めぐるめぐる、東海。
第二話:循環とは“ぐるぐる”周り続けること
Outline
経済産業省 中部経済産業局、株式会社大垣共立銀行、株式会社OKB総研、ロフトワークとともに始まった「東海サーキュラーエコノミー推進〈知財活用〉プロジェクト」。本プロジェクトは製造業の集積地である東海エリアだからこそ実現できる、循環型経済を描き、実装することを目指しています。
サーキュラーエコノミーはEUで推進されている概念。日本そして東海ならではの循環の形があるはずです。そこで、本プロジェクトでは「東海圏において経済と環境問題の解決を両立させながら、持続可能な循環型経済を描くことができるか?」という問いを起点にプロジェクトをスタートしました。
共創なくして、循環型経済を描くことはできません。多くのステークホルダーが互いに手を取り、いかにより良い未来をつくっていくか。共感の輪を広げていくため、本プロジェクトは、初年度の活動記録を綴るタブロイド「めぐるめぐる、東海。」を発行。新しい未来へ向けた想い、物語の始まりを描いています。
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我々は、未来に何を残せるのか?
未来の循環のあり方とは?
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初年度の活動を振り返りお話を伺うのは、本プロジェクトのアドバイザーとして参画いただいた、一般社団法人サステナブル経営推進機構(SuMPO理事長) 石田秀輝さん、プロジェクトのプランニング、プロジェクトマネージャーを務めたロフトワーク アートディレクター 小川敦子です。聞き手には九州というローカルな土地で、手紙用品(文具)店Linde CARTONNAGE(リンデ カルトナージュ)を営む福岡の編集者、コモン編集室 瀬口 賢一さんです。地域に密着する編集者の視点から、地域と循環の営みの可能性について紐解きます。
本編は3回に分けて鼎談の内容をお届けしています。
第2回は、現状の「循環」に対する課題をピックアップ。
編集・執筆:瀬口賢一(コモン編集室 )
写真: 鈴木孝尚(16 Design Institute)
連載「めぐるめぐる、東海。」
※本事業は経済産業省中部経済産業局から「令和3年度中小企業知的財産活動支援事業費補助金」の交付を受け実施しています。
Interview
話した人
プラットフォームはできた。次は、誰にどうアプローチするか。
瀬口 まさに、先を見据えた循環モデルづくりの始動ですね。今、未来への風土記という小川さんの言葉がありましたが。それまで私が思い描く東海のイメージは、製造業が発達しているエリアというくらいのものでした。九州に住んでいると東海の状況や今という部分が入ってくることは少ないんですが、この冊子を通して、農・林・水産という東海圏の産業基盤が、実は伊勢湾を取り囲んだ水の循環−森と湾を繋ぐ木曽三川に存在した船の交易のルートを中心に形づくられ、歳月とともに自然の営みも相まって、製造業の発展をもたらしたというところを初めて知ることができました。加えて、その活動の中心にいるのが人間であること、ひいては知の営みが受け継がれた結果、今が形づくられていることも。では、未来への風土記(未来への新たな経済圏)を担っていく若い世代の人たちにプロジェクトとしてどのような橋渡しを行っていくか。これについて石田先生にはどんな思いがおありでしょうか。
石田 全体感としてはきっと小川さんの話しで僕は良いと思います。肝心なのはアプローチの仕方でしょう。最初に申し上げた循環すると利潤が出るという部分。これについてはいろんな業種や立場の人と議論を深めたいというのはありますね。たとえば人が循環をすると、理性だとか知性が生まれますよね。あるいは自然が循環すると食糧が生まれるし、景観が生まれる。それから物が循環するとなんでしょう。お金が循環するとなんでしょう。知の循環ってなんでしょうと。そういうものから何が生まれるかという議論はもう一度やってみていいと思いますね。またその時に、今回の冊子を読み直すと、たとえばタブロイドの最初に書かれていた森の再生(=伊勢神宮)の話しにおいても、決して自然だけではなくて、いろんな循環が組み合わさっていることに気づく。そういうものを再度整理してみると、実はその伊勢神宮の話も、ものづくりの話もすべてオーバーラップして、個性という絵が描けるんですよね。そうして絵が重なったところを、今度は立体的に上から俯瞰してみると、東海サーキュラーエコノミーという概念がひょっとしたら見えてくる。そんなふうなことを今、私は思っています。あくまでアプローチとして。それで何が生まれるか、循環することによって何が生まれるかというところに子どもたちから、大学生から、企業人から、老人からみんな集めて議論させてみればいいと思います。
瀬口 その手法なら、人を選ばずに行えそうですね。
石田 「巡る」、「循環」と口では簡単に言うけれども、ぐるぐる巡っていくと「何が生まれるんですか?」みたいなことをいつも聞かれるけど、ひょっとしたらみんなあんまりきちんと考えてないんじゃないかと思います。
小川 確かに、言われてみれば(苦笑)。
石田 学びとは結局、そういうことでしょ。ぐるぐるぐるぐるやっていくうちにどんどんレベルが上がっていく。職人なんて良い例ですよね。だけどもそういうものだけが、ぐるぐる回っていると錯覚してしまって、つまり職人みたいなところ(ここでいう知識や考えのレベルが知らないうちに身に付く)だけが横軸に置き去りにされてしまって、AIがなんとかという世界にいくけど、これは大きな誤りだと思いますね。AIは人間が使いこなせないとどうしようもないし、AIは計算しかできないので。だからぐるぐるぐるぐる巡る、人が巡ると何が生まれる?自然が巡ると何が生まれる?物が巡ると・・・。と、そういうことをみな同じレベルで深く考えてみたら、そしてここに手本たる冊子がまとめてあって。このストーリーをぐるぐる回るというところのキーワードとあてはめてみると「あれれ!」というのがいっぱい出てくる。僕もちょっとやってみたんだけど、おもしろいの。
小川 おもしろそうですね。
石田 だからそんなことをやってみると、我々が本当にサーキュラーってどういう意味かということが、ある時ポンと心のフチに落ちてくるのではないかという気がするんです。そうなると「循環する」ということとズレますけど、僕が言っている“喜ばしい制約”と実はかなりの部分でオーバーラップしてくる。
小川 ふむふむ。
石田 我々は消費するんじゃないんです。ぐるぐると回すんです。その回す技(わざ)がえらく楽しいはずなんですよ。それで幸せになるんですよ。みたいなところに落ち着いてくる気がする。それを証明してみたいと思います。
小川 やりましょう。
瀬口 石田先生がおっしゃる、回す、循環させるということにおいて、どこが着地点となるか、それは今おっしゃったようにやってみて初めて見えることもあるでしょうし。一方で、せめて何かを目標に掲げておかなければ、実感をもって取り組めない部分も出てくる気もします。石田先生が提唱される「バックキャスト思考」(※1)ではありませんが、どのあたりに到達点、ないしは目標を据え、逆算して取り組んでいけばいいのでしょうか。
石田 うん。たとえば今、国(環境省)がやろうとしている「30 by 30(サーティ・バイ・サーティ)」(※2)。2030年に自然を30%戻すだとか、あるいは農林水産省がやっている食のネットワークだとか、実は全部“ぐるぐる”なんですよ。けれども彼ら(役人)が書いた文章のなかに、その“ぐるぐる”が全然盛り込まれていない。
小川 なぜ抜け落ちるんでしょうね。
石田 簡単ですよ。(循環の重要性を)まだ社会全般での理解を得ていないから。たとえば「食」の部分というのは、ヨーロッパのグリーンディール政策の中の「F2F / Farm to Fork(ファームトゥフォーク)Strategy」(※3)の概念を使っているわけです。その文中にも明確に自然の中の循環という記述は出てこない。向こうがキリスト教圏だから、自然というのは人間がコントロールするものという考え方の差異はあるんですが、我々日本人は自然に生かされているという意識をベースとすると、ぐるぐる回らないと生きていけないといった考えから、ぐるぐる、あぁ、なんだか“ぐるぐるぐる”っていいフレーズだな。だからこの“ぐるぐる”を真剣に考える。もちろんあらゆる場面で。また、そういう機会をつくることは、特に若い人にとってもわかりやすい気がするけど、どうですか(笑)。
一同 …。
石田 あれ?僕は別に誘導しようとしてませんからね。
小川 違うんです。まさにその言葉が今頭のなかを駆け巡って。ぐるぐると…。
石田 みんな(真剣に)考えてないんですよ。そのわりに平気で循環、循環と言ってるんです。
(※1)バックキャスト思考:過去の実績や現状の課題から未来を考えるのではなく、「ありたい姿」を描いたうえで、そこから逆算し今何をすべきかを考える思考法。
(※2)2030年までに生物多様性の損失を食い止め、回復させる(ネイチャーポジティブ)というゴールに向け、2030年までに陸と海の30%以上を健全な生態系として効果的に保全しようとする目標(出典:環境省HP)
(※3)欧州委員会が2020年、持続可能な食料システムを目指して新たに掲げた戦略。略称は「F2F」。農家・企業・消費者・自然環境が一体となり、共に公平で健康な食料システムを構築することを掲げる。
循環は一周して戻ることではない。ぐるぐると回り続けること。
小川 循環の本質について、このプロジェクトを通して、少しでも、お伝えしていくことができるといいのですが。
石田 循環っていうと、多くの人は“一回戻す(一周する)”としか思っていない。だからサーキュラーエコノミーもこれだけで終わっている。実は本当のところ回ってない。
小川 最近読んでいる本で『グッド・アンセスター/わたしたちは「よき祖先」になれるか』(※4)という本があります。この本の根底にあるのは、“ディープタイム”という時間軸のお話なんです。つまりロングスパンで物事を捉えるということ。このロングスパンのロングがとてつもなくロングなんです。物事を捉え、判断するための基軸となる時間軸が近代に入り、すごく短くなってしまった。けれども日本のみならず、世界中をディープタイムというスパンで見ていくと、ものすごく長かったんですよね。今、自分が生きている時代だけではなく、いかに、次世代に繋げていく視点を持つことができるか。過去から現在へ、未来へと繋げていくなかに、今という時間が存在し、自分の人生も存在している。そういう風にとらえることができていたんですよね。日本の事例でいうと、この著書にも伊勢神宮が少し触れられています。
また、私が今回伊勢神宮を取材させていただいた際に、通常では一般の人は入ることのできない、100年かけて再生された森に立ち入った際に、自分自身がこのディープタイムの感覚を取り戻すことが出来ました。100年、200年、300年先を考えて、森を育て、継承していく。かつて木を植えた人は、もちろんその時代には存在していないですよね?では、なぜ、そのような長いスパンでの継承ができるのか?それってやはり、いろんなものを超えた「次世代へ繋ぐ愛」でしかなく、深い精神性にもとづいたディープタイプの感覚こそ伊勢神宮なのだとも思いました。この感覚をプロジェクトとしても大切にしたいし、企業側にも触れていただきたいなとも。取り戻すべきはいつの間にか短くなった時間軸という側面はあるのかもしれないと感じています。
石田 今、大半の人がとらえる「時間」は「効率」なんですよ。効率を考えるから時間というのに制約される。だから効率とは何なのかという議論をもう一回しないといけないタイミングにきているかもしれませんね。効率がいいか悪いかをいつも時間軸で計ってしまう。僕がかつて読んだ論文で面白かったものがあって、1900年のはじめから2000年までの100年間、人間の移動時間というのを統計的にとったデータがあるんです。これはものすごくおもしろい。たとえば、昔の移動は歩くしか方法がなかった。今はジェット機もなんでもある。けれどもその100年を通して人間が一日に費やす移動の平均時間って今も昔もおよそ一時間なんです。つまり人間は何キロの距離をどれくらいの時間でどうやって動こうなんて具体的に思っているわけではなく、どんどん時間を短くしていかに移動距離を長くするか。つまり、今も昔も24時間分のうちの一時間は移動だけに使っているんですよ。これは100年間、変わっていない。言い換えると時間は縮んでいるんです。われわれは効率という言葉のなかで、時間をいかに縮めるかとばかり考えている。逆にその時間軸というのは、取り外すと何が見えるかというと、おそらくは先ほどの“ぐるぐる”と同じような結論になるのではないかと思います。時間軸を外してものを考えるということは、どういうことなのかという議論をするためにも、先ほどの“ぐるぐる”がいいのかもしれない。
小川 なるほど。
石田 時間をそのまま効率というものにあてはめてしまったものだから、都会は進んで、田舎は遅れているという概念が出来上がってしまったんですね。物を運ぶのにどうしても田舎からだと時間がかかってしまう。つまり、都会のなかで循環させれば時間は短くて済む。というところで田舎は遅れている…。まったく一次元の議論になってしまっている。これをより三次元的な議論にする。空間という概念にもっていく。時間という一次元から。そういうふうな概念をもってくれば、効率の概念というのは根本から変わってくる気がします。
瀬口 石田先生は2014年から沖永良部島に拠点を移されていますよね。今のお話からして、そういう狙いがあったということでしょうか。
石田 そんな難しいことを考えているわけではありません(笑)。だけどここ(沖永良部島)にいると自然と一緒に暮らさないと、または、時間を過ごさないと、なんともならない。ちょっとさぼったもんだから、今日は先ほどまで(午前中いっぱい)ずっと森の中にいましたよ。木を切らないといけないし、草を抜かないといけないしで。ここでもうすぐ合宿が始まるのにお客さん迎えられないでしょう。でも焦ってやっては怪我するかもしれないし、自分のペースでやるしかない。だから自然というのはそんなに簡単にわれわれがコントロールできるものじゃない。実はそれって他のものだってそうでしょう?人間だってそうだし、いろんなものが自分たちで勝手に時間軸を決めて制御できるようなものではないんです。それがあたかもコントロールできるように見せかけている。コントロールできますよ。この商材買いませんか?と言っていろんなコンサルタントだとかが生まれるわけですよね。それを私は否定しているわけではない。それで経済が回ればそれはそれでいいのだけれども、今、回らなくなっている部分が見え始めているので議論しなくてはいけないということ。言っていることわかりますか? 僕は時々話が飛んじゃいますから(笑)。
瀬口 先生の「塾」についてもうかがいたいのですが。「子どもや孫が大人になったときも、笑顔あふれる美しい島つくり」というビジョンを掲げておられるというところで、これは置き換えると今回の東海サーキュラーエコノミーも次世代につなげていくという点で共通項があるように思います。実際の活動内容の一端をお教えいただきたいのですが。
石田 毎月。8年間。よくやるよね。自分でも不思議に思います。でも僕が直接、島を変えようなんてことはなく、基本的にはオモテに出ません。だから塾で学んだ子たちが、島を変えるまでじっくり待つというスタンスでしょうか。最初のうちは60歳や70歳などの高齢者が多かったのですが、ここ4年くらいかな。30代の人たちが入ってきて、気がつけば事務局10名の全員が30代と40代で、Uターン者ですね。結局、一度外から島をみて「故郷をなんとかしなきゃ」という思いをもって帰ってきた人たちが塾の中心になっていて、その中から議員になったり、名古屋のカリスマ美容師だったのに戻ってきて酔庵塾で学んだことを(島に来た)お客さんにずっとしゃべり続けてくれたり…。そういう一つひとつのことがなんとか実を結んだのだろうと思いますけどね。幸いにも今年4月、この島が環境省が選定する脱炭素先進地域で日本の26カ所の中にも選ばれました。ここがようやく持続可能な島に向かう準備が出来たことを認めていただいたということですね。従来この島には2つの町があるんですけども、それこそやっとこの両者が手を組んでくれて…。8年の時間を費やしましたけれども。スタート地点に立ったところですね。
瀬口 それほど長い歳月とご苦労がおありだったとは…。当事者でない私が簡単には言えませんが、目に見える形で、それも人の循環によって地域が再生していくという好例ではないでしょうか。先生のご活動と性質は異なりますが、私は農林水産省が提唱する農泊(※5)を九州・熊本で取り入れた自治体の取材を今年3月までおよそ2年にわたり、行ってきたのですが、Uターン者との話のなかから、外(大都市)に出て初めてきづく地元の豊かさ、その土地に根付いた風土や文化をあらためて見直したかったという声を耳にしました。また、出戻ってきた人の多くが、単に地域の豊かさを享受するだけでなく、それぞれがもつ強みを地域性や風土に合わせて事業にしたり、文化を継承したりする事例を目の当たりにしました。地方再生が謳われて久しいですが、若い担い手が中心となった地産地消による循環も含め、塾と通ずる理念を感じました。
石田 島では基本的には自足という概念。これも“ぐるぐる”と同じだと思います。私は“地消地産”と言ってるんですけども。地元で必要なものは地元でつくる。自足ですね。だからエネルギーもつくる、食もつくる、人もつくる。ひいては、学びもお金もつくる。なんでもこのなかでぐるぐるぐるぐる回ればいいという考えで。要するにこの島って、何かしようとする時は全部外に頼らなくてはいけません。とりわけエネルギーや食糧なんかは外に頼らざるを得ない。けれどもなんでも頼るのではなく、この地域の中で回していけばいいというのを基本的なコンセプトにしています。だから大学もつくったし、寺子屋もつくったし、これからはエネルギーの分野ですね。今回の環境省に通ったんで、お金もサポートいただけるし、いよいよエネルギーもつくるぞ!というようなところにいるわけです。したがって地消地産というのはある意味、循環の原点かもしれない。なんでも自足しようという姿勢そのものが。もちろん可能な限り、で。
瀬口 パネルディスカッションの記事に収められた石田先生の発言のなかに「持続可能な社会を創成するにはもう一度“個人”を自然や共同体につなぎ止めることが必要」という部分がありますが、これも今のお話と通ずる概念があるでしょうか。
石田 そうですね。基本的にアニミズムというのが社会。生きる原点ですよね。まぁ、それを原始宗教と訳してしまったらものすごく宗教的になるけれども、アニミズム型社会は社会的共通資本と通ずるところがあり、我々は自然なしでは生きていけない。だから自然に根を下ろさないといけないが、自然に根を下ろすというのは一人で生きていくという意味ではない。というか生きていけないんです。一人では。だから共同体(コミュニティ)が必ずいる。このコミュニティが、自然とがっちり根を下ろして互いに助け合いながら、いろんなことをしていく。ただし、そこに暮らす“個”というのは、昔のようにコミュニティのなかでしか生きられないんじゃなくて、もっとおしゃれなライフスタイルというのがあっていいんだろうと。だから今、僕は自分なりの暮らし方をこの島で実践していますが、月に何度かある集落の行事にも積極的に参加するし、そういうふうなやり方が今の時代だったらできる。一昔前だとそれがすべてコミュニティのなかで完結していたのだけれど、今はそうではなくて個を大事にする。「個をデザインする」とどこかの本に書いたことがあるんですけど、個というものを大事にしながら、コミュニティとも一緒に暮らす。お互いに自由を認め、コミュニティも個の自由を認める。そういう個のデザインという新たな概念が存在することがわかっているので、それでいうと僕自身の暮らし方はそれに近いんじゃないかなと思います。そうなると自然というのがあって自然のうえにがっちりコミュニティーが食いついているけども、そのコミュニティに帰属している個というのは、個らしい暮らし方が許される。それがハイパーアニミズムだとか、新しい生命文明社会って言っているんですが、そういう格好というのが一つの形として存在できるんじゃないかなと思ってます。
(※4)ローマン・クルツナリック(著)、松本紹圭(訳)/あすなろ書房
(※5)農山漁村において、日本ならではの伝統的な生活体験と農村地域の人々との交流を楽しみ、農家民宿、古民家を活用した宿泊施設など、多様な宿泊手段により、旅行者にその土地の魅力を味わってもらう農山漁村滞在型旅行。(出典:農林水産省HP)
【10/6公開予定】「第三話:知を循環させる、これからの知財とは」につづく
タブロイドに掲載しているストーリーはこちらのWebサイトでご覧いただけます。
Webサイト:https://tokai-ce.com/
Outputs
VI:重ならない円のつづき。
essay | VIについて…
デザイナー 鈴木孝尚(16 Design Institute)
循環というテーマを視覚的に考えるのであれば、まずは正円の形を誰もが思い浮かべるのではないだろうか。エレン・マッカーサー財団が提唱するサーキュラーエコノミーのマークでも円形がいくつも重なったマークが示されている。だが、本当に円が一周繋がった形に私たちはできているのだろうか。例えば、水は循環できていると考えてもよいだろう。雨が降り、土に浸透し、やがて海まで辿り着く。そこで水蒸気となり、また雨として戻ってくる。確かにこの構造を人工的に結びつけて考えれば円を描くことができる。資本主義経済の中で資源を無駄なく消費し、できる限り持続可能な環境に配慮していくことは、今後の社会でとても大切だと思う。しかし、一度使ってしまった資源を再度同じ状態に戻すには多くの時間と経済的な問題があり全ては不可能である。そこで本プロジェクトは「重ならない円」をコンセプトの柱にすることを考えた。これは同じ場所には戻れないのだが、階層を一段上げた場所へ戻り 、再び上昇していくことをメッセージとしている。横から見た時に螺旋階段のような形状をイメージしてもらえると分かりやすい。この形は時には掘り下げることも示すことができ、過去の積層された時間からアイデアを紡ぐこともできる。 また、他との関係を繋ぐ事で別の円形を形成できることもここでは、付け加えておきたい。
資源はなにもしなければ、そのまま枯渇していくと思う。しかし、人類はどの時代でも知恵を働かせ、その資源を補えるように努力し続けている。そこに時間が積層されて、積み重なっていく。何十年、何百年と続いている人の営みを支えてきた知恵の循環は、同じ場所に戻っているのではなく、何度も何度も同じような失敗の先に出来たかけがえのない歴史だと考え、このグラフィックのアイデアに行き着いた。
連載「めぐるめぐる、東海。」
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