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土地の記憶を辿り寄る episode1 ARITA
人はなぜ “もの” を生み出すのだろう? ものを辿り、その起源を深く知ることで、ものが生まれた背景にある土地の物語が見えてくる。ものの記憶と土地の記憶が重なり合い、地層となって埋め込まれている。ものをものとして、そこに在るものとして、ただ観るのではなく、ものが生まれた背景やその背景にある「心」や「風景」に出会いたいと思った。その旅は、佐賀県有田町から始まった。
土地の記憶を辿り寄る
episode1 ARITA
美しさとは、一体何か。
美しいと感じるのは、一体なぜなのか。
“溢れんばかりのクリエイティビティ”
−これは、器という形状をしているが、いわゆる“器”ではなかった。
目を見開きながら、一点一点をくまなく眺めていく。
一体、この感覚は何なんだろう。心が大きく揺さぶられた。
こんなふうに感じたのは、実に10年ぶりのことだった。
16世紀に名もなき陶工たちによって仕立てられた、唯一無二の器たちは、私たちに、今、何を語りかけようとしているのだろうか。
佐賀県有田町にある佐賀県立陶磁文化館では、九州の最西端に位置する佐賀県から長崎一体の肥前エリアにおいて「有田」と総称される陶磁器の成り立ちについて、日本国内から捉える視点、朝鮮半島との関係性から捉える視点、世界最大の海流貿易を先駆けて担ったオランダ東インド会社から捉える視点、中国の政変の歴史から捉える視点と、非常に複合的に、かつ客観的に内外の視点を集約しながら「有田ARITA」という認識ものを再整理し、その価値の源泉にあるものと変遷のプロセスを伝えることに注力している。公的な機関としては、非常に稀有な文化館だ。このような文化館が存在すること自体、有田という土地が非常に特異な立ち位置にあることが伝わってくる。そもそもの有田の立ち位置として、日本の中の有田というよりも、世界の玄関口の役割をおそらくは古来からになってきたという貿易港としての有田があり、見ている視点や視座は、目の前の海からその先にある世界とのつながりに重きがあり、常に世界の中で自分たちが、その時その時で、どういう立ち位置なのかという客観的な視点を持っているのが、有田という場所なのだ。
有田が大きく発展したのは16世紀のこと。肥前においては、陶石を用いる磁器と陶土を用いる陶器の大きく2つの流れが同時に存在する。16世紀以降において、有田だけで急激に磁器の技術が発展し、世界へ輸出されたと、国内側の視点だけで解釈をして認識されがちだが、実際にはそうではなく、明王朝から清国へと中国での大きな政変があり、海外との交易が途絶え、陶磁器の世界輸出を担っていた窯元の多くが危機に瀕し、マーケットの需要のバランスが大きく変化した外的要因が前提にあることが大きい。中国の政権の移行期に伴い、当時、職を失う恐れのあった景徳鎮など当時世界最高峰の技術を持つ陶工たちが有田へ流入し、確かな技術力と圧倒的な美意識による、非常にダイナミックな技術革新が起こる。同時期には、秀吉による朝鮮出兵を期に、大名たちが茶会向けに茶器などの非日常で究極の器を生み出すため、朝鮮半島から李朝などの窯元から陶工たちを連れ帰ったとされる。彼らは故郷を憂いながらも泉山(いずみやま)など陶石など素材のある場に巡り合い、この地の風土に適した登窯の設計や製造工法のプロセスなどの先端技術を遺していく。世界における海洋貿易の中核を担ったオランダの東インド会社が、それまでの大口の発注先であった中国マーケットを失い、台湾、ベトナム、マレーシアを経由して、長崎に辿り着いたことで、有田という新たなマーケットと出会うことになる。おそらくは、16世紀以前より、大陸との往来は長崎、佐賀では当たり前のことで、江戸期に鎖国があっても、長崎港は常に開かれていたということが、その背景を物語っている。ヨーロッパ各地からの高度な要望と注文に応えるべく、技術とデザインの革新がさらに加速的に進む。ここから、古伊万里、鍋島などの唯一無二のアートが生まれていく。
このように、あらゆる偶然が16世紀から17世紀に渡って重なり「有田ARITA」が生まれた。「有田ARITA」は、オランダやイギリスや世界中に多くの愛好家がいて、その多くが輸出されていたため、日本国内において製品が出回ることは少なく、戦前においては、ほとんど知られていない存在だった。現在は限られた数の窯元が残されているが、最盛期の約10分の1程度に留まる。このような偶然性によって生まれた“永遠性の美”が日本国内で多く知られるようになったのは戦後のことであり、また、その価値の背景については分かっていないことが多く、いまだにベールに包まれたままだ。
2016年に大阪中之島にある東洋陶磁美術館にて「台北國立故宮博物館北宋汝窯青磁水仙盆」が開催され、10世紀ごろの水仙盆を観る機会があり、非日常のための器というものが一体どういうものなのかということを初めて触れる機会を得た。水仙盆は当時の権力者たちの知性を示すものであり、成熟した文化度という国力を告示するものでもある。盆の裏面には漢詩が記されるなど、深い意味性と思想がその背景にある。永遠性という“空(くう)”を示した水仙盆は、そこにあるだけで、唯ならぬ空気感を醸し出し、目に見えない世界や景色を想像させる。イマジネーションが掻き立てられる。このような器を生み出した、名もなき陶工たちのその研ぎ澄まされた美意識と仕事に胸が震えた。陶工たちは何を想い、何を憂いて、この境地に至ったのだろうかと、幾度も美術館内を往復しながら思索に耽った。
佐賀県立陶磁文化館で有田の起源とされる16世紀の器を前に、水仙盆に出会った記憶や感覚が呼び覚まされた。おそらくは、有田初期の陶工たちの頭の風景には、もう二度と足を踏み入れることのできないであろう故郷の風景や美しく尊い瞬間の記憶があり、それを永遠性の美、空として昇華させたものとして遺したのではないだろうかと。そのような憂いは、何世代にも渡り受け継がれ、その土地の記憶として遺される。細やかで色彩豊かな下絵の筆致の中に、他の誰もが生み出したことのない美を徹底的に表現しようというクリエイターとしての心意気が表れているのと同時に、それぞれの憂い、祈りのようなものが空気として滲み出ているように見えた。そのようにして生きていくことを選択することしかできなかったであろう、当時の陶工たちが本当に語りたかったであろうことについて、また、その境地に至った思想は、遺された器の景色から想像していくことしかできないが、だからこそ、真に美しいものが16世紀ごろの記憶として、今に遺されている。永遠の空の世界を私たちに見せてくれる。
places visited
佐賀県立九州陶磁文化館
佐賀県立九州陶磁文化館は肥前の陶磁器をはじめ、九州各地の陶磁器に関し、その文化遺産の保存と陶芸文化の発展に寄与するため、歴史的・美術的・産業的に重要な資料を収集・保存・展示。調査研究や教育普及の活動を行う。九州の陶磁器専門の施設として、陶芸文化に関する総合的拠点となることを目指し設立された。
location:〒844-8585 佐賀県西松浦郡有田町戸杓乙3100-1
Web:https://saga-museum.jp/ceramic/








