医療現場における「ろう者」の会話ハードル解消へ
コミュニケーション支援Webアプリβ版を開発
Outline
「医療現場×ろう者とのコミュニケーション」の課題解決へ
愛知県名古屋市に位置する椙山女学園大学。同学の外国語学部英語英米学科の芝垣亮介教授(以下、芝垣教授)は、南山大学 社会倫理研究所の奥田太郎教授(以下、奥田教授)と、インクルーシブなコミュニケーションについて研究する中で、「医療現場におけるろう者とのコミュニケーション」による課題を発見。医療従事者、ろう者双方の意思疎通をサポートするためのプロジェクトを始動しました。
2020年度調査事業「病院で働く手話言語通訳者の全国実態調査」の調査報告書によると、手話言語通訳者を配置している病院は全国に42病院あり、情報公開をしているのは38病院です(※1)。これは2022年に実施された、厚生労働省の医療施設(動態)調査(※2)にある、病院数「8,156」から考えると、手話言語通訳者が配置されている施設が非常に少ないことが分かります。
ろう者は病院で診察してもらいたいと思っても、手話言語通訳者の常駐の有無や、筆談、口話など、スムーズなコミュニケーションが行えるのか不明瞭だと不安が募ります。結果的に「診察を諦める」や「診察を受けられたものの十分な説明が聞けなかった」など、ろう者にとって病院へ行くハードルが上がってしまうことへとつながっていました。このような課題の背景には、ろう者が特別扱いされずに、日常生活に馴染んだコミュニケーションを取りたいと願う一方で、手話が日本語や英語のように“ひとつの言語である”という認識が低いことや、聴覚障害者が使用する言葉のイメージが強いことなどが影響しています。
そこで、医療現場におけるろう者とのコミュニケーション課題を解決するべく、芝垣教授、奥田教授とロフトワークとでプロジェクトが始動。ロフトワークは意思疎通を手助けするツールである「耳を使わない病院診察サポート β版」の開発、ろう者、聴者を含めたさまざまなバックグラウンドを持つ方との対話イベントの開催などを支援をしています。プロジェクトではろう者の課題のみに絞らず、異なる言語を扱う方や自分の状態を言語化するのが苦手な方たちにも利用できるアウトプットを目指しました。また、ろう者の取り巻く環境を正しく理解できるようなオープンな情報発信を行い、社会課題としての興味関心を持ってもらう必要性なども提案しています。
プロジェクト概要
- クライアント:椙山女学園大学(芝垣 亮介:椙山女学園大学 教授、奥田 太郎:南山大学社会倫理研究所 教授)
- プロジェクト期間:2023年12月〜2024年4月
- ロフトワーク体制
- プロジェクトマネジメント
- Webアプリ制作:クリエイティブディレクター 村田 菜生
- イベント:FabCafe Kyoto ブランドマネージャー 木下 浩佑
- テクニカルディレクション:テクニカルグループ テクニカルディレクター 川竹 敏晴
- プロデュース:シニアプロデューサー 藤原 里美
- プロジェクトマネジメント
- 制作パートナー
- グラフィックデザイン:桑田 知明
執筆:田中 青紗
編集:野村 英之
企画・編集:横山 暁子(loftwork.com編集部)
Outputs
Webアプリ「耳を使わない病院診察サポート β版」
Webアプリ「耳を使わない病院診察サポート β版」は、医療機関におけるろう者とのコミュニケーションツールです。ろう者や中途失聴・難聴者など、耳の聞こえない方々が病院で診察を受けるときに、医療従事者との意思疎通をサポートするために開発されました。
アプリでは、ろう者が医者に聞きたい質問の一覧表や問診でよく使う会話フレーズなどが画面に表示され、筆談の補助が行えるように、指差しでコミュニケーションが取れる「指差し会話機能」があります。また、診察前に問診票を記入することは、読み書きが苦手なろう者にとって時間がかかってしまうなどの課題があることを受け、問診票を事前に記入できる機能を試作として搭載しました。
アナログなコミュニケーションツールの可能性を探る
Webアプリだけではなく、アナログなコミュニケーションの可能性を探るべく「カード」も制作しました。必要なコンテンツはアプリに搭載されているものの、筆談が必要なケースもあります。筆談の手間が少しでも減らせるように、取り入れたのがカードゲームのコミュニケーションを模したカードです。
画像のように、医療従事者とろう者にはそれぞれ質問や不安が書かれた手札があり、カードを見せ合うことで意思疎通ができる仕組みです。
カードの効果を検証するため、芝垣先生が当事者の方々にヒアリングをした結果、高齢者の方が使うには選択肢が多く難易度が高いとや、緊急時には不向きであることなど、フィードバックをいただきました。
また、カードタイプは質問がしやすいだけではなく、会話の進行具合も可視化できるため、精神科や小児科などで、コミュニケーションのきっかけづくりとしての可能性が見出されました。
Approach
MVP開発→検証→改良スピード感を重視したWebアプリ制作
「耳を使わない病院診察サポート β版」の開発を進めるためにロフトワークがまず行ったのが、芝垣教授と奥田教授へのヒアリング。当初、診察時に医療従事者が患者へ症状の説明がしやすいように、画面を見せながら話せるWebサイトをアイデアのひとつとして挙げていました。
しかし、ヒアリングを重ねて情報整理をしていく中で、医療従事者とろう者の間には、一方的なコミュニケーションではなく、インタラクティブ(対話型)なコミュニケーションが必要であると考え、Webアプリを提案。素早く、比較的ローコストで始められるノーコードツールを用いての開発が始まりました。
ユーザーストーリーマップを作成し、まずは最小限の機能のみを選定。スピード感を持って開発を進めることを意識し、都度フィードバックを受ける「MVP開発」を目指しました。要件を少なくして、スピードを重視した開発を意識したのには理由があります。ゼロからモノづくりを行った場合、正解の形に近づくには時間も予算もかかるためです。また、フィードバックによってこそブラッシュアップが進むため、まずは最小のプロダクトでの開発を意識し、実際に使ってもらう。そこで出た意見をもとに改良を続ける。これこそがプロジェクトを成功に導くプロセスだと考えました。
バージョン0.1、0.3、0.5……アップデートを重ねて、バージョン0.8の時点で、東京都品川区にある私立特別支援学校明晴学園に勤めるろうの教員の方々にご協力いただきユーザーテストを実施しました。受付から診察までの流れ、文字の大きさなどの改善点が明確になり、更なる改良へと歩みを進めています。
プロジェクトの枠を超え、研究者や企業との関係性を構築
開発と並行し、多様なメンバーを集めての対話イベントも開催。イベントでは制作中のプロトタイプを「現在のユーザー当事者」「今後の技術連携パートナー候補」「テーマに即した有識者」へプレゼンし、リサーチとマーケティングの機会にすることも目的としていました。
研究者、ろう者といったキーワードを中心としすぎず、公益性の高いイベントにすることで、特定のジャンルを超えたさまざまなステークホルダーへ働きかけることができます。プロジェクトで扱うテーマだけに絞るのではなく、この研究が社会にもたらす価値、意義を文脈に含め、「デザイン」「テクノロジー」を意識した情報発信を行うことで、潜在的なパートナー候補へのリーチも狙っています。
イベントを開催したことで、ユーザーからの生の声が得られたほか、多様な専門領域で活躍するプレイヤー同士の議論により、プロジェクトチーム内の調査だけでは気づけなかった視点や情報が得られました。また、研究者や企業との関係性を構築するきっかけにもつながっています。
今後もアプリのセルフカスタムの検討や、ユーザーボイスの収集、イベント開催などでツールをアップデートしていき、医療現場でのコミュニケーションを円滑にしていく予定です。
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Member
メンバーズボイス
“Teamwork makes the dream work. を体感したコラボプロジェクト。今回のプロジェクトを一言で表すとそうなるのではないでしょうか。
ロフトワークのスタッフが行ったのは研究者のお手伝いではないということ。日本を良くする、社会を良くするために、ロフトワークと研究者がそれぞれの持ち味を生かし、それぞれの脳みそを使い、分業しながら、協業しながら進む。このような体制で取り組めたからこそ、これまでにはないモノがつくれたのだと考えています。
今振り返ると、本プロジェクトで指揮棒を振っていたのはロフトワークであったと思います。この環境があったことで、我々研究者はプレーヤーに徹することができ、多くの研究者が不得手とする社会実装のところをスマートに切り抜けられたと受け止めています。”
椙山女学園大学 教授 芝垣 亮介
“相方の芝垣さんとは、ドーナツの穴の謎を一緒に解き明かして以来、クリエイティブでアカデミックな比類なきコンビネーションワークを続けてきたつもりですが、いつも、もう一歩、二人だけでは足りないものがあるとずっと思っていました。
私と芝垣さんとで会話を重ねて見えてくるその景色に対して、尖りつつも洗練されたセンスで形を与えて、いろんな人たちの前に提示し、その相互作用のなかで次なるうねりを私たちの心に生み出してくれるような、そんな誰かを探していました。
ここに、おったんか!ロフトワークのみなさんと会ったときの私の心の声です。もしかしたら音声日本語で漏れ出ていたかもしれません。目線がバチッと合うのではなく、互いにそれぞれ向けているその視線が、遥か遠くで交差しているような感じ。この探究の共同体の行末に、今はただワクワクしています。”
南山大学 社会倫理研究所 教授 奥田 太郎
“プロジェクトを複数人と共有する時、グラフィックデザイン分野は何ができるのか。
今回、私がグラフィックの制作を行う中で求められた役割は、プロジェクトテーマと、それに関連する言葉に対して、私を含めたプロジェクトメンバーがどのように考えているのか(あるいは考えていきたいのか)を、可視化することだったと考えています。
イベントのグラフィック制作にあたり、意思や思想、感情を伝達する時、身体の動きが指す意味に加えて、柔らかな心の機微や、繊細なコミュニケーションがあると考えました。「指先」「四肢」「口や舌、喉」の動きをモチーフにした有機的な形、そして、その周りを探る線を描き、伝達する身体を表現しています。結果、制作物は単体のグラフィックに留まらず、グラフィックモーションの制作にも及びました。鑑賞者が自由な読み解きを行い、思考を深めてもらうために、抽象的な造形を採用しています。それは、プロジェクトに登場する言葉をイラストレーションで羅列することではなく、プロジェクトの概念を肌感覚で掴むきっかけとも考えたからです。
一方で、今後の可能性を広げるために制作したカードデザインでは、確かな情報伝達が求められました。イラストはアイコン的であること、2種類(患者、医者)の切り分けをはっきり行えること、必要に応じてアイコンの表情を追加できることなど、多様な状況に対応できる仕様を目指しています。まだ試作段階ではありますが、現段階(7/8時点)では29種類のカードと、63種類の表情アイコンを制作し、その活用を模索中です。
従来の福祉の視点ではなく、自己の特性を肯定し、それを前提として対話することを当たり前に、私も今後活動していきたいと考えます。”
グラフィックデザイナー 桑田 知明
“初めて先生とお会いしたときに、母国語が異なる人とコミュニケーションがとれることは、とてもおもしろいですよね!と、目をキラキラさせて、お話してくださったことが印象的でした。本プロジェクトの主題となる、ろうの方の課題について考えることは、一筋縄では行かないと分かっていながらも、純粋に言語として手話に向き合い、福祉には全く関係のない領域からアプローチされている姿勢が大変興味深く、芝垣先生と奥田先生となら、ぜひ一緒に模索してみたいと思いました。
世間的には、手話は聴覚に障害のある方が使うものというイメージが強く、手話は言語の一つであるという事実を見直す機会は、ほとんどないのではないでしょうか。特に、福祉とくくられる世界には、知らないことさえ知らないことが、まだまだたくさんあると感じます。
弊社のようなクリエイティブの会社だからこそ、あけられる風穴があるはず。制作したWebアプリは、まだまだ改良の余地があります。小さなところから、少しずつ少しずつ、社会を変えていけたら嬉しいです。”
ロフトワーク クリエイティブディレクター 村田 菜生
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