環境課題への気づきをデザイン
目に見えない窒素をアートで体感「窒素と怪談」展
Outline
“怪談”を切り口に目に見えない課題を知覚する
私たちが普段気づかない社会課題や一般に伝わりづらいテーマをより身近に感じてほしい──。こうした思いを持つ研究者や新たな領域にチャレンジする人たちも多いのではないでしょうか。
2001年に国立研究所として創設された総合地球環境学研究所(以下、地球研)の林健太郎 教授(以下、林先生)がリーダーを務める「Sustai-N-ableプロジェクト」では、人類の窒素利用が多様な窒素汚染をもたらすという「窒素問題」の解決に取り組んでいます。窒素は大気の8割を占めるとても身近な存在である一方で、窒素汚染が人類や地球環境にもたらす影響を知る人は少ないでしょう。窒素は、食料生産のための肥料として活用され便益を生む一方で、環境への漏出によって人の健康と生態系の健全性に悪影響を及ぼしているのです。さらに、その問題の複雑さゆえか、いまだ環境問題として一般に広く認識されていない、という課題があります。
窒素汚染を多くのひとに知ってほしい──。林先生の思いを知ったロフトワークは、2023年度から林先生とともに窒素問題の理解促進に向けた取り組みをスタート。実施したワークショップでは、人間の窒素利用の変遷と、窒素汚染を生み出す構造をシステム思考を用いて可視化。窒素問題の認知拡大とその解決を目指すための具体策を検討、効果的な施策(レバレッジポイント)を見い出しました。(詳細>>)
しかし、問題の根源である、便利で快適な生活を求める消費者とそれに応える生産・流通という社会構造そのものに対するアプローチは簡単に着手できるものではありません。そこで今回は、窒素や窒素問題の認知を広げ関係人口を増やすボトムアップ型のアプローチを模索しました。
実施したのは企画展示『Sense of the Unseen Vol.1 怪談と窒素』です。展示の狙いはふたつ。ひとつは、研究者とは異なる視点で窒素汚染について話せる人を増やすこと。もうひとつは、窒素問題について100%の理解を得るよりも、体験を通じて意識変容・行動変容を促すこと。
その目的を達成するために、窒素が人々の暮らしを支えもすれば害を与える存在にもなるという特徴に着目し、展示と作品のテーマを「怪談」に設定。展示を通じて、来場者に“窒素問題という存在そのものに気づく体験”を提供。生活者が普段意識しない環境課題への興味関心を高めることに貢献しました。
Output
展示『Sense of the Unseen Vol.1 怪談と窒素』
展示と作品のテーマは「怪談」。みえないものと窒素を題材に、「物語」「音」「味覚・嗅覚を刺激する作品」の3つの作品をクリエイターと研究者がともに制作し、展示を実施。第一弾となる今回は、日常に潜む「違和感」「奇妙さ」という感覚を頼りに、「おそれ(畏れ・怖れ)」を切り口として、これまでそこにいる・在ることに気づかなかった存在を感じ取るような作品を創り出しました。
ステートメント
普段意識せずに呼吸している空気の8割は窒素です(二個の窒素原子がくっついた窒素ガス)。
私たちはタンパク質やDNAを作るために窒素が欲しいのですが、安定な窒素ガスをいくら吸っても体の一部にはなりません。
代わりに、飲食物からタンパク質などの形で窒素を取り入れます。20世紀はじめに窒素ガスからアンモニアを合成する技術を獲得した人類は、化学肥料を手に入れ、たくさんの作物と家畜を育てられるようになり、食生活が豊かになりました。
しかし、私たちの社会から反応性をもった窒素がたくさん環境に漏れ出し、人や自然の健康を損ねています。陰ながら私たちを支えてくれていた存在に対して欲をかきすぎた結果、しっぺ返しをくらってしまう。そう、まるで怪談のようです。怪談を通じて感覚を研ぎ澄まし、これまで見えていなかった私たちの暮らしと窒素との深い関係に気づくきっかけとなったなら。これが今回のイベントの狙いであり、願いです。林 健太郎 | 人間文化研究機構 総合地球環境学研究所教授
キービジュアル
目に見えない、色もない、匂いもしない……けれどそこにいるという存在の窒素。この特徴を踏まえ、認識されることで浮かび上がるようなキャラクターっぽさや親しみやすさを意識してデザインに反映。空気を読む、聴く、味わうをビジュアライズし、キービジュアル自体がひとり歩きして、展示を広報するようなイメージに仕上げています。
読む、聴く、味わう。五感で感じる展示体験
Inhaled and Exhaled -吸気と呼気- / 佐野 風史
呼吸を通して、目に見えない窒素の存在を音で感じる体験
The Mingle 混ざる/カクテルスタンド フレく
見えない畏れを香りで感じ、祈りと擬似対話で意識が混ざり合う体験
ついてまわる/ 深津 さくら
怪談という娯楽の表裏。刺激や興奮を得る対価を見つめること。
『SENSE OF THE UNSEEN vol.1 怪談と窒素』 オープンアーカイブス
アワードでは「怪談と窒素」を題材としたアイデアや作品のアーカイブを目的に、ゲストクリエイターによる作品の制作過程の投稿や、クリエイターのみなさまからの募集を行っています。作品やクリエイターが研究者に変わる語り手・伝播者になり、ニッチなテーマが専門家とは別の視点や解釈で語られることによって、窒素や窒素問題の認知を広げられると考えました。
エントリーされた作品は、2026年に京都で開催される窒素問題に関する国際カンファレンスにて紹介される可能性も。
Approach
心に残る「体験」で意識変容・行動変容へつなげる
展示の目的のひとつは「意識変容・行動変容を促す」ことです。そのために、「窒素」について正しく理解してもらうことよりも、来場者の心を動かして記憶に残すことを優先し、感性的な表現で来場者の心に訴えるアプローチを提案をしています。
林先生の研究・知見を「物語」「音」「五感を刺激する作品」の3つの作品を通してクリエイターに表現してもらい、目に見えない存在に気づくというコンセプト「Sense of the Unseen」という枠組みを提示しました。
第一弾のテーマは「怪談」。怪談と窒素には、「目に見えない、しかし身近な存在であること」と「人間の関わり方によって善にも悪にもなりうる」という共通点を見出したことから、このテーマを提案しました。
来場者からは、「社内のエンジニアと共創ができると面白そう」「専門的な内容をどうアウトリーチするのかに課題を感じていた。すごく楽しかった」との声があり、企業の新規事業担当者や同じく一般には伝わりづらいテーマを題材に活動する方々からも共感を得ることにつながっています。
クリエーターと研究者の知見を接続。窒素問題を感性的に届ける企画設計
今回参加したクリエイターには、空気を読む、聴く、味わうという3つの視点を生かせる「怪談師」「サウンドアーティスト」「バーテンダー」を迎えています。展示会に慣れていたり、テーマに近しい作品をすでに発表しているアーティストに参加してもらうのではなく、目に見えない窒素の存在を来場者が感じるためにはどのような体験があればいいのか、ということから逆算してクリエイターにお声がけしました。
これまで作品制作の題材になったことがないような「窒素」をテーマにするにあたり、ロフトワークとクリエイターが窒素問題について理解を深めるために、3つのポイントを工夫しました。
ひとつめは、研究者とクリエイターが濃密に対話できる機会をつくったこと。ふたつめは、窒素問題を正しく理解するのではなく、窒素が原因・要因となって世の中で実際に起きている現象から、クリエイターがどのようなインスピレーションを受けるのかを重視したこと。最後に、クリエイターが出したアイデアに対して、研究者が専門的な知見から解釈することで作品と窒素問題の接続を意識したこと。これらのプロセスを短期間で複数回実施し、さらに2回の合宿を経て作品制作に着手しました。
合宿には、「物語」「音」「味覚・嗅覚を刺激する作品」それぞれの制作を担当する3組のクリエイターとデザイナーが集合。作品コンセプトをつくるためのアイデアの発散と収束を行いました。合宿を行ったことで、作品同士のつながりが生まれています。また、クリエイターの発表に対して、林先生に専門的な知見から解釈を加えてもらうことで、クリエイターが自身の作品と窒素のつながりを再認識する場にもなっています。
「みえないもの」を五感で伝える体験設計
来場者にどのような体験をしてほしいのか、展示空間のディレクションには細かく工夫を凝らしています。
会場はFabCafe Kyoto。カフェという日常の空間で、となりに座る人のすぐ側に、「そこにいるけど普段は認知されない存在」を知覚できるように作品を設置しました。
また、わざと視線が遮られる空間を立ち上げ、その中に入ってはじめて作品が体験できる展示ブースをオリジナルで制作。これらによって、作品がもたらす体験に没入できる空間を演出しています。
中でも、今回の体験設計において重要になったのはハンドアウト制作です。ハンドアウトには、各作品の紹介はもちろん、「研究者の解説」をさりげなく入れることで、展示を通して窒素問題へ関心を寄せてもらえるように制作しました。
ハンドアウトを片手に、体験ゾーンへ進む。表現された作品の理解を深めるために視線を手元に移す。クリエイターの世界観や思いに触れながら、林先生の解説で窒素問題にも関わる。そして体験に戻る……ハンドアウトと体験の往復を短時間に何度も繰り返すことで、「みえないもの」を五感で受け取れる設計にしました。
Collaborator
深津 さくら
おばけ座
佐野 風史
カクテルスタンドフレく
吉川 和弥
グラフィックデザイナー
石井 潤一郎
KIKA gallery
梶原 瑞生
KIKA gallery
プロジェクト概要
- クライアント:人間文化研究機構 総合地球環境学研究所
- プロジェクト期間:2024年6月〜9月
- ロフトワーク体制
- プロジェクトマネジメント:クリエイティブディレクター 村上 航
- クリエイティブディレクション:クリエイティブディレクター 三輪 彩紀子
- プロデュース:プロデューサー 山田 富久美
- 制作パートナー
- クリエイター
- 深津 さくら(おばけ座)
- 佐野 風史
- カクテルスタンドフレく
- 宣伝美術
- グラフィックデザイナー 吉川 和弥
- 展示設計・展示アドバイザー
- 石井 潤一郎、梶原 瑞生(KIKA gallery)
- 記録撮影
- 八杉 和興
- クリエイター
執筆:野村 英之
企画・編集:横山 暁子(loftwork.com編集部)
撮影:八杉 和興
Members
メンバーズボイス
“空気の大部分を占めて、見えない、味がない、においもない窒素を感じ取って欲しい、と願って始まった Sense of the Unseenプロジェクト。クリエイターに窒素のことを伝えたら、いったいどんなモノが生まれるのだろう、とワクワクしておりました。今回は3組のクリエイターがそれぞれにユニークで面白く、互いにつながる見事な創作を成し遂げてくださいました。作品の一体感とストーリー性を高めたキービジュアルと展示のクリエイターにも心より感謝いたします。今後とも、様々なクリエイターから自由でユニークな作品が生まれ、アート・デザインのアプローチからも窒素への認識が広がることに期待しています。”
人間文化研究機構 総合地球環境学研究所教授 林 健太郎
“私たちは、創造性は特別な人だけのものではなく、「つくる意志を持って行動する人」は、誰もがクリエイターだと考えています。
窒素問題という複雑で、でも私たち一人一人が関係している問題を少しでも多くの人へ知ってもらうにあたって、必ずしもギャラリーで作品を展示するようなアーティストの方だけでなく、できるだけ日常に近いところで創造性を発揮している方々とご一緒したいと思いました。例えば今回一緒に作品をつくったフレくさんは、普段バーテンダーとして活動しています。私たちの暮らしに寄り添う場所で創造性を発揮している方々だからこそ気づく視点や、鑑賞者の心により深く響くものがあるのではないかと考えたからです。
時に難しく(ややこしく)感じる環境問題も、味わうことや音として聞くことなど、普段から何気なくしていることの延長線上で作品を体験することで、より身近な問題として捉えてもらえると嬉しいです。”
ロフトワーク クリエイティブディレクター 村上 航
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