性教育から霊長類学まで、多彩なアプローチで身体・性・家族を捉え直す
不妊治療専門クリニック「浅田レディースクリニック」は、2021年1月、オンラインイベント『イキモノとしての自分。- 未来のためのカラダとココロの” 性(さが) ”探し – 』を開催。ロフトワークはこのイベントの企画・運営を担当しました。
多くの人が何かしらのモヤモヤを抱えながらも、誰かに相談しづらいと感じている「身体」「性」「家族・家庭」というテーマ。本イベントでは、特に若い世代が、これらに対してポジティブに向き合いながら、自分自身の将来を考え描くためのきっかけを提供することを目指しました。
そのアプローチとして、参加者のみなさんがこれらのテーマを「性教育」から「ジェンダー」、「社会学」、「自然人類学」といった視点で多角的に捉え直しながら、以下の3つのことを体験できる場を企画しました。
- 自身の身体のことや性に知識や理解を深めるとともに、多様な性・家族のあり方に触れられる。
- 自分自身の将来や幸せのために、誰とどんな関係を築いていくかについて、考えるきっかけを得られる。
- 悩んだり迷ったときに、意見を参照したり相談したりできる人物となりうる、多様な「先生(文字通り、先を生きる人)」に出会える。
本記事では、イベントを開催した背景と、イベントに登壇いただいた先生たちによるトークの内容をご紹介します。
執筆:loftwork.com編集部
不妊治療専門クリニックが、若者世代のためにオンラインイベントを開催する理由
「身体」「性」「家族」のネガティブなイメージを脱ぎ捨て、より良い人生を選びとるために
不妊治療専門医クリニックである浅田レディースクリニックが、なぜ今回のオンラインイベントを開催するに至ったのでしょうか。イベントのオープニングトークで、浅田医師はこのように語りました。
「私はこれまで、医師として妊娠や不妊についての書籍を13冊執筆してきました。それでも、不妊治療のためにクリニックを訪れる人たちは、あまりにも性のことや妊娠、家庭をつくることに対して適切な知識を持っていないと感じています。」
その背景には、日本の性教育の遅れに対する大きな懸念があります。学校の保健体育の授業で教えるのは、「避妊」に重きを置いた内容です。
「結婚や家族を構成することが人生にとって大切なものであり、明るく楽しいことであるという性教育がされていない。そこを根底から変えていきたい」と、浅田医師はイベントに込めた思いを述べました。
「性(さが)探し」ってどういうこと?
「自分自身の将来や幸福実現のために、誰と・どんな関係を築いていくのか?」
特定のパートナーがいる・いないや、性や身体について悩みを抱えている・いない等の状況にかかわらず、より多くの若者がこのことを前向きに考えるには、どんな問いかけが必要でしょうか。
浅田医師の思いを受け、今回のイベントの企画を担当したロフトワークのメンバーは、性や身体の話だけでなく、「なぜ人は家族をつくるのか」「どういう家族の形があり得るのか」といった話題まで、領域を広げてインプットする必要があるのではないかと考えました。
そこで、今回のイベントでは性教育という教育施策の課題や個人の性にまつわるトピックスのみにフォーカスするのではなく、自然人類学と家族社会学の領域で活躍する研究者の方々にも登壇を依頼。人類が社会性を持つ生き物として進化してきた歴史的背景や社会構造の視点から、なぜ多くの現代人が身体や性、家庭・家族に対して「モヤモヤ」を抱えながら生きているのかを、より複眼的に捉え直すことができるインプットを目指しました。
また、参加者がトークを「聞く」だけでなく、能動的に思考し、匿名性を確保しながらコミュニケーションできるよう、オンラインホワイトボードツール「miro」を採用。画像やキーワードで「身体・性」「家庭・家族」に対する自身のイメージを可視化したり、トークセッションから得た気付きや質問を書き込んだりするワークを取り入れました。
イベントのタイトルは『イキモノとしての自分。- 未来のためのカラダとココロの” 性(さが) ”探し – 』に設定。「性(さが)」という言葉には、自分自身の意志ではコントロールしきれない「身体」と「心」について、正しい知識や多様な解釈によって理解を深め、向き合おうという意図が込めてられています。
自分らしく生きるために、性について知ることから始める
「身体と性」に関するインプットトーク
イベント前半のトークセッションのテーマは「身体と性」。お話ししてくれたのは、助産師・性教育YouTuberとして、性に関する正しい知識を発信する活動を続けている、シオリーヌさん。そして、自身もトランスジェンダーであり、性的マイノリティに対する偏見をなくし、多様な人がフラットに語り合える場作りための様々な活動に取り組んでいる杉山文野さんです。
世界標準の性教育とは?
シオリーヌさんは、日本の性教育が国際的な性教育の指針となっている、国連の性教育ガイダンスの基準と比べて、いかに部分的で単発的な内容であるかを教えてくれました。
UNESCOが編じる「国際セクシュアリティ教育ガイダンス」によれば、性教育がカバーするべきものには、「人権、価値観、文化、セクシュアリティ、ジェンダー・社会的性差、暴力・安全」など、実に幅広い領域が含まれています。一方で、日本の性教育は、人間の身体と発達、生殖と避妊に触れることにとどまっていることが多い状況です。
国際セクシュアリティ教育ガイダンスに基づく性教育を取り入れた国では、リスクの高い性行為をする確率が下がり、初交(セックスを初体験する)年齢が高くなるなどの結果がみられています。
逆に、日本が採用しているような「責任が取れる年齢まで性行為をするべきではない」とする純潔教育には、初交年齢を上げる成果は見られないという結果も。これらの状況から、日本の性教育が国際基準から見て、いかに遅れをとっているかがわかります。
シオリーヌさんは、「必要な情報がオープンであること。それらを普通に学べること。困りごとが起きたときは気軽に相談できるという環境をつくることが大切です」と言い、「教養としての性」の重要さを説きました。
シオリーヌさんのYouTubeチャンネル
性的マイノリティを取り巻く苦しさ、不平等
次に、杉山さんが、女性の体で生まれながら男性の心を持って生きてきた自身の半生を紹介しました。子供から大人への成長の過程で、内心には「まさに心と身体が引き裂かれるような思い」が満ちていたと語ります。
大学時代、就職活動をするときに、男女の枠に当てはまらない自身の将来が見えず、悩んだと言います。LGBTであることをオープンにしながら社会で活躍する、ロールモデルが周りにいなかったことが原因でした。
さらに、自分がどんなに活躍しても、メディアなどでは「性同一性障害を乗り越えて…」というラベルありきで語られてしまうことに息苦しさを感じ、逃げるように海外を放浪しました。しかし、世界中どこへ行っても、南極ですらも「性別」を問われ続けてしまうことに気づきました。そこで、「今自分がいる場所を、自分の生きやすい場所に変えて行こう」と決意したと言います。
現在、多様な人々がフラットに集える場作りをミッションとする会社を経営しながら、NPO法人東京レインボープライドの共同代表理事を務めている杉山さん。2018年には、親友からの精子提供を受けてパートナーの女性との間に二児をもうけ、自分らしい家族のあり方を模索しています。
現在の生活について、杉山さんは「ハッピーではあるが、戸籍上はまだ女子。パートナーといれば見た目は男女だが、戸籍上はシングルマザーとその子供と同居している状態で、同意書一つサインできないという不安定な状況。性という問題が常についてまわっています」と語ります。
異性愛者であれば当たり前に利用できる婚姻制度が「男性か女性か」に当てはまらないだけで利用できなくなることは理不尽であり、「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」*とする日本国憲法にも反しているのではないかと考えています。
杉山さんは、世の中の性的マイノリティに対する婚姻の不平等について、「ひとりひとりが考えた結果ではなく、社会の構造自体が不平等を生む仕組みになっている。ひとりひとりが、そのことに気づく必要がある」としめくくりました。
*日本国憲法第14条1項より。
学術的な視点から、従来の家族・子育ての枠組みを疑う
「家庭・家族」に関するインプットトーク
後半のトークセッションのテーマは「家庭・家族」。このキーワードを、自然人類学・霊長類学と家族社会学の観点から掘り下げました。お話ししてくれたのは、霊長類学・人類学者 山極寿一先生と、家族社会学者 永田夏来先生です。
人類と共通の祖先から分かれて進化してきた霊長類の生態研究を通じて、人類の家族の起源を解き明かす研究をしている山極先生。人間の性や家族のあり方の特徴を、ゴリラやチンパンジーとの違いから説明しました。
例えば、ゴリラは4年に一度しか妊娠・出産できないのに対し、人間は毎年子供を産むことができます。人間は多産であると同時に、頭でっかちで成長の遅い赤ちゃんを育てる必要があったのです。進化の過程で生じた身体性が理由となって、複数の家族が集まる共同体の中で子育てをする必要が生じたと考えられています。
また、思春期にこれまで子供の脳の成長に送られてきたエネルギーが身体の成長へ向かうことで、心身のバランスが崩れて精神的に病みやすくなり、結果として事件や事故に巻き込まれることが多いと言われています。山極先生は、「思春期の子供たちを、さまざまな大人や年長者が支えることが大切」と指摘。ほぼ同年齢の中だけで育つ学校教育や、親との距離が近すぎる核家族という環境は、人間の身体性に適した子育てから乖離しており、このことが現代の子育てを難しくしているのではないかと考えています。
自然人類学の観点から現代の子育ての難しさを語った山極先生のお話に対し、永田先生は「社会学者の見解にも通じており、興味深い」と語ります。
シェアハウスでの育児など、多様な家族のあり方を研究している永田先生。調査の過程で出会った人々の中には、「未婚でも、異様に子育てがうまい」男性もおられたそうです。
「やってみないとわからない、当たって砕けろの思いで、制度とは異なる形の子育てを実践してみたらうまくこともある。ただ、実際の社会では様々な理由から行動が制限されてしまうので、それを乗り越えていく個人の勇気や行動力に頼らざるを得ない」のが現状の課題であることを指摘しました。
身体、性、家族について、「知ること」で意識が変わる
それぞれのトークセッションの後には、イベントに参加した皆さんから登壇者に向けて、性のことや家族のことについて多くの質問が寄せられました。その内容は、家族との関係や生き辛さに関する悩みや、これから迎える世の中の変化についてなど様々で、今回のイベントのテーマに対する興味の幅が広いことを感じます。
また、登壇いただいた方々の活動や研究内容などの話題に対して「非常に新鮮で面白かった」「今後の人生に生かしていきたい」という意見や、「もっと話を聞きたい」「より深く知りたい」という声が見られ、今回のイベントを通じて参加した皆さんのテーマに対する意識や関心領域が変化していく様子も伺えました。
今回のイベントが、参加者のみなさんにとって性や身体に関する多様な考え方に触れたり、将来の選択肢を得るためのヒントとなっていれば幸いです。浅田レディースクリニックとロフトワークは、今後さらにこれらのテーマについて、みなさんと知識や理解を深めるための場づくりを続けて行きます。