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新澤 梨緒 2022.06.06

呼吸と痛覚を取り戻す。プロデューサー・新澤梨緒の山小屋日記
——(2)あるものでなんとかする、知恵と遊び心

忙しい毎日の中で、理想の仕事のしかたと今の自分の距離に途方に暮れ、行き詰まり、心がポキッと折れてしまった時…… あなたならどうしますか?

プロデューサーの新澤梨緒が選んだのは、山へ行くこと。といっても、数日間の登山ではありません。1ヶ月間ロフトワークでの仕事を休み、標高2300mの場所にある山小屋に住み込みで働いてみるという選択をしたのです。一見突飛なようにも見えるこの選択の裏には、新澤が大切にしている「人生はどれだけ長く生きたかではなく、息を呑む瞬間にどれだけ出会えたかで価値が決まる」という言葉がありました。

この連載では、ふつうに息をすることさえ忘れかけていた新澤が、山へ行き、数々の「息を呑む瞬間」に出会い、徐々にゆったりとした呼吸を取り戻していくまでをみなさんにお伝えします。第2回は、地上よりもおそろしい食べ物の恨み、ものがない中での暮らしの知恵や遊びの工夫など、山小屋での生き生きとしたエピソードを綴ります。

執筆:新澤 梨緒(株式会社ロフトワーク)
企画・編集:新原 なりか

山小屋での食の恨みは怖い

山小屋生活での食の恨みはとても怖い。なぜかというと、本当に物がないから。物資は数週間に一回程度ヘリコプターで運ばれてくるのみ。それも天候次第で中止になったりする。普段は毎日、限られたものを使って、仲間たちが頑張って美味しい食事を作ってくれる。とはいえ、大抵のものが徒歩1分のコンビニで手に入る都会の暮らしに対して、山小屋では自分の嗜好や気分で食事を選ぶことなんてできない。登山客には出せなくなってしまったブヨブヨのナスとか、注文ミスで大量に運ばれてきた卵とか、その時々で余っている食材を飽きと戦いながら毎日のように食べる生活が続いたりもする。こうした山小屋で働く人の状況を知っている常連の登山客が、時たま山小屋では手に入らないような食材をお土産として持ってきてくれるのだけれど、みんな欲が出て、平等に分配されるなんてことは絶対にない。

ある日厨房に行くとシャインマスカットがあった。残りは2粒。わたしはフルーツが大好きなのだが、鮮度が命のフルーツは山小屋には当然なく、フルーツを食べる機会は入山以降一度もなかった。だからシャインマスカットを見た瞬間、叫んでしまった。「あー! シャインマスカットだ!!」。すると、周囲にいた仲間たちからは「俺じゃない俺じゃない」「貰ったときから少なかった!」などと、シャインマスカットが『残り2粒しかない事実』に対する聞いてもいない言い訳が飛び交った。それらの言い訳から、わたしは察した。誰かが欲を抑えられずたくさんシャインマスカットを食べてしまったことを。その後、犯人を探し続けたけれど、いっこうに見つけられなかった……。別の日には、私の友人がはるばる東京から持ってきてくれたクッキーが、わたしがいない間に一瞬にして消えてなくなっていたこともある。那須塩原にあるSHOZO COFFEEのクッキー…… あれだけ大量に持ってきてもらったのに……。

私の食の恨みはシャインマスカットとクッキーだったけれど、そうした食に関する「あのときのあれの恨み」を、山小屋で働くひと全員が抱えていているのだから、恐ろしい。

物が無い中で活きる暮らしの知恵

毎朝の仕事に、山小屋の玄関口の掃き掃除がある。山を登ってきて靴に沢山の泥や土をつけた登山客が日々出入りするので、玄関口は砂まみれ。朝から掃き掃除なんてすると、砂埃だらけになる。砂埃で髪がギシギシになっても簡単にはお風呂に入れないので、その掃き掃除は嫌いだった。

ある日、いつものように掃き掃除の仕事に向かおうとすると、「コーヒーのかすを持っていきな」と山小屋歴50年のじいちゃんに言われた。抽出後の湿ったコーヒーかすを床に撒いて掃き掃除をすると、埃を立てずに綺麗に砂を集めることができる。おまけに、沢山の人の出入りで色が失われている木の床が、コーヒーかすを撒くことで染まり、綺麗な茶色を取り戻すことができるんだと。そうした暮らしの知恵を教えてもらってから、苦手だった掃き掃除は、掃除をしながら床のコーヒー染めを体験できる一石二鳥の楽しい作業へと昇華され、一日の中でも最も好きな時間のひとつになった。

これ以外にも、山の中の生活は創意工夫で溢れていた。例えば、わたしたちの毎日の食事。何度も言うけれど、山の中でわたしたちが食べられる食材は、ヘリコプターと人力以外に物を運ぶ手段がないことや、保管するためのエネルギー不足など保管関係の問題で、本当に限られていた。食材も調味料も、量、種類ともにたくさん揃えることはできない。例えば、ナスは沢山あるけれど、ナスと掛け算する肉類はほとんどなかったりする。お醤油や塩など、基本の料理をつくるための「さしすせそ」はあっても、ハーブやスパイス、ナンプラー、わさびなどの食事の色気を出すための調味料はないことが多い。

そんな中で食事にこだわることは、言わずもがなハードルが高い。でも、食事は暮らしにおける大きな楽しみのひとつ。少ない食材や調味料で、いかに下界の暮らしと変わらない多様な料理を食べられるようにするか、いかに食事の時間を楽しむかということは、山小屋で暮らすわたしたちの大きな関心事だった。そんなとき、頼りになったのは「代用品.com」というサイト。ナンプラーは醤油とレモン汁で代用が効くらしいとか、そうした日常生活の小ネタを駆使して、韓国料理やタイ料理など、山では普通食べられない食事をあるもので何とかつくるという創意工夫を、日々実践していた。

全てが手造りのお祝いの日

お盆を過ぎた頃から、一緒に働く仲間たちが急に私に対してよそよそしい素振りを見せはじめた。みんなの休憩室に入ると、サッと何かを隠される。聞いてもいないのに「〇〇さんにお願いされているものを準備しているの……!」と言われる。8月18日には日々の食事を取る厨房への出入りもできなくなった。厨房の出入り口には「食中毒対策により厨房への立ち入りを制限します。厚生労働省」との張り紙がされている。流石に嘘でしょう……! 勘の鈍い私でも何かの意図を察して、立ち入りを制限された場所以外で静かに過ごすことにした。いつもなら仲間と他愛もない会話や遊びをしながら過ごすところ、その日はひとり静かに読書や山小屋の片付けをしながら過ごした。人生で最も退屈に感じられる時間だった。

長すぎる一日が終わり、夜になった。厨房の立ち入り制限が解除されたようで、夕食の時間に厨房に迎え入れられた。すると、そこは普段の厨房ではなく、華々しく装飾されたパーティー会場になっていた。パーティーのテーマは「お祭り」。仲間達全員がねじりハチマキをして会場で出迎えてくれた。そう、この日はわたしともうひとりの仲間のお誕生日だったのだ。生モノであるケーキは山では入手できないので、チョコシューなどあるものを積み上げて装飾などしながら、お手製のケーキを作ってくれた。その他にも、普段は足りないからと使わせて貰えない小麦粉や肉類、酒類といった食材たちをふんだんに使って、沢山の料理で迎えてくれた。限られたもので創意工夫を凝らし、何が作れるかを検討し、お祭りというテーマとそれに合った食事と装飾を、何日もかけて準備してくれた。こんなに全てがお手製のお祝いは、祝い手としても祝われる側としても経験をしたことがなくて、本当に心が温かくなった。

何でも揃う下界での暮らしでは、お祝いごとはプレゼントを買ったり、レストランでの食事を奢ったりして済ませることが多いと思う。もちろん、それらにもお祝いの心は大いにあるのだけれども、その行為が余りにも簡単に出来すぎたり慣れ過ぎてしまったりしているせいで、お祝いをすることよりも物を贈るという行為自体が目的化してしまっていることもあるのではないかと思う。大事なことは、祝うことそのものよりも「祝いたいという気持ちを伝えようとすること」だよね、と。忘れかけていたお祝いの本質に気づいた、29才の誕生日だった。

雨が続いた日々の過ごし方

雨の日が2週間ほども続いた。山の奥地では何か危険なことがあってもすぐに病院に行ける環境下ではないため、わたしたちは雨の日には外出制限が加えられる。したがって、その期間は小屋の中から出られない日々が続いた。あわせて、雨が続く時期は登山客の往来もほとんど無くなるため、山小屋の仕事はあまりなく、すぐに休暇日や休憩が与えられる。仕事もないし、外に出て山で過ごすという山小屋で暮らすことの醍醐味も失ったわたしたちは、とてつもなく暇な時間を過ごすことになった。

はじめは雨の日もいいねなんて言いながら、各々読書をしたりして、自分の時間を大切に静かに過ごしていたけれど、徐々に身体を動かせなさすぎることへの気持ち悪さを感じるようになった。身体を動かせないことへの気持ちの悪さは、下界の暮らしにおいても、コロナ禍の外出自粛期間や在宅勤務を始めた際に多くの人が経験したことだろう。でも、下界だと電波状況を気にせずいつでもインターネットを使えたり、ネットで室内で楽しむためのものを入手したり、近所を散歩したりと、様々な気分転換方法があったと思う。しかし、山の中ではそうした多様な選択肢はない。わたしたちは自分たちのご機嫌を取るために、そこに偶然あった限られた物を使って、小屋の中でできるたくさんの遊びを考えて次々に試していった。バドミントン、ビーチバレーにはじまり、ラテンダンスの練習、ラジオ体操、作業場から拾った紐を使った縄跳び、雑誌の付録を使ったタロットカード占い、お菓子の空き箱を使った工作、晴れた時に外で飛ばすための凧作り、作業場の錆びたネジを使っての染め物、早口言葉を自分で作るゲーム、等々。多くの遊びのアイデアはくだらないし、そのうちの8割はすぐに飽きてしまった。でもなんせ選択肢が無いので、くだらないと分かっていても、一回作ってみよう、試してみようとなる。

ある日、いつも通りのあるものを使った遊びの延長で、売店で売られているうどんのPOP広告を作ろうとなった。うどんは、売店で売られているメニューの中では一番美味しいにも関わらず、ラーメンやカレーなどのスタミナ食と並ぶと、登山客からは人気が落ちてしまうものでもあった。本当は、上に大きなかき揚げが乗っていて、カレーやラーメンと同じくらいお腹が膨れて美味しい食事なのに。それが伝えられておらず、売れていなかった。じゃあそれを伝えられるようにと仲間のデザイナーの協力を得て、湯気が立つサクサクほかほかのかき揚げをイラストにして、POP広告をつくった。以降、そのうどんは毎日売り切れているらしい。

それ以外にも、時にはふざけて、時には少しまじめに、仲間たちと本当に沢山のことを考えて、やってみた。何も無いと、自分たちの楽しみをどう作り、笑える日々にしていくかをずっと考えているし、気がつけば手や身体が動いている。人は本来クリエイティブなんだということを肌身で感じる日々だった。

 

新澤 梨緒

Author新澤 梨緒(プロデューサー)

神戸大学経営学部卒。組織デザインの研究を行った後、新卒でリクルートに入社。HR領域にて法人営業を担当する傍ら、社内の組織改善や文化浸透施策などのプロジェクトに関わる。2019年3月、ロフトワーク入社。プロデューサーとして、新規事業創出や、組織内外に向けたコミュニケーションデザインなど、組織の文化をつくる・浸透させるをテーマに様々なプロジェクトに関わる。最近は自身の関心から、農業や食など環境に関わること、 ジェンダーを含めた多様性、ウェルビーイングといった生活に近いテーマでのプロジェクトデザインを企み中。趣味は登山。

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