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重松 佑, 山田 麗音, 浅見 和彦, 国広 信哉 2020.02.04

ダイバーシティ時代の想像力と創造力 ーろうの世界に触れる

今ほど、「ダイバーシティ」という言葉を耳にする時代はあったでしょうか。

世界中で高まる、人種、性、障害、世代、言語、国籍などの多様性を、社会が受け容れるべきという気運。また、近年では「多様性のあるチーム・組織はより創造的である」というレポートも公開されています。

自分たちとは異なる特性や文化を持った他者と向き合い、協働するためには、いくつかの準備が必要です。まず、自分たちの客観的な判断を阻むバイアスを正しく認識すること。そして、相手とのちがいを知り、彼らの視点や体験、感情を想像することです。

2019年11月、ロフトワークでは社内勉強会として、日本財団職員でろう者の川俣郁美さんと、クリエイティブディレクター・重松 佑とのトークセッションを行いました。そのテーマは、「想像力と創造力ー人を思いやる力と、問題を発見する力」

川俣さんとの対話は、デザインやクリエイティブによって体現できる「人を思いやる力」について、問い直す機会となりました。

執筆・編集:loftwork.com編集部
写真:山口謙之介、小山さくら(loftwork)

「True Colors Festival – 超ダイバーシティ芸術祭 –」

障害・性・世代・言語・国籍などのあらゆる多様性があふれ、人々が支え合う社会を目指して開催される芸術祭。2019年9月から2020年7月までのおよそ1年間、多彩なパフォーミングアーツの演目を展開します。ロフトワークは、さまざまなパートナー企業・団体と連携しながら、同芸術祭の実施を支援しています。

https://truecolors2020.jp/

川俣さんの日常から見えるもの

重松:今日は、True Color Festival のプロジェクトを通じて出会った、日本財団の川俣さんにお話をお伺いしていきます。まずは川俣さん、自己紹介をお願いできますか。

川俣さん(以下、敬称略):こんにちは、日本財団の川俣です。私は、アジアのろう者に向けて、社会に参画するための助成事業に携わっています。その中でも、手話による教育、手話言語学研究、手話言語の法的認知に取り組んでいます。たとえば、手話教育を普及させるために、手話の辞書や教材を作る事業の支援などです。

日本財団 川俣 郁美さん

重松:ありがとうございます。また、川俣さんのパーソナリティについても知りたく、いくつか質問をしたいと思います。最近、感動した本や映画はありますか?

川俣:本は2冊あります。ひとつ目は、丸山正樹さんの『デフ・ヴォイス』。ろう者のもとに生まれた子供をCODA(Children of deaf of adults)が登場するミステリー小説です。

もうひとつは、ちょっと怖いタイトルですけれど、脳性マヒの当事者である横田弘さんの著書、『障害者殺しの思想』。相模原のやまゆり園での事件は記憶に新しいと思います。この本は、「なぜ障害者が殺されなければならないのか」ということを社会問題としてとらえ、紐解いています

そして、映画は『万引き家族』です。

重松:映画は、日本語字幕で観るのですか?

川俣:はい、聴覚障害者むけ字幕というものがあります。昔は邦画には字幕がついていませんでしたが、今は日本語字幕が表示されるものが出てきました。すべての映画館で日本語字幕がついているわけではないので、「この映画館のこの時間の回でやっている」というのを、事前に調べる必要があります。

重松:なるほど。ところで川俣さんはいつも、スマートウォッチをつけてますよね? どんなところが便利ですか?

川俣:カバンの中にあるスマートフォンに着信があったとき、着信音やバイブレーション音が鳴っても私にはわかりません。これをつけていると、すぐにメールや電話の着信に気づくことができるんです。

重松:ありがとうございます。…さて、僕はいま、川俣さんにいくつか簡単な質問をしました。聞いていると、「あ、そういうことががあるんだ」という、わたしたち聴者の側からは想像するのが難しいような「気づき」がありますよね。

僕自身、True Colors Festival のプロジェクトを進めている中で、川俣さんとお話するたびにいろいろな発見があります。そこで今回は「想像力と創造力」をテーマに、ロフトワークのメンバーと一緒に川俣さんからお話を伺います。どちらも「ソウゾウリョク」ではありますが、特にイマジネーションの想像力について思いを巡らすことができるようなお話ができたらと思います。

クリエイティブディレクター 重松佑

手話という言語

重松:川俣さんは、手話による通訳のお仕事もされていますよね。

川俣:留学中に、アメリカ手話言語と国際手話を習得しました。日本手話言語からアメリカ手話言語や国際手話への通訳をたまに行っています。

重松:日本、アメリカ、国際手話と、トリリンガルなんですね。国際手話というのはどんなものですか?

川俣:音声言語の場合はエスペラント語がありますよね。その手話バージョンのようなものだと思ってください。実は国際手話は日本手話言語やアメリカ手話言語と違い、人造されたものなのです。

重松:それを聞くと、なおのことすごいと思います。手話って、日本語とか英語と同じで言語という認識でいいんですよね?

川俣:はい。手話も日本語や英語と同じで独自の文法を持つ言語です。実は「英語の手話」というものはなく「イギリス手話」「アメリカ手話」「オーストラリア手話」「インド手話」「フィジー手話」と同じ英語圏でも手話が異なります。1つの国に複数の言語をもつ国があるように、手話も1つの国に複数存在する国もあります。手話の分布は音声言語の分布と必ずしも同一ではありません。

手話はその国の文化が反映されていて面白いんですよ。たとえば、日本手話では「ドア」といえば横開きの扉を開く動作ですが、アメリカではドアノブを開く動作です。「食べる」は、日本手話は箸を使いますが、アメリカ手話では手づかみです。

重松:敬語や丁寧語もありますか?

川俣:あります。手話表記としては変わりませんが、動きに特徴をつけることで丁寧語を表現します。「ありがとう」の丁寧語は、肩をすぼめて頭を下げながらゆっくりと表現します。同世代が相手だったら、こんな感じで軽く(素早くポーンと手を打って)やります。

重松:身体全体を使って伝えるんですね。

川俣:手の動きだけでなく、身体の動きや顔の表情も含めて文法になります。

「ありがとう」の手話

子供時代と思春期の葛藤

重松:川俣さんは、3歳のときから聴覚障害があったんですよね。

川俣:はい。3歳のときに、高熱が出てから。小さい頃は少しだけ聞こえていたんですが、成長とともにだんだん聞こえなくなっていきました。

でも、自分としては聞こえない、会話が成立していないという実感はありませんでした。はじめに違和感をもったのは、小学校3年生の頃に補聴器をつけたとき。はじめて「私って聞こえていなかったんだな」と思いました。

それでも、小学校では楽しく過ごせていましたよ。授業でわからないときは隣の友達にきいたり、ノートを見せてもらったりしながら乗り切っていました。

重松:年齢を重ねていく中で、困ることが増えてきましたか?

川俣:私の通っていた中学校には、普通級のほかに難聴学級がありました。そこでは、指文字をつかいながら友達とコミュニケーションを取っていました。でも、難聴学級を出て普通級にもどると、授業についていけないという苦しさが芽生えてきました。

重松:ろう学校ではなく、地域の中学校に通っていたんですね。当時は、聞こえないということにどんな感情を抱いてましたか?

川俣:自分が大嫌いでした。最悪なことに、親のせいにすることもありましたね。「なんで私を生んだの?」なんて、強くあたることもありました。

重松:高校の入学試験で志望校の合格点を上回っていたにもかかわらず、不合格となったことがあったそうですね。そんなことがあるのかと、驚きました。

川俣:本当にショックでした。第二志望だった私立高校の試験で落とされてしまって。その後、県立高校を受験して合格しましたが、「耳が聞こえないから不合格になるなんて」と信じられない思いでした。

重松:思春期に、とてもつらい出来事でしたね。どうやってそうした経験を乗り越えていったんですか?

川俣:私の親がその私立高校に対して、不合格の取り下げを求めてくれました。結果、不合格は取り消しとなりました。親は私のために、「耳が聞こえる、聞こえないにかかわらず、だれもが学ぶ機会を得ることができる」ということを証明してくれたんです。

ろうの大学・ギャロデットで得たもの

重松:自分がろう者であることを受け入れるまでに、時間がかかったのではないでしょうか。いつ、そのことを受け入れられるようになりましたか?

川俣:高校のときに、同じろう者の女性ですごく活躍している方に会ったんです。彼女は留学経験者、経営者、大学講師で、手話で話す表情はとても生き生きしていました。歌を手話に翻訳する活動もやっていて、本当に人生を謳歌していたと思います。私にとってのロールモデルでしたね。「ろう者だからこそ経験できることがある」ということがわかり、ようやく「ろう者でも生きていける」と思いました。

重松:高校卒業後に、世界中から耳の聞こえない人が集まっているアメリカのギャロデット大学に進学したそうですね。どんな大学でしたか?

ギャロデット大学

川俣:ギャロデット大学は、ろう者のための総合大学です。幼稚部から博士課程まであります。総合大学なので専攻も幅広く用意されています。教育学部もありますし、工学、社会福祉、通訳などの課程もあります。学長もろう者なんです。そこに日本財団の奨学金で留学しました。

大学の構内は、ろう者が快適に過ごすための配慮が行き届いています。たとえば、教室に視野を遮る柱などの障害物がありません。また、ろう者は人を呼ぶときに声ではなく電気を点滅させることが多いのですが、先生が生徒を呼びやすいように教室のホワイトボードの下にも電気のスイッチを設置しています。このような、ろう文化をメインとする空間を「デフ・スペース」と呼びます。

重松:留学時代を通じて、川俣さんが気づいたことや学んだことはありますか?

川俣:ギャロデット大学に行けたことは、私にとって本当に大きな経験でした。ろう者は聞こえないだけで、なんだってできる。手話という言語さえあれば、医師や、弁護士など、どんな職業にも就くことができるということを知りました。

川俣さんとロフトワーカーの対話

対談のあと、ロフトワークの国広信哉(クリエイティブディレクター)、浅見和彦(プロデューサー)、田中葵(FabCafe ディレクター)を交え、さらに視点を広げてディスカッションしました。

コミュニケーションと「わかり合い」について

国広:マジョリティである健常者は、マイノリティと呼ばれている人たちに対して「気を遣う」という関係性になりやすいように思います。川俣さんは、自身と異なる特性を持ったマイノリティの方たちを、どのように捉えていますか?

川俣:その人が何に困っているかよりも、まず、相手をひとりの人としてみて、その人が好きなこと・できることに注目するようにします。その上で、何に困っているのかを知っていく。

マイノリティであることは社会的に不便であるという側面もありますが、彼らはそれのみを考えて生きているわけではありません。彼らだからこそ見える世界、体験できることはなんだろうと好奇心を持って接しています。

それと、さきほど「健常者」という言葉が出ましたね。実は、私はこの言葉があまり好きじゃないんです。健常者の反対はなんでしょう。異常者? まあ、わたしは異常かもしれませんが(笑)。最近は、「障害のない人」ということばも使われているようです。

クリエイティブディレクター 国広 信哉

浅見:ダイアログ・イン・サイレンス」というイベントに参加したことがあります。サイレントヘッドフォンをつけて、ろう者の方にアテンドしてもらいながら作品を体験しました。終わりに近づいたころ、不思議とアテンドしていた方の「声が聞こえた」と感じました。正確にいえば、アテンドしてくれた方の言いたいことが伝わってきました。

川俣さんに伺いたいのは、どうしたらこのような「わかり合い」を日常生活に落とし込めるのかです。わたしたちが普段の生活の中でろうの方と出会った場合、思わず戸惑ってしまうような気がします。どうしたら、気軽にコミュニケーションが取れるでしょうか。

川俣:まず、そのようなろう者に会える機会に積極的に足を運んでくれたことに、感謝したいです。ろう者は、2,000人にひとりしかいないんですね。まず、会える場所や機会が少ないんです。

一口にろう者といっても、いろんな方がいます。手話を使わずに音声で話す方もいます。彼らは相手の口元の動きを見て、想像力で補いながら言葉を読み解きます。そういう方と会話するときは、できるだけ話を短く切るようにすると伝わりやすいです。

それと、もし街でろう者が困っている様子をみかけたら、紙に書いて話しかけてもらえるといいですね。身振り・手振りでも、伝わります。たとえば、コンビニで、実際にお手拭きを取り出したり、ポイントカードを差し出したりして「お手ふき要りますか?」とか、「ポイントカードありますか?」などと確認してくれることがあります。外国の方も多く利用しているようなので、きっと慣れていらっしゃるんですね。このような感じで、身振りで訊いてくれると嬉しいです。伝えたいという気持ちさえあれば大丈夫だと思いますよ。

プロデューサー 浅見 和彦

結婚と子育てのこと

重松:以前、川俣さんの恋人のお話を伺ったことがありましたね。ろう者の方どうしが結婚することは、多いでしょうか。

川俣:実際、多いと思います。もちろん、ろう者と聞こえる人との結婚もあります。日本人は同じ日本人どうしで結婚することが多いじゃないですか。同じ文化、価値観を共有している相手とは共感が生まれるので、恋が芽生えることが多いのだと思います。

重松:聴覚障害の遺伝確率は50%というデータがありますが、川俣さんは子供を持つことについてどう考えますか?

川俣:自分の子供が聞こえる・聞こえないに限らず、親子でコミュニケーションを取ることが重要だと思っています。日本語と手話のバイリンガルに育ってくれたらうれしいですね。言語の数だけ出会える人・情報の数が広がるので、人生が楽しくなると思います。でも、使用言語が何であれ、コミュニケーションがとれる家庭にしたいです。

世の中では、親がろう者だと「ちゃんと子育てができないのでは」と、周りに不安に思われてしまいます。でも、これまで障害のある親を持つ方で立派に活躍されている方に多数お会いしてきました。より住みやすい社会にしたいと、頑張っている方もいます。障害は、障害者本人にあるのではなく、社会の側にあるのだと思います。これから、誤解や偏見を変えていきたいです。

FabCafeディレクター 田中 葵

田中:私は現在、妊娠しています。度々、子供が自分とは違う部分がある状態で生まれたときに、親としてうまく向き合うことができるか考えます。でも、川俣さんのお話を聞けたことで、すごく大きな力をいただけました。明るくて、すごくパワフルで。川俣さんみたいな方にお会いできる場があったら、ぜひ足を運んでみたいです。

川俣:ご懐妊おめでとうございます! 妊娠中は、子供がもし聞こえなかったら、見えなかったらなどと考えると思います。でも、どうか不安にならないでほしいです。

そのような状況になったときは、まずお医者さんに相談しますよね。私からお伝えしたいのは、ぜひ同じ障害を持った大人にも会ってみてほしいということです。全国に聴覚障害者協会があります。Webサイトを見ていただき、ろう者と会う機会に参加してもらえれば。

もし私に会いにきてくださるなら、True Colors Festival に来てもらうのが、いちばん早いですね(笑)。

重松:かつて川俣さんがさまざまな方たちと出会って希望を持てたように、ぼくたちも川俣さんに会えて、ポジティブというか何か明るいものを得られたと感じています。そのようなポジティブさの中にこそ、いろいろな可能性や問題解決の突破口があるのだなと強く思います。今日は、お話を聞けてとてもよかったです。ありがとうございました。

川俣:私も、自分自身の今までを振り返る、すごくいい機会になりました。ありがとうございました。

最後は、全員で手話の拍手。手を空中でひらひらさせます。
川俣さん、ありがとうございました。
時折、日本語で伝えたい言葉は筆談で伝えるなどの工夫がありました。

[2/15-16開催] True Colors MUSICAL ファマリー「ホンク!〜みにくいアヒルの子〜」

ダイバーシティ時代に求められる想像力/創造力とはなにか、まずは体験してみませんか? 2月15日・16日の2日間、True Colors Festival のミュージカル「ホンク!~みにくいアヒルの子~」を開催します。

英国演劇界の最高峰ローレンス・オリヴィエ賞の最優秀ミュージカル賞に輝いた本作。また、多様な観客のニーズに対応する「アクセシビリティ環境設計」にもご注目ください。

Profile

川俣 郁美

日本財団 特定事業部 インクルージョン推進チーム 兼 TRUE COLORSチーム

栃木県宇都宮市出身
高校卒業後、日本財団聴覚障害者海外留学奨学金事業にて米国留学
ギャロデット大学大学院 国際開発学 行政学 修士

2019年日本財団入団 インクルージョン推進チーム 兼 TRUE COLORSチームに所属
インクルージョン推進チームではアジア太平洋地域のろう者支援事業のコーディネートを担当し、True Colorsチームでは「True Colors Festival-超ダイバーシティ芸術祭-」という2019年夏から2020年夏にかけて日本財団が展開する障害・性・世代・言語・国籍などのあらゆる多様性があふれ、皆が支え合う社会を目指し、ともに力を合わせてつくる芸術祭に携わる。

重松 佑

株式会社ロフトワーク シニアクリエイティブディレクター

シニアクリエイティブディレクターとしてブランディングを中心としたプロジェクトをリードする。「クリエイティブの仕事において最も大切なことは、良いチームを作ること」を信条に、型に囚われないプロジェクトのデザインを行う。宣伝会議プロジェクトマネジメント講師。

ロフトワークの勉強会《Creative Meeting》

日々、さまざまなプロジェクトに対し、デザインのアプローチで向き合っているロフトワークのメンバー。実は、ひとりひとりがさまざまな個性・特技・バックグラウンドを持っています。

アーティストとしての顔を持つ人、食領域のクリエイションに造詣が深い人、巨大なイベントを仕掛ける人など…個人の領域と仕事が溶け合うことで、ロフトワーク「らしい」多様なプロジェクトが生まれます。

そんなロフトワークでは、月1回、「Creative Meeting」という、社員が企画・運営する社内勉強会が行われます。この機会に、社員それぞれがプロジェクトを通じて得た経験や知見をプレゼンテーションしたり、さまざまな領域のプロフェッショナルを呼んだりしながら、広い意味で「クリエイティブな学び」を共有します。本記事は、2019年11月に行われたCreative Meetingのレポートです。

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The KYOTO Shinbun’s Reportage
京都新聞論説委員が見る京都ルポ「課題の価値」