酒蔵の課題をクリアする「飲める会社案内」の開発
創業100年で挑む、攻めのデザイン経営
大正9年10月に岐阜県で創業した林本店は、2020年に創業100周年を迎え、5代目当主である林里榮子社長を筆頭に、11名の社員・スタッフとともに、代表的な銘柄「百十郎」をはじめ、次世代無添加製法でのこだわりある酒造りを行ってきました。
しかし、日本国内には1,400以上の酒蔵があるといわれており、同じ酒蔵からいくつもの銘柄が展開。ビールやワインなども含めた酒造業界全体で見ると、さらに数多くの企業、銘柄が存在します。競合が多いため、林本店は“選ばれる蔵元”になる必要性を感じていましたが、その戦略立てにおいて課題を抱えていました。
そこで同社は、社内の視座を揃え、自社の目指す姿を言語化するためのビジョンの策定と、国内外のバイヤーに向けて林本店とその製品の魅力を伝えるためのコミュニケーションツールとして「“飲める”会社案内」を開発。本プロジェクトを通じて、取引先とファンからよりいっそう愛される会社になることを目指しました。
ロフトワークは、プロジェクトの設計から推進を担うパートナーとして伴走。さらに、中小企業とのデザイン開発の豊富な実績を持つ株式会社アカオニ(以下、akaoni)と協働して、アウトプットを制作しました。
本記事では、同社のリブランディングの第一歩に取り組んだ株式会社林本店代表取締役社長 林里榮子さんと、プロジェクトマネージャーとして本プロジェクトを担当した、クリエイティブディレクターの東郷りんがプロジェクトを振り返ります。
執筆:佐々木 まゆ
編集:後閑 裕太朗、岩崎 諒子(loftwork.com編集部)
撮影:江崎 幸子
プロジェクト概要
- クライアント:林本店株式会社
- 実施期間:2021年3月〜2022年3月
- 体制
- プロジェクトマネージャー:東郷 りん(株式会社ロフトワーク)
- プロデューサー:井田 幸希(株式会社ロフトワーク)
- アートディレクター、デザイナー:小板橋 基希 (株式会社アカオニ)
- コピーライター:空豆 みきお(株式会社アカオニ)
登場する人
林 里榮子 /(写真左) 株式会社林本店の五代目当主、代表取締役社長。Dcraft デザイン経営リーダーズゼミへの参加をきっかけに、ビジョン策定・会社案内の刷新を決意。
東郷 りん/(写真右)株式会社ロフトワーク クリエイティブディレクター。本プロジェクトではプロジェクトマネジメント、クリエイティブディレクションを担当した。
競合との差別化をはかり、社内外に“林本店らしさ”を伝える
──はじめに、本プロジェクトが始まった経緯を教えていただけますか。
林さん(以下、敬称略) まず、日本酒業界が抱える課題として、斜陽産業であり、酒造りに携わる蔵人も高年齢化していることが挙げられます。人口減少もあいまって、若年者の担い手が少ないんです。加えて、少し古臭いイメージがあるのか、若い人はあまり日本酒を飲まない傾向にあります。
東郷 需要と供給のバランスがとれていないとおっしゃっていましたよね。
林 そうなんです。酒蔵は全国に1,400以上あるといわれ、銘柄にすると10,000以上存在しています。同業他社がひしめくこの業界で、「林本店の日本酒が飲みたい」と選ばれるのはなかなか難しい。それに100年以上同じ事業を続けているため、経営者としても社員としても、閉塞感やマンネリ感を感じていました。会社をどう存続させていくのか、壁に直面していたんです。
東郷 業界と林本店の課題を踏まえ、社内外に“林本店らしさ”を浸透させていく必要性を感じ、今回のプロジェクトではもともとあったビジョンの更新に踏み切りました。あとは、林社長が構想していた試飲キットの開発ですね。akaoniさんとタッグを組んで、他社も取り組んだことがなく、誰も見たことのないような試飲キットを作ることで競合との差別化をはかろうと考えました。
社員を巻き込み、ビジョンを策定する
──なぜビジョンを更新することにしたのか、背景を詳しく教えていただけますか。
東郷 ヒアリングを進めるなかで、林社長が「社内に居心地のいい空間をつくりたい」とおっしゃっていたんです。人それぞれの個性を大事にしつつも、組織として一つの方向を向いていきたいと。
林 売上だけではなく、林本店としてありたい姿を目指すためには社内への働きかけも大切だと思っていました。それを実現するためには、私たち経営者と社員の間で“林本店らしさ”の共通認識を持つ必要がある。でも、そのための具体的な手順がわからなかったんです。
東郷 社内に加えて、外部の方々に対してもブレない言葉で自社について語りたいとおっしゃってましたよね。
林 そうですね。蔵の説明を求められるたびに、違う言葉を語っていると一貫性がなくなってしまうなと常々考えていました。
──具体的な手順がわからず困っていたとのことですが、東郷さんはディレクターとして進行するうえで、どのような工夫をしましたか?
東郷 デザイン経営では、経営者がデザイナーとコミュニケーションを取りながら、ビジョンを具現化することが重要視されています。これを踏まえて、林本店に合わせたプロジェクトの進め方を考えました。結果として、林社長だけでなく林本店で働く全員にプロジェクトに参加してもらいました。
最終的なアウトプットは、もちろんデザインのプロであるアカオニデザインさんの力を借りる。ただ、自社の目指したい姿を言語化するプロセスは、社員のみなさんと一緒に進めました。自分たちが考えたものをもとに、デザイナーによってブラッシュアップされていく過程を体験することで、ビジョンをより自分ごと化できると思ったんです。
林 東郷さんからこのプロセスを提案してもらったときに「うちらしいな」と感じました。トップダウンで物事を進めるのは、性に合わないなと思っていたので。
東郷 ビジョンを体現していくのは、他の誰でもなく林本店で働くみなさんです。だからこそ、どうしたら彼らにとって納得度の高いビジョンができるか、進め方にはこだわりました。
ワークショップでは、経営層を中心とした「コアチーム」と「社員チーム」の二つのチームに別れてそれぞれでワークを実施したのちに、akaoniの小板橋さん、空豆さんも交えて両チームが考えた内容を共有する、というプロセスを踏んでいます。チームを分けたねらいは、林社長と社員の方々が見ている景色や視点は違うと考えていたからです。双方の視点をそれぞれ丁寧に汲み上げることで、ビジョンをより立体的なものにしたいと考えました。
林 社員も巻き込めたのは本当によかったです。ワーク中、「酒粕の活用でより無駄のない製造」や「地域社会への還元」など、思いもよらないアイデアもでてきたのが印象的でしたね。みんながいつも以上に実力を発揮していたし、「みんなの中に答えはあったんだ」と気付かされました。ロフトワークのファシリテーションのおかげですね。
東郷 ありがとうございます。社員のみなさんも一緒に作ったことで、それぞれが腹落ちしやすい形になったのではないかなと思います。
林 このプロセスを経たからこそ、私自身も「林本店の総意です」と胸を張って言えるビジョンになった気がします。
林 また、アウトプットされた「ワクワクを醸そう。」という言葉も、私たちらしいなと。いわば、林本店の“合言葉”を手に入れられた気がしています。なにかをはじめるときに「それってワクワクできそう?」と声をかけあうなど、物事を判断するときの指針にもなりそうです。ビジョンを体現していくために、私たち自身もワクワクしていく必要がありますから。
東郷 ビジョンを策定したことで、変化は生まれましたか?
林 自分たちで考え、議論した内容がかたちになる経験ができたので、東郷さんのねらい通り、多くの社員にビジョンに対する納得感を持ってもらえたと実感しています。自社について考えるモチベーションや、社員が新しいアイデアを思いついた時に社内提案しやすくなる“足掛かり”としても機能していると思います。
読んでも、飲んでも自社の魅力が伝わる会社案内をつくる
──ビジョンが掲載された会社案内には、パウチ型の日本酒サンプルが5種類同梱されています。こちらはどのような経緯で開発に至ったのでしょうか?
林 もともと「ポストに届く試飲キット」というアイデアはあったんです。試飲用の日本酒を瓶に詰めて海外へ送ろうとすると割れないように梱包しなくてはいけないし、ある程度の大きさ・重さになるので運送料もかかる。
そこで、ポストに投函できるような小ささや薄さで、林本店のこだわりを伝えられるような試飲キットを作れたらと思っていました。でも、小さなパッケージにお酒を詰めるというのは前例がなく、他社もやったことがないようなアイデアだったので、どのように形にすればよいかわからずにいて。そこで、東郷さんに相談したんです。
東郷 当初は「試飲キットをつくりたい」というお話でした。でも、せっかくビジョンを策定し、“林本店らしさ”が言語化できたので、このビジョンを伝えながらも、試飲が可能になる形を模索しました。そこで辿り着いたのが「飲める会社案内」というコンセプトです。
東郷 試飲キットに、ビジョンやイメージ写真を載せたリーフレットを同梱することで、お酒の魅力と併せて、蔵元の魅力も伝えることを目指しています。
──「飲める会社案内」って、キャッチーだなと思っていました。
林 そう言ってもらえて嬉しいです。お客さんに手に取ってもらったときに、ワクワクしてもらえるようなコミュニケーションツールになったのではないかと思います。また、アメリカと中国への事業展開を考えているので、会社案内には英語と簡体語での説明も併記しました。
東郷 試飲キットの開発では、akaoniの方々を含めて、一緒に試行錯誤しましたね。会社案内と試飲キットは一体型にするべきか、それとも別々にするべきかなどの議論も、プロトタイプを作ることで検証しながら進めることができました。
林 試飲キットのパッケージデザイン制作も、なかなか難しかったですね(笑)。特に、お酒の香りを閉じ込めるためのパウチと強度のある外装パッケージの素材選びにはこだわりました。
東郷 林本店の日本酒本来の風味をお客さんに体験してもらうため、クオリティは意識しましたね。あとは、パウチが飛び出さないように、台紙の切り込みも細かく調整しました。
林 プロトタイプを見ながらディスカッションできたのも、何度かユーザーテストを繰り返しながらブラッシュアップしていくプロセスもよかったですね。「デザイン経営」の理解がより深まったように感じます。
東郷 一度形にして試す、この繰り返しで検証するアプローチは、私自身の得意な進め方でもあるので。そう言ってもらえて嬉しいです。
──『飲める会社案内』を手にしたお客さんの反応はいかがですか?
林 やはり、他社ではなかなか見かけないものなので、バイヤーや問屋の方々から「見ただけでインパクトがある」「画期的でワクワクする」と嬉しいお声を続々いただいています。さっそく、中国にこの『飲める会社案内』を800セット送りました。どんな反応がかえってくるのかとても楽しみです。
ワクワクする体験をつくり、ビジョンを実現していきたい
──林本店の今後の展望について教えてください。
林 対面でのコミュニケーションを大事にしていきたいと思っています。コロナ禍において事業の巻き返しを図ろうとすると、経営戦略としてECサイトを強化するケースも多いです。私たちも一度はECサイトにテコ入れすることを考えたのですが、「数多くある日本酒の中から選ばれなければならない」という課題は、結局ECだけでは解決できない。それに、購入いただいたお客さまとのコミュニケーションがオンラインのみに留まることは、「林本店らしくないな」と思い、実施を見送った背景があります。
このプロジェクトを通して、改めて私たちはお客さまとの対面のコミュニケーションを大事にしたいんだという気持ちに気づけたんです。この気持ちを大切にしながら、「飲める会社案内」をきっかけにいろいろな人に会いにいき、林本店の魅力を伝えていきたいと思います。
東郷 新しいビジョンをきっかけに、たくさんの人たちにワクワクしてもらえるような新しい事業や仕組みを作っていけるといいですね。
林 まさにそう思っています。岐阜にあるこの蔵までお客さまに足を運んでもらい、蔵の中を見ていただくことで、一緒にワクワクを醸したい。そのために蔵人と交流できるような蔵案内のプランやイベントを作っていこうと計画中です。一過性ではなく、継続して愛してもらえるような“こと”づくりをしていきたいと思います。
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