セイカン株式会社 PROJECT

企業の“らしさ”をどう受け継ぐか?
創業58年の農業企業が取り組んだ「社史」プロジェクトのあゆみ

創業から長い時間を経た企業ほど、積み重ねてきた「その企業らしさ」を受け継いでいくことは難しい。創業期を支えた人々が前線から退いたとき、そのことをより強く感じることでしょう。

企業が活動を継続し、価値を提供し続けていくために必要なのは、仕組みや事業の更新だけではありません。創業時から受け継がれてきた経営哲学や組織文化――すなわち、“その企業らしさ”の源泉をどう継承し、次の時代の力へと変えていくかが問われています。それは、組織の存在理由であると同時に、顧客や社会から選ばれ続ける強みにもつながっていくはず。

そんな組織の強みを、下の世代へどう継承すればいいのでしょうか?

ロフトワークはこの問いに対して、ただの記録文書ではない、“生きた社史づくり”というアプローチによって支援しました。北海道・帯広と札幌に支社を置き、農業資材の販売と修理を担う株式会社セイカン。農業に真摯に向き合い続けてきた会社の歴史と姿勢を社内外へと発信し、残していくための取り組みについて、セイカン株式会社・副社長の塚田博信さんと、株式会社ロフトワークの山田麗音、福田悠起とともに振り返ります。

北海道の地で、企業が気づいた“らしさ”とは

セイカン株式会社のロゴが掲げられた、会社の建物の一角の写真

成長を遂げた多くの企業がそうであるように、セイカンにも、熱い思いによって突き動かされた会社の黎明期がありました。

昭和43年(1968年)、ドラム缶洗浄業として創業した同社。北海道の農業の大型化や機械化が進む前の時代から、生産者や農協の声に応えてさまざまなチャレンジを続け、多くの商品を開発してきました。社名を変え、事業の内容を拡張しながらも、創業者たちが変わらず言い続けたのは「農業のためにやるんだ」というメッセージ。

なかでも、数多くの商品と事業を生み出してきたのが、二代目社長(現会長)の塚田英樹さん。彼は「農家さんを回って見えてきた事情を形にしているから、農家の人たちが開発した商品なんです」と農業に取り組む人々への敬意を表し、「形にしてくれたのは、社員たちです」と共に働く人々を労います。その背中を追いかけるようにして働いた多くのベテランメンバーは、営農資材の販売だけでなく、農家さんのさまざまな相談に乗り、少しずつ、信頼と関係性を積み重ねていきました。

田んぼのなかをトラクターが走っている写真

しかし、会社の黎明期を支えてきた英樹さんが会長へ就任、当時の現場を動かしていたメンバーも経営層へ入っていくことで、大きく組織は変化します。そのなかで浮かび上がってきたのは、属人的な判断と関係性によって築かれてきた「セイカンらしさ」を、どう継承すればいいのか?という課題でした。2028年には創業60周年を迎えるセイカン。次の10年へと歩みを進めるためにも、この課題に大きな危機感を持った代表取締役副社長・塚田博信の音頭のもと、株式会社ロフトワークが相談を受け、会社のDNAを後に残すためのプロジェクトがはじまりました。

応接室で男性3名が席に着き、話をしている写真

▼座談会の参加者:

塚田博信(セイカン株式会社):同社 代表取締役副社長。父・塚田英樹らとともに、農業資材の販売・販路開拓などの業務を行ってきた。「セイカンらしさの継承がされていない」という危機感から、今回のプロジェクトを立ち上げる。

山田麗音(株式会社ロフトワーク):シニアディレクターとして、同プロジェクトに参加。リサーチフェーズ、WEB制作フェーズ、浸透施策フェーズそれぞれに関わり、クリエイティブの監修と計画立案を担った。

福田悠起(株式会社ロフトワーク):プロデューサーとして、浸透施策フェーズから同プロジェクトに参画。社史を起点に、組織に本質的な変化をもたらすための構想を検討している。

(以下、対談)

──企業にとっての「らしさの喪失」という課題について、考えるようになったきっかけを教えていただけますか?

男性の写真。真剣な表情で人の話を聞いている
代表取締役副社長・塚田博信さん。先代が北海道で広げた鉄コンテナ販売の販売網を全国へと広げ、セイカンが「全国の農業に貢献する」ことに舵を切った立役者でもある。

塚田博信さん(以下、塚田さん) 昔はそもそも、自分たちの「らしさ」がなんなのかわかっていませんでした。ただ必死に、農家のみなさんに怒られながら、求められることに応えていた。

一方で、組織課題として社員の定着率が悪く、退職が続く状況がありました。このままでは組織が持たないんじゃないか?と感じたんです。ただ、社員のいない時代から自分たちで事業をつくることで会社を牽引してきた会長には、「組織づくりの課題」を共有することが難しかった。

──先代は言葉よりも具体的な打ち手で、会社を動かしていく方だったんですね。

塚田さん そうですね。でも、当時セイカンも50年続く企業になっていました。50年も続くなら、何か強みや理由があるに違いない、サービスや商品が強みじゃないとしたら何が強みなんだろう?と考えるなかで、辿り着いたのは「農業に向き合う姿勢そのもの」でした。

振り返ってみれば、事業はなんでもよかったんです。農業が困っていることを、事業にする会社でしたから。

少し色褪せた昔の写真。農業の道具が壁にたくさん吊るされた部屋で、男性4人が話し合っている
1985年、プラザ合意を受けて進行した急激な円高に対して、「円高差益を農家に還元するチャンス」と動いたセイカン。はじめての海外取引にチャレンジし、農家の課題解決と、農業のコスト削減に取り組みました。
芋がたくさん入ったコンテナを、運搬車から重機で下ろしている様子
2001年、取引先の農協から「本州の会社から購入したコンテナの状態が悪いので、どうにかできないか」と相談を受けたことから、中国各地のメーカーを訪問して低価格で高品質なコンテナ製造を模索。2003年に発生した十勝沖地震ではセイカンの鉄コンテナが揺れに耐え、農作物を守ったことで、メーカーとしての信頼を獲得することに。

ロフトワーク シニアディレクター 山田 麗音(以下、山田) その姿勢は、今回のプロジェクト中にも垣間見えました。取材の一環で営業担当の方と農家さんを訪問したことがあって。雑談しながら農家さんの困りごとを聞くなかで、営業の方が最初に勧めた解決策が、セイカンでは取り扱っていない商品の購入だったんですよ。

僕はそれに驚いて。本当に農家さんにとっていい選択肢の話をしているんだ、と思いました。話し込んでいくうちに、「セイカンで作ってみましょうか?」と言う話にも発展して……営業の渡邊さんという方だったんですけど。

──渡邊さんは、入社してから長いメンバーなんですか?

塚田さん 在籍二十数年で、会長たちが現役だった時代に一緒に働いたメンバーですね。やはり、その世代のメンバーには既に「セイカンのらしさ」だったり「DNA」のようなものは継承されていると感じます。

──そうした社員もいるなかで、なぜいま「らしさが継承されていない」という危機感を感じる状況になったのでしょうか。

塚田さん 継承が難しくなった一番の原因は、現場で、背中で判断を見せる機会がほとんどなくなったことだと思います。会長や創業を支えたメンバーが抜けられて、私と社長(兄・塚田真敏)が経営に入らないといけなくなった。そのあとに入社したメンバーの方が、今は多くなりました。

かつては、社内での「らしさ」の占有率のようなものが大きかったと思います。何かイレギュラーがあったときに「セイカンならどうするか?」と考えられる人が多かった。

山田 一緒に取引先を回ったり、営業活動に同席したり、会長のお宅で社員の方々とお客さんでご飯を食べたりもしていたと聞きました。そうやって一緒に働くなかで、OJTのように機能していた部分はありそうですよね。

──具体的にどのような場面で、「継承されていない」と感じるのでしょうか。

塚田さん 前提として、今のメンバーがいい悪いとかではないんですよ。ただ、そこかしこで「どうしてそういう動き方をするんだろう」「どうしてそう判断したんだろう」という違和感が増えてきて。どこかで踏みとどまらないといけないと感じました。

どこの会社もそうですが、成長してしまうんですよね。成長後に創業メンバーが現場から抜けると、全く違う組織になってしまう。仕事のフローは継承されても、細かい判断軸などのディテールの部分にズレが立ち現れてしまうんです。

歴史の保存か、DNAの伝達か?プロジェクトを進めるなかで起きた対話と議論

──塚田さん自身も、「当初は何がらしさなのか、強みなのかわからなかった」と話されていました。何が強みなのか、気づいた瞬間はどこにあったのでしょうか?

塚田さん 何年か前にあった、大きな商談がきっかけでした。

海外製の商品も多いセイカンは当時「国産か?中国産か?」みたいな競合関係のルールに巻き込まれていて、営業するにも品質証明書や強度試験証のようなものが必要だった。ただ、少しずつ情報を発信しながら販売するうちに「セイカンから買う商品は問題ない」と言う市場からの認知が積み上がっていきました。

ある日の商談で、僕は強度試験の話をしなかったんです。

「正直、いまお客さんが使っている鉄コンテナのメーカーを悪いとは思わないし、うちも引けをとっていない。ただ、セイカンは50年間農業のことを考えて、今も現場で走り回っている会社です。鉄のことを考えている会社か、農業のことを考えている会社か、どちらで買うべきかは決まってくるはずです」と話して。無事に、受注することが出来ました。

応接室のソファに座った男性が、インタビューに答えている様子

塚田さん その帰り道に、10年以上悩んでいたことがスーッと整理されて。「自分たちは商品や鉄コンテナを売ってきただけじゃないんだ」と気づいた。農業に真摯に向き合う姿勢こそが、自分たちが自信を持って提供しているものだとわかりました。

会長から何度も聞いた「農業のためにやるんだ」という言葉も、ようやく事業の考え方と繋がりました。全体戦略のあり方とか、広報戦略、マーケティングの部分もどんどん変えていきましたね。

──そうしたきっかけを経て、今回のプロジェクトに繋がった。ロフトワークと一緒にはじめることになったきっかけはなんだったのでしょう?

福田 一番最初のきっかけは、6年前にコーポレートサイトのリニューアルをお手伝いしたことですよね。そこから弊社メンバーが色々お話しさせてもらうようになって。

応接室にいる男性が、話しかけている様子
プロデューサーとして今回のプロジェクトに携わった福田(ロフトワーク)

塚田さん 会社の歴史を残したいが、どんな方法が良いか、ということは相談していたんですよね。

──今回のプロジェクトでは、「社史」というアプローチに注目する形になりました。ただ、歴史やレガシーを今の社員に継承するという目的なら、「理念の更新」や、「ミッション、ビジョン、バリューを新しくつくる」という選択肢もあったかと思います。そうならなかったのは、なぜでしょう?

塚田さん 理念って、みんなが考えて動くうちに自然とつくられる「社会組織行動」だと思うんです。それに悩んでいる時に新しい理念を作ったり、教育したりすることが有効だとは思えなかった。

むしろ、“消費行動喚起”に近いことをやるべきだと思いました。社員の納得、理解、内省があって、行動に繋がっていくような。だからこそ、歴史を使って会社の考えてきたことを体感してほしい、という軸がずっとあった。アイデアには悩んでいたけれど、少なくともオフィスに置かれた分厚い「百年史」のようなものではないと思っていました。

福田 WEB社史といういまの形になったのは、ロフトワークのプロジェクトの進め方の特性も、関係していると思います。企業のつくりたいものに対して、決めきった提案をするのではなくて、対話をしながら一緒に考えをまとめていく。

建物の屋根の下で、酪農家の方に挨拶をするロフトワークの面々
「歴史を残したい」というセイカンの思いを受け、ロフトワークは札幌・帯広に訪問。北海道現地のライター・フォトグラファーとともに取材を重ね、農家さんを含む13名以上の方々へのインタビューを行うことで、農家さんとセイカンの関係や、現場の人々の考えを紐解いていった

山田 歴史を残すためのリサーチを行うことが、プロジェクトのフェーズ1になりました。「どうすれば、社員に伝わるのか?」という届け方について議論を重ねてきましたね。

社史制作プロジェクトのフェーズを説明する図版。2024年6月〜8月にはフェーズ1としてリサーチ・方針策定が行われ、2024年11月〜2025年3月にはフェーズ2としてWEBサイト制作プロジェクトが、2025年7月〜9月にはフェーズ3として周知施策・中長期計画策定のプロジェクトが行われたことが示されている
プロジェクトは3つのフェーズに分けて計画され、実行に移されました
応接室のソファに座る男性が、インタビューイーに対して話しかけている様子

山田 歴史って、体験した人にとってはエポックなものだし、美化されていくこともある。だからこそ、その時代にいなかった人に「与えられた教材」だと捉えられてしまうと、塚田さんがやりたかったことと乖離してしまうのではという懸念を持っていました。

若手の社員たちに伝えて、「らしさ」を継承していくことが最終的な目的だからこそ、親しみやすい形で社員に届ける方法も模索したかった。

塚田さん ロフトワークさんから「ただ作っても、伝わらないのでは」と言われて納得した部分がありつつ、表現をカジュアルに寄せすぎると過去の事実が柔らかくなってしまうのでは?という懸念もあって。

ただ、今回はそこの綱引きがうまく作用したんじゃないかと思います。

山田 こうした議論を通じて、「セイカンDNA」と「ANDセイカン」という二つの入り口があるWebサイトを作成しました。

ひとつめの入り口が、「セイカンDNA」です。このサイトは、セイカンが歩んできた事業の歴史を、エピソードとともに振り返るもの。黎明期を支えた先人たちの試行錯誤が一次情報を通して描かれ、時代によって移り変わる様々な農業の課題にどのように向き合い、解決策を見つけてきたのかを読むことができます。

会社の歴史を伝えるサイト「セイカンDNA」。ドラム缶洗浄、ホームタンク洗浄、営農資材販売、工具輸入、農業システム開発……と、農家さんの困りごとに応えることで次々と事業が拡張していくさまや、黎明期を支えた先人たちの苦労と足跡が詰まっている

山田 ふたつめの入り口が、「ANDセイカン」です。このサイトでは、社史に書かれた事業の歴史やエピソードについて、社員のみなさんがコメントできる設計を選びました。そうすれば、いまここで働く人たちがどう読んだか、何を思ったか?を、セイカンの歴史に付け加えていくことができるのではないかと。

セイカンの歴史に、社員がひとこと加えられるサイト「ANDセイカン」。「歴史をどう見たらいいのか?」がわからない時、先輩社員たちの感想や言葉が足がかりになるのではないかと考えられた

山田 ANDセイカンを作るにあたり、各課の課長やチームリーダーのみなさんに社史の記事を読んでもらい、コメントをいただきました。セイカンで長く働くベテラン社員の方々が歴史をどう捉え、社史をどう読むのか? そこにもまた、らしさの継承のヒントがあるように思いました。

塚田さん 作っていただいたどの記事も、当時の風景が頭の中に展開されるような、リアルなものになりました。十分に追体験ができると思います。

読んでもらうために必要なのは「共感」だと思いました。実際に体感したことのない感覚や思いを伝えるために、過去の社史を切り取りながら、共感してもらえるような“ストーリー”として記事を作った。

さらに、一緒に働いたことのある先輩社員の言葉を添えることで、会長や社長の抱いてきた思いを噛み砕いて伝えることができる。そうすれば、若い社員もどこか「自分と関係がある」と思いやすいんじゃないか。「ANDセイカン」という二つ目の入り口があることで、いいきっかけを作れたかな、と思います。

社内に張り出されたポスターの様子

さらに、WEB上にある社史を普段の仕事のなかで気にかけてもらうための浸透施策として、社内掲示ポスターを制作。企業名の由来にクエスチョンを掲げたり、創業時に洗浄した地面いっぱいに横たわるドラム缶の景色をポスターにデザインしたりと、セイカンの過去が気になるようなフックをつくりました

リーフレットが机の上に並んでいる様子

WEBで記事を読む習慣がない方々に向けて、リーフレットも制作

机の上にあるタブロイド版の中身を、ページをめくって見せている様子

WEBを読むことに慣れていない会長にも今回のプロジェクトでまとめたセイカンの歴史を読んでもらうため、文字を大きく読みやすく再編集したタブロイド版も制作

社史が完成し、ようやく継承のスタートラインに立った

──今回のプロジェクトを通して、改めて発見できたことはありますか?

塚田さん 実は、会長への取材はほとんどがはじめて聞く話ばかりでした。創業時の様子を詳しく聞いたのも、どうしてこういう事業展開に至ったのかもはじめて知ったので。すごく印象的でしたね。

会社の2代目社長・塚田さんがインタビューに応えている様子
創業者である父・塚田五郎から会社を受け継ぎ、さまざまな事業を育ててきた2代目社長・塚田英樹さん。記事を読むと、彼をはじめとする先人たちの判断の積み重ねが会社の人格を作ってきたことがよくわかる

塚田さん 高橋元専務のお話もよかった。会長とともに何度も失敗しながら、その度に工夫したりお客さんに謝ったりしながら、信頼される仕事を増やしてきた。「試行錯誤して今の形になっている」「成長過程にはそういったものがつきもの」という言葉にも、共感があります。

自分自身、こんなにきついのになんでここで働いているんだろうって思うことがあったけれど、高橋さんの話を聞いて「そういうセイカンが好きで頑張ってたな」と思ったんです。

セイカンの元専務・高橋さんが倉庫に立っている様子。笑顔で腕組みをしている
セイカンの数々の現場を切り開いてきた元専務・高橋さん。現在も相談役として会社に関わっている

塚田さん 会社のこれまでを振り返ることができたという意味で、今回の取材は経営層にとっても貴重な経験でした。

──社員がここで読むのは「過去にあった出来事」だけど、読んでいるうちに自分のいまの仕事や暮らしと紐付いて、考えが膨らむようなこともあるかもしれないですね。

応接室のソファに座る男性が話している横顔の写真

山田 社員の方がこの社史プロジェクトの記事を読んでくれて、「うわー!わかる!」ってなるのって、読んでくれた本人に実体験がある時だと思います。日々の業務のなかでやりがいを感じる何かがあったとき、ここに書いてある先人たちのエピソードと自分の仕事が、繋がってくるんじゃないか。

そういう時のために、「会長たちもそうだったんだ」「先輩たちもそうだったんだ」と思いながら読めるエピソードと歴史を書き残しておくことには、価値があると思います。

塚田さん 私自身も、そうでしたから。「誰から買うかが重要」という商談が成功したときに目の前が開けて、会長の「農業のためにやるんだ」という言葉の意味がよくわかった。そういう感覚を、追体験してほしいですね。

──誰もが、人生と仕事がひもづくような瞬間があるかもしれない。セイカンDNAに描かれたエピソードには、その瞬間がたくさん書かれているような気がします。

応接室のソファに座っている男性3人が話し合っている様子

──WEB社史としての「セイカンDNA」「ANDセイカン」が完成して、これから社員のみなさんへ伝えていく時間がはじまると思います。どのように進めていきたいと思いますか?

塚田さん 社史プロジェクトではなく「DNA浸透プロジェクト」として捉えるなら、今ようやく、立ち返ることのできる拠り所が完成したなという印象があります。

ゴールは「セイカンが何者で、何を大切にしているのか」を理解する人が増えること。そのために何が必要なのかを、みんなの反応や状況をみながら取り組んでいく形になると思う。

社員のみんなにも関わってほしいし、そのための入り口は常々提供していかないといけないなと思いますね。

山田 セイカンDNAができたことで、一次情報としてのレガシーを伝えることが可能になりました。それと同時に、いまのセイカンで働いている社員さんの仕事観や感性によって、過去のエピソードに新たな解釈や接続点が生まれると理想的だなと思います。過去が現在と繋がりはじめると思うと、ワクワクしますね!

塚田さん セイカンDNAとANDセイカンを更新していくために、社内でワーキンググループを立ち上げています。その人数を増やして、編集部として機能するようになっていけば、少しずつ変わっていくんじゃないかと思います。社史を更新する作業が、レガシーと関わるきっかけにもなるんじゃないか。

──自分たちで記事を作ろう、先輩の誰かを取材してみよう!となった時に、「この人の動き方ってセイカンのDNAを現しているんじゃない?」って議論すること自体が、自分たちのらしさや強みを考え直す時間になりそうですね。

塚田さん これまで、多くの社員が「らしさの喪失」という危機感に対して遠巻きに見ていたからこそ、このプロジェクトをはじめました。だから、今すぐこの活動に社員のみんながグッときてくれるわけではないと思いますが……このサイトを使いながら、どう理念のシェアを増やしていくかを考え続けなければ、と思います。

大体はどんな活動も「何言ってるの?」ってところからはじまるじゃないですか。いつか「セイカンDNAを体現してるよね」という言葉が、組織の中で恥ずかしくない言葉になった時、組織は変わっていくのだと思います。

タブレットを持つ手元の写真。タブレットには、今回作られた社史のWEBサイトが表示されている

プロジェクト基本情報

クライアント:セイカン株式会社

プロジェクト期間:

  • phase1:リサーチ・方針策定プロジェクト
    2024年6月〜2024年8月
    支援スコープ:

    • 方針策定
    • アンケートリサーチ
    • 現地リサーチ(インタビュー、行動観察、フォトスタディ)
    • アクションプラン提案
  • phase2:WEBサイト制作
    2024年11月〜2025年3月
    支援スコープ:

    • 取材チームの編成、取材活動
    • WEBサイト制作:セイカンDNA
    • WEBサイト制作:ANDセイカン
  • phase3:周知施策・中長期計画策定プロジェクト
    2025年7月〜2025年9月
    支援スコープ:

    • 社内向け周知リーフレット
    • 社内向け記事ポスター
    • 紙面化アーカイブフォーマット作成
    • 社内向け新着記事周知バナー
    • 中長期計画提案

ワーキンググループを立ち上げ
社内メンバーで社史を更新していく

Credit

ロフトワーク体制

  • phase1:リサーチ・方針策定プロジェクト

    プロジェクトマネジメント/プロデュース:安元佳奈子
    クリエイティブディレクション:吉田 真貴、山田麗音

  • phase2:WEBサイト制作

    プロジェクトマネジメント/プロデュース:安元佳奈子
    クリエイティブディレクション:平井 真奈、伊藤 友美、山田麗音

  • phase3:周知施策・中長期計画策定プロジェクト

    プロデュース:福田悠起
    クリエイティブディレクション:髙橋大輝、山田麗音

制作パートナー

編集:吉田拓実
執筆:外山暁子、吉田拓実
写真:生野めぐみ(Phase1)、﨑一馬(Phase2)
WEB:baqemono.inc.、株式会社FlipClap
周知ツール・グラフィックデザイン:森川 瞬

クライアント・取材協力

セイカン株式会社

取材・執筆:乾 隼人
スチール撮影:溝口 明日花(マカロニ写真事務所)
編集:後閑 裕太朗

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