時間軸、自然資源、文化から社会的価値創造を考える
SMBC日興証券 新任執行役員研修(京都・梨木神社)
グローバル化の反転や欧米を中心としたインフレ、テクノロジーの進化、気候変動、人口減少、少子高齢化など、現代社会は大きな変革期を迎え、未来の見通しがますます困難なものになってきました。パラダイムシフトが起こる中で、これからの時代では不確実なものを排除するのではなく、取り込みながら創造性を持って未来を創る姿勢が必要だと考えられます。
総合証券会社のSMBC日興証券株式会社(以下、SMBC日興証券)が所属する、SMBCグループは、「中期経営計画『Plan for Fulfilled Growth』」「2022年度決算 投資家説明会」において「近年は経済活動が優先されて社会的価値の創造が疎かにされてきた」とし、「質の伴った成長」の実現に向けて、経済的価値の追求、経営基盤の強化と合わせて、「社会的価値の創造」を経営の柱のひとつに据えています。経済価値に直結しない領域、つまり、まだ見ぬ未来価値は既存の経済理論だけでは説明できない領域も含むと仮説を立て、短絡的な経済価値に直結しない領域にも積極的に取り組んでいくことを決断しました。
証券会社として取り組む「社会的価値の創造」とは何か。ロフトワークは、「時間軸」と「自然資源と文化の循環」のふたつを研修の焦点に新任執行役員の方々を対象に、どのような判断軸を持つべきか探る研修を2024年6月に京都・梨木神社にて企画・実施しました。
執筆:田中 青紗
編集:野村 英之、浦野 奈美
撮影:ジーナ・グーズビー
BACKGROUND
「幸せな成長の時代」を実現するために
SMBCグループは、中期経営計画において「社会的価値の創造」を実現することで、『幸せな成長』へ貢献するとしています。経済が成長するとともに、社会問題が解決に向かい、生きる人々が幸せを感じられること。主な重点課題として「環境」「DE&I・人権」「貧困・格差」「少子高齢化」「日本の再成長」の5点を定め、具体的なアクションプランを策定。従業員一人ひとりが、主体的に取り組むことにより、社会的価値の創造へと歩みを進めようとしています。
SMFGグループ全体で目指していく「社会的価値の創造」を実現していくためにどんな価値軸を醸成していく必要があるのか。SMBC日興証券は新任執行役員7名に向けた研修の企画実施をロフトワークに依頼。2024年6月に京都・梨木神社で研修を実施しました。
ロフトワークは、「時間軸」と「自然資源と文化の循環」のふたつを研修の焦点に設計。ゲストに株式会社COFFEE BASE ディレクターの牧野広志さん、京都大学「人と社会の未来研究院」教授の広井良典さんを迎え、議論を通して「社会的価値の創造」のヒントを探りました。
アート&サイエンスの視点
研修にあたり、今後リーダー層が身に付けるべき視点として、以下の4つを紹介しました。
- サイエンス:世界を説明・予測することで、エンジニアリングで活用可能な知識を生み出すエンジニアリング:科学的知識を課題解決に活用することで実用性を生み出す
- デザイン:実用性を最大化することで我々の行動変容を生み出す
- アート:我々の行動変容を批評することで新たな認識を世界に生み出す
VUCAの時代と言われる現代では、自社の専門領域だけでは必要とされる価値が生み出せないとされています。特に「サイエンス」と「アート」の視点(世界を多面的に観察することと、我々が社会に実装したものを批評し問いを投げかけること)はビジネス領域と距離があり、おざなりになりやすい視点です。4つの知と体験を循環させながら価値創造していくべく、今回はアート&サイエンスの視点(= 批評的に本質を掴む態度)を得ることをポイントに据えました。
OVEWVIEW
新しい経済循環の実践者たちから考える、これからのエコノミー
今回、「長期的な時間軸」と「自然資源と文化の循環」をテーマにした研修を設計するにあたり、この2つの視点を持ちながら長年取り組んでいる、株式会社COFFEE BASE ディレクターの牧野広志さんと、京都大学 人と社会の未来研究院教授の広井良典さんとのディスカッションの場を企画しました。二人の活動内容や専門分野は全く異なるものの、通底する考え方があります。牧野さんが取り組む「自然資源や文化を通して経済活動を回していく仕組み」を、アカデミアの立場から広井さんはどのように分析するのか。現在の経済の潮流やこれから重要になっていく価値軸を見つめることで、参加者が取り組むべき活動指針を探りました。
牧野広志さん(株式会社COFFEE BASE ディレクター)
京都市上京区染殿町にある梨木神社(なしのきじんじゃ)の境内に2022年にカフェ「Coffee Base NASHINOKI」を立ち上げた株式会社COFFEE BASE ディレクターの牧野広志さん。牧野氏は、京都のコーヒーカルチャーを牽引するカリスマとして知られ、地域と経済を繋ぐ活動を多方面に行っています。梨木神社の境内にある京都三名水のひとつ「染井」のコーヒーが飲めるCoffee Base NASHINOKIを立ち上げました。自然資源の水と神社、そして新旧のコミュニティを、コーヒーカルチャーで繋ぐ牧野さんは、これまでもさまざまなプロジェクトを手がけてきています。どのような時間軸で、資源・文化・経済が循環する形をデザインしてきたのか、彼のセオリーを聞きました。
広井良典さん(京都大学 人と社会の未来研究院 教授)
京都大学 人と社会の未来研究院 教授の広井良典さん。広井さんは、公共政策および科学哲学を専門とし、環境・福祉・経済が調和した「定常型社会=持続可能な福祉社会」を20年以上に渡り一貫して提唱し続けています。広井さんがライフワークとして長年取り組んできた活動に「鎮守の森コミュニティ研究所」というものがあり、寺社とその周辺の自然とコミュニティのつながりから新たな社会モデルを探索しています。今回は、長期軸で経済とコミュニティ、そして文化の関連を分析してきた広井さんに、梨木神社の取り組みをスタート地点に、今後の社会・経済における重要なコンセプトについてディスカッションしました。
梨木神社 / Coffee Base NASHINOKI
会場となった京都市上京区染殿町に位置する梨木神社は、明治18年10月に三條實萬公を御祭神として創建されました。境内には京都三名水のひとつと呼ばれる御神水「染井」が湧く井戸があります。染井は三名水のうち、現存する唯一の名水で、水を汲みに来る人が大勢います。
Coffee Base NASHINOKIは、梨木神社の境内にあり、「染井」の水を使用した自家焙煎のスペシャルティコーヒーを提供。ドリンクに使用する水や氷はすべて名水を使用しています。
INSIGHT
文化と経済が循環するための「界面」設計
研修前半のテーマは「自然・文化・経済が循環する実践を聞く」。長期的な視点を持ちながら地域資源と歴史の接続、時代の変化を踏まえて文化を新しく解釈し、新たな経済循環をつくっている牧野氏に、循環の仕組みや、長期的・短期的な視点の持ち方を伺いました。
Coffee Base NASHINOKIと梨木神社で取り組まれている、文化資源を生かして新しい価値を創造し、経済を循環させていく取り組みについて、牧野さんは、「界面設計」と「長期的な取り組み」の必要性を挙げました。
牧野さん 私はビジネスを短期的な時間軸で考えていません。短期で物事を捉えてしまうと、地域やコミュニティの“破壊”へと必ず向かってしまうからです。イメージとしては、文化と地域を上下に分けて、その間に小さな穴を開け、それぞれを行き来すること。小さな穴を行き来していくうちに、どちらかに行ったことがない方がこの穴を通っていく。そうすると小さな利益が次第に生まれていき、壊れにくくなるのです。一方で、短期的な利益を求めて大きな穴を開けてしまうと、大勢の人が一気に流れ込んできて一瞬にして壊れてしまう。そうなるとまた穴を開けて、破壊してを繰り返すことになってしまうんです。
牧野さんは併せて「絶対にバズらせないこと」も提言。一時的に注目を集めてしまうと、飽きられないように次の展開をすぐに考えなければならず手に負えなくなると言います。
牧野さん 『この水で何かできるのではないか?』とアイデアが湧く方もいると思いますが、やりすぎてしまうと人が一気に押し寄せて一気に終わってしまうんです。長期的に取り組みたいプロジェクトなら、速いものや派手なものは追わず、中心になる資本をブラさずにやっていくことが大事です。悪い言い方をしたら京都はお金になります。ともすると、企業が京都外の人に向けて、欲しい京都のイメージを作って売っていくことで表面的な嘘の京都の形が定着してしまいます。
「文化や伝統を守る」という言葉をよく聞きますが、僕が守るべきだと思うことは「意識」ですね。京都は日本で一番新し物好きだと思います。だから平安京から1000年も続いているのだと思います。僕らが今思う『文化』は、もともとはその時代に生まれたときの『新しい』ものでした。だから、どんどん新しいことをしていかなければいけないんです。ただ、その時に、どういう人たちがどう歴史を積み重ねてきたのかという「意識」を持つか持たないかで、その時に生まれるものは全く違ってしまうんですね。ちなみに、京都外の方を悪いと言っているわけではありません。むしろ外部視点は大切で、市民が気付けないものに価値を見出して、文化を更新する立役者になります。
検索しても見つからないところに本当の豊かさがあり、その豊かさをどうしていくかが自身のテーマ。想像力は自分のポテンシャルの中から生まれるものだからこそ、他者の評価に委ねない姿勢が、豊かさを見つける一歩になると思います。
究極のところ、僕がやっていることって“償い”なんでしょうね。僕らの世代が若い頃に好き放題して、結果今の社会をつくってしまった。未来の負担を若い世代に押し付けてしまった責任があるので、若者をもっと引き上げて行かないと時代は変わらない。この償いに早く気づき、豊かさを次代へ繋げられる人が、幸せになれるのではないかと思いますよ。
分離していた経済と倫理が、再融合し始めている
牧野さんの話を踏まえ、広井さんから、過去から現在の経済や社会の潮流を分析すると共に、今後の経済のあり方がどうなっていくか、見解を伺いました。
広井さん 経済と倫理は、一見対極のイメージがありますが、近代以前あるいは資本主義が勃興する以前の社会では両者は重なり合っていました。たとえば近江商人の“三方よし”の哲学。「商売では買い手と売り手が満足するのは当然で、社会に貢献できてこそよい商売」という考えがありましたし、渋沢栄一が『論語と算盤』で「経済と倫理が一致しなければ事業は永続しない」と論じていましたし、松下幸之助が水道の蛇口から出てくる水のように、安価に物を行き渡らせることが経営者の役目だと言っていたように、1980年代頃までは収益性と倫理性が結びついていました。
また、『相互扶助の経済――無尽講・報徳の民衆思想史』(テツオ・ナジタ著/みすず書房)によると、近世までの日本には「講」(頼母子講、無尽講など、不測の事態に備えて仲間同士で助け合うためにお金を積み立てる)といった、相互扶助の経済の伝統が日本社会には脈々と存在し、その伝統は災害時などで示されていました。興味深いのは、同書によると、相互扶助の経済の土台には「自然」が非常に重要な役割として位置付けられているのです。全てが自然から分け隔てなく、他者との間に優劣をつけられることなく、恵みを受けられるということですつまり、このDNAは現代の持続可能な社会、循環経済、自然資本の考え方と、日本経済において本来親和性があったのではないかと考えます。
しかし、1980年代頃からは状況が変わり、モノが溢れ消費が飽和していくと同時に、「経済と倫理」は大きく分離していく時代へ突入しました。しかし、経済格差や資源や環境の有限性が自覚されてきた今、近年では“経済と倫理の再融合”の動きが現れるようになりました。最近の若手の経営者と話すと、まるで、古い時代の経営者と共鳴するようなところを感じます。経済や人口が限りない『拡大・成長』のフェーズから、『成熟・定常化』へと構造が変化している中で、『持続可能性』『循環』『相互扶助』を価値観とした経営・経済の可能性が新しい形で生まれてきていると感じています。
拡大・成長の後には必ず文化が生まれ、別の経済のあり方を示す
また、広井さんは経済活動を長期的に見ると、今起きている定常化の動きが説明できるといいます。
広井さん 人類はこれまでに、人口や経済が拡大した時代と成熟・定常化したサイクルが3回ありました。1回目は狩猟・採集、次は農耕、そして今は工業化に伴う3回目の拡大・成長期からサステナビリティへの移行期に入っていると考えられます。
人類は新たな技術革新と拡大成長をするたびに、資源やエネルギーを枯渇させ、資源環境の制約に直面し、資源消費や環境負荷の増大を伴なわない方向へ舵を切っていたと考えられます。
ここで最も強調したいのが、この定常化への移行期には、単に資源消費を我慢するのではなく、新たな喜びを感じられるような創造的かつ共生的な活動が生まれているということです。実際、今の若い世代の活動にはこの傾向が強く見られます。個人の利益ではなく、コミュニティや地球の利益を求めるような活動が増えているように思います。
グローバルの課題はローカルからしか解決できない?
牧野さんの活動や広井さんの分析から、これからの経済のあり方について考えるにあたり、地域という視点がひとつのポイントになるのではという議論がありました。
広井さん ローカリゼーションは簡単にいうとグローバリゼーションと対極で、ローカル(地域)の中でお金や資源を循環させて、ゆくゆくは地域の人たち自身が産地、消費者、環境などとの距離を縮めて経済を回せるようになることです。牧野氏が京都で取り組む活動はまさにローカリゼーションですね。これは、今後の経済を考えていく上でのキーポイントになると考えていて、若い世代の中でもローカルや地元に関心を示している人が多い印象です。
たとえば、岐阜県石徹白(いとしろ)地区でUターン、Iターンした若者たちが小水力発電(上掛け水車型)を軸に地域おこしを始め成功した事例があります。地域内のエネルギーを自給するだけでなく、今では地域外に輸出もしています。この活動を進めているNPO法人 地域再生機構の副理事長・平野彰秀さんは、元々外資系コンサルでグローバルな仕事をされていたのですが、最終的には資源やエネルギーの奪い合いが起きてしまうことに疑問を感じていたといいます。彼が行き着いた結論が、ローカルな地域で食料やエネルギーを自給していけることが、結局はグローバルな問題の解決に繋がる唯一の方法だということでした。彼は、「地域で自然エネルギーに取り組むということは、地域の自治やコミュニティの力を取り戻すことだ」と話しています。
重要な産業はすべて地域がベースになっていく
広井さん これからの経済を考えるにあたってはデジタルの次を考えていく必要性があります。ポストデジタルとして重要になってくるのは生命関連産業だというのが私の見立てです。これは生態系(エコシステム)、地球の生物多様性、持続可能性といったマクロの意味も含まれており、包括的な意味の「生命」が、ポスト情報化時代の科学や経済社会・生活・消費の基本コンセプトになると考えています。
これらの生命関連産業は概して小規模でローカルな性質を持っています。「デジタル」はあくまで“手段”とし、これらの産業分野と組み合わせて、中長期の展望の視点を持つことが、幸福や豊かさへ繋がっていくのではないでしょうか。
広井さんの話を踏まえて、参加者からは「人口現象に伴って地域コミュニティは今後どうなるのか?」という質問も。広井さんは、人口減少は日本社会が直面する大きな課題だと話した上で、日立京大ラボでのAIを用いた研究結果から、今後の経済は一極集中型でも完全分散型でもなく「多極集中型」が最もパフォーマンスが良くなるだろうという結果が出たという点を紹介しました。
参加者からは多極集中を目指す上で、インバウンドも影響して地方都市がキャパオーバーをしている状況をどう見るかという問いも。広井さんは十分に活用されていない(アンダーユース)地方の自然や資源を活用することが、分散かつネイチャーポジティブなビジネスが生まれ、結果的に地方創生につながる経済を生み出していく、最も大事な視点だと回答。こうした大きな動きを作るにあたり、そのチャンスへ一石を投じられる可能性があるのではないかとの声も上がりました。
長期的な活動をどう評価する?白熱したディスカッション
牧野さんと広井さんからさまざまなヒントが提示されたあと、最後に、今後に向けてどのようなことを評価できるようになるべきか議論が交わされました。議論の一例を紹介します。
- 長期的な取り組みは評価の設定や検証が難しい。
- 5年10年で利益を求めてはいけない活動を、利益以外で測れないか?
- 「これに価値がある!」といった明確な共通認識がつくれると、活動しやすいのではないか。例えば金銭的な評価だけではなく、「自然が〇〇%回復した」「地域コミュニティが活性化した」など、項目を非財務評価と財務評価に分ける方法など。
- あらゆる価値観を持った人を相手にする仕事。公的に価値観が共有されないと、なかなか活動に納得していただけない
- 社会的価値創造に直結する活動は、株価になかなか反映されにくい。機関投資家に認められるような方法を考えないといけない
- 数字で測る天秤とそうでないもので測る天秤の両方が必要だ。
- アメリカ・カトリック大学歴史学部教授の『測りすぎ――なぜパフォーマンス評価は失敗するのか?』(ジェリー・Z・ミュラー著/みすず書房)という本がある。数値化することは大切だが、数値化できないものもある(広井さん)
- 測りすぎ!はまさにそのとおり。現代は測ることがデジタル化されているが、機器が壊れれば何もできない。アナログなことを考えていかなければならないのでは?アナログを制する人はデジタルを制すると考えている(牧野さん)
- 政府などからの後押し(お墨付き)があれば、動きやすい人もいるのではないか。
- ネイチャーポジティブ(自然再興)といった、政府が目標を掲げている領域もあるので、投資家も評価しやすいのではないか
- お墨付きを待つのではなく、自分たちからもっと政府に働きかけていくことができないだろうか?
- 広井さんが挙げた5つの業種はいずれも日本で弱いため、取り組む意味がありそうだ。一方で、生命関連産業はローカルで規模が小さいため、既存の経済指標で考えると難しい。とはいえ小さな試みが集まって発展していくため、この取り組みにお金が回る仕組みを考える必要がある
ここ数年で社会の潮目が変わってきているのは明らかです。今後も持続可能な経済、社会にしていくためには、企業全体だけではなく一人ひとりの価値観の変容も必要となるのではないでしょうか。SMBC日興証券の役員のみなさんとゲストとの白熱した議論は、個人と社会を行き来しながら逡巡する、血の通った、人間性すら滲み出るような真摯な議論でした。ここで共有された視点はこれからの社会価値を創造していく上で大切な視点になりそうです。
Project Member
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