「デザインプロジェクト」が地域に留めるもの
SUWA Design Projectの6年間を振り返る
長野県諏訪市とロフトワークは、「SUWAクリエイティブシティ化戦略事業」の一環として、2016年より地域産業のブランディングと魅力発信を目的に、「SUWA Design Project」を実施してきました。
地域課題をデザインの力で解決する——。言葉としてはシンプルに響きますが、その実現は容易なことではありません。事実、本プロジェクトの6年間は決して平坦な道のりではなく、諏訪市とロフトワークは、各年のプロジェクトの中でそれぞれ異なるテーマや活動に取り組んできました。このようなプロセスを踏んだのは、刻々と変わる社会状況の中で地域事業者のリアルタイムな課題に向き合うため。未来に向けて「今、するべきこと」を模索しながら、最終的に「地域で自走するデザインプロジェクト」を目指しました。
地域のプロジェクトには、「これさえやれば大丈夫」という正解がありません。そんななか、長い時間をかけながら、諏訪市・ロフトワークが挑んだこと、そして体感した変化とは一体どのようなものだったのでしょうか。本座談会では、諏訪市・ロフトワークのプロジェクトメンバーがいま一度顔を合わせ、6年間の対話と実践の意義を振り返ります。
執筆:野本 纏花
編集:後閑 裕太朗・岩崎 諒子(loftwork.com編集部)
撮影:村上 大輔
話した人
二本栁 友彦/(写真左)株式会社ロフトワーク
茅野 光徳/(写真中央)諏訪市 経済部 産業連携推進室 産業連携推進係 係長
宮本 明里/(写真右)株式会社ロフトワーク Layout Unit ディレクター
認知度が低くても、事業者は困っていない——マイナスからのプロジェクトスタート
——2016年にスタートしたSUWA Design Projectですが、このプロジェクトが始まった背景について、教えていただけますか。
茅野 私が参画したのは2020年からなので、前任者から聞いた内容にはなりますが、諏訪市には製造業をはじめとする魅力的な産業がたくさんあるにもかかわらず、認知度が低かったり、十分に評価されていなかったりという課題がありました。製造業と言っても、中小の部品メーカーが中心なので、最終プロダクトを作っているわけではないこともあり、どうやってその価値を伝えるべきか、わからなかったんです。
二本栁 ロフトワークに求められていた役割は、クリエイターなどの外部人材と諏訪市の事業者を掛け合わせながら、地域の外に向けて発信できる価値をどう生み出していけるか、その共創のあり方をデザインすることだったと思います。諏訪市の最初の担当者の方がすごく熱量のある方だったので、僕もワクワクしながら諏訪市に行ったんですよ。
でも、いざ蓋を開けてみると、諏訪市の事業者の方たちは、まったく困っていなかった。仕事はたくさんあって潤っていたので、自分たちの仕事が外に知られていないことが課題だとは全然感じていなかったんです。最初に30社くらいヒアリングに回ったのですが、すべての事業者から同じことを言われました。「今までもそんな感じのプロジェクトはあったけど、デザイナーが来てモノは出来たりしたけど、その先の展開、例えば販路を開拓するなどの結果にはなかなか結びつかなかった」と。
宮本 デザイナーが、必ずしもマーケティングやPR、販路開拓なども得意としているわけではないですからね。私がプロジェクトに入ったのは3年目からですが、「コンシューマー向けのデザインプロダクトを作って売り出しましょう」と掛け合うのでは、受け入れてもらえないだろうなと感じました。
——そこで1年目は、精密ばね加工メーカーの株式会社 ミクロ発條、光学関連機器の開発・製造を行う株式会社nittoh、金属の研磨・切削加工を得意とする株式会社 松一の3社に対し、それぞれの課題に真剣に向き合うことになったんですよね。その3社には何か共通点はあったのでしょうか?
二本栁 3社は企業規模もフェーズもまったくバラバラで、もちろん課題も大きく異なりました。それぞれの課題を解決するために、クリエイターなど外の専門家人材に入ってもらいながら、まったく別々のアプローチを取ったので、当時は3つのプロジェクトを同時並行でやっている感覚でした。
プロジェクト1年目(2016年度)の取り組みはこちら
共創の楽しさを知った2年目、楽しさの先にある真価を探った3年目
——2年目には参加企業が7社に増えました。今度は、諏訪の高い精密加工技術を活用した「ミニ四駆」を各社がクリエイターとともに制作するハッカソンを実施したんですよね。
二本栁 はい。1年目にnittohと実施したハッカソンを見た諏訪市の担当者の方から、「2年目はハッカソンを軸に出来ないか」と相談がありました。お題を何にしようかなと考えているときに、社内のみんなとアイデアを出す中で、ミニ四駆がいいのではないかと。ミニ四駆は、ブームが最高潮だった90年代当時の子供たちが大人になって、人気が再燃しています。さらに、僕たちの周辺には「Fab Racers」という、プロのカーデザイナーやエンジニアが参加するミニ四駆のクリエイターコミュニティがあり、とても盛り上がっていた。この小さなボディに諏訪の産業技術を詰め込むことができたら、それ自体が広報ツールとして活用できるかもしれないし、何より未来に向けて子どもたちがワクワクするものづくりにつながる可能性を感じたんですよね。
他の地域の方にこの話をすると、「地域のプロジェクトでミニ四駆をやったんですか!?」といまだに驚かれるんですよ(笑)。こんな変わった提案を受け入れてくださった諏訪市の柔軟さもあって、この企画はとても盛り上がりました。
成果発表会を東京でやったんですが、参加した事業者の皆さんが、諏訪市から東京まで泊まりがけで来てくださって、クリエイターと一緒に最終調整をして。みんなでおそろいのTシャツも着て、本当に楽しかった。プロジェクトのグルーヴ感が一気に加速した感じがありました。
プロジェクト2年目(2017年度)の取り組みはこちら
——3年目は「自社の価値を再定義してプロモーションツールを作る」ことを目的として、デザイン思考を用いた全6回のワークショップを実施されましたよね。2年目がそれだけ成功したなら、「次もまたハッカソンをやろう」とはならなかったのでしょうか?
二本栁 すごく楽しかった反面、このままいくと「SUWA Design Projectが、“祭り”として終わってしまうんじゃないか」という危機感があったんですよね。“祭り”は盛り上がるけれど一過性の価値になりがちで、本来の目的である「地域の産業の価値を伝えて、関係人口を増やす」ことには本質的に繋がっていかない。そこで、3年目はワークショップを通じて、事業者の皆さん自身が自分たちの内面をしっかりと掘り下げながら、自分たちに何ができるのかという本質に向き合うためのプログラムを考えた。それまで比較的プロモーション寄りだったプロジェクトが、一気に事業支援に入り込んだ転換期でした。
宮本 参加者同士でお互いに工場見学をして、どう思ったかを共有するワークショップをしたり、そこから強みを抽出して印象的に伝えるためのアイデアスケッチを描き合ったり。「こういう手順を踏めば自分たちの魅力を言語化できるんだ」とか、「クリエイターの人と話をすると、こんなに新しい発想がもらえるんだ」、「同じ市内でも違う業種の人と話すことで、こんなに新しい考え方が生まれるんだ」など、たくさんの気付きを得ることができて、参加した事業者の皆さんの中でも、気持ちに変化が生まれた人が多かったと思います。
プロジェクト3年目(2018年度)の取り組みはこちら
情報発信の土台づくりと次世代へのバトン、市内連携に力を入れた転換期。
——そして4年目は、満を持してプロジェクトのWebサイトを制作したんですよね。その背景を教えていただけますか?
宮本 それまでは、1年ごとに諏訪市の事業者数社ずつと、市外・県外に向けて認知度を高めることを目指して活動を続けてきたわけですが、今度は、その活動内容を諏訪市内の人たちにしっかりと伝えていくメディアが必要だということになったんです。地元のクリエイターや他の事業者の皆さんに広く情報を届けて、もっとプロジェクトに巻き込んでいこうと。
二本栁 2019年はWebサイトを作ることに専念して、情報の収集と発信を行う体制を確立しました。プロジェクト終了後も諏訪市の皆さんにサイト運用を続けてもらうためにも、前半はロフトワークが記事を制作してコンテンツの雛形を作成、後半は一緒に記事制作を経験してもらいました。
宮本 その甲斐あって、今は茅野さんが運営を続けていらっしゃるんですよね。外注もせず、ご自身で事業者を取材して記事にしている。本当にすごいことだと思います。
SUWA Design Project Webサイト
諏訪市の事業者へのインタビューや、クリエイターとの連携事例を中心に、SUWA Design Projectの情報を伝えるメディアサイト。諏訪市にさらなる共創を生み出すためのプラットフォームとして機能している。
二本栁 茅野さんは2020年からプロジェクトに参加されましたが、感染症の拡大防止の措置もあり、最初のご挨拶もオンラインだったんですよね。
茅野 そうですね。そもそも、オンライン会議自体が初めてでした。過去の資料には一応目を通してはいましたが、コロナ禍で何ができるのか不安でいっぱいでした。
二本栁 それでも、熱量高くいろいろと動いてくださいましたよね。何が茅野さんのモチベーションになっていたんですか?
茅野 やはり、「自分がおもしろくないと、周りがおもしろいと感じるはずがない」という思いですね。逆に、自分の中で何度も反芻して面白いと確信したことなら、周りも絶対おもしろがってくれるはず、という気持ちもありました。そのため、プロジェクトに巻き込むために誰かに声をかけるときも、「楽しいから、ぜひご一緒に」という気持ちでいくと、肯定的な返答をもらえることが非常に多かったんですよね。だから「ロフトワークさんと一緒に、自分も楽しんじゃえ!」と思って、自分の中の“ワクワク”を大切にしていたのが、熱量につながったのだと思います。
二本栁 諏訪市は、プロジェクトの担当者の方が変わっても熱量が冷めないんですよね、僕らもその熱量に突き動かされていました。Webサイトで発信力が高まったことで、地元の新聞社やケーブルテレビを巻き込みながら、諏訪市内の人たちにフォーカスした発信ができるようになったのはインパクトが大きかったですよね。発信のベースが整ったことで新たな挑戦に繋がったのが5年目以降の取り組みです。
宮本 5年目となる2020年度は、諏訪市の未来を担う若年層と、事業者の皆さんがペアになって、自分の事業の魅力を伝えるプロモーション動画の制作に取り組みました。コロナ禍で誰もが希望を持てなくなっていた時期でもあり、長期的な視点でちゃんと未来を見据えながら、自分たちの“ありたい姿”を追求する必要があると感じたためです。
プロジェクト5年目(2020年度)の取り組みはコチラ
ロフトワークの伴走体制から、「地域主導」へと引き継いだ最終年度
——最終年となる6年目では、前年と同様、学生と事業者による動画制作に取り組みましたが、目的のひとつとして「諏訪市がこのプロジェクトを主導し、地元の企業やクリエイターたちと推進していくこと」が挙げられていました。その実現のためにどんな工夫をしましたか?
宮本 一つは、シンプルですが、プログラムを実行するためのマニュアルを作成したことですね。プログラムの工程に合わせて、ファシリテーションのポイントをドキュメントにまとめました。もう一つは、将来的なプロジェクトの担い手として、諏訪圏内在住のクリエイターを諏訪市さんとつなぎたいという思いがあったので、ワークショップのファシリテーターとして地元のクリエイターに参画してもらい、私たちと一緒にプログラムを回していきました。
自治体が主導すると言っても、諏訪市の職員さんもこのプロジェクトだけをやっているわけではないので、すべてを茅野さんだけで運営するのは難しいですし、プロジェクトに広がりを持たせるためにも、民間の力を入れたほうがいいだろうと思ったんですよね。
茅野 地域主導の取り組みに向けて、頼りになる地元のクリエイターとつながれたのは非常にありがたかったです。一方で、今年度からロフトワークさんがいなくなって、改めてその重要さを痛感しています。私は、「デザインプロジェクト」である以上、同じことを毎年繰り返すのはおもしろくないし、そういうやり方はSUWA Design Projectにふさわしくないと思っているんです。どうやったら、毎年新しい視点を入れながら、プロジェクトを進化させていけるかを模索しているところです。
——なぜ、7年目以降も引き続きロフトワークが支援する流れにならなかったのでしょうか。
二本栁 東京の企業が長年同じプロジェクトに関わり続けることが、諏訪市の皆さんにとって良いことだと思えなかったことが大きな理由です。また先述したとおり、諏訪市内のクリエイティブ人材との運営体制を組むまでの方向性が見えてきていたため、今後の座組みの中でロフトワークが「担うべき」役割もなくなってきたこともあり、良いタイミングなのかもしれないと考えました。とはいえ、僕らは諏訪市や、諏訪の人たちが大好きになっているので、今後も関わっていくつもりでいますし、また新たな挑戦をご一緒できるなら、それはすごく嬉しいことだと思っています。
宮本 私も諏訪市のことが大好きだし、個人的にも関わり続けたいと思っています!
改めて考える、「地域で共創を起こす」ことの意義とは
——茅野さんにお伺いしたいのですが、これまでを振り返って、印象的なできごとを教えていただけますか?
茅野 そうですね、これは自分が産業連携推進室に異動した年のことですが、諏訪市内に新しいホテルを作りたいという事業者の方から、「“made in SUWA”のものを活用したい。諏訪の技術を使ったカトラリーを作れないか」とご相談がありました。正直、「これは難しい課題だな」と頭を抱えていたのですが、ふと思い出した事例があったんですね。
その前年のSUWA Design Projectに、株式会社 旭(現社名 モールズアクト) という事業者が参加されていたのですが、異なる金属を接合する優れた技術を「見える化」するというテーマで、“誰も見たことのない縞模様の入ったナイフ”を作った実績がありました。
「旭さんならできるかも?」と思い、ダメ元で聞いてみたんです。すると、「できるよ」と言ってくださって。こうして完成したSUWAカトラリーは、ホテルの目玉としてPRされることになりました。
観光と製造という、今まで関わったことないものを掛け合わせて新しいものが生まれる場を創出できたのは、非常に感慨深かったです。我々、産業連携推進室の役割を発揮できたんじゃないかと。
——茅野さんをはじめ、諏訪市の担当者の方々がプロジェクトを自分ごと化されていたからこその成果と言えそうです。
二本栁 まさに、そう。SUWA Design Projectが機能しはじめているのは、「みんな一緒にやろうよ」と声をかけてくれる諏訪市さんがいて、巻き込まれた事業者さんがさらに別の事業者を巻き込んでいって、どんどん輪が広がっているから。これは外部の力ではどうにもできない部分なんですよね。
宮本 そうですね。SUWA Design Projectに関わった事業者で、個人レベルで意識が変わった人たちがどんどん広めてくれたおかげで、プロジェクト自体の信頼感も高まりましたし、プロジェクトに参画していない人たちにまでじわじわと認知度が広がっているからこそ、今も続いているのだと思います。身近な人たちから熱量を伝播させていく流れは、とても大切だと感じました。
茅野 業種や世代をこえて共創すると、必ず何かが生まれるんですよね。これからもそうした共創のきっかけをいろいろと仕掛けて、新たな可能性が生まれるお手伝いをしていけたらと考えています。