FINDING 棚橋 弘季 2019.11.01

箱と中身―言葉とイメージの狭間で

何をデザインするのでもそうかもしれない。
ウェブサイトだろうと、空間だろうと、組織だろうと、イベントだろうと、学校であろうと。
箱と中身の両方をいっしょにデザインすることがなければ、できたものは素晴らしいものにはならないだろう。

棚橋 弘季

Author棚橋 弘季(執行役員 兼 イノベーションメーカー)

芝浦工業大学卒業後、マーケティングリサーチの仕事を経て、1999年頃よりWeb制作の仕事に携わるように。2004年からは株式会社ミツエーリンクスにてWeb戦略立案や人間中心設計によるコンサルティング業務に従事。

2008年からは仕事の対象をWebからプロダクト/サービスへとシフトし、株式会社イードにてユーザーリサーチやインタラクションデザインに関するコンサルティングを経て、2009年株式会社コプロシステムにてクライアント企業のための新規商品/サービス開発支援業務や社内イノベーター育成のための教育プログラムの提供などを行う。

2013年にロフトワーク入社。サービスデザインの領域を中心に、クライアントのビジネス活動にイノベーションを実現するための支援業務を担当する。 著書に『デザイン思考の仕事術』、『ペルソナ作って、それからどうするの?』、共著に『マーケティング2.0』。個人ブログ「DESIGN IT! w/LOVE」は2005年から継続中。

Profile

箱偏重になっていないか

昔から「箱物行政」なんて言葉もあるとおり、箱をつくるのが得意な人は多い。

「日本人は……」とか、つい言いたくなるところだが、たぶん、そうではない。
多くの文化でおそらくそうであるはずで、とりわけ近代化した社会ほど、その傾向はあるはずだ。
つまり、世界は近代化以降、どんどん箱づくりが得意な人だらけになっていっているということになる。

箱をつくるのが得意な多くなる傾向があるのは、そのノウハウは、ある程度、パッケージ化しやすいからだ。

箱だけにパッケージしやすいという駄洒落のようなことを言っているのではない。
箱というのはおおよその場合、機能の組み合わせをパッケージングしたものだ。
だから、学校なら学校、病院なら病院、お菓子を入れるのか、薬を入れるのか、帽子を入れておきたいのか、靴を入れたいのか、と、何を入れてどうしたいかが決まれば、おおよその形は決まる。
そうであればこそ、デザインのモジュール化も測りやすいし、それを組み合わせればたいていの要求に対応したものが実現できる。
だから、大量生産を基本として近代化以降のマス的な生産、消費のラインに乗りやすいのだ。

つまりはデザインをシステムに落としやすく、そのシステム内の組み合わせなら、それを元に、箱をつくる人のスキルはそれほど高くなくて済む。
特にクリエイティブのスキルが。

箱偏重になりやすい理由がそこにある。

顧客の要望にあった容れ物

もちろん、その結果は横並びの箱が並び、横並びのスキルセットの人材が並ぶことになる。そして、そこからすこしでも外れたものをつくろうとすると、途端にみんながあたふたする。

パッケージベースの仕事ばかりしてると、特注への対応はむずかしくなる。
通常の箱に入らないものを入れる入れ物をつくるとなっただけで、多くの箱作り職人が挫折するかもしれない。

ブリュノ・ラトゥールは、『社会的なものを組み直す』のなかで、それが既存の社会学にも起こっていると指摘する。
既存の社会の分析に社会学的なアプローチは進化を発揮するが、新しい社会のありようや今まさに発生しようとしている社会の現象を説明するのに社会学というツールは不向きであると。

他ならぬ社会科学の有する計測基準の力によって、社会科学は、連関としての社会的なものに向き合えなくなっている。まさに、社会科学は、安定化した社会的なものの定義を照合可能なものにして基準点にすることに非常にたけているあまり、論争の最中に絶えず入り込んでくる新たな参与子を見定めることができないからだ。「古い」社会的なものを定義するのに長ければ長けるほど、「新たな」社会的なものが定義できなくなる。

この引用中の「計測基準」が社会学における箱づくりのパッケージであり、モジュールだ。それがあれば形式の決まった箱について既存の社会を説明することはしやすくなるが、そこから外れた新しいものは逆に適切な説明がつくりにくくなる。それはパッケージ化されたモジュールベースの組み立てツールであり、新たなものを新しく組み直すためには向かない。

箱と中身

どんな新種の容れ物が求められているのか。
いや、顧客は箱そのものがほしいわけではない。
では、本当に求められているものは何か。

顧客の要望を聞き、顧客が実現したい体験がいかなるものかを定義し、それに基づく容れ物の要件を明らかにした上で、いまだつくったことのない新種の容れ物を考えるには、何をどこからどうやってはじめればよいのかわからないかもしれない。

いや、それでも比較的、有能な箱づくりなら、そうした芸当もこなして、顧客が入れたいと思ったものを入れたいように入れさせ、入れたあとも期待どおりに使ってもらえるような、オフィス空間やウェブサイトやスマートフォンアプリや大学の新設の学部や社会問題を分析するためのフレームワークづくりも、それなりには仕上げられるだろう。

しかし、箱ができれば、それに見合った中身もついてくることが約束できるか?というと、そうではないだろう。
そして、多くの箱づくり職人が「それは自分の仕事をじゃない」とそっぽを向くはずだ。

中身がなければせっかくの箱も宝の持ち腐れだ。
実際に腐ってる箱は限りなく存在しているだろう。
腐っていないまでも当たり障りのない、楽しさも少ない中身が入った箱は多い。

どうせなら箱ではなく、中身も良くしたい。
でも、中身だけだと壊れやすく維持しにくいので、箱もほしかったりはする。
箱に入ってたほうが良い中身がさらに良く感じられることも多いし。

だから、やっぱり箱という中身はいっしょに用意したい。でも、いかんせん、中身づくりが上手な人が少ない。いても、今度は箱のことがてんでわからなかったり。
このへんのマッチングはむずかしい。

今回のnoteの写真は、イタリア・ティヴォリにあるエステ家の別荘(ヴィッラ・デステ)のものだが、壁や柱、天井のいたるところに絵が描かれている。まさに箱=建物と、中身=コンテンツ、絵の物語とさらにそれぞれの絵が描かれた部屋での生活の様子がいっしょに創造されたものだ。ルネサンス期のイタリアではこうした発想が当たり前だった。近代化以前の発想はこういうものだったのだろうと思う。

中身の方はオーダーメイド

中身の方がつくるのがむずかしいのは、多くの場合、中身は個別対応が必要なことが多いからだ。

同じコンテンツの使いまわしでいいものもあるかもしれないが、中身がそんなものの箱は飽きられやすいか、大切に扱ってもらいにくい。資源が貴著ないまの時代に大切に使ってもらえないようなものを大量につくるなんて、それだけで十分すぎるほど罪だ。

やっぱり中身、特にコアとなる中身は、それを入れる箱以上に、その中身に接する相手のことを考え、その人にどういう順番でどのように使われ、何が伝わりどう感じてもらい、その人が中身に触れたのち、どうなってほしいかも考えた上で、それを実現するのにピッタリな中身とはどういうものかを想像したい。

箱のカスタムなら、顧客の要望のヒントを何らかのリサーチを行って収集し、その分析を経て、使えるインサイトを導きだし、プロトタイピングを重ねながら、より顧客が欲する「箱」に仕上げていくといったデザイン思考的アプローチもできるだろうが、一期一会的な性格が強いコンテンツとなると、そのアプローチも不向きだ。

顧客を理解する必要はあっても、そのアプローチはソリューションを見つけるアプローチとは違って、よりコミュニケーション的な喜びをどうつくりだせるコンテンツは何か?をデザインする側が発想するためのヒントが得たい。
クリエイティブ力が求められるのはこちらの方だ。

だが、方法がないわけではない

クリエイティブ力が求められるからといって、では、つくり手のセンスや能力にすべてかかってしまうのかといえば、そうではない。

すくなくとも、それはトレーニングと知識の習得で可能になるものだと思う。

ここでもラトゥールの新しい社会学のアプローチである、アクターネットワーク理論が参考になる。

ラトゥールが主張するのは、パッケージ化された「社会的なもの」ということに惑わされて、社会的なものによって社会は成立しているというトートロジー的な説明で理解したつもりになってはいけないということだ。
何らかの上下関係や、因果関係、背後から社会を動かす「神」や「見えざる手」などを想定して逃げるのではなく、あくまで、すべての要素はフラットであるという想定のもと、社会的現象を生み出しているブラックボックスを開けて、そのつながりを解きほぐすことが大事だと言っている。
だから、社会的なものを「組み直す」になる。

フラットランドの概念にあくまでこだわり、3次元の姿形を当然視しようという誘惑に駆られるたびに留め金を差し込むことで、それまではまったく認識できなかった―― ただし、誰もが実際にはあるに違いないと感じていた―― 種々の結びつきに光を当ててきた。コンテクストに飛躍することを拒み、ローカルなものにこだわることを拒み、あるいは、両者のあいだで何らかの立場を取ることを拒むことで、私たちの報告は、今や、これまでほとんど見られなかった社会的なものの見方を復元しつつあるのではないか。

僕らもこの「組み直す」作業を繰り返して、トレーニングを積み重ねておく必要がある。それをやれば、中身をつくる力が身につくはずだ。
中身をつくるスキルは、普段からこうした既存の用語やパッケージ化された仕組みやメソッド、フレームワークに騙されることなくひとつひとつの事象をていねいに自分で読み解き、組み立てなおすことに慣れておくことで、身についていくものだと思う。それを通じて適切なコンテンツづくりの力が備わるようになる。

フラットではない、まやかしがさまざまな説明やコンテンツに入りこんでしまっていることの気持ち悪さを敏感に感じ取れるようになること。
わかりやすい説明にまんまと騙されたりすることなく、自分自身でちゃんと事象を分解し、神や超自然や常識などに頼ることなく、みずから説明しきる説明を組み立てられるようになっておくこと。

そうすれば、それ以上の創造性が求められる中身づくり、コンテンツ開発もできるようになる。
そして、そういう力が身についた上でなら、それにピッタリな箱がどういうものかを想像できるようになっているはずだ。

社会的なものを組み直す: アクターネットワーク理論入門 (叢書・ウニベルシタス)

Bruno Latour (原著), ブリュノ ラトゥール (著), 伊藤 嘉高 (翻訳)
法政大学出版局
Amazon.co.jp

* 本記事は、棚橋弘季 個人ブログ『言葉とイメージの狭間で』より厳選した記事をご紹介しています。

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