に持ち帰ったところ、読みは見事的中。諏訪に寒天製造が広まり、以降諏訪の名産品になったといいます。原料のテングサは主に、伊豆から仕入れていたようです。
寒天を使ったお菓子といえば、下諏訪町にある新鶴本店の塩羊羹が有名ですね。
というわけで、ディープな諏訪の地形と文化を見てきました。諏訪信仰は奥が深すぎてキリがありません…!
次回はちょっとブレイク…になるかはわかりませんが、弊社社長・諏訪、そして社員の金指と、諏訪大社のただならぬ関係を紐解いていきます。
みんなでここに行ってみたい!諏訪のおすすめスポット
- 諏訪大社上社本宮
全国に約25,000社ある諏訪神社の総本社・諏訪大社のメイン。 - 諏訪大社上社前宮
諏訪大社の発祥の地。境内には、大祝・諏訪氏の居館跡などの祭祀遺跡が見られる。 - 茅野市神長官守矢史料館
諏訪大社上社の神官の長「神長官」を務めてきた守矢家の史料を保管・展示している。建物の基本設計は、赤瀬川原平邸宅「ニラハウス」などを手がけた藤森照信氏のデビュー作。 - 松木寒天産業株式会社
昭和14年創業の寒天製造の老舗。上社前宮門前の直売所では、生寒天の試食もできる。 - 新鶴本店
諏訪大社下社秋宮の門前にある、塩羊羹で知られる和菓子屋さん。手作りの製法を創業から変わらず受け継いでいます。
筆者プロフィール
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