全員で同じ時間に出社し、同じ机に向かって仕事をする。いつからか、そんな働き方は過去のものになりつつあります。

こんにちは。マーケティングの山口です。みなさん今、どんな働き方をしていますか?

ロフトワークでは、17:00までの時間短縮勤務(通常は10:00 – 19:00の土日祝休み)や、週4日勤務などライフスタイルにあった様々な働き方が認められています。そんなロフトワークにおいて、ひときわ異彩を放つのが、フルタイムから、週3日勤務に変更し、残りの時間で農業をはじめた、テクニカルディレクターの大森誠です。大森の、新しい挑戦について所沢にある大森が働く畑で聞きました。

実はやりたくなかった肉体労働

ロフトワーク テクニカルディレクター 大森 誠

— まずは普段のロフトワークでのテクニカルディレクターの仕事について教えてください。

大森 ロフトワークで担当するプロジェクトはクリエイティブディレクターが中心となって推進します。彼らは、プロジェクト全体のマネジメントとクリエイティブ面の品質を担い、テクニカルディレクター(以下TD)は、例えばWebサイトを作る場合に、知識や技術でディレクターを支援したり、クライアント側のシステム部門の方とコミュニケーションをとったりします。あと社内のネットワークが不安になったら原因を調査したり、社員の増減に伴うPCの準備なんかもしています。

–大森さんロフトワークの前はエンジニアをやっていたんですよね?エンジニアになろうと思ったきっかけはなんだったんですか?

大森 大学が情報系の学部だったこともあり、システムエンジニアとして様々な開発に携わりたいなと思っていました。何か特別な想いがあったわけではないんですが、今思うと、あまり肉体労働をする職業にはつきたくないなと思っていました(笑)。

TDとして勤務している時の大森

— 今思いっきり肉体労働ですね(笑)

大森 そうなんですよ。どうなるかわからないもんですよね。当時はどちらかというと人をマネジメントする側になりたいと思ってました。 

— 人をマネジメントする側になりたい……。結構野心家だったんですね。

大森 僕が中学生の頃(90年代中盤)、大手証券会社が倒産したり、銀行がなくなったりとか。世間一般の安全や安心の定義が揺らいでいた時代でした。そんな時に肉体労働というのは、体を壊したり働けなくなった時に、生活に困ったりするんだろうなと漠然と考えていました。

— なるほど、危機感みたいなものがあったんですね。エンジニアという職業に興味を持つようになった原体験はあるんですか?

大森 特定の原体験があるわけではないんですが、プログラムを書いてもうまくいかない時に、ひとつひとつ原因を切り分け、トライアンドエラーを繰り返しながら作り上げていくことに、面白さを感じていました。

農業を副業にする。大切な家族のために、悩み抜いた結論

— 大森さんが、週3日勤務で、農家をやるというのを聞いた時、驚きました。

大森 元々妻の実家が代々農家をやっていたんですが、3年ほど前にお義父さんが病気で倒れて、しばらく畑に出れないタイミングがありました。手を入れないと折角の作物が駄目になってしまうこともあり、週末に農作業を手伝うようになりました。  

— そういうきっかけだったんですね。代々農家というのは、どのくらい歴史があるんですか?

大森 20代以上の歴史があるそうで、400年くらい前からこの土地(所沢)で農家を営んでいるようですね。

金子農園のみなさん

— 400年!!って江戸時代初期じゃないですか。すごいですね。

大森 昔は、養豚とか畜産業も一緒にやっていたこともあるみたいです。  

— 現在は主にどんな農作物を生産しているんですか? 

大森 市場の流行りや需要など、その時々にあったものを生産しています。今は枝豆や小松菜ですね。

家族のチームプレイで枝豆の種を植えていく

— ご実家の農作業を手伝うようになってから、週3日渋谷でTDとして勤務し、残りの2日で畑仕事というのはどのような経緯でなったのですか?

大森 当初は週末だけ手伝うだけでしたが、これが思っていたより楽しく、やり甲斐もありました。そんな生活を1年くらいしていました。一方ロフトワークの方では、おかげさまで、規模の大きな案件をたくさん担当させてもらっていたのですが、心のどこかで、疲れたなと思ってしまったんですよね。

きっかけの一つは、自分の母が網膜色素変性症を発症し、目が殆ど見えなくなってしまったことです。実家に帰って母と話したり買い物にいったりすると、母親に対してイライラしている自分がいたんですよね。目が見えないから手を繋いで歩いても、ゆっくり歩かないといけない。でも自分は頭の中で、仕事のことをせわしなく考えていて……あぁ自分はなんだかすごくイライラしているなと感じたんですよね。

 

— 仕事のよるストレスもあったのですかね。

大森 そうかもしれないですね。母を手伝った後、対応しなければいけない仕事のことを考えていて、きついなぁというのと、農作業って楽しいなっていうのと。両方あったんですよね。

— 確かに大森さんの担当している案件は、どれも巨大というか、途中から常住でクライアント先にいたりましたよね。ロフトワークではあまりない働き方になっていてましたね。

大森 そうですね。なので、実はロフトワークは「辞めます」と言ったんですよ。そこで時短勤務の話をもらったんです、週4でどうって?でも週4だと平日1日畑にでるだけで、どちらも中途半端になりそうだったので、週3という希望を出しました。

畑の日も、出勤の日も変わらず5:30に起きる

–週3TDで週2農家という生活をはじめてみていかがですか?

大森 まず、「辞めます」と言った時の心理状況、イライラは解消されました。それぞれの仕事を楽しめるようになりました。TDを楽しめるようになったのは大きな変化ですね。

— 強制的に切り替えるられることで余裕が生まれたんでしょうか。

大森 そうかもしれませんね。種をまいたり、農作業中にTDの仕事のことを考えていたりすると。結構よい考えが浮かんできたりするんですよね。

— 朝起きて、今日どっちだっけ?っていう日ってあるんですか?

大森 それはないですね。たぶん前日から明日はこうだって決まってるから。

— そうなんですね。でも起きる時間全然違いますよね。

大森 あまり変わんないですよ。会社に行く時も5:30に起きてますしね。朝起きて、家でひと仕事してから、出社することもあるし、畑の日もTDの仕事の状況を確認して、これだけはやらなきゃだめだなっていうことがないかを確認して、あったら対応してから畑に出るようにしていますね。畑の日とTDの日で生活のリズムを変えないのが今のところうまく回っている秘訣かもしれません。

 

–超朝型ですね。でも会社にいかない日って少し気が抜けてだらっとしてしまったりしませんか?

大森 もちろんありますよ。先日の送別会の時、本当は翌日の朝から畑でしたけど、帰ったのが朝だったので、天気が悪かったこともあって、お昼まで寝てました(笑)

–そうですよね。雨降ったら仕事できないわけですもんね。凄いですね。5:30起きなんですね。大変なことはありますか?

大森 畑の日を潰して家でロフトワークの仕事をしていることもありますよね。案件が佳境になってくると、仕方ないのですが、その状況が続くと、会社行ったほうが効率的だな……と思うことも時々ありますね。

–そうですね。それは週4勤務の社員の働き方を見ていても思います。完全に分けるのは難しいところもありますよね。

漠然としていた不安が、具体的な課題感に

–まったく違う領域の仕事してみて、気づいたことってありますか?

大森 農業を本格的にやろうと思ってから、色々と勉強しました。それによると農業に従事している人の平均年齢は66歳だそうなんです。これ、あと10年後どうなるんだろうっと思いました。テレビ番組などの地方ロケで農家やっている人のところにいくと、だいたい高齢者ですよね。

農家=高齢という情報発信が多いと、今の若い人が農業をやりたいと思うのかと不安になりますね。若者が全然自分とは違う世界として線を引いてしまうというか。そのあたり、かなり意識が変わりました。色々なものに対して漠然と不安を抱いていたことが、具体的な課題感に変わりました。

— ビジネスとして大きくしていこうという展望もあるんですか。

大森 貧乏で苦しい思いするだけだと、誰も農業なんてやりたがらなくなってしまうので、ビジネス的なある程度の成功は必要ですが、大事なのは継続だと感じています。この畑の風景を10年後、20年後も変わらずに残していきたいと切に思います。

— そんな想いが芽生えるんですね。

大森 芽生えるんですよね。ここをなんとか次の世代にと思いました。次の世代に残していくために、ちゃんとお金を稼がないといけない。

— この風景を残したい。とは、僕は思ったことないかもしれない。大森さん生まれてずっと所沢ですか?

大森 いや中学からです。中学からなんですけど畑仕事をしていると、ふと思いますね。この風景残したいって。

— だからちゃんと勉強もしなきゃってなるわけですね。

大森 今6次産業っていう考え方のがあるの知ってますか?1次産業+2次産業+3次産業を合計して6次産業。自分たちで生産したものを、加工して販路も作って販売する。こういうことを考えていると、ただ作るだけじゃないし、どう食べてもらうかまで担うのは楽しいじゃないですか。思っている以上に可能性はあると思います。

 

コンビニで野菜の家庭栽培キットの販売を始めたり、生産をとりまく状況は少しずつ変化してきているのを感じます。近い将来。手作りのものをみんなで売り合うということが当たり前になったりするかもしれません。家庭菜園で作ったものを売り合うというか。そういう時に柔軟に対応していける生産者でありたいですね。

渋谷時々所沢で目指す新しい兼業農家スタイル

–今のTDの仕事を続けながら新たに農業に取り組むのは、結構な挑戦だったと思います。いきなり農業に完全に切り替えるのと、ダブルワークとしてはじめるのは、どっちがよかったですか?

大森 僕の場合はダブルワークでよかったですね。ダブルワークというか、農家の場合は、昔から兼業農家っていう言葉もあるわけです。ただ、兼業農家というと、農家をやっている人が、空いている時間に別の仕事で生計を立てるという印象がありますが、他の仕事をしている人が、時間を作って農家をやるという逆のスタイルはありだと思いました。幸いまだお義父さんも元気で、一緒にできるし、世代が完全に交代しているわけではありません。これまでずっと会社員として定収を得ていたので、完全に農業に切り替えるのは、収入の面でも不安もありましたしね。

–確かに。一定の収入を得ながらだと新しい挑戦をする敷居は下がっていきますね。無理だったら最悪戻れるわけですし。そういう覚悟がよいのかわるいのかという精神論は置いておいても。現実的には低リスクでいける。今後はどうしていこうと考えているんですか?

大森 お義父さんが元気なうちは今の働き方を続けると思います。収入面での不安や、実際に生産できる農作物のクオリティもまだ自信はありません。でも45歳までに申請するともらえる農業次世代人材投資資金(旧青年就農給付金)という制度なんかも利用しつつ、世代交代の時期も徐々に考えていかなければいけないですね。これは45歳までに、農業に従事する人に最大で年間150万円の支援が最大5年間もらえる制度です。今36なのであと少しですね。

— 確かにその頃になると、世代交代という話なのかもしれませんね。

大森 露地栽培※はコントロールが難しいので、兼業農家として自立するために、よりコントロールできる設備に投資したりする必要もでてくると思います。例えば渋谷の会社で水やりの指示をしたりできる状況ですね。

※露地栽培:植物を自然の土地や畑、つまり大空のもと、屋根やハウス無しで育てること

選択肢はあるけど、どれも大きな決断がいる分、怖さはありますね。今はとりあえず学びの期間としてとらえていますが……。でも何年かやるうちに、自分なりの美味しい野菜の作り方を確立するんでしょうね。疫病とか怖いこともありますが、400年続いているということもありますし、なんとかこの景色を残していきたいですね。

それから、今はまだロフトワークの活動と、個人経営の農家には距離はありますが、渋谷と所沢を行ったり来たりしながら農業とロフトワークを繋げられたら、新しい兼業農家としてのスタイルを確立できそうで面白いだろうなぁと思っています。

–そうですね。10年後くらいに、またこの場所で、話聞かせて欲しいです。今日はありがとうございました。

編集後記

漠然とした不安感が課題になった、という言葉がとても印象に残りました。それはたぶん少し遠くからぼんやりと見ていたものごとを、自分の近くに引き寄せる、もしくは自分から近づくという挑戦をした人に見える景色なのかもしれません。そう考えると自分のまわりにも漠然とした不安はいくつかあって、これを課題にして、解決の糸口を探るためには、新しい一歩を踏み出す必要があるんだなと、畑の真ん中でイキイキと新しい挑戦について語る大森の話を聞いていて思いました。(山口 謙之介)

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