渋谷のど真ん中で「分解可能性都市」を考える。
分解、発酵、微生物と人の関わり——mmm(むむむ) イベントレポート
もしかしたら、私たちは自然界における重要な役割を果たす「分解」の視点を持たぬまま、人間中心に都市を発展させてきたのかもしれません。
自然界と人間社会における「分解」とは何でしょうか。
8月27日、FabCafeで開催されたトークイベントシリーズ「mmm(むむむ) 」では、「分解可能性都市」ー 自然と共生する都市暮らしを、「生産・消費・分解」から考える ー」と題して、京都大学人文科学研究所准教授で歴史学者の藤原辰史さん、微生物多様性をテーマに事業を展開する株式会社BIOTA代表で微生物研究者の伊藤光平さんをゲストに、ロフトワークの岩沢エリが構想した「分解可能性都市」をテーマに語り合いました。
目に見えない分解の世界や微生物に思いを馳せて、参加者のみなさんとディスカッションした様子をレポートします。
執筆:笹川ねこ
撮影:川島彩水
「都市」の「分解」は可能なのか
冒頭、ロフトワークの岩沢エリが「分解可能性都市」の出発点となった問いをシェアしました。
「生産と消費をベースにして、都市はあらゆる仕組みを作ってきました。本来、自然界の循環には『生産』『消費』、そして『分解』がありますが、都市の仕組みのなかで置き忘れてしまったのが分解なのではないか。循環型社会やサーキュラーエコノミーが議論されるなかで、そもそもその議論の出発点として「分解」を考える必要があるんじゃないか」
『分解の哲学』(青土社)の著者である藤原さんは、まず自然界の「分解者」の定義を説明しました。
「この世界の生き物は、『生産者』『消費者』『分解者』という3つのジャンルに分かれます。生産者は植物のこと。太陽の光で光合成をしてブドウ糖を生成できる唯一の生き物。例えば動物のような消費者は、生産者を食べてしか生きていけません」
「植物や動物は死ぬし、毛も抜けるし、肌もポロポロ落ちるし、排泄する。分解者は、それらを全部食べ物にして、植物の光合成に必要な二酸化炭素と水と無機栄養塩に換えてくれる。そんなすごい生き物たちのことを分解者といいます」
「アスファルトを敷いてしまっているけど、100年かけて10センチ、1000年かけて1メートル蓄積されてきた土壌は分解の宝庫。そこを削って私たちの文明は築かれているんです」
そんな菌や微生物といった分解者の存在を、私たちは「忘れすぎてるんじゃないの?」と藤原さんは問いかけます。
同時に、人間社会においても「分解」する役割を担う人たちーー。例えば、リサイクル業者、ゴミを拾う人、下水道の処理をする人、有機物を土壌に還す農家などの存在を忘れてはならない、と語りました。
「分解」をめぐるフィールドワーク
続いて、藤原さんはフィールドワークの事例として、熊本県水俣市にある水俣湾、不知火海(しらぬいかい)を紹介。
かつて化学工場の排水による有機水銀汚染で、多くの人が深刻な水俣病の被害を受けた水俣湾。藤原さんが『分解の哲学』を執筆する強いモチベーションになった場所でもあります。
「なぜ食べ物に毒が入ると、これだけ大きな循環の中でたくさんの人が悶え苦しみ、死んでいくのか。水俣病がなければ、私たちは、海や陸の産物が循環の中でしか食べられないことに気づかなかったんじゃないか」とその理由を語りました。
さらに、藤原さんは「食」と「分解」を軸に各地の事例を紹介。
瀬戸内海にある小豆島にあるヤマロク醤油では、醤油蔵の「木桶は微生物の宝庫」。絶滅寸前だった木桶職人に、ヤマロク醤油の醤油職人が弟子入りし技能を学んでいるそうです。
民俗学には、人間はいろんな人と協力しないと食べ物を食べられない「共食」という言葉があり、社会学では「孤食」が流行り、京都大学でも「ぼっちめし」という現象が生まれるなか、藤原さんは「縁食」という言葉を開発しました。縁食は、「しゃべらなくてもいい、カフェみたいな場所でひとりでいられる、子供食堂のような場所」を指します。
芸術家・小山田徹さんが京都の岡崎公園で開催し、藤原さんも参加した焚き火のアートイベントでは、火を囲むことで生まれるコミュニケーションの価値を再認識したそうです。
「夜中に焚き火をして焼き芋しただけなんですが、全然知らない人がふらふらと寄ってくるんです。火を囲むことですごく話が通じやすいし、火をいじっているので間が取りやすいんです」
その他、東京で開催された「仕立て屋のサーカス」の事例、ベトナムのハノイにある飢餓者を祀る廟を紹介。日本の占領期に約200万人のベトナム人が飢餓した事実があり、土の中にはいまなおたくさんの犠牲者の骨が埋まっています。
藤原さんは、「食べることは幸せな行為なんだけど、本当はものすごくグロテスクで、それの配分を制限すれば武器にもなる」とその両義性について確認しました。
都市と微生物の共生
BIOTAの伊藤さんは、給食発祥の地・山形県鶴岡市出身。高校生の時から、近くにあった慶應義塾大学先端生命科学研究所に通い、特別研究生として微生物の研究を始めたそうです。慶應義塾大学環境情報学部に進学し、学部1年の頃から研究に没頭。学会で都市の微生物多様性を議論する中で、微生物多様性を高めるソリューションを自ら作るためにBIOTAを創業しました。
伊藤さんは、群馬県の川湯村にある土田酒造での研究を紹介しました。ここでは野生酵母や乳酸菌の力を借りて、木桶で日本酒の土台となる酒母を仕込んでいます。
「発酵食品の製造ほど、人の手と環境、どちらの影響も受けているものはなかなかない。発酵は建築も含めて、どちらも生かしてグルーブさせていくか」と伊藤さん。土田酒造の木桶で、2つの論文を執筆し、論文内で用いた図をあしらった日本酒のラベルをデザインしたそうです。
続いて、ぬか床から人と微生物の相互作用を検証した事例を紹介。伊藤さんは、ぬか床をかき混ぜることで、ぬか床由来の乳酸菌が人間の手のひらに一定時間定着することを発見し、論文を公開しました。
「ぬか床をかき混ぜるという行為は、ぬか床が人から菌をもらうだけでなく、人も影響を受けている。一方的にケアしていると思っていたけど、人も見えないケアを受けている。見えない他者へのケアは自分たちに返ってくるんじゃないかと思います」
そして、BIOTAの事業として都市における微生物多様性を高めるランドスケープデザインや、日本科学未来館の展示「セカイは微生物に満ちている」の取り組みをシェアしました。
この展示によって、初めて日本科学未来館の館内に土や植物を大規模に持ち込み、クローズドな環境でも多様な生態系が維持できることを実証したそうです。
「モノカルチャーだと展示中に虫が出るけど、ポリカルチャー(複数種を一緒に植えること)であれば、中で生態系が回るから外部に影響がない。理論上は大丈夫だったんですが、初めてここで実証されました。実際、外に虫も出なかったし、粘菌やヒトヨダケも育って、カブトムシは成虫になってトークイベントにも出てもらいました」
最後に紹介したのは、アート作品としての生分解性のだるま「MycoDaruma」。
菌糸のだるまによって、土の中の微生物に再接続して、土を豊かにしながら分解するプロセスをアート化。土を豊かにしながら人間の「捨てる」という行為を、他の生き物の助けになる行動に変換する可能性を示しました。
都市における分解と微生物の未来
3人によるクロストークでは、都市における「分解」の概念の捉え方についてディスカッション。
最初に、情報学研究者のドミニク・チェンさんが手がけたぬか床ロボット「NukaBot」から、現代社会と発酵の対比について意見を交わしました。
「発酵の世界は線形じゃない。発酵は変化に気づきにくいし、いきなり変わったりする」という伊藤さん。これに対して藤原さんは「社会に対する違和感は、あらゆることを、掴みに行く。すべからくこっちが迎えにいっているからなんじゃないか」と語りました。
「NukaBot」は、ロボットと人間のあり方にも一石を投じています。伊藤さんは、「NukaBotのいいところは、ロボットだけどかき混ぜてくれないところ。『かき混ぜて』と言ってくること」と指摘します。
「NukaBotを介してぬか床と対話をくり返していくうちに、NukaBotがなくてもかき混ぜられるようになる。SNSと違って依存させない、卒業できるテクノロジーであるとチェンさんは言っていました。ぬか床がかき混ぜられるようになって使わなくなったら、誰かにあげられるんです」
ここで岩沢は、「分解を言い換えるとしたら、“手入れ”だと思っていた」と語りました。
「『かき混ぜて』は、私が手入れをすること。それをくり返して学習する。最初は手を入れさせられているんだけど、だんだん手入れできるようになっていく。その感覚を手に入れた時に、微生物や植物も含めた新しい生き物との付き合い方がわかるんじゃないか」
イベント中盤、藤原さんからの「何が私たちと微生物と触れ合うことを妨げているのか」という問いかけにより、視覚に依存した都市生活が浮かび上がってきました。
伊藤さんは、「深海にも都市にも、微生物はいる。ただ目に見えない。それによって自分たちの距離が遠くなっている。ただ、VRゴーグルで微生物が見えるようになればいいわけではない。重要なのは、微生物がやっていることに視覚以外でも気づくこと」とコメント。
藤原さんも「よく言われるが、近代は見えるもの中心に作られすぎた。匂いとか感覚、手触りよりも、目を優先しすぎている」と語りました。
人間には、感染症対策の視点から衛生学を発展させ、消毒し、下水管を作り、排泄物や腐敗と居住空間を切り離してきた歴史があります。しかし、行き過ぎた除菌や殺菌の風潮も広がりました。
伊藤さんは、「微生物の絶対量もですが、どんな種類の微生物が生息しているかも大事」と語ります。
「研究していて思うのは、特定の種、特定の菌が増えたときに悪いことが起きる。人間の世界でも、特定の人だけが増えてもその人ができることしかできない。微生物の種類が過小評価されている」
「新型コロナを倒すためにアルコール消毒はOKだったけど、その裏で消えている多数の微生物に想いを馳せたときに、(除菌や殺菌など)これまでのソリューションじゃないものがオルタナティブに浮かび上がってくる可能性はある」
キッチンで気づいたシステム化された都市生活
岩沢は、家事としての料理の経験から、キッチンやスーパーのシステムに組み込まれた自分に気づいたエピソードを語りました。
「キッチンの形態、買い物の仕組みやスーパーの動線も決まっている。売っているものも、選べるものも決まっていて、子どもがいて調理をする時間が15分、30分しかない」
「自分は選んでいると思ってきたけど、気づいたら何かのレールに乗っていることに衝撃を受けたんです。都市が効率化、最適化をされた結果で、釈迦の手のひらだった。個人ではこのシステムから抜け出せないと気づいた」
藤原さんによれば、1920年代にドイツで開発されたシステムキッチンが世界に広がったそうです。
「共産主義者で、オーストリア初の女性建築家のマルガレーテ・シュッテ=リホツキーがフランクフルトで設計したんです。彼女は共同キッチンを作りたかったんだけど、やっぱり各家庭の味は違うから、各家庭にひとつのキッチンを作ることに。できるだけ安く大量生産できて、動線がわかりやすくて無駄に時間を使わないキッチンを設計したんです」
「システムキッチンは一人に最適化されていて共有ができない。一人が前提なんです」
キッチンに自分が最適化される——。そんな施設の最適化を「施設化」と呼び微生物と関連づけて論じている友人の人類学者の松嶋健さんに影響を受けたそうです。藤原さんは、「学校も病院も、職場もそうかもしれないけど、施設化される社会。スーパーも最適化されている」と語りました。
岩沢は、都市の生活者として「自分が思っているより、施設が役割を作っている。いろんな自分がいて、本来はいろんな役割がある百姓的なのに、役割が単一化され、個別化していく。限定的な役割しか担えないと思ってしまう」と吐露。
分解の視点を持つことは、役割とシステムからの解放を考える上でヒントがありそうです。
「微生物は完璧な管理はできない。温度や雨などの要因は、自分だけではコントロールできないから。アンコントローラブルなものと、どう付き合っていくか。態度を変えていくことが、都市生活を変えていく上でも大事なんじゃないか」と岩沢は問いかけます。
「ある種の諦めが、僕は希望だなと思う」と口にした伊藤さん。
「僕は学生時代、ISS(国際宇宙ステーション)の微生物の調査をしたことがあります。ほぼ無菌と思うかもしれませんが、微生物はいるんですね。それは人が使う施設だから。人は、1時間あたり100万細胞を出している。今日この場でも微生物は大量に放出されていて互いに交換してます。だからインフラとしての微生物を考える必要があると思っています」
「僕たちが無菌環境を実現したい場合、僕たちがいなくならないといけない。なぜかというと、人間も微生物のリソースだから、人間がいるということは微生物と向き合うこと。それは時に戦いかもしれないし、時に除菌かもしれない。けれども、まずは微生物とともにあることを考えるべきなんじゃないか」
分解と都市、時間軸とスケールの違い
参加者からも「分解可能性都市」に様々な声が寄せられました。経営コンサルティングファームの方は、分解の定義と時間軸について感想をシェアしました。
「分解という言葉を捉え直すことになった。分解というと、一般的に『何かを分ける』ことになるけど、今は役割が分かれていることがまずい。分解とは、分かれている状態を溶かすことなのかなと思いました」
「気になったのは、共存していくときの時間軸です。『ゆっくり』はどのくらいが心地よいのか。本来はもっとゆっくり見なきゃいけないはずなのに、今の組織は1年単位でPLや数字を見ている。ここちよいゆっくりはどのくらいで、どう仕組みを作っていけばいいのか」
伊藤さんも、「資本主義の加速化的な側面と、マルクスが言っている物質代謝に、速度の乖離がすごく出てしまっている」と語りました。
また、森を起点に食料、エネルギー、マテリアルを循環する会社を地域ごとに作る取り組みをしている方は、都市の「スケール」を課題に挙げました。
「例えば、都市部の食品残渣(ざんさ)もすごい量が出て、それも米だけだったり、キャベツだけだったりする。混ざらないと分解しないので、ものすごいスケールが必要になる。そうなると近郊の農家さんに使ってもらえる量じゃないから、結局埋め立てをする話になってしまう」
「スケールと時間軸。どうやったら分解可能性都市が可能なのか。そのリアリティがないと啓蒙だけでは突破できないなと感じています」
「分解可能性都市」の思想とこれから
「分解可能性都市」とは、どのような街なのか。
ここで、藤原さんからは「よそ者なので、客観的に他人事のように言いますが、東京を分割しちゃえばいい」という提案が上がりました。
「いまは東京に一極集中だけど、東京はいろんな場所の寄せ集めだったわけで、もう一回戻りながら、ちょっとずつアスファルトを剥がしていく」
「東京は京都よりお寺が多いので、お寺の数の多さをもっと誇ればいい。お寺ロードを作りながら、分解できる地域を増やして、大胆に東京を再定義する。200区くらいあってもいい。それぞれが大きな農園を持つとか、それくらい大胆な話としないと今日のテーマは成り立たない」
伊藤さんは、「僕は、東京は個体数と密度が異常」とズバリ指摘。
「ある一定の区画に、めちゃくちゃライオンだけいる。そんなサバンナは怖いですよね? 人間は同種で、この密度で近い人たちがたくさんいる。メディアやグローバル化で均質化していく。それが特定のものをインプットしてアウトプットする。本当に生活様式が細分化されていたら、CO2とかその物質だけ過剰に増えることははないんですよ」
岩沢は「自治体1区あたりの種が多いほうがいいですよね。例えば1万種になったら表彰されるとか、これまでとは別の指標、評価があってもいいのかもしれない」とコメントした。
はたして、資本主義と分解可能性都市が共存できるのか。
伊藤さんの問いかけに、藤原さんは「できるでしょうけど長続きしない。資本主義、社会主義のシステムに頼るのではなく、私たちが責任を取れる小さなシステムの上にしか、分解可能性都市は成り立たない」と回答。
「一瞬共存したとしても、資本主義社会は全てを商品化していくので、分解可能都市も商品化しはじめて、そこに住みたい人がどんどん集まってきて、結局同じことが起こる。社会主義で分解可能性都市になったとしても、中央集権になるので管理がうまくいかなくなる」
藤原さんによれば、東京もかつて「分解可能性都市」を経験したそうです。
「メトロポリスだった東京が唯一、分解に目覚めたのは東京大空襲の後。要するに、破壊された後に食うものがなくなって、自分の裏庭を耕し始めた。そうでもしないと人間は気づかないのが歴史の事実です」
ちなみに、世界ではキューバのハバナが「分解可能性都市」になったことがある、と。
「これもマイナスの要因で、アメリカが(キューバが)社会主義のテロ国家だからと輸出を禁止して縁を切った。それでキューバは首都を農村化したんです。ガツンとやられないとニッチは生まれないけど、そこからニッチが生まれるんですね」
伊藤さんは、都市の開かれたまちづくりの思想と、生物多様性の環境設計の間にあるギャップを口にした。
「僕たちはランドスケープデザイン、つまり庭造りをしているんですが、閉じられることによって生まれる生物多様性があるんですね。でもいま都市の議論は、多様性といいつつ開くまちづくりにフォーカスされている。僕の中では、多様性というのはたくさんのニッチがあること。開くこととは離れているんですね」
「よく開かれた酒蔵、開かれたまちづくりとか言われますけど、その先にあるのは均質化。どう閉じこもっていくか、小さくまとまっていくかを、もっと都市の中で議論していくことも大事かなと思います」
分解と多様性の接点にある「開いてはいないけど、居ることを許される」というスタンスは、藤原さんが提唱する「縁食」にもつながります。
藤原さんは、「開くというのはしんどいこと。あらゆることを受け入れられないけど、規模が小さければ開いたことに責任は持てる」と語りかけました。最後に、ゆるやかな自治の事例として、長野県上田市や滋賀県のマルシェがシェアされました。
……
目に見えない分解を通じて、微生物を五感で感じて、“手入れ”しながら、彼らと共存する空間を作っていくこと。
人間以外のものに頼りながら、自分が持ち寄れるものを作っていくこと。巨大なシステムを前に立ち止まり、等身大の生活を営もうと試みること。
その実験の積み重ねの先に「分解可能性都市」の可能性があるのかもしれません。都市と生活を見つめ直すイベントになりました。
Next Contents