多元な世界を実現したいなら、僕らはみんな自律的になる必要がある
この記事は、12月12日(木)に開催するトークイベント「「デジタル共創社会」に向けたNECの実践から考える "プルリバース"多元世界での未来を構想する」に際して、イベント企画・登壇者の棚橋弘季が、プルリバース=多元社会という概念の簡単な解説と、環境課題や社会課題の解決のためのトランジションを目指して活動する(しようとする)方々にとって「多元社会のための自治=自律型デザイン」という考え方が、どのように有効なのかについて紹介したものです。
イベント情報
「デジタル共創社会」に向けたNECの実践から考える
“プルリバース”多元世界での未来を構想する
- 開催日時:2024年12月12日 (木)15:00-18:30、(オンライン配信は17:00まで)
- 開催場所:ロフトワーク渋谷オフィス10階(COOOP10)、YouTube
- 定員:会場参加:30人/オンライン参加:100名
- 参加費:無料
「少子化問題」を全国一律で解決できるのか?
最近、「少子化」の問題について議論をするなかで、こんな話になりました。
話の発端は「少子化対策は一筋縄ではいきそうにない」「むずかしい」という会話から。その会話を受けて、そのむずかしさの要因は、国全体として一律のかたちで「一筋縄で解決しようとする」から生じているのではと思いました。私は、地域ごとに解決する道筋がたくさんあるはずではないかと思い、「地域それぞれが独自の少子化対策を講じるのもありなのでは?」と発言しました。
このような地域個別での社会課題への取り組みについて考えることは、「少子化」の問題に限らず、多様な領域で今後は大事になってくると考えています。これほどまでに地域間格差が大きく広がっているのだから(特に東京との間で)、全国一律の解決策が功を奏することを望むのはむずかしいはずです。
さらには、そもそも土地に根ざした自然資本や人的資本、社会関係資本、さらには固有の歴史や文化という、地域それぞれが本来有している価値の源泉を活かして、自律的に地域経済・社会の持続を図ることを前提とすれば、課題の解決策も地域独自のものであるほうがよいだろうし、その解決策を実行すること自体、地域の新たな価値の源泉になることもあるはずです。例えば少子化の場合でも、地域ごとにいろんな少子化対策があれば、その魅力が地域を選ぶ理由になるかもしれません。
そんなことを考えながら私が思ったのは「あ、これってプルリバースだな」ということでした。
プルリバース(多元社会)という世界の見方
「プルリバース」。日本語にすると「多元世界」。
ユニバース(uni-verse)が世界を「単一のもの」とする見方を前提にしているのに対して、複数の世界の存在を認めるプルリバース(pluri*-verse)として世界を捉える新しい見方を指します。
*「pluri」は英語で「数個の、多くの」の意味を持つ接頭語
人類学の分野を中心に10年以上前から話題となっていた概念だそうです。実は、私も最近知りました。プルリバースという言葉が広く知られるきっかけとなったのは、この概念の提案者で、コロンビアの人類学者であるアルトゥーロ・エスコバルの著書『多元世界に向けたデザイン(原題:Designs for the Pluriverse)』の邦訳版が2024年の2月に刊行されたことでした。ロフトワークでも邦訳出版記念のイベント「人類学とデザインの協働」を開催させていただきました。
【過去開催】人類学とデザインの協働 Transition Leaders Meetup Vol.3 〜『多元世界に向けたデザイン』出版イベント〜
今年3月に、「人類学とデザインの協働」をテーマに、2018年に出版され、世界的な注目を集めるアルトゥーロ・エスコバルの著書『Designs for the Pluriverse』の日本語翻訳版『多元世界に向けたデザイン』の出版を記念して、本書の監訳を行った、デザイン研究者の水内智英さん、大阪大学教授の森田敦郎さん、合同会社Poieticaの奥田宥聡さんとともにイベントを行いました。
「世界は1つ」と見るユニバーサルな考え方は、現代の社会や生活に深く浸透しています。すこし抽象的な話になりますが、科学的・還元主義的な見方は、複雑で抽象的な事象も、基礎的な要素に細かく分解してその機能を理解すれば、全体を理解できると考えます。この立場では、個々の登場人物(人間に限らず)の感情や相互作用に先んじて、1つの(ゆるぎない)外部の世界が存在しているという信念が支配的に存在しています。私たちは、それを「客観」と呼んだりします。
それに対して、オルタナティブな考えを提示したのが「人類学の存在論的展開」とも総称される南米を対象とした人類学分野の研究です。その代表格であるブラジルの人類学者、エドゥアルド・ヴィヴェイロス・デ・カストロは、南米の先住民の研究を通じて、西洋的な「世界(自然)は1つで、文化が複数ある」という世界観に対して、彼らの世界観が「多自然主義」であることを発見しました。
たとえば、ジャガーは自分のことを人間だと思っているが、それは単に考え方=文化の違いではありません。ジャガーと人間は別の世界にそれぞれ住んでいて、むしろ同じ1つの文化を共有している、と捉えるのが「多自然主義」です。(ここではすこし乱暴にまとめていますが)
そして、文字数の都合もあるので大幅に端折りますが、これを拡張したのがエスコバルのプルリバース=多元世界という概念だと捉えられます。私たちにとって、この概念が有効だと思えるのは、この世界観に立つことで、いま世界中で噴出し続けている環境課題、社会課題が違ったものにみえてくるからです。特に冒頭に述べたような「自律分散」という観点では、それぞれ自律的に答えや規律を生み出し活用する、多元的な社会を構想できる可能性を持っています。
ユニバーサルな二元論的見方による弊害
気候変動や生物多様性の減少、食料安全保障、労働力不足、貧困や孤独の問題。これらの課題に対して、目の前の問題を軽減する対症療法的な取り組みが行われていますが、それと同時に、より根本的な原因療法として、問題が生まれる社会構造そのものを見直そうという「トランジション」の議論が活発になっています。では、社会構造をどの方向にトランジションさせれば、原因療法につながるのでしょう。
先に答えを言ってしまえば、エスコバルはそれが「多元世界の実現」であると考えています。そして、(あとで詳しく述べますが)多元世界の実現のためには自治=自律的なデザインを行う必要があるというのがエスコバルの考えです。
では、なぜ多元世界の実現が環境や社会の課題解決につながるのでしょう。
まずユニバーサルな世界観から生じている問題をみてみましょう。世界を1つと捉えるユニバーサルな見方は、正解や正義も1つだと考えがちで、そこからは「二元論的考え方」が生じます。
たとえば、次のような構図です。
- 人間/その他の生物
- 文化(人工)/自然
- 都市(あるいは中央)/地方(あるいは辺境)
- 公的領域(あるいは、外で働く人としての男性)/私的領域(あるいは、家庭内で働く人としての女性)
- ひとりで自立して生活ができている人(成人)/他者によるケア(支援、補助)を必要とする人(子どもや高齢者、障がいのある人)
こうした二元論は、多くの場合、一方を「正解=正義」を体現しているものとし、他方をそれを満たしていないためにもう一方が手助けをしてあげなくてはいけない低次のものとして扱いがちです。
その二元論の1つの例が、開発が進んだグローバルノースと「低開発」状態にとどまるグローバルサウスという見方です。G8のような先進国が「低開発」とラベルを貼ったラテンアメリカやアフリカ諸国に対して「近代化」や「発展」を支援するという名目のもと、自国の近代モデルをあてはめた「開発」を続けてきました。
その結果、それらの「開発」が行われた地域では、大規模な森林の破壊、川や土壌の汚染、生物多様性の減少、もともとあった地域経済やコミュニティの壊滅、経済格差とそれに伴う社会の分断、水の利用可能性、女性に対する差別などのさまざまな問題が生じてしまいました。エスコバルはこれを指摘し、批判しています。
70年代のメキシコでのジェントリフィケーション
より具体的な例として、エスコバルも参照しているイヴァン・イリイチが『コンヴィヴィアリティのための道具』(1973年)で例示している、1970年代のメキシコで行われた住宅政策とジェントリフィケーションの問題を見てみましょう。
イリイチによると、当時のメキシコでは、開発が進む住宅地の家賃が、国民の8割の収入総額を超えており、裕福な人、あるいは法律が直接の家賃補助を認めている人だけしか入れない状態でした。こうした格差に対処するため、すべての労働者に適切な住宅を供給することを目指した大規模な計画が導入されました。
最初に行われたのは、住宅購入者を住宅産業による搾取から保護するための新たな基準の導入でした。ところが、この基準がもたらしたのは正反対の結果でした。多くの人は従来もっていた「自分で自分の家を建てる伝統的な機会」が奪われてしまったからです。貧しい労働者たちはそれまで余暇を使ってたがいに協力しあいながら自分たちの家を建てていたのですが、新しい法律の基準は、人々が満たせない必要条件をこまかく規定してしまっていたのです。
さらに公共資金の投入も実施されましたが、貧民の居住地域の改善にあてられるはずだった財源も、特定の中心都市に隣接するニュータウンづくりに独占的に使われてしまいました。ニュータウンに居住できたのは、政府機関の勤務者や、労働組合に組織された労働者や、縁故に恵まれた人たち、言い換えれば正規の勤め口をもっている人々でした。一方、取り残されたのは、雇用されていない人、不安定な人たちで、彼らは住む家がないことで正規の雇用に必要な基準も満たせず、貧困の悪循環に陥ってしまいます。
つまり、彼らは家と同時に、仕事の機会を失ったのです。
近代国民国家は社会に産業を強制し、そのことによって国民の貧困を現代化した……建設業に対して法的保護と資金援助が行われたので、自力で家を建てようとする人びとの機会は削られ抹殺されてしまった。
――イヴァン・イリイチ『コンヴィヴィアリティのための道具』
これをシステム思考のループ図を用いて表すと次のようになります。
政府による新たな規制は、結果的にこうした問題を生じさせるシステムの構造を生み出してしまいました。そして、この構造を生み出す基底となったのは、「裕福/貧困」「家を持っている人/持てない人」「正規の仕事をもつ人/仕事をもたない人、非正規の仕事しかない人」といった二元論的なメンタルモデルの構図です。この枠組みで進められた政策が、それまで共同体のなかで共助型で家をもつことができ、仕事にもありつけた人たちの暮らしの可能性を破壊してしまったのです。
問題は二元論の存在そのものではないということだ。……問題は、……二項対立の間に確立された階層と、それに起因する社会的・生態学的・政治的帰結にある。……その中心的な特徴は、差異の分類と階層的な区別であり、近代の形態に適合しない知識や存在を支配的に抑制し、切り捨てて、従属させ、さらには破壊することである。
ーーアルトゥーロ・エスコバル『多元世界に向けたデザイン』
日本国内の「都市と地方」の問題にみる、二元論の構図
この二元論的構図とその弊害は、海の外の他人事とばかりはいえません。日本国内に目を向けても、同様の問題がさまざまな形で現れています。その典型例が、先にあげた都市/地方の構図です。
たとえば、戦後の高度経済成長期に、国内の主要産業が農業をはじめとする第一次産業から工業や商業といった第二次、第三次産業へシフトするなか、農村から都市(地方都市含む)への大幅な人口移動が起こっています。ただ、それは自然に起こったのではなく、実際は国の政策に基づくものです。
真田純子さんの『風景をつくるごはん: 都市と農村の真に幸せな関係とは』によれば、ベビーブーマー世代が中学を卒業する時期の1955年に、国内の雇用を増やすため、二次産業や三次産業のある都市部への移住を促進する「経済的自立5ヵ年計画」や、1957年の「新長期経済計画」ではさらにその計画を見直して「農業経済規模拡大と農業者人口の減少を計る」政策が推し進められました。
1961年には新規中卒の38%が出身県外で就職し、農村部から出てきた若者はやがて結婚し、都市部の核家族の増加に貢献するようになりました。1960年には農業と非農業間、大企業と中小企業間の所得格差の是正を目的とした「所得倍増計画」、1961年には農作業の効率化を目指し、機械導入の推奨、小区画の整理による大規模農地への転換を推進する「農業基本法」などが相次いで打ち出されます。
こうした政策の結果、1955年には1489万人だった第一次産業人口は、1975年には半分以下の672万人にまで減少し、一部では都市の発展や経済成長に寄与したと言えるでしょう。 しかし、生じた結果は意図通りのものだけではありませんでした。1960年には79%だった国内の食料自給率(カロリーベース)は、1970年には60%、1980年には53%まで落ち込みました。現在38%(2023年度)で問題視されている食料自給率の低下は、その頃からすでにはじまっているのです。
さらに、1970年には農村部の過疎化を問題視した「過疎地域対策緊急措置法」が制定されています。農村から都市部への人口移動を促進していたはずが、約15年後には早くも過疎が問題だということになっているのです。さらには、この法律の中身は、道路や交通・通信施設の整備、学校や病院などの整備、農道や林道などの産業基盤の整備、企業導入の促進などであり、過疎地も都市部同様の生活・産業水準にまで「開発」を進めようというものでした。そう、グローバルノースのグローバルサウスに対する視点と同じだったのです。
自律分散型社会の確立に向け、地域や企業はどうするのか?
「過疎地域対策緊急措置法」のような政策が残念ながら功を奏さなかったのは、後代の私たちの知るところです。そうしたユニバーサルな考え方による地域の問題解決からの方向転換として近年注目されるのが、各地方が「自律分散型社会の確立」を目指す、プルリバース的な政策です。
「デジタル田園都市国家構想」でその方向性が打ち出され、2024年の骨太の方針でも「行政区域にとらわれず暮らしに必要なサービスが持続的に提供される地域生活圏の形成や地方と東京の相互利益となる分散型国づくり」とその方針が明確に示されています。地域の生産年齢人口減少や、高齢者の買い物難民化やひとり親世帯の貧困などの日常生活の持続可能性の低下といった問題の解決に向けて、地域経済の復興もふくめ、若者や女性に魅力的な地域となることが必要です。その解決の方向性として打ち出されているのが、各地が地域固有の資本を用いた自律的な価値循環が行われる社会の実現です。
自律分散型の社会へのトランジションという流れのなか、変わらなくてはいけないのは地域だけではないでしょう。企業もまた、ユニバーサルな社会を前提とした向き合い方から、プルリバーサルな社会を前提とした向き合い方への変化が求められるはずです。地域それぞれが自律的に固有の社会を生み出そうとするならば、企業も従来のようにユニバーサルな発想で、すべての地域に標準化されたマスプロダクションモデルの価値提供を行うアプローチがフィットしなくなってくることもあるでしょう。
地域がみずから価値創出、価値循環を行う自律型モデルに移行していくなか、企業は新しい問いに直面します。それは、いかに各地域と価値の共創を行うモデルを確立し、自身の持続可能性を確保していくかという課題です。この問いに答えるには、企業は社会に対する関係性を従来の「需給関係」のような非対称のものと捉えるのではなく、自社と社会、そして自然環境がたがいに影響を与え合う相互依存の関係にあるものとして捉えることが求められているのでしょう。
その実現への道筋の一つとして、従来会計上扱われていなかった非財務的なインパクトを貨幣価値に換算して財務会計に結びつけて開示するための、「インパクト加重会計」と呼ばれる新たな会計制度の検討も行われています。
多元世界への鍵を握る「自治=自律的デザイン」
では、私たちは多元世界へのトランジションに向けて、どう取り組めばいいのでしょう? エスコバルは、その鍵として「自治=自律的デザイン」の重要性を説いています。
自治=自律的デザインとは、共同体があるべき姿としてみずからを実現することに貢献することを目的に、共同体と行うデザイン・プラクシスです。外部のユニバーサルな基準・規律にあわせて(あるいは、従属して)みずからのあり方(存在論)をデザインする他律的なやり方から、基準・規律そのものをみずからで生み出し維持するという意味での自律的なやり方を指します。こうしたプロセスでデザインされた共同体が各地に生まれてはじめて、多元的な世界が実現するという考え方はよくわかります。
エスコバルは、この自治=自律的デザインを実現する前提として、次の5つのポイントを提示していますが、これが私たちがトランジションに取り組む際の参考になります。
- すべての共同体は、それ自身をデザインしている
自律的であることを目指すのであれば、この前提は欠かせません。他律的な基準や外から提供される価値に頼ることで強化された「分断」という共同体内の関係性(それは社会関係資本である)を再構築するためにも、共同体内の複数の組織間や個々人との社会的関係、自分たちの実践的な取り組みや地域固有の環境とのつながりなどを再度デザインしなおすことが求められています。 - すべてのデザイン活動は、人々こそが自分自身の知識の実践者であるという強い前提から出発し、そこから人々が自分たちのリアリティをどのように理解しているかを考えるべき
共同体の内部にいる人々は、他律的な知や外部からの力に頼りきった共同体のあり方やしくみを期待するのではなく、自分たちこそが自分たちのことを知っているという前提に立って、自分たちの共同体をデザインする必要があるでしょう。 - 共同体がデザインするのは、まず第一に共同体自身を探究し学習できるシステムである
外部のデザイナーが共同体の共同研究者になるとしても、共同デザインの過程では共同体自身がみずからのリアリティを調査する必要があります。共同体の内部の人自身が自分たちが持続可能に生きるためのリアリティをどう理解しているかを明らかにするために。 - すべてのデザインプロセスには問題と可能性の提示が含まれる。
外部のデザイナーと共同体は目的に同意し、従来のユニバーサルなアプローチではなく、共同体固有の行動方針を決定します。そのためには固有な問題の構造を明らかにし、プロセスに参加する人たちのあいだで共有できるようにすることが必要です。これにより、変革のための実践や新たな創造が可能になる道筋を考えられるようにします。 - この実験は、共同的な懸念事項を発生させるシステムのモデル構築というかたちをとりうる
エスコバルは実験の前提は「問題を発生させているシステムのモデル構築というかたちをとる」と言っています。これはシステム思考における問題の構造を把握するやり方と同様です。ループ図のような表現で、システムのモデルを構築することで私たちはそれに対して何ができるのかを明らかにできます。
そして、明らかになったAs-Isの問題構造のシステムに対して、どのような介入を行えば問題が発生せず、よい結果が生まれるシステムへの改変できるかをTo-Beのモデル(変化の理論、Theory of Change)として描ければ、その実践のために行うべき一連のタスク、組織的実践、さらにはデザイン課題に関する効果の評価基準をの設定が可能となります。
「デジタル共創社会」について考えたNECとの共同プロジェクト
問題を生み出す社会構造そのものを理解し、どこにメスを入れれば構造に変化をもたらし、自律分散型で地域の富を創出・蓄積できるような社会のしくみがつくれるのか。そんなトランジションに向けたビジョン検討からはじめるプロジェクトが、ロフトワークでも増えてきています。私たちはそうしたプロジェクトで、システム思考や人類学に根差したデザインリサーチの手法を活用しています。これからの自律分散型の社会における「デジタル共創社会」について考える活動の一環として、ロフトワークがNECのデジタル・ガバメント推進統括部との共同で実施したプロジェクト「Naked2:未来価値研究」もそのひとつです。
プロジェクトでは、以下のアプローチを通じて、より深い洞察を得ることを目指しました。
フィールドワーク
ボトムアップ型の自律的・自主的な市民が中心になった組織や取り組みが地域の課題の解決のために行われている先行的事例について理解を深めるため、群馬県前橋市や島根県雲南市でのフィールドワークを実施しました。
文献調査
フェミニズム理論、社会的連帯経済をはじめとする自治・市民参加の活動についての研究、あるいは、政治哲学史や都市論、家族社会学、民主主義をテーマに扱った人類学、農業と地域・自然環境との共生の可能性を論じた本、さらには先のイヴァン・イリイチをはじめ、ジュディス・バトラー、アントニオ・ネグリ/マイケル・ハートらの哲学書など、多岐にわたる分野の20冊以上の書籍を含む、調査を行い、プロジェクトの基盤としました。
システム思考による構造化
調査から得たたくさんの情報をもとに、システム思考の方法を用いて、戦前からの社会システムの変遷をたどりなら、現在の問題の構造を明らかにし(ループ図)、その問題に対してどのような介入(レバレッジポイントの検討)を行うことで解決に向けた新たな社会システムの創出ができるかという仮説を描きながら、その実現に向けての戦略とNECとしてのビジネス機会を明らかにしました(変化の理論)。
イベント「“プルリバース” 多元世界での未来を構想する」
さて、来る12月12日(木)には、「”プルリバース”多元世界での未来を構想する」と題して、トークイベントを開催します。このイベントでは、「「デジタル共創社会」に向けたNECの実践から考える」というサブタイトルどおり、このプロジェクトでの取り組みの紹介とそこで得られたインサイトについて具体的に紹介します。あわせて同様の取り組みを伴走型で実施するためのサービス「SYSTEM IMPACT LAB. – システム思考と人類学的アプローチを取り入れたデザインリサーチの方法を用いて社会的インパクトをもたらす構造を明らかにする」についてもご紹介。
もちろん、前半では「プルリバースとは何か」「その考え方がなぜ、これからの社会において重要なのか」「プルリバースについてより深く考えるために私たちは何を学ぶとよいか」を、エスコバルの『多元世界に向けたデザイン』の監訳者のひとりであり、南米を対象とした研究が専門の人類学者の神崎 隼人さんをゲストに迎えてお話しいただきます。
プルリバースに興味をお持ちの方、トランジションに向けての活動を実践していこうと考えている方、ぜひご参加いただき、「多元世界に向けてのデザイン」をいっしょに進めていきましょう。
イベント開催情報
「デジタル共創社会」に向けたNECの実践から考える
“プルリバース”多元世界での未来を構想する
- 開催日時:2024年12月12日 (木)15:00-18:30、(オンライン配信は17:00まで)
- 開催場所:ロフトワーク渋谷オフィス10階(COOOP10)、YouTube
- 定員:会場参加:30人/オンライン参加:100名
- 参加費:無料