デンソー・WHERE・グッドパッチの担当者が語る、
プロジェクトを「最速」で回すための手法
互いに活発に意見を交わし、価値を生み出していく打ち合わせと、事前に資料を用意して合意を得るための打ち合わせ。どちらの打ち合わせが多いだろう。定例打ち合わせを前提に、1週間かけて資料を準備して、打ち合わせで説明をして、承認をもらう。このフローに慣れている人は、実は「考える」ことよりも、コンセンサスを得たり、調整するプロセスに多くの時間を使ってはいないか。── 3ヶ月の仕事を、3日で終わらせるための空間
プロジェクトの多くは、工程をひとつずつ進めていくウォーターフォール型がまだまだ多いでしょう。またその中での意思決定は「定例ミーティング」で進んでいくことが多いはず。会議のための準備や、前回の振り返りに多くの時間を割いていませんか?
アジャイル開発やデザイン・スプリントは、ウォーターフォール型プロジェクトの課題である時間制約を乗り越え、素早くアウトプットと改善を繰り返し質の高いプロダクトを作るためのプロジェクト手法です。
それだけでなく、デスクワークを中心とする私たちの、仕事時間の使い方やオルタナティブなチームの働き方への挑戦として、いま多くの企業やプロジェクトで取り入れ始めています。今回のイベントでは、チームの働き方のマインドセットをも変え得る、短期集中型プロジェクトへの挑戦を大企業からスタートアップまで、多様な形でご紹介します。
テキスト:瀬戸義章
デンソー デジタルイノベーション室が挑むアジャイル開発
シリコンバレーの価値観・メソッドを取り入れるには?
TeslaやUber、Googleなど破壊的イノベーションを起こす企業が続々と自動車業界に参入し、コネクテッドカー、自動運転、シェアリングサービス、電気自動車など、従来の自動車の価値を覆す変化が始まっています。
デンソーは2017年4月にデジタルイノベーション室を立ち上げました。シリコンバレー発のグローバル企業と戦い、あるいは共創するために、ICTソリューションやソフトウェアの開発にアジャイル開発手法を導入。
「アジャイルとは単なるフレームワークではなく、対話と試行錯誤と顧客に重きを置く『価値観』なのです」と、初期からのデジタルイノベーション室メンバーである黒田健史さんは言います。
意志決定者は1人。小規模なチームで素早く開発プロセスを回す
「agile(アジャイル)」とは俊敏や明確という意味を持ちます。この価値観をメンバーひとりひとりに浸透させて実践するために、デジタルイノベーション室ではアジャイルの開発手法である”スクラム開発”の体制を構築しました。
スクラム開発は、6〜7人のチームが1プロジェクトを専任し、タスクの優先順位を細かく見定めながら開発を進めます。1週間ごとにアウトプットのレビューをステークホルダーから受け改善を繰り返すというフレームワークです。
「スクラム開発のチームは専用の場所を確保しており、『プロジェクトのゴール』や『今週実現すること』といった全ての情報は、ホワイトボードとふせんを使って管理しています。部屋に入れば、必要なことを一覧できるわけです。
また、意志決定を迅速にするために、意志決定者はチーム内に1人だけです。仮に判断に失敗して、まったく使わない機能を作ってしまったとしても、1週間ごとにレビューをしていますから、そこで気づくことができるのです」(黒田)
外部メディアを通じて社内の協力者を集める
設立当初は2名体制でスタートしたデジタルイノベーション室。2017年からの1年で35名・5チーム体制にまで成長しました。現在、社外向けプロダクトから概念実証用まで、幅広い開発を効果的に進めています。デンソーという創業69年の巨大なメーカーに、アジャイル開発という新たな価値観・文化をもたらすためには、どのような工夫がなされたのでしょうか。
「アジャイル開発はチームスポーツに似ています。共通の目標を持って、言いたいことを言い合えて、個人に失敗の責任を押しつけない「チーム内の心理的安全性」を保つことが、成果を上げるために極めて重要です。
デジタルイノベーション室にいる社員は、全員、自ら手を挙げて加わった仲間です。講演やイベントに出たり、取材を受けたりして、外部に露出した方が社内に仲間を作りやすいんです。最近は記事を読んだ部署から、プロジェクトの相談も来るようになりました」(黒田)
社外メディアを上手く活用する他に、あえて物理的な距離を置くことも社内で新たな取組を始めるためのポイントだ、と黒田さんは言います。
「デンソーの本社は愛知県刈谷市ですが、デジタルイノベーション室は新横浜の賃貸オフィス内にあります。開発に専念できる環境ですが、新幹線では名古屋から一駅なので、社内関係者にも出張帰りに寄ってもらうこともできるんです。開発スピードを早めるだけでなく、今後はここから本社にアジャイルのマインドを逆流させていきたいと思います」(黒田)
無意識の行動をデザインする。 新しい地域の価値を発信するWebメディア「LOCAL LETTER」をデザイン・スプリントでリニューアル
「チームとしての仕事」を最速化させるプロジェクト手法を採用
アジャイル開発のような「対話と試行錯誤とユーザーを尊重する価値観」は、デンソーのような大手だけでなく、中小規模のチームにおいても有効です。
2015年に設立された株式会社WHEREは、地方のイベント・ツアーや自治体のプロモーション事業を通じて、地方と縁のある人々を創出することに特化した企業です。WHEREが運営するメディア「LOCAL LETTER」にはさまざまな地方創生情報が掲載されています。
LOCAL LETTERのメルマガ会員数が1万人を超え、発信する情報の種類も量も膨らんでいく中、WHERE代表の平林和樹さんはWebリニューアルを検討。「プロジェクトの手法・進め方もふくめて、私たちにふさわしい形を提案して欲しい」と今年の春、ロフトワーク 重松に相談しました。
WHEREは地元の人たちとチームになり、力を合わせてプロジェクトを進めていくことを尊重する集団です。そこでロフトワーク シニアディレクターの重松佑が提案したのが「デザイン・スプリント」でした。
デザイン・スプリントは「リアルなユーザーからリアルな評価を得ること」を目的にしたプロジェクト手法です。「理解」「発散」「決定」「プロトタイピング」「テスト」という5つのステップを駆け抜けていきます。チームが同じ部屋で一極集中することにより、コミュニケーションギャップを乗り越え、最速で成果を上げることができるプロセスとして注目されています。
ユーザーが求めている価値は、ユーザーに聞くのではなく、その行動に聞く
2018年5月、WHEREから4人、ロフトワークから3人が集まってチームとなり、約2週間で2サイクルのデザイン・スプリントを実施しました。
デザイン・スプリントを終えて「今まで経験したことのないアプローチでプロジェクトが進み、目からウロコが落ちてばかりだった」と平林さんは振り返ります。
「Webサイトのプロトタイプを実際に触ってもらって、それから質問していくのですが、『他にどんな機能が欲しいですか?』『なにが不要だと思いましたか?』と聞くのではなく、『ここで指を止めたのはなぜですか?』『ここをスルーしたのはなぜですか?』と、ユーザーの行動に焦点を絞って尋ねていくんです。ユーザーがそのサービスに求めている価値は、意見や感想ではなく、行動に現れるのだと感じました」(平林)
プロトタイプで用意した24画面のうち、ユーザーテストで表示されたのは4画面でした。その結果から、最終的に機能要件をスリム化して4分の1にまで減らすことができました。現在、10月のリニューアルオープンを目指してプロジェクトは進行中ですが、機能を整理したおかげで、コストもスケジュールもぐっと圧縮することができたのです。
デザイン・スプリントの経営的価値を理解してもらうために
さらに平林さんは、デザイン・スプリントに参加したメンバーが、短期間で大きな成長を遂げたと言います。
「入社したばかりの新人でも『LOCAL LETTERの価値はこれなんです』と胸を張って、自分事として語れるようになりました。ものすごい変化です。上司が言ったからではなく、自分で考えたことをアウトプットし、ユーザーの容赦ないフィードバックを受けるということを、2週間で濃密に体感できたからでしょう」(平林)
最短でも5日を1つのプロジェクトだけに集中するデザイン・スプリントは、メンバーのスケジュールの都合で、いきなり導入に踏み切るのが難しい手法かもしれません。ロフトワークの重松は次のような提言をします。
「実際には5日間連続でやる必要はそれほどなく、たとえば月水金で実施して、朝と夜はメールの時間にあてるといったやり方でも可能だと思います。その代わり、模造紙やポストイットは貼りっぱなしで、情報を残したままにできる場所を確保することが大事です。なぜならその場所が自分の脳の代わりに情報を記憶していてくれるからです。
デザイン・スプリントには、決裁者も参加した方が望ましいのですが、忙しくて時間がなかなか取れないと言われる事も多いでしょう。そもそも、チーム全員の時間をつぎ込むというのは大きな経営判断です。その場合、まずは半日程度のワークショップに参加してもらい、こうした新しい手法がどれほど効果的なのか、その価値を理解してもらうのが一番だと思います」(重松)
スピードとコミュニケーション量で変わるプロダクトのクオリティ
新たなフレームワークを導入するために注意することは? 実践者に聞くQ&A
プロトタイピングツール”Prott”を提供する株式会社グッドパッチは、2018年1月から開発スピードを向上させるため、外部のアジャイルコーチにもサポートしてもらい、スクラム開発を強化する取り組みを開始しました。スクラム開発やスプリント型のプロジェクトを社内に導入・運用してくためのポイントを、CTO ひらいさだあきさんと、カスタマーサクセス 片山彩夏さんに伺いました。
──スクラム開発の導入はスムーズにいきましたか?
ひらい 「開発スピードが遅くなっている」という課題認識は社内で共通だったので、新しい取り組みをはじめること自体は肯定的に進みました。最初の2,3ヶ月はプランニングに時間がかかってしまい、開発スピードが遅くなってしまいましたが、今はスクラム開発の効果をひしひしと実感しています。
──タスクの見積もりはどのようにしていますか?
ひらい 数字の書かれたカードを一斉に出す「プランニングポーカー」という手法を採用しています。例えば「文言を差し替える」というタスクに対して、エンジニア目線で軽く見積もって「1」を出したのに、「5」という人がいました。カスタマーサポート目線では「日本語と中国語と英語を用意するのに時間がかかるだろう」という考えがあったのです。このように、複数人で認識をすり合わせて、作業の曖昧なグレーゾーンをできるだけ無くすことで、見積もりの精度を上げようとしています。
──ユーザーインタビューの対象者はどうやって見つけているのでしょうか。
片山 まずは誰に対するインタビューなのかを厳密に決めます。どれくらいの会社規模なのか、どんな部署で働いていて、何歳くらいの方なのか。こうしたペルソナを基に、セールスチームがクライアント企業の担当者にお声がけして、インタビューをさせてもらっています。使いこなしていると思っていても「あ、この操作はちょっと迷うんだ」と、実際に観ることで分かる気づきは多いですね。
──スクラムの1サイクルを終えた後「振り返り」は、具体的にどのような手法でおこなっていますか?
ひらい スクラム開発には「KPT」や「スターフィッシュ」など、さまざまな振り返りの手法があります。ずっと同じものを使っていると、挑戦が無くなったり課題が出にくくなってきますので、飽きないように工夫しています。スクラム開発を習得して自発性が高まった今では、新しい振り返りのやり方の紙を渡しておくだけで、誰かがファシリテーションを始めて、結果をまとめて、翌日ボードを見れば分かるようになりました。
──チームの生産性はどのような軸で評価していますか?
片山 「ベロシティ」という目標数値を立てて毎回計測しています。これはプロジェクトごとの相対的な指標で、取扱注意です。ベロシティは生産性でも工数でもなく、他チームと比べたり、数値を大きくすることを目標にしてはいけません。みんなが休日出勤していればベロシティは上がります。大事なことは、目標と実績のベロシティのズレをできるだけ小さくすることです。
──スクラム開発を実践する上で、最も重要なポイントを教えてください。
ひらい チームで合意を取って進めていく、ということです。これが凄く難しくで、アジャイルコーチという専門家に導入指導してもらっているのですが、「上司の立場にある人間が決めつける発言をしてはダメ」だとよく言われました。ひとりひとりが考えて、全員で合意して、失敗したとしても振り返りで次の手を講じていく。そんなチームに育つまでは、時にメンバーの試行錯誤を待つことも必要でした。
チームの関係性をシフトさせながら、新たなフレームワークを導入する
スクラム開発やデザイン・スプリントはとても優れた手法ですが、ご紹介した三社はいずれも参加メンバーの意識について繰り返し語っています。デンソーの黒田さんが「チーム内の心理的安全性」を重んじるように、WHEREの平林さんが「新人でも自分事として語れる」ようになったことに驚いたように、グッドパッチのひらいさんが「上司としての決めつけ」を我慢するように。
新しいフレームワークが最大限の効果を発揮するためには、ひとりひとりが自立し、言いたいことが言える関係性へとシフトしていくことが大切なのです。
ロフトワーク代表の林千晶は「『プロジェクトメンバーは何のためにいるのか?』というマインドセットが最も重要」だと常々言っています。
クライアントはその業界の専門家であり、デザイナーは情報を整理するプロフェッショナルであり、エンジニアは解決手法を実装するエキスパートのはずです。クライアント/受託者や、上司/部下といった枠組みだけで会話をして、はたして「速さ」と「質」を両立させるプロジェクトが可能でしょうか。
段取りだけを真似するのではなく、チームの意識ごと変えていく手法として、スクラム開発やデザイン・スプリントをともに活用していきましょう。