行動経済学は「死んだ」のか?
──「行動変容デザイン」の探求(第2回)
変わりたいという強い想いを持ち、組織が行動したのに、現場が変わらない。そんな状況と問いに向き合いながらプロジェクトの実践を積み重ねてきたロフトワークメンバーが、行動変容デザインについて探求する本連載。
「どうすれば一過性の成果で終わらず、人々の行動変容を再現性高くデザインできるのか」——本連載を通して、その探求の過程を記します。
※本記事は、全3回連載の第2回となります。
前回の記事では、企業が陥りがちな「3つの壁」を挙げ、「正論」や「情報」、そして「壮大なビジョン」だけでは、不合理な人間は動かないという現実についてお話ししました。
「では、人間の不合理性を前提としてアプローチすればいいのではないか?」
そう考えた私は、人間の非合理な意思決定のメカニズムを科学する学問——「行動経済学」に希望を見出し、デザインの実務に落とし込むべく探究を始めました。しかし、そこにはまた別の大きな壁が立ちはだかっていました。
行動経済学への期待と、最初の違和感
行動経済学とは、心理学の知見を経済学に応用した学問です。
人間が「予想通りに不合理な」意思決定をする仕組みを解き明かし、その研究成果を“人の行動に影響を与える設計”に活かそうとする、より実践的な応用領域を「行動科学」と呼ぶこともあります。ノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマンやリチャード・セイラーの研究が広く知られるようになり、「ナッジ」という言葉もすっかり定着しました。
ナッジとは、禁止や強制ではなく、選択肢の見せ方や初期設定を工夫することで、人が自然により良い行動を選びやすくする手法のことです。
認知バイアスを理解し、人の意思決定の仕組みを設計に組み込めば、行動変容を引き起こせるのではないか——私もそう期待した一人でした。
しかしリサーチを続ける中で、あることが気になり始めました。
「これらの知見は、実際のプロジェクトで本当に再現できるのか?」
書籍や論文には、人間の非合理な行動パターンが数多く紹介されています。たとえば「デフォルト設定を変えるだけで選択率が大きく変わる」「損失を強調するとリスク回避行動が促進される」といった知見を、サービスの導線設計や組織変革の施策に落とし込もうと試みました。
しかし実際にプロジェクト設計をしようとすると、判断ができない場面に何度もぶつかりました。「ある法則が機能する」と知っていても、「いま自分が向き合っているこのユーザーの、この状況で、このタイミングで、この法則を使って介入するべき理由」が立てられない。複数の認知バイアスのうちどれを考慮すべきか、どのタイミングでどう設計に組み込むべきか、その判断の根拠が文献からは出てこない。
知識は増えるが、実践への繋ぎ方がわからない。そんな違和感が積み重なっていきました。
「再現性の危機」という衝撃
その違和感の正体を、ある数字が明確に示してくれました。
2015年、国際的な研究プロジェクト「Open Science Collaboration(※)」が、心理学・行動経済学の有名な実験100本を同じ条件でやり直したところ、指標によって36〜68%と幅はあるものの、複数の評価基準で「半分前後しか再現しない」という結果が報告されたのです(Science 第349巻 第6251号, 2015年)。行動経済学会の理事も務める川越敏司氏は、著書『行動経済学の死』(早川書房,2025年)の中でこの問題を厳しく指摘しています。
この問題は、2015年で終わった話ではありません。2022年には、行動経済学の応用領域そのものを揺るがす論争が起こりました。
Mertensらが米国科学アカデミー紀要(PNAS)に発表した200以上のナッジ研究の大規模メタ分析(※)は、「ナッジは平均して効果がある」と結論づけました。しかし同じ年、同じ雑誌に Maier らの反論論文が掲載されます。出版バイアス(「肯定的な効果が出た研究の方が、否定的な効果が出た研究より発表されやすい」という偏り)を統計的に補正してみると、ナッジの平均的な効果はほぼ消失する、という指摘でした。
※1:Psychological and Cognitive Sciences Correction for “The effectiveness of nudging: A meta-analysis of choice architecture interventions across behavioral domains,” by Stephanie Mertens, Mario Herberz, Ulf J. J. Hahnel, and Tobias Brosch, (2021年12月30日発行)
ここで決定的に明らかになったのは、「ナッジは効くのか、効かないのか」という問いの立て方自体が間違っていたということです。
実態は「ある文脈・ある対象には驚くほど強く効く介入が、別の文脈ではまったく効かない」というばらつき(ヘテロ性)の問題でした。平均値を取っても意味がない、というのが研究者たちの暫定的な合意になりつつあります。
なぜ、画期的なはずの法則が現実社会では再現されにくいのでしょうか。
最初、私は「行動経済学の法則そのものが間違っているのかもしれない」と考えました。しかし調べるほど、問題の核心は別のところにあると気づきました。
法則は間違っていない。「文脈」が抜け落ちていた
社会心理学者のK・ルウィンは、1936年という早い時期に、人間の行動を「人と環境の相互作用」として捉える視座を提示しました。行動(Behavior)は、その人自身(Person)と、その人が置かれた環境(Environment)の関数である——シンプルな数式に表せばB=f(P,E)となるこの考え方は、その後の研究の出発点となりました。
1980年代以降の“状況的認知(situated cognition)”研究は、人間の判断や行動が、その人を取り巻く道具・他者・環境と分かちがたく結びついていることを実証的に積み上げてきました。「同じ人」が文脈を変えれば違う判断をするのは、人が変わったからではなく、人と環境のシステム全体が別物になっているからです。
行動経済学の多くの実験は、その性質上、特定の条件を統制した実験室で行われます。そこでは必然的に、現実の生活における複雑な環境や状況——つまり「文脈」が切り離された状態になります。この切り離しがあるからこそ、結果が再現性高く出るとも言えますが、同時に、それを現実に持ち込もうとすると前提が壊れる。
行動経済学の知見は「汎用的な正解」ではなく、「特定の状況においてのみ機能する処方箋集」として捉えるべきでした。このことから、「その人が置かれた現実を解明し、そこに合った介入を選ぶ」というプロセス設計が必要だと、私は考えるようになりました。
文脈を解明すること——それ自体をデザインする必要がある
ここで、私の考えが転換しました。
行動経済学の知見をそのまま「ツールキット」として使おうとするのではなく、まず「この人は、どんな現実の中で生きているのか」を徹底的に解明すること。その上で、「この状況では何が行動を阻害しているか」を診断し、それに合った介入を選ぶ。このプロセスの設計こそが、再現性をもたらすのではないか、と。
しかしここで、新たな問いが生まれました。
文脈を解明し、介入を選ぶ方法は見えてきた。ここまでが第一の問いへの私なりの暫定的な答えでした。
しかし、文脈を深く知ろうとすればするほど、別の問いが立ち上がってきました。
その人の現実を知れば知るほど、「そもそも自分は、誰のどんな行動変容を目指しているのか」を問わざるをえなくなる。文脈を知ることは、相手をより深く理解することであると同時に、相手をより精度高く動かす力を手に入れることでもあるからです。
これは技術や手法に対する問いではありません。行動変容をデザインする作り手としての姿勢を問う、倫理の問いです。対象の文脈を知れば知るほど、この問いから逃げられなくなりました。
次回は、この問いへの向き合い方と、現時点での仮説の全体像について書きます。








