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2024.02.08

The KYOTO Shinbun’s Reportage #2
京都新聞論説委員が見る京都ルポ「信仰か観光か」

ロフトワークは「令和5年度カルチャープレナーの創造活動促進事業〜カルチャープレナー等の交流・コミュニティ創出、副題《文化と経済の好循環を創出する京都市都市戦略》」を京都市より、株式会社ロフトワークが正式受託し、全体のプロジェクトデザインと進行を現在担当しています。

本プロジェクトでは、2025年に策定される「京都市グランドビジョン」の策定に向け、京都市の未来にとって有益な価値を生み出すための新たな価値観の創造を提唱するべく、内外のさまざまなステークホルダーとの議論『ラウンドテーブル』を開催しています。
第二回目は「都市と水」をテーマ軸に据えて、フィールドワーク・リサーチツアーを行いました。

本記事は京都新聞社にご協力をいただき、論説委員 澤田亮英さんに寄稿いただきました。祇園祭からみる「信仰と観光」について考えます。

#京都市都市戦略

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「信仰か観光か」

耳を疑った。
コロナ禍を経て、3年ぶりとなる祇園祭の山鉾巡行を控えていた2022年の初夏。祭りを行う八坂神社(京都市東山区)の野村明義宮司が、講演の場で険しい表情で語っていた。
「今のままの祭りでは、疫病はしずまりません」
疫病退散を祈る祭りの本旨にかかわる発言である。衝撃を受け、何に違和感を持っているのかと取材で聞くと、絢爛な山鉾巡行について指摘した。
「目的が変わっている。疫病をしずめるためなのか、経済効果を上げるためなのか」
山鉾を守り伝えてきた京都の町衆の力には敬意を示しつつ、「経済効果を求めて肥大化した。巡行をするための祭りになっている」と率直に語った。
何のための祭りか。
自らも原点を見つめなおした野村宮司が着目したのが、「水」だった。
祇園祭の起源とされる御霊会が行われた神泉苑(中京区)で、双方の境内の水を交換する行事を行い、神仏習合の力を備えた水を山鉾巡行の見せ場である「辻回し」の前に榊にひたし、まく儀式が始まった。神輿に関連する神事でも水を使った取り組みが動きだした。
祇園祭の起源とされる御霊会が行われた神泉苑(中京区)で、双方の境内の水を交換する行事を行い、神仏習合の力を備えた水を山鉾巡行の見せ場である「辻回し」の前に榊にひたしてまく儀式が始まった。神輿に関連する神事でも水を使った取り組みが動きだした。

山鉾巡行は、神輿が練る前に都大路を清める役割を担う。現在は34の山鉾があり、京都市中心部の34の町内がそれぞれ保存会をつくり、維持している。
応仁の乱で一時途絶え、度重なる大火で焼失した山鉾もあった。明治維新後には山鉾を支えてきた自治の仕組みが変わって苦境に立った。幾度の困難を乗り越えてきた土台に、信仰があったのは間違いない。

経済効果を求めた動きがはっきり表れたのは、1966年の「合同巡行」だった。神輿渡御の日に合わせて717日の「前祭(さきまつり)」と24日の「後祭(あとまつり)」の巡行に分かれていたのを、17日に全ての山鉾がそろう方式に変えた。最大で32基の山鉾が半日かけて巡行した。

観光客が呼び込める。そう期待した京都市が主導した。それまでにも経路が変更され、有料観覧席を設ける「観光化」は進んでいた。山鉾町に建ち並んでいた和装関連の会社も、仕事の手を取られる巡行を1日に減らしたい思惑があったとされる。当時は高度成長期だった。

信仰か観光か。祭りの本義を損ねるような変化に反発し、巡行に出ない山もあった。

合同化から半世紀近くを経た2014年、山鉾巡行は前祭と後祭を分ける方式に戻った。当時の祇園祭山鉾連合会の理事長が「肥大化しすぎた巡行を元に戻す」と強く思い続け、着々と手を打ってきた流れもあって大きな混乱もなく移行した。

千年以上続く壮大な巡行を維持するのは、町衆の心意気と技の継承によるところが大きいが、現実には資金の問題がある。山鉾を飾る豪華絢爛な織物の新調や復元には数千万円を要し、部材の保管や人手の確保も善意だけに頼れない。

加えて大きな課題となっているのが「安全」のための費用である。明石市の歩道橋事故以降、警備員の配置にかかるお金が増え続け、2022年に韓国ソウル・梨泰院で起きた事故もあってさらに強化が求められた。

祇園祭山鉾連合会は、約4千万円かかる警備会社への支払いの一部をクラウドファンディングで賄うようになった。2023年には「返礼品」として巡行の経路沿いのビルの室内から辻回しを観覧する特別席を用意すると、10万円という高額寄付が条件にもかかわらず、完売となった。

長々と祇園祭について書いてきたが、これらは祇園祭に限った特別な問題ではない。維持のための資材と人材、資金の確保に悩んでいない祭りはないだろう。
国や自治体の文化財に指定・登録されれば修理や保管に一定の補助金が出るものの、過疎地の寺社は人口減少もあって自己負担分が賄えないと悩む。京都府の担当者は「他府県ならすぐに登録されるような文化財は府内にまだまだある」と言う。光を当てられるはずの価値をみすみす失っているのではないか。

五山の送り火や鞍馬の火祭では、里山の荒廃で身近にあった木材が確保しにくくなった。京都では伝統文化を守るために森を育てる取り組みが官民連携で続いているが、近年はシカの食害や土砂災害の多発もあって苦労が続く。文化庁も檜皮(ひわだ)や漆を計画的に確保する事業を進めているが、国宝や重文が優先されている。
2018年の文化財保護法改正で、「保存と活用」が打ち出され、文化財を観光に生かす流れが強まっているが、活用の前提となる保存がままならないの現実がある。

文化と経済の好循環を考えるため、「水と都市」をテーマにしたリサーチツアーでは、京都御苑のそばにある梨木神社を訪ね、境内の湧水を使ったコーヒーを味わった。

50年、100年先も水は湧き続けるだろう。そのとき、神社もあって当たり前、ではない。努力をしなれば跡地になりかねないという危機感がある。10年前、境内にマンションを建設して議論を呼んだが、社殿の維持のため資金を確保できなければ、存続は難しい。
寺社の数だけ課題は多様にある。その解決に妙手はない。コーヒーが新たな人のつながりを生みだした梨木神社のような好例を待つのではなく、いかに仕掛けられるか。試行錯誤する中で、思ってもみなかった価値が再発見できるかもしれない。

「水と都市」をテーマにしたリサーチツアーの様子

澤田 亮英

Author澤田 亮英(京都新聞社論説委員)

1997年京都新聞社入社。記者として京都、滋賀の政治・行政を計16年、宗教を3年担当した。北部総局(京都府福知山市)のデスクなどを経て、2023年10月から論説委員。

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