背中を押されて選んだフリーの道。未来の言語を探るバーバルデザイナー | これからの話 #04
コピーライター出身で、現在は言葉を起点にブランディングやクリエイティブワークを手掛ける「バーバルデザイナー」の河カタ ソウ(かわかたそう)さん。ロフトワークを退職した後も、フリーランスのパートナーとして、さまざまなプロジェクトを共にしてくれています。新しい働き方を実践している河カタさんの“これからの話”とは?
退職、渡米を経て再び生まれた、パートナーとしてのつながり
林千晶(以下、林):実はね、河カタくんがロフトワークを辞めた後の働き方を見て、はじめて思ったの。もう、会社の「中」と「外」の違いをあまり意識しなくなるのかもしれないなって。
河カタ ソウさん(以下、河カタ):えっ、そうだったんですか?
林:そう。昔は一度会社を辞めたら、「じゃあさよなら」という感じだったじゃない。退職後に仕事をお願いするとしても、なんとなく外注扱いになってしまう。
でも河カタくんみたいに、退職した後もパートナーとしてフラットで対等な関係を築くこともできるんだよね。それは発見だったな。
河カタ:僕が今の働き方を選んだのは、千晶さんの影響が大きかったんですよ。
林:え、そうなの?
河カタ:そもそも僕がロフトワークを辞めたのは、妻の海外勤務についていくことになったからでした。会社に何か不満があったわけではないし、次にやりたいことも特に考えてなくて。
そのままアメリカで2年を過ごし、帰国するタイミングでロフトワーク時代の先輩に連絡したんです。そうしたらなぜかいきなり「千晶さんとの面談も入れておいたから!」と。きっと、千晶さんは覚えてないと思いますけど(笑)。
林:覚えてない!
河カタ:FabCafeで千晶さんと久しぶりにお会いして、大半は雑談で盛り上がってしまったんですけど。残り15分くらいで、今後の働き方の話になったんです。
そのとき僕が「普通の会社員として働くのは、何となく違う気がする」と何気なく言ったら、すかさず千晶さんが「そうだよね。それなら『100BANCH』があうかもしれない」と。
林:そうだったんだ(笑)。でも河カタくんと会話する中で、「この人は独立した方向に歩もうとしている」と感じたから、そう言ったんだと思うよ。前もって「河カタくんに会ったらこう言おう!」なんて、決めるタイプの人間ではないし。
私ね、ときどき巫女的な役割を果たすことがあるのよね。
河カタ:何となく、わかります。でもその一言が、僕の背中を押してくれたんですよ。
言葉では「会社員になるのは違う」なんて言ったものの、やっぱりどこかに就職した方がいいと思っていたフシもありますし、何よりフリーランスとして生きていく決意もできていませんでした。
でも千晶さんが「そういう働き方、私は応援するよ」と言ってくれたから、一歩を踏み出せました。その足ですぐ「100BANCH」の責任者に連絡して、ご縁がつながり今に至ります。
見えない・聞こえない・話せない。どんな状態でも成立する「未来言語」を探して
林:河カタくんは今、フリーランスとして「100BANCH」の運営に関わっているんだよね?
河カタ:はい。運営事務局の一員です。また100BANCHに入居する「未来言語」のプロジェクトの共同創案者でもありますね。
林:「未来言語」、面白いプロジェクトだよね。
河カタ:当初、僕は「100BANCH」事務局のスタッフで、他のメンバーはそれぞれ「障害のある方や外国人とのコミュニケーションに向き合う」別々のプロジェクトのリーダーだったんですね。それが縁あって一つのイベントをつくることになり、初めてみんなで集まって話をしたらすごく面白かったんですよ。
そのとき、ふと彼らに「見えない人と聞こえない人って、どうやって話してるの?」と聞いてみたんです。そうしたら、メンバーの誰も答えられなくて。
林:なるほど。そこが盲点だったんだね。
河カタ:これだけ真剣に、障害がある人たちとのコミュニケーションを考えているメンバーが集まっているのに、誰も答えをもっていない問いがある。そこに、未来の「言語」につながるヒントがあるんじゃないかな、と思いました。
それで、見えない人と聞こえない人、そして話せない人がコミュニケーションを取る方法について、自分たちでいろいろと試行錯誤しながらアイデアを出し合ってみたんです。
林:そのプロセスが、未来言語のワークショップにつながったんだね。
(ここで特別ゲスト、土谷貞雄さんが登場)
林:今ね、「未来言語」の話を聞いていたの。彼が創案者の一人で。
土谷貞雄さん(土谷):そうなんだね。あ、どうぞ続けてください。
林:ありがとう。それで、未来言語のワークショップはどうやってつくっていったの?
河カタ:僕たちが行き着いた結論が、「コミュニケーションのためのルールを作ること」でした。どんな障害があっても、何かしらの共通ルールがあれば、コミュニケーションが成立するのではないかという仮説です。
あくまでも仮説でしたが、はじめてのワークショップで僕が司会をしていて、最初のアイスブレイクの時点で「これはイケる」と確信しました。
林:はじめから、手応えがあったんだ。
河カタ:はい。すごく盛り上がって、体験してくれた人たちから「うちの会社でも研修としてやってほしい」「一緒にイベントをやりたい」と声をかけていただくようになったんです。そうした依頼の受け皿として、株式会社も設立しました。
林:それはすごいね! ワークショップへの問い合わせもたくさんくるの??
河カタ:数はまだそんなに多くないです。これからですね。
林:河カタくんにとって、まさに今が挑戦の時なのかもね。現状の「未来言語」を踏まえながら、もう一段階先のことを掴みにいったほうがいいタイミングかもしれない。
河カタ:まさにそうなんですよ! 「未来言語」はワークショップを開催して稼ぐことが目的ではないので、まだまだチャレンジしたいことがたくさんあります。
見えない・聞こえない・話せない—僕たちはそれらを「未来言語状態」と呼んでいるんですけど、その状態で「食を楽しむってどういうことなんだろう?」「音楽に親しんだり、踊ったりするってどういうことだろう?」など、もっといろいろな問いと掛け合わせていきたいなと思っています。
林:私自身、去年自分が大きい病気をしたことで、人は無意識に見えないバリアや壁を作っていることがよくわかったんだよね。「あの人は病気だからあれができない」「障害者だからこれができない」みたいに。
だから未来言語が、見えない・聞こえない・話せない状態のことを「障害」として扱ってないのがすごくいいなと思う。
河カタ:僕たちは「福祉をやりたい」とか、「社会のために何かをする」とか、そんな意識はあまりないんです。あくまでも「みんなが楽しければ、僕らも楽しい。僕らが楽しければみんなも楽しいよね。そのみんなという言葉の中に障害がある方もいる」という感覚ですね。
日常と非日常の境界線を超えて、次は何を目指す?
土谷:僕も一つ聞いていい? 僕の娘が小学生のときにね、耳が聞こえない人たちのダンスクラブに入っていたのよ。彼女の役目は、手話を通してみんなの通訳になること。僕はその発表を見にいって、いたく感動してね。
でも娘にとってそれは特別なことではなく、日常なんだよね。毎日のように一緒にいる仲間なわけだから。
河カタ:ああ、そうですよね。
土谷:そうした「非日常」と「日常」の境目について、河カタさんがどんな風に捉えているか聞いてみたい。ワークショップに参加すると、何か新しい気づきを得たり、非日常を体験したりできる。それを繰り返すことによって、発見の喜びが日常へとつながっていくこともあるのかな?
河カタ:「未来言語」のワークショップでは、僕から言わないようにしていることがあります。「今日の体験から得たことを踏まえて、障害ある方を街中で見かけたら積極的に手助けしてあげてください」みたいなことですね。
体験からアクションにつながるのが理想ですけど、「学んだことをもとに何かをやってください」だと急に義務感になっちゃうじゃないですか。どんなに新鮮な体験をしたとしても、いきなりそれを「日常」にするのは難しいなと思います。
土谷:なるほどね。
河カタ:でも「非日常」を経験する場の存在は大事だと思っていて。今まで自分が考えもしなかったことに対して、少しでも「気付く」ことは重要ですよね。
だから僕が参加者の方に伝えているのは、「今日みなさんが体験したことはすごく難しいことです。自分ができたことに対して自信を持ってください」ということだけです。
またそれぞれの「日常」に戻ったときに、ワークショップで体験したことを思い出して、今の自分がどうふるまえばいいか、考える材料にしてもらえたらうれしいです。
林:日本は障害がある人、病気の人、そのほかマイノリティの人たちと接することを「非日常」として見てしまうことが多いよね。
私もいずれ、それが「日常」になる世界を実現できたらいいなと思っていて。それが、私にとっては次の起業につながるんじゃないかな。
河カタ:えっ、千晶さん、これから起業するんですか?
林:できたらいいなーなんて。またわかんないけどね。
河カタ:最後に衝撃発言が飛び出しましたね。えっ、みんな知ってたんですか? ええっ?(笑)
取材を終えて(林千晶)
入社当初は、緊張しがちな少し線の細い男性、という印象だった。それがいつの間にか、社内でも頼られる「言葉」の専門家となり、今では独立したバーバルデザイナーになってしまった。リアルに未来の働き方を実践している、貴重な存在だ。
でも今回の取材で、彼が図らずも秘訣を教えてくれた。
「僕は仕事もプライベートもがんばったと言える方ではないのですが、今の奥さんと結婚することにはすごく努力をしました!」と笑顔でこたえたのだ。人生一番の努力だとか。
なるほど。それは実に理にかなった、人生を楽しめる秘訣。自分を支えてくれる心の拠り所を得たのだから。心配性の河カタくんが迷っていても、奥さんが気軽に「大丈夫、なんとかなるよ」と言ってくれる。ますますうらやましくなったよ!
(撮影:加藤甫)
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