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藤原 悠子 2022.01.17

台湾から学んだ「インクルージョン社会」の本質

藤原 悠子

Author藤原 悠子(シニアクリエイティブディレクター)

ロフトワーク台湾在籍。アジア市場と日本のクリエイターを繋げるビジョンに可能性を感じ、2015年ロフトワーク台湾設立直後に入社。台湾企業のWebサイト開発、製品コンセプト開発などのプロジェクトに携わる。台北のクリエイティブ・パーク華山1914で、国境や専門領域を超えたコラボレーションの促進をテーマにしたイベント「Creative Impact in Asia」を企画し、アジアの才能あるアーティストとビジネスを台湾のローカル市場に繋げる。
クリエイターや企業が、領域や“コンフォートゾーン”を越えて化学反応を起こすことに関心をもつ。台湾で一番好きな食べ物は、割包(豚角煮の肉まん)。

6年前の自分を台湾へ突き動かしたもの

2015年にロフトワーク台湾の立ち上げメンバーとして参画した時、「なぜ台湾で働こうと思ったの?」とよく聞かれた。特に台湾や中国語に縁がある訳でもなく、これからグローバルなキャリアを積み重ねていく上昇志向も特になかった。あの時の感覚を今だから正直に表現するなら「日本人と日本でしか働いたことがない自分は(何かが)ヤバイのではないか?」という全く漠然とした焦り、それだけだったように思う。それから6年、台湾でデザインプロジェクトを実行し、ロフトワーク台湾の現地チームを育てる役割を担ってきた。いま振り返って少しだけあの焦りを言葉にできるとするなら「多様性を自分の中に育てる」ことに挑戦したかったのだと思う。

日々社会や企業の常識が塗り替えられる様を見ながら漠然と不安を感じていた私にとって、デザインはその不安と向き合うためのツールだった。デザインを仕事にする人たちの根底にある「皆で、次世代に良い選択肢を残したい」という理想主義的でポジティブな態度を持ち続ける上で、日本の保守的な地方都市で育った自分には、この「皆とは誰なのか」?デザインのプロセスに巻き込み、視点を心から理解できる範囲がとても限定的に感じて焦っていた。

ロフトワーク台湾では、台湾のクリエイターや企業と共に、デジタルデザインからまちづくりに関わるコミュニティ育成、空間プロジェクトまで幅広いデザインを実行している。

「スタンダード」に囚われる日本人

そんな焦りと期待を持って台湾に移住してからしばらくは、正直とてもしんどかった。普段の生活でもチームに対しても、不満だらけだった。言葉のストレスや働き方の違いなど、些細な違いを気にしすぎているとも思ったが、でも何かが「根本的に」違うのだ。表層だけでは日本と台湾ではそんなに違いがないように見えるのに、今までの考え方や働き方がここでは通用しない。

その根本的な違いをようやく言語化し、納得できたのはそれから1年以上もかかった。その違いを率直に表現させてもらうなら、日本と比較して「台湾には“スタンダード”が少ない」のだ。スタンダードとは標準や基準、つまり「多くの人が受け入れる正しさの感覚」だと思う。日本で生活していると、この正しさの感覚があらゆる場面で共有され、約束されている。それは日本がどこでも規則が厳しいという負の側面だけでなく、無印やユニクロなどのお手頃で高品質な製品、または、おもてなしサービスの“標準”がとても高いことで、努力をしなくてもある程度の豊かな生活を享受できる、ということでもある。

小さな南国の中にある、壮大な「インクルージョン魂」

日本人の感覚からすると、そういったスタンダードの向上を追求しなければ、生活や企業が発展しないのでは?と思うかもしれない。でも私の感覚でいうなら、台湾ではスタンダードを作らない方法で発展している。真ん中あたりにあるであろう基準を明確にし、その基準を向上していく日本的な思考ではなく、「両極を広げていくことで全体を向上している」のだ。とても極端に思えるようなケースが生まれることで、その両極の間に存在する解のグラデーションが広がる。コロナ禍で活躍したデジタル大臣、オードリー・タンの存在がわかりやすい。決して安定しているとは言い難い台湾の政界が、彼女を取り込むことで、若者が政治に参加し、日本よりも高度に民主主義が機能している。それがアジアで初めて同性婚を認める法律が成立した背景だと思う。この両極の間にあるグラデーション全体を広げていくことによって生まれる結果がインクルージョン(inclusion)だ、と台湾は教えてくれる。台湾に来たばかりの頃に“標準”を共有することでわかり合おうとする私と、グラデーションを肯定する台湾メンバーとの考え方にギャップがあり、ストレスを感じていたのだ。

スタンダードな暮らしって何だろう?台湾に住んでいると、正しさなんて100通りだと実感する。

「極」を生み出し、エコシステムを多様に保持する

そのような「極とその間にあるグラデーション」が生まれやすいのは、台湾の歴史の中で言語・政治体制・文化・民族が極端に入れ替わる経験をしている背景もあるのかもしれない。このインクルージョン的なアプローチは、スタンダードの向上という日本的なアプローチに比べ効率は良くないかもしれない。けれど、私たちも日本企業も、その効率的な方法に行き詰まりも感じている。パンデミックのように世界の常識が大きく変わった時には、積み上げた標準の意味もなくなってしまう。そして、何より、ただ一つの標準とそれ以外しかない世界なんて面白くない、と感じているのではないだろうか。

いま日本の企業や大学でも、ダイバーシティやインクルージョンを目指す動きがある。でも、私たちはいつもの癖で「ダイバーシティとは?」という基準を策定しようとしていないだろうか?そんなもの、諦めた方がいい。代わりに、今の組織が同質的になり、新しい価値が生まれなくなっているとしたら、その反対にある「新しい極」を描き、それをグラデーション的に広げていく組織やコミュニティのあり方、そこに至るプロセスをデザインするのはどうだろうか?多くの極を取り込みながら成長を目指す企業や社会はとても魅力的に見える。

台湾は自然が美しく、循環型経済に取り組む先進的なプロジェクトや企業も多い。

どうプロジェクトに取り入れる?そして、これから

ロフトワークが実行している、プロジェクトマネジメントとクリエイティブの2本柱において、この「インクルーシブな成長」をどう取り入れることができるだろうか?特にプロジェクトは、決まった期間の中で一つの解決策(正解)を導き出すことが求められるからこそ、正直、そのプロセス設計が難しい。なので手法というよりも態度のようなものを羅列してみる。

  • 対局の存在とのコラボレーションを意識する
  • アウトサイダーやタブーの存在に注目する
  • 企業やチームの共通認識の前に、個人としての意見をもつ
  • トップダウン(システム思考)とボトムアップ(フィールドや個人)の両方から考える
  • 答えを早急に求めない
  • アイデアが中途半端でない「ポジション」を取っているかを、批判的に議論する

特にポジション・テイキングについてはロフトワーク台湾 Co-FounderのTimが叩き込んでくれた。アメリカという人種のるつぼで育った彼は、明確なポジションを取るからこそ他人同士が本当にわかりえると、知っているのだと思う。ロフトワーク台湾が2020年に都市開発機構 JUT DEVELOPMENT と行った「Uncanny Sunday」というイベントは、企画から小さなブランドのオーナーたちを巻き込み、有名店のフードから、サーフィンから、水着のショーまで、十分にカオスなイベントを目指した。それによって都市開発機構という大企業の中に、グラデーションと、未来の新しい選択肢を増やせたのではないか、と思う。(大真面目に不真面目を実行した)

私たち日本人の特性である「スタンダードをまず決める」思考は、自覚しているよりもずっと染み付いている。それを体感しに、台湾でどっぷりとフィールドワークをしてみるのもいいかもしれない。リサーチや研修として、次世代の社員育成や組織の未来を考え直す機会を台湾で作るのもいいと思う。日本企業にとって、似ているようで異なる台湾での視点を得ることは、新たなサービスや製品、企業文化の更新に活かせると思う。

正解が100通りの台湾という文化と共にあるロフトワーク台湾だからこそ描ける「新しい極とグラデーション」を、私たちと一緒に作りませんか?

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「同一化への恐怖が僕の原点」
ロフトワークの“異分子”原亮介のクリエイティブ論