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小川 敦子, 諏訪 光洋 2025.02.19

Aru Sustainable Tour
自然と文化 vol.1 「森」京都

AI時代における、一つの問いかけ

人間が成してきた大概の仕事はAIが担っていく。私たちはこれからどこに向かうのか? どう在るべきなのか? AIの進化により、あらゆる物事の判断軸、秩序が一元的な方向性に加速的に向かっていく社会の変容のなかで、だからこそ、おそらくはAIがこの先も紡ぎ出すことのできないであろう「人間の感性や想像力」というもの、つまり、創造性とは何か?ということが現代において非常に問われていると捉えています。その一つの答えであり視点の軸を、Aru Sustainable Tour という独自の体験価値によって、(ひょっとしたら)得ることができるのではないか? と私たちロフトワークは考え、同時に、プロジェクトの存在そのものが未来の社会に対する一つの問いかけになっていくことを願い、ツアーの企画を立てていきました。

なぜツアーを京都から始めたのか

Aru Societyは、100年後という未来に向けた価値創造物語を描くプロジェクトです。物語のコンテクストをより詳細に導き出していくために、文化、風土、歴史、風習、産業の根底に流れる「美意識」というコンテクストを紐解くことを何よりも重視しています。変わらない/変えてはならない価値は何か? その紐解きをまず行い、それらを軸としながらも、一体何を変容させることが未来にとってより望ましいのか導き出しながら、物語を仕立てていくことを重視しています。これは、過去・現在・未来を一本の糸で編み直すといった作業にも近いのかもしれません。その方法論の一つとして、Aru Sustainable Tour という、文化、風土、歴史、風習、産業の根底に流れる「美意識」というコンテクストを紐解くためのツアーを実施することにしました。

紐解きの始めの地として、私たちは、京都の地を選びました。京都は美意識によって都市が構成されて来たといっても過言ではありません。それはいわゆる雅な文化だけではなく、人々の日常の様々な営みや街の其処彼処の中にも多々垣間見ることができます。特に、文化の背景にある自然との関係性が京都の奥深さと非常に深く関係しています。100年の物語を描く上でも、1200年もの間、長らく日本の重要な都市として位置付けられた「都市、京都」の読み解きこそが、今後の物語の行く末を決めてくれるのではないか?というある種の期待であり直感もありました。そこで、ツアーのテーマを「自然と文化」とし、京都の森という世界にどっぷりと浸かりながら、地域の実践者、企業、研究者と共に “森から京都を、未来を観る” という読み解きに挑戦しました。

京都ツアー企画のきっかけになったのは、2023~2024年に京都市とロフトワークの共同プロジェクトとして実施した京都市都市戦略プロジェクトです。京都市は「優れた文化を創造し続ける永久に新しい文化都市」をデザインすることを軸に、1978年に世界文化自由都市宣言を発表し、以来、宣言に基づき「文化と経済の好循環を実現する」ことを政策の柱としています。そこで、プロジェクトでは文化と経済の好循環はどのような構造・プロセスによってその最適化が成り立つのか、多様なステークホルダーと共にその紐解きにトライしましたが、そもそも連綿と続いてきた京都の文化価値の中核にあるものを正確に把握することができなければ、結局は経済価値を満たすものが優先され、形骸化されたものを「京都らしい文化」「らしさ」と誤って認識して、経済的な循環をさせてしまう危険性を伴うことに行き当たりました。京都市とのプロジェクトが終了した後も、京都でのリサーチを重ねることで、「森と水があるから京都があり、森があるから京都がある」というインサイトに辿り着き、“森から京都を、未来を観る” 重要なコンテクストの読み解きを骨子としたツアーの企画を構成していきました。

自然という文化を創造する、3つの京都の地を巡る

人の知恵と愛情を自然に注ぎ込み、自然との関係性を育みながら、唯一無二の文化という価値を1200年の長きに渡り、創造と継承を繰り返してきたことは、京都という都市が古の頃から進化し続けてきたことの証です。また、京都の文化遺産が今後、世界においてもその重要な存在意義を示すためにも、自然と文化という領域は非常に可能性があるのではないかと考えています。

一方で、京都の自然はいわゆる人間が恣意的にコントロールをする自然ではなく、自然との人間の共生によってこそ持続してきたものです。森や水が様々な文化や産業を生み出したことはもちろんのこと、例えば薪を取るために森に入ることは日々の当たり前の習慣とされ、代々森に入り、適切な木の伐採によって光の入る森が保たれることで、水源涵養の土壌が育まれてきました。また、四季の移り変わりがお祭りとして体感できるようなことなど、特別なものではなく、常に身近に自然を体感できるようになっていることも京都の自然と文化の関係性であり、「らしさ」を示しているものとして捉えることができます。

今回のツアーの構成を進める際に、この自然と人間の関係性の育みを持続する動きと共に、森の荒廃が激しく進んでいる実態にも向き合うこととなりました。特に、3年以上人の手が入らない放置竹林の問題が森の土壌にかなりのダメージを与え、土が痩せ、土砂災害の危険性を高めていることも事実で、京都府内各地の約60%以上がそのような状態に置かれ、その動きは加速しています。自然が置かれている実態を直視することは非常に心が傷みましたが、それと同時に、人の手が再び入ったことで光あふれる美しい森へと戻っていく風景を同時に体感したこと、その地の人と人の関係性が再び新たな形で生まれることを目にすることで、100年後という未来への可能性を感じることもできました。一見何もないようなところにこそ、光を当て、想像力を使いながら、場所の可能性を丁寧に導き出し、育み、花開かせていくことは、おそらく京都という都市が連綿と続けてきたことなのではないかと思います。

ツアー参加者の方々に、その両方をあえて観ていただくことで、自然と文化というキーワードに基づいた実践こそが未来の価値創造の源泉になるであろう可能性そのものを体感してもらい、また、本来的な自然という環境の元、未来に向けた視点をそれぞれに発見してもらうことを意図しました。ツアーは、主に3つのパートから構成されています。日本最古のモルトウイスキー蒸溜所であるサントリー山崎蒸溜所とその背景にある森について知ること。生物多様性観点から再生されリデザインされた北嵯峨野の竹林での茶会。小倉山の風景を持続させる森の活動を体感すること。その3箇所を巡ることで、森という自然に対し、人々が知恵と愛情を注ぎ、唯一無二の価値として文化という価値へと転換し、100年、1000年という物語を紡ぎ出してきたことの真髄にあるものに触れる体験をしていただきたいと考え、プログラムを構成していきました。

写真:サントリー山崎蒸溜所

Journey Process.1 日本最古のモルトウイスキー蒸溜所、サントリー山崎蒸溜所

旅の始まりは、サントリー蒸溜所の山崎の地を訪れることから始まりました。自然がなければ人間は何もできない。サントリーでは、創業者・鳥井信治郎氏の101年前の意志を今に受け継ぎ、ウイスキーづくりは人間と自然の共生という社会をつくる事業でもあると捉えられています。鳥井氏は養護施設や教育までを全て事業として一代で成し遂げましたが、大企業に成長した今もそのスピリットは変わらずに流れており、背景にある天王山の森の手入れまで、ウイスキーづくりに欠かせない森からの地下水という源泉を守り育てるためにも、様々な専門家の知恵を集めながら土づくりまで徹底的に創業時からの活動を続けています。

鳥井氏はなぜこの地を選んだのか?  山崎は千利休が茶室・待庵を設けたほど古の頃から名水の地として名高いこと。また、木津川、宇治川、桂川という三川が合流し淀川として流れる分岐点でもありますが、三川それぞれ水の温度が異なることで霧が発生し、湿度の高さが保たれる。ウイスキーの本場スコットランドは多くの霧が立ち込めているから樽の熟成が長期間に渡り非常にゆっくりと進む。湿潤な環境、質の高い豊かな水というウイスキーの条件が揃っていたことに加え、古来より交通の要所とされ、古くから栄えてきたことが理由です。100年先の情景を見越す、その先見の明。今では東海道新幹線を含めた複数の交通機関の窓から、蒸溜所の風景を見ることができますが、このように製品だけではなく、鳥井氏が自然と人間が織りなす風景そのものを文化として捉え、森と水と共に生きる産業を実現させていったプロセスには、創業者の理念や法人としての生き方が深く表れていると言っても、過言ではありません。

案内人

サントリーパブリシティサービス株式会社 PRコミュニテーション事業部
企業PR部 サステナビリティ連携 課長 田中省伍さん

写真:竹林で紅葉を生ける

Journey Process.2 北嵯峨野竹林での茶会

貴重種管理、京都の竹林の在り方、風景、生物多様性といった複合的な観点から整備がなされた北嵯峨野の竹林エリア。その一部のエリアは森林の生物多様性研究者でもあり、ランドスケープデザイナーでもある増永滋生さんが中心となって、5年以上をかけて土壌から再生させたことで、明るく風通しが良い、美しい竹林の空間に仕立てられていますが、今のような状態になるまでは30年以上、人の手からは放置された足の踏み入れる場所もないほどの状態だったと言います。森も竹林も適切な時期に間伐をしながら光を入れ、植物が根を張りやすい状況をつくる必要があり、今、そのように人が入り育てなければ、次世代に継承することができない。すべては人と自然の関係性のもとに構築された循環の内にあるのが本来の京都の自然の形なのです。

嵯峨野、嵐山エリア一体は秦氏が1200年以上前から開拓し、里山の風景を創り上げてきたという歴史的背景があります。北嵯峨野は森、竹林、田畑が一体となった風景そのものが歴史的風致特別保存地区として京都市から法律で指定された土地ですが、増永さんはこの里山の風景全体を文化として捉え、ランドスケープデザインをされています。その独自の自然と文化の捉え方、自然との対峙の仕方は、例えるならば、土壌という文化を継承し続けるボルドーなどのワイナリーの醸造家にも近い感覚なのではないかと思います。

竹林においては、京都、御所東に店を構え、オーガニック日本茶を通じて、自然と文化に根差した暮らしと美を国内外に発信する『冬夏 tearoom toka』の主宰、 奥村文絵さんコーディネートのもと、参加者のインスピレーションを開く時空としてTEA INSPIRATIONSをテーマにした茶会が行われ、非常に香り高い貴重な日本茶が振舞われました。この日、花人・杉謙太郎さんによって立て花として活けられた「天道花」は、天道(太陽)に敬意を払い、松を立て、紅葉を立ち上げて、しつらえられました農耕の感謝の気持ちを花に託し、立てる。農耕文化の古えの風習による天道花を杉さんに立てていただいたことは、この歴史的な土地への感謝を示すことでもあり、また、日本の地を過去・現在・未来を1糸で編み直していく、AruSocietyの記念すべき始まりを祝うような瞬間でもありました。

そして、焚き火を囲み、香り高いお茶やサントリー山崎蒸溜所のウイスキーを酌み交わしながら、研究者、企業、アーティスト等、参加者が一体となったround tablediscussionを行いました。議論の軸となったのは、それぞれが改めて文化の概念を問い直すことの意義そのものでした。“手の内にある価値”に気づき、そこにどのような価値や意味合いを見出しながら未来に向けた豊かさを再定義することができるのか? また、“一人勝ちではない、弱い側に立つ”という視点から、これまで可視化されてこなかった自然、文化、社会的価値を評価できるよう明らかにすることが可能となり、自然と文化、文化と経済、文化と社会といった結びつきが深まり、公平な社会の実現につながっていくのではないか? 社会的処方、文化的処方、循環的処方といった多岐に渡るそれぞれの専門的視点を重ね合わせながら、豊かなコモンズとしての社会を構築していくことの重要性について探索し合い、豊かな時間を共に過ごしました。

夕暮れどきには天道花に陽光が射し込み、一瞬の美しい光景に出会うことができました。増永さんの手によって、新たに生まれ変わった竹林は、まさに、参加者のインスピレーションを開く時空としての茶室空間そのものだったように感じています。

案内人

株式会社アドプランツコーポレーション 代表取締役 増永滋生様さん
冬夏株式会社 代表取締役 奥村文絵さん
花人 杉謙太郎さん

round table discussion1:「文化とBe-ing。文化と社会的価値について考える。」景観・風土・文化・歴史という資産をどのように新たな価値に転換するか?
 (ラウンドテーブルについての詳細は、Aru Society Webサイトに掲載しています。https://aru.org/round-table-discussion-kyoto1/

登壇ゲスト
宇沢国際学館 代表取締役/医師 占部まりさん
京都大学 大学院医学研究科 社会健康医学系専攻 社会疫学分野 教授 近藤 尚己さん
武蔵野美術大学ソーシャルクリエイティブ研究所所長・造形構想学部クリエイティブイノベーション学科教授若杉浩一さん

 

写真:小倉山を散策する人々

Journey Process.3 小倉山の森を歩く

景勝としての小倉山を次世代へと繋ぐため、造園の知識に長けた常寂光寺のご住職の長尾憲佑さんが中心となり「小倉山を守る会」という活動を通して、地松の赤松林を再生させながら、里山の手入れの手解きを伝えています。森に光が差し込むことで植物も土も自ずと育っていきますが、そのような状態になるまでには最低30年、下草刈りや間伐を行い、丁寧に手入れをし続ける必要があります。光が良く当たり、風の通り道となる尾根筋では、乾燥に強い赤松が育ち、麓には桜や紅葉などの常緑樹が育つ。植物にはそれぞれの適切な居場所があり、そういった色鮮やかな独自の嵐山・嵯峨野の森の風景は昔の大和絵や巻物にも描かれています。自然がもっと身近にあった時代、100年ぐらい前までは、薪を採りに行くなど、山に入って、日々山を利用していたため、常に山が綺麗だったそうですが、そのような習慣がなくなり、美しい山の光景が徐々に失われてゆく中で、お寺の住職を始め、地域の方々が集まって地道に自然が再生されています。

小倉山の麓を流れる大堰川は、土地を荒らす川の氾濫を抑えるために秦氏が灌漑工事をした場所ということで、“堰”の改修工事を意味する言葉が川の名前となり、同じ川でもこのエリアだけは桂川とは違う名前があえて付けられています。昭和24年にコンクリートで工事をするまでは細い竹網に石を詰めて堰を作っていたそうで、さらに上流域の保津川は、京都の奥の院といわれる花背から、丹波、亀岡と水を集めて保津峡へと流れていく。そのなんとも言えないエメラルド色の川の水は、大堰川、桂川、淀川へと流れて、太平洋、瀬戸内の海へと変容していく。桂川流域にある松尾大社は秦氏の氏神とされ、湖地帯だった丹波から治水を頼まれて、山を切り開き水を流したところ、丹波国が出来上がったとの逸話が残されています。

風景という文化に対する愛情と美意識、土地に対する深い理解がなければ、1200年以上に渡るこのような持続的な活動はなかなか成し得ないと思いますが、長尾さんは「私は植物が好きだから」と常に楽しそうに森の手入れに関する手解きを伝えてくれます。私たち参加者も森を歩きながらノコギリや鋏を持って、この地に刻まれた歴史的な背景や植物の様々なエピソードを伺いながら、間伐や下草刈りを共にさせていただきました。参加者の1人で宇沢国際学館 代表取締役で医師でもある、占部まりさんは「単純に京都に観光に来て歩いても、先祖代々から現代に繋ぐという努力を地域の方々がどういう気持ちでされていることは全然見えていなかったということを今回非常に痛感した。」と言います。

増永さんと長尾さんの出会いは13年前。「私たちはここから逃れることが出来ない」という長尾さんの言葉を受け止め、専門的な知見から小倉山という森林の生物多様性分析と植林等を計画的に行うサポートをされ続け、継続的な営みこそが自然を豊かに回復させていくというご自身の哲学のもと、小倉山を守る会の事務局も担当され、そのような伴走支援活動に対して、様々な領域の人々を巻き込み発展させ続けています。

山を降りて、山の麓に位置する小倉山二尊教院華臺寺(おぐらやまにそんきょういんけだいじ)、通称・二尊院へ。小倉山を守る会副会長、二尊院住職羽生田実隆さんに、二尊院の素晴らしい庭や壮大な空間をご案内いただき、京都五山送り火連合会会長・NPO法人大文字保存会会長長谷川英文さんをお迎えし、「森という原点に還る」をテーマに、京都の自然と文化を全体的な視点から捉え直すことの重要性についてお話いただきました。

案内人

小倉山を守る会会長、常寂光寺住職 長尾憲佑さん
小倉山を守る会副会長、二尊院住職 羽生田実隆さん
株式会社アドプランツコーポレーション代表取締役 増永滋生さん

写真:人々が、円になってディスカッションする様子

ツアーは2日間に渡りましたが、最後に、参加者が丸い円になり“共話”をする時間を設けました。それぞれが思い思いに語り合うなか、株式会社ジャクエツ取締役専務執行役員 徳本誠さんの次のような発言が非常に印象的でした。

「普段は幼稚園など子どもの教育事業に関わっていますが、フレーベルという人が自然の法則に従うことを自覚するのが教育であるということを宣言しています。<子ども=Kinder>と<庭(楽園)=Garten>を合わせてキンダーガーデン、子どもの庭という表現で、自然に学ぶとかそういう表現から言われています。自然とか人間とかという言葉だけで言ってしまうと、こちら側から一方的に自然を見てしまう。人間はそもそも自然であること。人間と自然を分断して何かを考えること自体にギャップがある。自然と人間が共存し、一緒になって互いが繁栄していくこと。そういうことをこのツアーから感じました。」

自然の中で体感したことを、それぞれが自分の領域に置き換えながら、原点に還り、そもそもの自身の在り方を見つめ直していく。今回のツアーは、その始まりでもありました。自然を観る、そこから、未来を観るということは、その地に流れるコンテクストを想像力を存分に使いながら読み解くことでもあり、「今、ここ」という現在に立ち、しっかりと自らの足もとを観ること。未来への原点は不確かな未来ではなく、現在という起点に立ったときに、ようやく出逢えるものなのかもしれません。

Aru Societyについて

ツアーに関する記事や、Aru Societyの活動について、Aru Society Webサイトにてご覧いただくことができます。

『夢を紡ぐ組織』

ロフトワークはありがたいことに、日本を代表する企業や行政機関から未来に関する相談を受けることが多いです。時には具体的な課題について、また時にはクリエイティビティやイノベーションに関するものです。(ちなみに、売上向上や競合対策、広告戦略の相談はあまり来ません笑)
そんな時、ふと思うことがあります。「この組織は、どんな生命体なんだろう?」
「法人」とはよく言ったものだと思います。法の下に生まれる一つの人格。その法人もまた、私たち自然人と同じように、食べ物(資源)を求め、生きがいを感じ、考え、時には波風を立てながらも、独自の性格や意志、美学を持っているのです。
では、魅力的な「人」とはどんな存在でしょう?
江戸時代、江戸や大阪、京都は世界有数の大都市でした。平和と生産性の向上から生まれた豊かさが、日本独自の文化を育み、それは海を越えて遠くヨーロッパにも届くほどでした。
それから300年、人類はさまざまな課題を乗り越えてきました。かつて30%以上だった乳児死亡率は今や0.2%にまで減少し、飢饉も姿を消しました。平均寿命は倍に伸び、1970年代に1.7万人を数えた交通事故死者数は1/7に減りました。
社会が抱える課題は徐々に少なくなっています。そして、急速に賢くなりつつある人工知能は、個々の個性や文化が織りなす組織を、もしかすると優秀ではあるけれども、平坦でコモディティ化された存在へと変えてしまうかもしれません。
創業者や経営者が築いた文化、歴史、土地とのつながり、美学、そして未来へ向けた夢―。
魅力的な「人」が持つこれらの特質は、法人にも等しく必要です。
私たちはAruを通じて、日本の素晴らしい企業や団体が持つその魅力を再発見し、社会に向けて発信していけたらと考えています。

株式会社ロフトワーク 代表取締役社長 諏訪光洋

 

Project Member

諏訪 光洋

株式会社ロフトワーク
代表取締役社長

Profile

小川 敦子

株式会社ロフトワーク
アートディレクター

Profile

Speaker

占部 まり

Speaker占部 まり(代表取締役,医師)

内科医、宇沢国際学館取締役。1965年、シカゴにて宇沢弘文の長女として生まれる。東京慈恵医科大卒。現在は地域医療に従事するかたわら、宇沢の「社会的共通資本」をより多くの人に知ってもらうための活動を行う。2022年京都大学人と社会の未来研究院にて、社会的共通資本と未来寄附研究部門発起人。

奥村 文絵

Speaker奥村 文絵(代表取締役)

フードディレクター。日本の“食べる”をデザインする仕事の草分けとして2000年より活動開始。味や食文化をビジュアライズするフードディレクションファーム、Foodelco Inc. (フーデリコ株式会社)を2008年に設立。東京を拠点に、老舗の飲食企業や地域特産物のブランディングを多数手掛けるほか、21_21DESIGN SIGHT で開催された「テマヒマ展(東北の食と住)」と「コメ展」に企画協力。2015 年、京都へ移転し、オーガニックの日本茶に特化したティールーム「冬夏」を開業。御所東エリアにある築100年の日本家屋をリノベーションし、国内外の美しい手仕事を紹介するギャラリー「日日」を併設する。2021年には冬夏株式会社を設立し、ボトルティー「冬夏青青 toka_seisei」の開発、製造、販売をスタート。文字通り「世界一小さな飲料メーカー」となり、日本茶に「最高級ノンアルコールビバレッジ」としての可能性を見出すとともに、日本文化の継承と改新をミッションとするカルチャープレナーとして、新たなビジネスモデルに挑戦している。著書に『地域の「おいしい」をつくるフードディレクションという仕事』(青幻舎)。

増永 滋生

Speaker増永 滋生(代表取締役)

大学卒業後、出版社で環境分野の担当で勤務後、自然環境保全会社で調査計画に10年以上携わったのちに、2011年に株式会社アドプランツコーポレーションを設立。
里地では人が育たなければ森が育たないという考えから、地域づくりを伴走支援する組織として、特定非営利活動法人ひとともりデザイン研究所を2015年に設立。
森が育つまで長い年月が掛かる中で、市民や企業等と様々な連携の手法を探りながら、株式会社、NPO法人の両車輪で、環境を守るための調査研究や地域づくり活動を行っている。
近年では、自然再生の過程で発生した間伐材や副産物を活用した6次化商品を開発し、販売した収益を地域の自然再生活動の資金として活用するなど、循環的な活動展開を幅広く行っている。

近藤 尚己

Speaker近藤 尚己(社会健康医学系専攻国際保健学講座社会疫学 教授)

専門分野:社会疫学・公衆衛生学

略歴:2000年山梨医科大学医学部医学科卒業。卒後医師臨床研修後、山梨医科大学助教・同講師・ハーバード大学フェロー、東京大学准教授などを経て現職。健康の社会的決定要因と健康格差に関する疫学研究を進めている。

近著:「実践 SDH診療 できることから始める健康の社会的決定要因への取り組み」中外医学社(共同編著)、「健康格差対策の進め方:効果をもたらす5つの視点」医学書院(単著)、「社会疫学<上・下>」大修館(監訳)、「認知症plus地域共生社会 つながり支え合うまちづくりのために私たちができること」日本看護協会出版会(共同編著)、「社会と健康:健康格差解消のための統合科学的アプローチ」東大出版会(共同編著)、Health in Japan: Social Epidemiology of Japan Since the 1964 Tokyo Olympics(Oxford), the Atlas of Health Inequality in Japan (Springer)など。

ウェブサイト:「京都大学大学院医学研究科 社会疫学分野」https://socepi.med.kyoto-u.ac.jp/

杉 謙太郎

Speaker杉 謙太郎(花人)

花人。福岡県生まれ。
室町時代に始まった古典花道といわれる「いけばな」を軸に、国内外問わず花会を開催しています。花会では特に様々な視点と角度から、花の内面世界を詠みあげていきます。種子や花の液体、あるいは花の亡骸までも生けるという行いは、いけばなの範疇を破り、余情表現を追求します。土の作品制作をはじめとして、江之浦測候所、多摩美術大学、東京画廊、東大寺などで作品を発表し続けています。
https://linktr.ee/kentarosugi

若杉 浩一

Speaker若杉 浩一(ソーシャルクリエイティブ研究所所長・造形構想学部クリエイティブイノベーション学科 教授)

武蔵野美術大学 造形構想学部 教授、ソーシャルクリエイティブ研究所 所長。
1959年熊本県生まれ。九州大学芸術工学部卒業。プロダクト、インテリア、建築、サービスデザイン、商品企画をインハウスデザイナーとして活動する中で、自主的に地域社会のデザインの有り様を模索し、ソーシャルデザインを23年間実践して来た。数多くのまちづくりや、プロジェクトを実施し、自らが主催する団体(日本全国スギダラケ俱楽部)は、全国で27支部2400人の規模になり、沢山の多様な人たちと連携しデザインの新しい活動を実践している。

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自律性を”仕組み”で育てる
──リーダーに頼らずとも成長するチームのつくり方