毎年恒例、ロフトワークの全社合宿。2018年は長野県・諏訪市となりました!6月28日・29日の2日間、海外ブランチも含めたロフトワーク全社員で諏訪へお邪魔します。

そして、古代日本の歴史や文化が好きな安藤が、全4回にわたって諏訪の魅力を解き明かしていくシリーズコラム第三弾は「諏訪大社とロフトワークの、氏族的な縁」です。

第一弾:縄文までさかのぼる、諏訪に根づく“ものづくりのDNA”

第二弾:外的要素を取り込み変化してきた、諏訪の地形と文化

苗字や氏族について、普通はなかなか意識しないかもしれません。しかし、調べてみると思いもしない“地域や人とのつながり”を見つけることがあります。その発見によって、今まで何とも思っていなかった自分の身の回りが特別な縁によって成り立っていると思うと、なんだかちょっと前のめりな気持ちになったりします。

僕にとって、そんな”特別なもの”に映った事の一つが「自分が好きな諏訪大社と縁の深い苗字の人がこの会社に二人もいて、諏訪のブランディングプロジェクトまで担当してる!」という奇跡!でした。

その二人こそ、弊社代表の諏訪と、クリエイティブ・ディレクターの金指です。

いったい、諏訪大社とどんな関係があるのでしょうか?

諏訪大社は上社・下社で系統が異なる?

前回も紹介しましたが、諏訪大社は諏訪湖を挟んで南側に上社2宮、北に下社2宮の2社4宮構成となっています。
さらに、両社の神主家はどちらも「諏訪氏」を名乗ることがありましたが、どうやら系統が異なります。

上社神主家が「諏訪氏(神氏)」、下社神主家が「金刺氏」という氏族です。

しかし両氏の出自には諸説あり、今ではその真偽はわかりません。
太田亮・著『姓氏家系大辞典』で「諏訪(スハ)」を見ると、

信濃国造の一族の、この地に移れるものなるべしと考えざるべからず。

また、

信濃国造、いつ頃よりか来たりて、諏訪下宮に仕え、金刺と称して一族大いに栄ゆ。二者共に諏訪氏といい、しかも後世、また源家の族、滋野氏と交え、数流相混じて区別するに苦しむ。

などと見えます。

つまり、「外からやってきた一族が諏訪に移住し、先住の氏族と関係を築き、同族化する」ということが古代から何度もあった、ということがわかります。あっちでは婚姻、こっちの家系が途切れたから今度は養子…とやっていると系図は混線しますし、歴史的に上社・下社で対立し争うこともしばしばあったため、余計混乱しますね…。

では、もう少し詳しく両氏を見てみましょう。

諏訪氏(神氏)

諏訪氏(神氏)は、諏訪大社上社神主家を代々世襲してきました。上社神主家の始まりとみられるのが、『金刺系図』に見える乙頴(おつえい)という人。またの名を神子熊子とも。

伝説では8歳の時に始祖・諏訪明神が化現され、脱いだ衣を彼が着たことから、「御衣着祝(みそぎのほうり)」となりました。用明天皇2年の時、諏訪湖の南端に社壇を設けたと伝えられます。

時代が下り、おそらく9世紀後半頃、有員(ありかず)という人物が上社神主となり、その系統は近世まで脈々と続きました。

弊社代表の諏訪も、文字通りこの諏訪氏の出だそうで、曽祖父くらいの代に分かれたそうです。

安藤が入社した年の合宿にて、「大変だったらしい」と聞きました。リアル…

金刺氏

金刺氏の祖は、初代神武天皇の子、神八井耳(カムヤイミミ)命とされています。阿蘇氏、多氏などと祖先を同じくする氏族です。
神八井耳(カムヤイミミ)の系統は数多くの国造家(※)を輩出しており、その一つに科野国造家があります。
※国造(くにのみやつこ)…現在の県知事くらいの地方長官のこと。

欽明天皇の御代、その末裔である金弓君(かなゆみのきみ)という人が、天皇から金刺舎人直(かねさしのとねりのあたい)の姓を賜り、のちに金刺氏となりました。

金弓君の孫の代には兄弟が見え、兄が倉足(くらたり)、弟が先程でてきた乙頴(おつえい)です。
弟は諏訪大社上社神主となり、倉足は諏訪評督(すわのこおりのかみ)…諏訪郡の長官で、館は諏訪大社下社付近に構えていたと思われます。
下社神主の始まりは不明ですが、『金刺系図』によれば、倉足の後裔・貞継という人が下社神主になったことが記されています。

またこの氏族は、駿河国(現在の静岡県中央〜東部)でも地方長官として務めた者が多く、その名が広く残っています。

駿河国といえば、クリエイティブ・ディレクターの金指は伊豆・三島の出身。SUWA Design Projectも担当しています。

はじめての会話で「金刺って、長野や静岡に多いんですよ」と言ったら「なんで僕の出身知ってんの」と気味悪がられてしまいました。

金指氏は伊豆に多く、字は違いますが同じ金刺氏と考えられ、『姓氏家系大辞典』では「伊豆国掾(こくじょう)・金刺宿禰爲頼の子孫と考えられる」と記されています。
※掾…「国造制」廃止後の役職「国司」の第三等官。判官に相当。

また金刺氏は「手塚」を名乗ったこともあります。源平の争乱において、木曽義仲に仕えた手塚光盛は武勇で名を馳せました。
今は案内板が残るのみですが、下社付近に霞ヶ城跡があり、手塚光盛の居城でした。

ちなみに漫画の神様・手塚治虫は彼の後裔です。漫画『弁慶(はりきり弁慶)』では、自分に似せた光盛を登場させています。

Wikipediaより引用。眼鏡とクリエイティブなところは似ています。

ロフトワークと諏訪の縁

ここまで諏訪氏と金刺氏の系統から、ロフトワーク代表 諏訪とクリエイティブ・ディレクター 金指が諏訪大社にどう関係するかをみてみました。

こうしてみると「諏訪大社と関係の深い苗字が同じ会社に揃っていて、諏訪のブランディングプロジェクトまで担当してる!」ということが、すごく奇跡のように思えませんか。オフィスに御柱を立てたくなります。

そんな場面に遭遇しただけでも興奮しましたが、実は、安藤も関連サイトの制作に携わりました。その時は嬉しくて震えたものです。

関連リンク

JAPAN MINUTE in Suwa City

諏訪に行くとよく見る「藤森」姓

ところで、諏訪に行くと藤森姓をよく目にします。藤森工務店、藤森歯科クリニック、藤森建築…などなど。諏訪で一番多い苗字だそうです。お笑い芸人のオリエンタルラジオ・藤森慎吾さんも諏訪市出身です。

オリラジ・藤森さんは、諏訪の観光特使もしてます。この人も眼鏡ですね。

そんな藤森さんですが、その多くは諏訪氏が本流。

前回もでてきた『大祝信重解状』には、

諏訪明神は居住を当社に占い定め、以来この地に鎮座した。明神は自ら藤鎰を社の前に植え、その枝葉が茂って藤諏訪の森という。

とあり、藤森姓はおそらく、この「藤諏訪の森」にちなんだ苗字と思われます。
諏訪出身で有名な藤森さんは他にも、考古学者の藤森栄一氏や、赤瀬川原平邸「ニラハウス」を手がけた建築家の藤森照信氏がいます。

諏訪祭祀の貴重な史料を展示する茅野市神長官守矢資料館は、藤森照信氏が基本設計を担当したデビュー作。そのすぐ後ろには、藤森照信氏による建築群があります。

茅野市神長官守矢史料館
藤森照信の建築群

まるで空想の世界に迷い込んだような、不思議な空間です。ぜひ足を運んでみてはいかがでしょう。

みんなでここに行ってみたい!諏訪のおすすめスポット

  • 諏訪大社下社春宮
    諏訪大社下社発祥の宮といわれています。代々金刺氏が神主家として祭祀を取り仕切っていました。
  • 霞ヶ城跡
    手塚光盛が築いた城。諏訪大社下社秋宮の南側・山王台に築かれていました。
  • 藤森照信の建築群
    諏訪出身の建築家・藤森照信が手がけた建築群。ジブリみがある、不思議な空間が広がります。

筆者プロフィール

安藤 大海

Author安藤 大海(テクニカルディレクター)

大学卒業後、web制作会社でフロントエンジニアとしてwebサイトを幅広く制作。2016年に「クリエイティブの流通」というコンセプトに惹かれ、ロフトワークへ入社。

前職のスキルを活かし、主にWordPressサイトの技術サポートを行う。また郷土の歴史文化の関心も高く、『言霊』でライターとしても活動。近年は新たなクリエイティブとして「ボードゲーム」に注目し、自身でも制作中。

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