言葉だけでは届かなかった。でも、食べてもらったら届いた。
FabCafe Osakaから始める、感性の入口づくり
2026年4月29日、FabCafe Osakaはオープンから1周年を迎えます。デジタルファブリケーション機材ではなく蒸留器を置き、「アンフォルム」をコンセプトに掲げて始まったこの場所は、感性や情緒、身体で受け取る都市の価値を扱う実験の場として歩んできました。
一方で、この1年で見えてきたのは、そうした価値の“伝わらなさ”でもありました。言葉で説明しようとするほど遠ざかってしまうものを、どうすれば人に届けられるのか? その問いに対して、FabCafe Osakaが見出しつつある入口が、食や香り、飲むこと、味わうことを通じた「身体から入る体験」です。
この記事では、FabCafe Osakaの事業責任者である小島和人が、1年間の実践を振り返りながら、アンフォルム、感性都市論、まち感性指標、対話型飲食といった取り組みがどのように生まれ、少しずつ輪郭を持ちはじめたのかを綴ります。
感性を語ることの難しさ
FabCafe Osakaのコンセプトや世界観を話すと皆、目が少し大きくなる。声に温度が入る。面白がってくれていることは、確かに伝わってくる。
「おお、いいですね……!」
でも、その次が続かなかった。どう理解すればいいのか。どう使えばいいのか。どこから入ればいいのか。相手の目が、わずかに泳ぐ。その泳ぐ様を、この1年で何度も見た。
言葉優位の世界では、まだ言語化されていないものは「ないもの」に近い扱いを受ける。アンフォルム、感性、情緒。そういう言葉を並べるほどに、相手は意味を探そうとしてくれる。でも、その言葉だけでは、身体で受け取る感覚や、その場に立ち上がる気配までは運べない。むしろ説明を重ねるほど、僕たちが扱いたかったものの輪郭が、少しずつ遠のいていく感覚があった。
FabCafe Osakaは、2026年4月29日で1周年を迎える。この1年で僕たちが痛感したのは、扱おうとしていたものの「伝わらなさ」だった。
形を持たないものを扱う、という無謀
FabCafe Osakaは最初から、少し変なコンセプトで始まった。FabCafeの拠点には、レーザーカッターや3Dプリンターを設置しているが、FabCafe Osakaは蒸留器を置いた。そして、アンフォルム(形式に縛られない美しさを追求する美術思想)をコンセプトに掲げて、感性や情緒をテーマに新しいカルチャーを育てることを宣言した。
元は自動車整備工場だったこの空間の中央には、深さ1.8mの作業ピットが残っていた。その穴を埋めずに飛騨の曲がり木でテーブルを作り、壁には淀川の浄水発生土を吹き付けた。これらによって大阪という都市の堆積をそのまま空間に引き継いだ。
この空間をつくりながら僕たちはかなり興奮していた。「これは伝わる」と思っていた。
「いいですね」の先に進むには?
来てくれた人は、本当に喜んでくれた。空間の独自性を感じてくれた。「ここは他の場所と違いますね」という言葉を、たくさんもらった。でも、その先の話になると、少しずつ霧が出てきた。アンフォルムって具体的にどういうことですか。
説明するほどに答えから遠くなる。概念が概念を呼んで、相手の顔が少し困った顔になる。言語優位の思考回路に、まだ言葉になっていないものを流し込もうとしているから、当たり前といえば当たり前だった。
感性は、頭だけでは受け取れない。
分かってはいた。僕がSensibility Urbanism(感性都市論)として整理しようとしていることの核心は、まさにそこにある。都市の価値を、人口や稼働率だけではなく、人がどう感じ、どう記憶し、身体でどう受け取るかという側面から捉え直すこと。でも、じゃあどうやって「それ」を届けるかが、この場所ができて数ヶ月はわからなかった。
食に振り切ったら、届いた
転換点は、飲食だった。
FabCafe Osakaにはオープン当初から蒸留器を設置し、蒸留ドリンクも提供していた。ただ、それを単なるメニューではなく、感覚や会話を生み出すための「食体験」として意識的に設計し始めたのは、開業から数カ月が経ってからのことだった。
同時に、「L’In parfait(アンパフェ)」というプロジェクトが生まれた。「完全」を意味するparfait(パフェ)に、あえて「不完全」を持ち込む食体験。関西を拠点に活動するラッパーのKZさんが「歩くこと」の哲学を持っていて、彼と一緒に天神橋筋商店街を実際に歩いて、路地裏の静けさ、商店街の喧騒、大川のそばの空気の変化を、パフェの層に落とし込んだ。
食べてもらった人が、言った。
「あ、なんかわかりました」
その「わかった」は、頭で理解した「わかった」じゃなかった。身体で受け取った「わかった」だった。都市の層を、口の中で感じた「わかった」だった。言葉で1時間かけて届かなかったものが、1口で届いた。
身体は正直だった

まち感性ラボという実践がある。まちを歩き、そこで感じた空気や身体の反応を持ち寄り、言葉や味、香りへと翻訳し、使いこなそうという試みだ。
その中で生まれたのが、「飲む天満」だった。天満のまちを歩きながら感じた多面性、大人っぽさと子供っぽさ、新しさと懐かしさ、温かみの中の無骨さを、一杯のドリンクに変換する、というもの。「本を飲む」という企画も生まれた。本の内容を解説するのではなく、その本が誰かの人生に与えた影響や、背景にある物語を、味覚と香りに変換して提供する。
知識を頭に入れるのではなく、感覚で受け渡す。これが思いのほか、届いた。「なんかあの本、また読みたくなった」という感想が来た。頭での理解ではなく、身体に残った記憶が、また本へと人を引き戻した。
食体験を設計するということは、感覚の入口を設計するということだった。そしてその入口から入ってきた人たちは、言葉で説明したときよりずっと自然に、僕たちがずっと伝えようとしていたことの近くに来てくれた。
実践の蓄積から、理論が見えてきた
感性都市論も、まち感性指標も、最初から完成した理論としてあったわけじゃない。
FabCafe Osakaで実践を積み重ねながら、少しずつ輪郭が見えてきた。空間をどうつくるか。食体験をどう設計するか。まちをどう観察するか。そういう日々の問いの中から、後から言葉になってきた。その考え方の全体像はsensibility.cityでも整理しつつある。
まち感性ラボでの天満リサーチでは、賑わい指標では見えにくいものが見えてきた。なぜその場所に人が滞在したくなるのか。何を失うとその街らしさが崩れるのか。数字ではなく、身体感覚に近い問いを扱いながら、Machi Sensibility Index(まち感性指標)が少しずつかたちになってきた。
先に理論があって、実装先としてFabCafe Osakaがあったのではない。FabCafe Osakaという実践の場から、理論が立ち上がってきた。その順番が重要だと思っている。
届き始めた手応えと、まだ届いていない場所
1周年とはいえ、1年で何かが大きく結実したわけではない。むしろ今の実感に近いのは、ようやく問いの輪郭が見えてきた、ということだ。正直に言えば、FabCafe Osakaが扱おうとしているものは、まだ十分には伝わっていない。
「経済合理性の次」を模索している人たちには、少しずつ届き始めている手応えがある。UR都市機構や大阪公立大学との連携など、都市開発や公共の文脈でも少しずつ接点が生まれてきた。でも届いてほしい人の多くには、まだ届いていない。感性や情緒という言葉が持つ「やわらかくて使いにくいもの」というイメージを、まだ超えられていない部分がある。
それは悔しいし、まだ僕たちの表現が足りないということでもある。ただ、食体験を通じて、少し突破口が見えてきた感覚はある。概念を言葉で説明する前に、まず食べる、飲む、香りを感じるという体験として受け取ってもらう。そこで生まれた感覚を手がかりに、あらためて言葉へ戻っていく。その順番を変えたことが、この1年の大きな発見だったのかもしれない。
2年目は、もっと身体から始める
FabCafe Osakaはこれからも、アンフォルムな実践を続けていく。Sensibility Urbanism(感性都市論)を、都市開発や公共との共創へ。まち感性指標(Machi Sensibility Index)を、まちの価値の測り方そのものを変える方法へ。そして対話型飲食を、もっと多くの人が感覚で受け取れるメディアへ。
ただ、2年目でいちばん大事にしたいのは、引き続き「実践から始めること」だと思っている。完成した理論を持ってきて当てはめるのではなく、この場所での試行錯誤から、まだ言葉になっていないものをかたちにしていく。
2026年4月29日でFabCafe Osakaがオープンして1年。来てくれた人、関わってくれた人、一緒につくってくれた人、「いいですね」と言ってくれた人、目が泳いだ人、全員に感謝しています。
そして、目が泳いだ人には、2年目でもう少しうまく届けたい。









