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新澤 梨緒 2022.03.08

呼吸と痛覚を取り戻す。
プロデューサー・新澤梨緒の山小屋日記
——(1)さよなら下界、こんにちは自分

忙しい毎日の中で、理想の仕事のしかたと今の自分の距離に途方に暮れ、行き詰まり、心がポキッと折れてしまった時…… あなたならどうしますか?

プロデューサーの新澤梨緒が選んだのは、山へ行くこと。といっても、数日間の登山ではありません。1ヶ月間ロフトワークでの仕事を休み、標高2,300mの場所にある山小屋に住み込みで働いてみるという選択をしたのです。一見突飛なようにも見えるこの選択の裏には、新澤が大切にしている「人生はどれだけ長く生きたかではなく、息を呑む瞬間にどれだけ出会えたかで価値が決まる」という言葉がありました。

この連載では、ふつうに息をすることさえ忘れかけていた新澤が、山へ行き、数々の「息を呑む瞬間」に出会い、徐々にゆったりとした呼吸を取り戻していくまでをみなさんにお伝えします。第1回は、行き詰まりの正体と、山小屋で働くという選択の理由、そして、「下界」とは大きく異なる山小屋での1日の流れと、それによって気づいた大切なことについて綴ります。

執筆:新澤 梨緒(株式会社ロフトワーク)
企画・編集:新原 なりか

「息を呑む瞬間」にどれだけ出会えてる?

わたしのロフトワークでの役割はプロデューサー。クライアントから寄せられるたくさんの相談をヒアリングしながら、課題感の整理、課題に応じた様々なプロジェクトの企画、プロジェクト開始後のフォローアップなどを行っている。

ロフトワークに寄せられる相談は実に様々。オープンコラボレーション、地域ブランディング、社内の文化浸透、WEBやパンフレットなどの制作、対外的なコーポレートブランディング等々……。とても幅広くて、友人には何度説明しても「よく分からない」と言われる。

対峙するお題に対して、下記のようなことを納得できるまで考え続け、企画の内容を詰め、タイトな締切を意識しながら企画書に落としていく。

  • 目の前のクライアントが本当に理想としている状態はどこにあるのだろう
  • そこに向かうための鍵になる成功要因は何だろう
  • ロフトワークの提案をクライアントが社内に向けて説明する時、どんな説得力をもたせられるだろうか
  • この提案への心が動くユニークポイントは
  • 実行するロフトワークのディレクターが思わず頑張りたくなるような、ロフトワークとしてのチャレンジポイントはどう作れるか

たくさんのことを考えながら、忙しく張り詰めた日々を過ごすうち、その時はやってきた。その週はほとんど寝る時間が取れず、週末は会社に泊まり込み。月曜日のクライアントへの提案を乗り切ったとき、ついにわたしはダウンした。2021年6月のことだった。

ダウンしたのは、単にその週に稼働が集中したからではなかった。根本的な原因は、とにかく「自分らしく働ききれていないこと」へのジレンマだった。それに対して見て見ぬふりをし続けて、目の前の役割へ応え続けているうちに、いつの間にか自分自身よりも仕事や役割のほうが圧倒的に強くなってしまっていた。自分自身に備わる痛覚が、気づいたころには失われてしまっていたとも言える。

わたしの大事にしている言葉のひとつに、「人生はどれだけ長く生きたかではなく、息を呑む瞬間にどれだけ出会えたかで価値が決まる」というものがある。責任や期待に応えることはもちろん大切だけれども、それにより自分自身が失われるのであれば、息を呑む瞬間には到底出会い得ない。自分自身を取り戻すことが緊急かつ重要と考えて、思い切って、溜まった有給をすべて使って仕事を休むことにした。

でも、仕事を休んで何をしようか? そこでふと浮かんだのが「山小屋で過ごす」ということだった。数年前に登山をはじめた頃のことを思い出したのだ。

きっかけは、あるギャラリーで山の風景写真を見たこと。強く心が動いたわたしは、突き動かされるように独りで山登りをはじめた。アウトドアブームでもなんでもなかった当時、周囲に山に登る人なんていなかったけれど、それでも、親の心配を他所目に、日帰りでいける山から登りはじめた。

雨具を持たずに山に行き、雨に打たれて、低体温症になりかけたこともあった。その時、自然の予測不可能性、自分で自分を守ることの必要性、生きた心地のする強い感覚を覚えた。それ以降、わたしは頻繁に山に登るようになった。自分の本来的な痛覚を取り戻すということの原体験はそこにあった。だからこそ、山に限りなく近い暮らしとして、山小屋で過ごすことを選んだ。心当たりの山小屋にすぐに電話で相談して、標高2300mにある北アルプスの山小屋で住み込みでの仕事がはじまった。

特別な珈琲、足りない靴下、自分だけの秘密基地

登山口から徒歩4時間半、急な登り道を登りようやく辿り着く場所にある山小屋での暮らしは、下界で暮らしていたときには想像もできないくらい、全く異なるものだった。

まず仕事時間。わたしの仕事のスタートは、朝4時過ぎ。まだ日も登らないうちに登山客のたてる物音で目が覚めて、お化粧もせず、髪も整えず、着替えもせず、辛うじて歯磨きをしながら仕事場へ。仕事が終わるのは夜9時だが、決して17時間労働という訳ではなく、日中の落ち着く時間や、食事のときにまとめて長時間の休憩を取る。そして、お休みは、土日休みでもシフト制でもなく、なんとその日の天候で決まる。天候によって登山客の数が大幅に変わるからだ。晴れの日が続くと一週間一度もお休みがないなんてこともあるし、一方、雨の日が続くと危険で登山客が誰も山に登ってこれず、週休4日になったりする。山小屋ではもちろん電力や電波も不安定で、勤怠システムなんて使えないので、カレンダーに◯✕をつけてアナログで勤怠を管理していた。

山小屋は、登山客の簡易休憩や宿泊のための場所。わたしたちの仕事は、主に、軽食を出したり宿泊客の受付案内を行う売店チームと、宿泊客の食事提供や館内清掃を行う厨房チームに分かれる。男性陣は、その他、登山道の整備や小屋の修繕管理など、それぞれの役割を担う。売店チームのわたしは、出勤したら日中の軽食の仕込みをして、その日のお弁当の受け渡し、登山客のお見送り、玄関清掃などをしながら、朝日が昇る様子を見守る。仕事場の向かい側に見える槍ヶ岳は、空の色も相まって毎日表情を変える。真っ赤に焼ける日もあれば、黒く聳え立つような日もあって、朝日が昇る時間をチェックして記録すると同時に、見惚れて写真に残すのが毎日のルーチン。大音量のアラームを何度も鳴らしながら、やっと起きたと同時に慌てて用意して家を飛び出す下界での朝とは大違い。でも、時計で時間を知るのではなく自然の流れに身を任せて生活をすることは、全く違和感なく受け入れることができた。これまで自分がいかに時間に追われて生活をしていたかを思い知らせてくれる体験だった。

小屋に宿泊していた登山客が出発した後は、時間がゆったりと流れる。ごはんできたよ、の合図で順番に朝食を食べた後は、ストック用のアイス珈琲を数リットル淹れる。珈琲にこだわるわたしたちの小屋では、自分たちで白い状態の豆を焙煎するところから始める。もちろん物資が限られる山小屋では焙煎機などないので、手動で生豆を焙煎する。腕がちぎれそうになりながら、疲れただの、熱いだの、臭いだの、不平不満をこれでもかと言いながら、フライパンを30分ほど振り続ける。そしてそのあと、ひたすらハンドドリップで珈琲を淹れていく。山小屋の深煎りの珈琲は香りが豊かで、朝、珈琲をもくもくと蒸らす瞬間は、1日の仕事のなかでいちばん好きだった。香りを逃すまいと、鼻から大きく息を吸って、吐いて。朝の深呼吸のルーチンは、頭と心の目を覚ましてくれる。仕事をはじめると同時にPCを開き、頭も目も覚めないうちに責務をひしと感じながらメールを打つ下界の日々では、呼吸をするということすらも忘れてしまっていた。

それからは、天候によって、登山客が小屋を往来して嵐のような時間が流れたり、流れなかったり。ゆとりのある日は長めの休憩を交代で取りながら過ごす。そして、夕暮れ時には朝と同様、槍ヶ岳の夕焼け姿を見送り、日が暮れて、登山客の食事や就寝準備が落ち着く夜9時頃に、1日の仕事が終わる。

山小屋では働き方だけでなく、暮らしかたももちろん下界とは大きく異なる。寝食を共に働く仲間と過ごし、食事も3食とも仕事の時間のなかで済まされる。夜になり登山客への対応が落ち着いた頃に、皆で食卓を囲み、各々が持ち寄る日本酒やワインを振る舞いあいながら、少しの時間の雑談タイム。その後は、シャワー…… ではなく、そのままベッドイン。なんと山小屋では、水ですらも量が限られていて、4〜7日に一度程度しかシャワーを浴びることができないのだ。洗濯も10日に一度程度で、入山の際に3日分の衣服しか持ってきていなかったわたしは同じ靴下を洗わずに2~3日は履く羽目になった。入山の際は、自分の荷物を全て自力でザックで持ってこないといけなかったので、必要なものすら十分に持ってこれなかったのだ。

夜9時の消灯時間を過ぎると電気がつかないので、わたしたちの寝床である屋根裏部屋はほんとうに真っ暗。各々小さな灯りを灯して、読書などしながら眠りにつく。寝床は個室になっていないので、かろうじて古いシーツを垂らして区切りをつくり、その1.5畳ほどの秘密基地をみんな自分なりにアレンジしている。数度の夏を山小屋で過ごす先輩は、慣れた様子で、段ボールのアロマスタンドや本棚、化粧水棚などを自作しており、書籍やアメニティなどただすべてが適当に転がっているわたしの秘密基地よりも随分快適そうだった。仲間の寝息を感じながら眠りにつくのだが、屋根裏部屋では雨の音や風の音がとても良く聞こえて、この音は忘れまいと、よく録音した。鉄筋コンクリートの部屋では、屋根にあたる雨の音がこんなに美しいものなんて気がつかなかった。

こうした下界とは大きく異なる暮らしと働きの中で、わたしはこれまで見つけられなくなってしまっていた自身の色々な感覚を取り戻していった。次回以降は、山小屋での暮らしのなかで体験した大切なエピソードや、下界に戻ってからのわたしについて書いていこうと思う。

新澤 梨緒

Author新澤 梨緒(プロデューサー)

神戸大学経営学部卒。組織デザインの研究を行った後、新卒でリクルートに入社。HR領域にて法人営業を担当する傍ら、社内の組織改善や文化浸透施策などのプロジェクトに関わる。2019年3月、ロフトワーク入社。プロデューサーとして、新規事業創出や、組織内外に向けたコミュニケーションデザインなど、組織の文化をつくる・浸透させるをテーマに様々なプロジェクトに関わる。最近は自身の関心から、農業や食など環境に関わること、 ジェンダーを含めた多様性、ウェルビーイングといった生活に近いテーマでのプロジェクトデザインを企み中。趣味は登山。

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