FINDING 䂖井 誠 2020.06.09

ポストコロナの教育・ワークショップ
元教員の視点で“教育”の構成要素を考えてみた。

こんにちは、ロフトワーク京都チームでディレクターをしている石井です。

コロナによる最初の緊急事態宣言も、ひとまずは終了しました。現地で授業を始めている学校もありますが、多くは引き続きオンラインでの授業が行われています。

私は今年の春からロフトワークに入社しましたが、それまでは実技の多い芸術系大学でデザイン分野の教員として勤務し、クリエイターとして体験型ワークショップの開催もしていました。そういった経緯もあり、はじめの頃は授業を再現することに協力していましたが、多くのオンラインを活用した事例を知ることで、単なる再現ではない新しい教育への大きな変化と、さまざまな可能性を感じました。ただ、同時にある問いも浮かびました。それは、「オンラインでも、無くしてはならない教育の要素」とは何かという問いです。

そこで、教育の未来像を予測するため、世界のオンラインを活用した教育サービスをデスクトップリサーチし、独自に分析してみました。

䂖井 誠

Author䂖井 誠(クリエイティブディレクター)

京都精華大学大学院修了。版画・染色を学び、印刷工、額縁・表具の職人、百貨店の店舗運営、建築コンサルタント、展示設営業務を経て美術系大学でUX/UIデザインを学ぶコースの教員となり、連携授業でロフトワークと出会う。事業の幅広さ、革新性、そして多くのユニークな社員に興味を持ち、2020年入社。

幼少期、北海道の山奥で造園業を営む祖父母宅で育った原体験からD.I.Y精神を強く持ち、住まいである古民家の改装や修繕をしながら、アーティスト/キュレーターとして展覧会も行っている。
趣味は手紙を書くこと、石拾い、天体観測。

Profile

オンラインを活用した世界の教育サービス

2020年4月27日〜5月24日の間で合計7時間のデスクトップリサーチを実施し、30件をピックアップしました。ピックアップした事例は特に双方向性があることを前提としていますが、内容によっては教育の意味合いを拡張し「一定人数を対象したオンラインならではの工夫」という目線で選んだものもあります。
これらは教育機関に限らず、企業の持つ自社サービスを学ぶための勉強会や、企業の魅力を伝えるワークショップも教育の一種でないか、という思いもあり含めました。

30件のリファレンスから、未来の教育の形を分析してみた

リサーチした事例を元に、教育の未来予測を分析してみました。まず、オンラインならでは新規性や活用方法への変化がみられた複数の事例に共通するキーワードとして「物理的な移動の消失」「ICT教育(*1)の活性化」「教育のコンテンツ化」「企業の教育分野への参画」があります。これらを踏まえ、発生する可能性のある環境変化をPEST分析(*2) に落とし込み、教育の未来像を予測しました。

(*1)ICT=Information and Communication Technology で「情報通信技術」と訳される。パソコンやタブレット端末、 インターネットなどの情報通信技術を活用した教育手法のことを主に指す。

(*2) PEST分析…Politics(政治)、Economy(経済)、Society(社会)、Technology(技術)の4つのマクロな環境要素を切り口に、取り巻く環境の変化を予測する市場調査の手法のひとつで、未来シナリオを作成することで企業の事業戦略を策定する方法。アメリカの経営学者フィリップ・コトラーが著書「Marketing Management」の中で1967年に提唱した。

これからの教育の変化をPEST分析に落とし込んで予測してみた

企業がCSRとして教育業界に参入する可能性

収集事例から考察していきます。ICT教育を併用した双方向性のある完全個別のカリキュラム「Altscool」。これは元Google社員によるもので、企業でのノウハウが活用されています。そう遠くないうちに日本の一部の教育現場でも近いものが導入されるのではないでしょうか。そして、企業による教育への関心度がCSRとして企業ごとに比較されていく可能性もあります。日本でも実際にLINEが学研と協力して学習動画を無料提供する「LINEみらい財団:新型肺炎休校サポート」や、豊富なサポート体制と低価格を両立させているドワンゴの「N予備校」のように、企業によるオンライン学習サービスの提供があります。

「学びたい人」と「教えたい人」が出会える。

双方向性という視点で見ると特に今回の事例の中で先述の「Altscool」に可能性を感じました。教育はどんな分野においても「能動的に学ぼうとする人」と、「熱心に教える人」のバランスが重要です。どちらが欠けても、学びは困難なものとなり、同じ学習時間でも大きな差が発生する可能性があります。

もちろん時間をかけてお互いの意欲を引き出していく、ということにはまた別の価値創造があり、自分が合わないと思う人との付き合い方から学べることも多くありますが、特に日本の義務教育を自身でも振り返ると、人間関係が原因で学習意欲を失ってしまったり、狭い評価基準を持ってしまうことへの恐れの方が大きいのです。

世界の多様性、多層性を考える。

Altscool」の考え方を拡大すると、特定の教員の講義を受けたいと思い、ある学校に入ったが、他の授業の教師との相性や質は合わなかった、という問題の解決に繋がります。教員時代を振り返ると、学習意欲はあるがどうしても特定の集団に馴染めない、家庭の事情で生活リズムが不安定であるという学生も多くいました。自分と趣向が合う人の多い環境で学べたり、生活リズムに合わせた学習が行えること。これには賛否はあると思いますが、何が本人にとって良い教育なのか、その答えはひとつでは無い、ということをお伝えしたいと思います。

実技面で見ても、動画や写真で送った自分のフォームに、各分野のプロからのアドバイスを得られる「スマートコーチ」や、ものづくりのスキルを得た子供が別の子供にそれを教える「DIY.org」といった事例からは職業教員だけが教育者ではないということに改めて気付かされます。また、これまで困難だった学びについても変化が起きています。視覚・聴覚障害者の方とのワークショップ「障害者・健常者 逆転インタビュー ONLINE WORKSHOP」のような実践的なダイバーシティ教育や、オンラインゲーム上にある無検閲図書館「The Uncensored Library」のように、様々な事情により閲覧できなかった知識へのアクセスも今回の様々なオンラインの取り組みの中で発見されたこれからの教育のあり方です。

教育現場にあったものは何か

授業の時間だけでは教育は成り立ちません。元教員としてこういう発言はどうかと思いますが、私が学生生活を振り返って思い浮かべるのは授業時間以外のことばかりです。友人とのたわいもない会話、部活動、そして放課後に空き教室で将来について考え事をしていた時間。恩師の話も授業の内容よりも、休憩時間の雑談で聞いたひとことの方が自分の人生に大きな影響を与えました。

この記事を読んでくださっている方の中には、「まず教科書や黒板が浮かぶ」という方もいるかと思います。頭が下がる思いですが、例えば登下校の時のことを思い出してみてください。きっと何か、他にも浮かぶものがあるはずです。

そういった視点で事例を見ると参加のハードルが低く、偶然の出会いからの学びを提供する「カタリバオンライン」の可能性はパソコンを無償提供するというサポート体制も含めて群を抜いているように思います。そして、13-19才限定参加で第一線で活躍する人物からの生き様を聞き、それを共有しあう「Inspire Hign」も、この時代にどう生きていくのか、真剣に考えるきっかけになるのではないでしょうか。

オンラインで消えた要素は何か。

事例を元に、様々な教育の要素とその変化ついて考察することができました。
「学びの内容や質」という系統的な教育や「自発的な学び」である問題解決学習、そして「学んだ場所での出来事」というかけがえのない時間。ここまでで、教育に必要な要素は十分に補われているように思います。
しかしこれからの教育を考えた時に最後の「学んだ場所での出来事」の中に含まれるもので何か見落としているもの感じました。そこには私が教育現場にいた時にはよく見かけていた行動がありました。

  • 授業と関係の無い「おしゃべり」
  • 授業中の「よそ見」
  • 視線の誘導を促す「指をさす」

注意されることもある3つの行為ですが、自身の経験からも、これらに”創造性”と呼ばれる視点で重要なものが生まれていたように思います。

この3つが成り立つ空間は、ひとつの場所に様々な人が、それぞれの時間軸と目的で話したり、動いている様子が浮かびます。それから導き出されるオンラインでも、無くしてはならない教育の要素とは「雑音」であり、そして、その雑音の中で自分なりの気づきを得ることこそが、教育に必要な要素だという結論に至りました。

この「雑音」については、脳神経外科医の築山 節が2005年に発表した著書「フリーズする脳(*3)」にて、人と向き合って話すコミュニケーション機会が低下していくことで、その結果として特定の目的をシンプルに行えるようにはなるものの、雑多な情報から必要な情報を「聞き分ける」という高度な脳機能を必要とする機会は減り、その結果かえって才能を発揮できず、特にクリエイティブな能力が低下する可能性を示していることからも、創造性とも関係が深いと思われます。

>(*3)参照:「フリーズする脳 思考が止まる、言葉に詰まる,築山 節,NHK出版,2005

まとめ

教育とは、知識や技能、人間性を身につけ、本人の能力を引き出していくものです。
その身につけ方、引き出し方にルールや制限はありません。
思えば最初に私が教員やクリエイターを目指した理由は、教育への関心や創作活動そのものよりも、その混沌とした雑音の多い場所から生み出される、さまざまな面白いものを見続けたい、という思いだったように思います。そしてその思いは今でもそれは消えずに残っています。

時計や携帯電話の普及はそれをモノとして持ち歩くというだけなく、社会を大きく変えました。そして、様々な災害はやがて当事者以外には歴史上のひとつの出来事として片付けられているような印象がありますが、ある意味で全員が当事者となった今回のコロナは、マスクをつけてソーシャルディスタンスを保持するだけで、あとは以前と同じになるというようなことには決してなりません。
同じ社会に戻らないからこそ、これからの教育は飛躍的な変化を伴い、それによって、これまでに無い創造的なアイデアは生み出されていくのでしょう。

私自身も教育現場からは離れたように感じていましたが、あらゆる場所で、あらゆる人との出会いそのものが教育現場であるという思いで、引き続きクリエイティブを引き起こす多くの雑音が生まれる”教育現場”を作っていきたいと思います。

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