The KYOTO Shinbun’s Reportage
京都新聞論説委員が見る京都ルポ「課題の価値」
ロフトワークは「令和5年度カルチャープレナーの創造活動促進事業〜カルチャープレナー等の交流・コミュニティ創出、副題《文化と経済の好循環を創出する京都市都市戦略》」を京都市より、株式会社ロフトワークが正式受託し、全体のプロジェクトデザインと進行を現在担当ました。
本プロジェクトでは、2025年に策定される「京都市グランドビジョン」の策定に向け、京都市の未来にとって有益な価値を生み出すための新たな価値観の創造を提唱するべく、内外のさまざまなステークホルダーとの議論『ラウンドテーブル』を開催。プロジェクトビジョン設計や最終分析の洞察を多角的な観点から得るためのリサーチ、ラウンドテーブルでの議論の内容、最終統合分析結果を「持続的繁栄としての京都市創造的都市構想モデル」として活動報告をまとめました。(プロジェクト詳細はこちら)
今回、ステークホルダーとの闊達な議論をするためには精度の高い課題の抽出に基づいた問題提起が欠かせず、ラウンドテーブル実施の際には、株式会社京都新聞社の協力を得て、鋭いジャーナルの視点による情報提供を的確なインサイトとして活用しました。
プロジェクトに並走いただいた京都新聞社 論説委員 澤田亮英さんによる寄稿記事『The KYOTO Shinbun’s Reportage 「課題の価値」』をお届けします。
課題はマイナスではない、プラスに転じる課題もある。
課題のない都市はない。急いで解決すべきときもあれば、腰を据えて考えるべき状況もある。全てが都市にとってマイナスではなく、プラスに転じる課題もある。
京都の文化の一つである「景観」について考えてみたい。欧州の歴史都市に比べれば統一感の弱いビルや住宅が立ち並ぶのは否めないが、それでも、社寺や町家を基調に低層の街並みを保ち、看板も厳しく規制してきた。日本の大都市では希有な存在である。
景観が京都の文化として守られてきた一つの力は、市民を巻き込んだ論争ではなかったか。そのはしりは1960年代の京都タワー建設であり、90年代に開業した京都ホテルや京都駅ビルの計画には宗教界も含めて賛否が渦巻いた。
論争が起きた当時、それぞれの計画はネガティブな課題として捉えられていただろう。しかし、時間の経過とともに、これらの斬新な建築は街並みにとけ込んだ。数十年に1度の論争が、後世に新たな価値を残したとみることができる。
課題がプラスに転じた例だが、一方で別の課題がみえてくる。論争が起きた時間のサイクルを30年に1度と考えると、ちょうど今が、その時期に当たる。だが、新たな景観論争の兆しはない。それほど独創的な構想が見当たらないということでもある。
市民の間で対立もみられた、かつての論争がそのまま再燃すればよいとは思わないが、議論を通して「京都のあるべき景観とは」「どのような街並みを残すのか」を市民が自らの問題として考える機会がないのは、危機感を持つべき事態かもしれない。
観光客の急増による過剰な混雑は急いで解決すべき課題だが、国内外の人を引きつける景観の価値を持続させる上で、「論争なき景観」のままでよいのかは、腰を据えて考えるべきではないだろうか。
京都が比較的新しく獲得した価値に、「環境」がある。
1997年、地球温暖化防止京都会議(COP3)が開かれ、先進国に温室効果ガスの排出削減を義務付けた「京都議定書」が生まれたのが、きっかけとなった。
全国各地に環境問題に熱心な自治体はあり、京都が突出しているとはいえないが、地名を冠した議定書のインパクトは大きかった。行政の仕掛けもあって、市民の間にごみの減量や分別、再利用といった活動が広まり、多様なかたちで定着していった。
家庭や事業所から出た天ぷら油を回収し、市バスやごみ収集車に使うバイオ燃料を精製するシステムを官民連携で築き上げたのは、象徴的な効果だろう。
対照的な例として思い返すのは、2003年に京都や滋賀、大阪で開かれた国際会議「世界水フォーラム」である。
当時の新聞報道を見返すと、ダム建設を巡る是非や水道事業への民間資本参入への賛否に焦点が当たり、閣僚宣言の文言にも影響したようだ。だが、分科会などでは「水と平和」「水と文化多様性」「水と都市」・・・と、実に多様なテーマで議論が行われていた。本質は、こちらにあったのではないか。
会議後、雨水利用の普及などで草の根の活動がみられたものの、COP3後の温暖化防止のように、多様な市民活動が広く定着するほどの変化はみられなかった。
蛇口をひねれば琵琶湖から送られた水が出て、豊かな地下水が京都の伝統文化と産業を支えている。それが当たり前で、それほど大きな課題はない-その感覚が原因だとすれば、私も全く偉そうなことは言えない。
景観問題のように都市の内側からわき起こる議論もあれば、環境問題のように外側からの刺激を受けて市民活動が生まれる例もある。内なる市民が持つ力と、外から訪れる人が加える力の双方が大きく、時代をこえて作用し続けてきたのが京都の特性ともいえる。
今回のプロジェクトで、「水」を手がかりに都市の文化を掘り下げる議論に耳を傾けながら、水と深くかかわる「森」に目を向けたいと考えていた。
かつて取材した京都の社寺、伝統行事では、資材の確保と維持するお金に苦労している話をよく聞いた。例えばお盆の送り火を営む五山の中には、松の中でもヤニを多く含んだ材が欠かせない山がある。しかし、人が入らなくなった近隣の里山は手入れが行き届かず、調達が難しくなっているという。知名度の高い行事ですら課題が多い現状は、小さな社寺や行事も深刻な問題に直面していることを意味する。
京都の伝統行事を支える森を守るため、官民連携の活動は進んでいる。ただ、それだけで、数十年、数百年先も行事が続くとは限らない。どうすれば京都の内と外の両面からもっと関心が高まり、持続できる力につなげていくのか。「みなさん、京都の里山に関心を持ちましょう」と呼びかけるだけで改善するはずもない。
ヒントとなるのは、梨木神社の染井から生まれたコーヒーのように、課題が転じて新たな価値を生む動きに、自然と人が集まり、輪が広がる仕掛けではないだろうか。
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