総合地球環境学研究所 PROJECT

窒素問題の理解促進にむけて
複雑な課題を捉える、システム思考を使ったワークショップ

Outline

世界が直面する環境・社会課題は、「厄介な問題(Wicked problem)」と表現されるほど、相互に絡み合う複雑性を孕んでいます。これらの課題にアプローチするため、まず、何から手を付けるべきか。これを明らかにして実行することの難しさは、多くの組織が直面している課題です。

2001年に国立研究所として創設された総合地球環境学研究所(以下、地球研)は、地球規模の環境問題の解決に向けた総合的な研究を行い、文理融合の学際研究や社会との連携を通じた超学際的なアプローチを用いて、「総合地球環境学」を推進してきました。

地球研の林 健太郎 教授がリーダーを務める「Sustai-N-ableプロジェクト」では、人類の窒素利用が多様な窒素汚染をもたらすという「窒素問題」の解決に取り組んでいます。窒素は、食料生産のための肥料として活用され便益を生む一方で、環境への漏出によって人の健康と生態系の健全性に悪影響を及ぼしています。さらに、その問題の複雑さゆえか、いまだ環境問題として一般に広く認識されていない、という課題があります。

地球研は同プロジェクトを通じて、窒素問題の認識浸透とその解決を目指しています。そこで今回、プロジェクトのインパクトをより大きなものとするために、ロフトワークの支援のもと、窒素問題のアウトリーチ活動の全体指針(ロードマップ)や、具体的な施策を検討しました。

ロードマップや施策アイデアを考案するにあたり、複雑な課題を捉えるアプローチである「システム思考」のフレームワークを用いたワークショップを実施しました。本記事では、プロジェクトチームがどのようにして「窒素問題」を捉え、効果的な施策(レバレッジポイント)を見出していったのか、ワーク実践のポイントと併せて紐解いていきます。

執筆:後閑 裕太朗(株式会社ロフトワーク)
編集:岩崎 諒子・棚橋 弘季(株式会社ロフトワーク)
撮影:小椋 雄太

さまざまな環境問題の背景に潜む、窒素問題とは何か?

地球上において豊富な元素であり、私たちの生活に深く関わる「窒素」。大気の約78%を占める窒素ガス(N₂)は安定で、ほとんどの生物が直接に利用できません。しかし、生物が生きるためにはタンパク質やDNAを作るための反応性窒素(Nr、N₂を除く窒素化合物の総称)が必要です。Nrのひとつであるアンモニアは、化学肥料や工業原料として大量に消費されており、20世紀初頭にアンモニアを人工的に生産する技術が開発されて以降、農業や工業の生産性が飛躍的に向上したという歴史があります。

しかし、その裏側で、Nrの過剰な生産と漏出が環境に深刻な影響を与えていることが明らかになっています。環境に漏れ出たNrは、地球温暖化、成層圏オゾン破壊、大気汚染、水質汚染、富栄養化、酸性化といった、私たちの健康や生態系の健全性を脅かす多岐にわたる窒素汚染をもたらします。

さまざまな環境問題の背後にある窒素問題ですが、その複雑さから、一般社会にはまだ十分に理解されていない状況です。今後、研究機関に加え、行政や企業、人々が連携しながら、窒素問題の解決に向けた行動を実践していくことが求められています。

>>窒素問題に関する詳細な情報Sustai-N-ableプロジェクト 公式サイト

複雑な課題を紐解き、着手するべきことを明確にする「ループ図」とは?

窒素問題のアウトリーチ戦略を考えるために、今回のワークショップでは、「ループ図」を活用しました。これは、「システム思考*」というアプローチで使用されるツールのひとつであり、多様な要因が絡み合う課題の「構造」を視覚的に整理するためのものです。

窒素問題のような環境課題は、各種産業の生産・流通活動や、個人の消費行動、さらにそれらに対する国や自治体の政策まで、多岐にわたる要素が絡みあいながら、地域の一部から地球規模までの多様なスケールで影響を及ぼします。複雑で多元的な問題の解決方法を検討する場合、どこか一部分だけに焦点をあてて改善しようとしても、別の要素から予期せぬ問題や反発が生じることが多々あります。

ループ図を用いると、こうした認識されていなかったフィードバックを把握できます。ループ図は、出来事をシステムとして捉え、そこに関わる要素どうしの影響関係を矢印で結びながら図式化することで、問題の構造を整理するツールです。要素どうしを矢印で結び、因果関係を可視化して考えることで、物事の変化のパターンが「なぜ起こっているか」を掴めます。

本ワークで作成したループ図から「肉食嗜好と食品輸入」を抜粋。ループ図は、各要素(テキスト部分)と矢印によって構成される。矢印の前後で、増減の影響が同じ場合は「S(Same)」を、逆の場合は「O(Opposite)」と記入する。この図の場合、経済成長や食生活の多様化などから、肉食嗜好が高まると、畜産物の需要・生産量が高まる。しかし、生産量が減ると、需要と国内生産のギャップは大きくなり、「輸入」で賄いながら安定的な供給が実現し、肉の消費量は増えていく、というループ構造となっている。
このように、特定のパターンを各要素の相互作用に注目して構造化したものが「ループ図」である。

ループ図を活用する利点の一つは、チームやステークホルダー間で複雑な課題を紐解きながら、共通認識を形成できること。一見すると難しいツールのように思えますが、立場や視点が異なる複数のメンバーが介入するべき領域や効果的なアクションを共に考える際、ループ図をコミュニケーションの基盤とすることで、むしろスムーズな合意形成を図ることができます。

*システム思考
社会変化の認識を「Aをすれば、Bという成果を得られる」線形的なものから、複雑な要素同士が相互作用しあう「システム」としてとらえる考え方。この場合のシステムは定常的に安定したものというより、新たな要素の追加や既存要素の消滅などで、その様相が変わる不定形なものを指す。まさにVUCAの時代の解決の糸口が簡単に見つからない厄介な課題に対して、課題の大局を眺め、その全体像や根本を見出すことで、本質的な変化を生み出すことを目指す。
参考:https://www.change-agent.jp/systemsthinking/

Process

複雑な窒素問題に対し、何にフォーカスして取り組むか。 構造理解からレバレッジポイントの抽出を行うワークショップ

本ワークショップの目的は、窒素問題に対する一般社会の認知を拡大し、関連するステークホルダーの意識と行動を変革するためのアウトリーチ施策の戦略を考案することにありました。

参加者は、地球研の研究者および広報担当者6名、ロフトワークからはクリエイティブディレクター、プロデューサーをはじめとした5名、計11名が集まりました。ワークショップでは、事前にロフトワークが用意した10個のループ図の草案をもとに、参加者全員で要素や因果関係のつながりを詳細に検討し、ループ図を精緻化していきました。

その過程では、研究者からの情報提供や、ロフトワークからも関連する事例の紹介を通じて、中身の濃い議論が展開し、参加者間で窒素問題の構造についての共通の理解が生まれていきました。その上で、理解をさらに深めるため、影響を受けるステークホルダーの視点に立ち、彼らの気づきと行動変容を促すための「効果的な介入点=レバレッジポイント」を考えていきました。得られた結果を整理することで、アウトリーチ活動における具体的なアクションのアイデアとそれを束ねた戦略を導き出すことができました。

Process

<準備段階>

地球研から提供された窒素問題の「変化のパターン」に関わる定量・定性データから、10種類のループ図の原案を作成

<ワークショップ>

  1. ループ図の原案をもとに、追加・修正をするべき要素を各自がMiroボードに記載
  2. 記載された追加・修正要素について、意見交換を行いながらループ図を精緻化
  3. 1,2 を繰り返し行い、共通理解を深化
  4. 問題に関わるステークホルダーのメンタルモデルを分析
  5. ステークホルダーの行動変容を促すレバレッジポイントを抽出
  6. レバレッジポイントに対して、どんな解決のためのアクションが可能かを検討しアイデアを整理しながら戦略へと落とし込み

個人ワークとディスカッションを何度も繰り返すことで、ループ図を精緻化し、複雑な課題に対する共通理解を深めていきました。

Approach

専門的な知見を交えながら、ループ図の精度を高め「考慮すべき範囲」を絞り込む

では、具体的にどのようにしてループ図をブラッシュアップしていったのでしょうか。実際に作成したループ図の一部を用いて、そのプロセスを紹介します。

10個のループ図の中で議論の柱の一つとなった「食品ロスと窒素問題の関連性」を例とします。窒素問題の改善には、「反応性窒素(Nr)であるアンモニアや硝酸などを肥料として生産された農作物を、いかに無駄なく消費するか」が有効です。

窒素問題の「食品ロス面」のループ図。流通・在庫のシステムや、一般的な消費者の食文化にもフォーカスを当てている。

まず、一般にも関心の高い「消費者による食品ロス」や「流通システム」の観点から議論をスタート。参加者のひとりから「生産者が規格外の野菜を廃棄してしまう問題も考えるべきではないか」という意見があがりました。すると、ループ図に「農業従事者」の要素が加わり、問題の構造がより精緻化されていきます。このように、議論を進めるごとに問題に関わるさまざまな視点が結びつき、これまで可視化できていなかった要素や関係性が浮かび上がってきます。

ループ図を作成するときは、考えるべき範囲を絞り込むことが重要です。複雑な課題を広範囲にわたって検討すると、関わる人や問題点が膨大になりすぎてしまい、施策の焦点が定まりにくくなるからです。

例えば、食料自給率が低くて多くの食料・家畜飼料を海外からの輸入に頼っている日本と、農業生産が自国の消費をはるかに上回る輸出大国のアメリカでは、関わる要因や影響範囲が異なり、窒素問題の様相が異なります。当然、改善のための対策も違ってきます。このワークショップでも、異なる問題が混在しないよう、対象となる期間や地域を見直しながらループ図をいくつも描き、検討を重ねました。ループ図を幾度も描き直すプロセスを通じて、問題の構造への理解が進みました。

こうした反復的なブラッシュアップと、専門家の知見を交えた議論のファシリテーションを通じて、課題に対する理解を深め、「より納得できる、理解しやすい図」を目指すこと。そして、重要視すべき領域を見定めていくことが、ループ図を使った議論のプロセスになります。

多様なステークホルダーの視点に立ち、行動変容の「きっかけ」をデザインする

ループ図を精緻化する過程で、「食品ロス」を重点領域の一つとして選定しました。次の段階として、食品ロスに関わる多様なステークホルダー(生活者、小売業者、農家など)の視点に立ち、彼らが現在の行動を取っている背景を深く掘り下げました。この分析によって、各ステークホルダーの行動に影響を与えるメンタルモデル、つまり彼らの行動や選択のもとにある「思考の前提」を明らかにします。

例えば、「食品ロス問題」における過剰な生産・在庫保有・消費の背景にある動機や社会的慣習を探っていくと、食品ニーズの多様化への対応や、企業によるマーケティング効果の拡大、見栄えを重視する消費者心理など、さまざまな前提が見えてきます。

買い過ぎや食べ過ぎを起こしてしまう消費者のメンタルモデルの例。

その上でレバレッジポイント、つまり「どうすれば効果的に彼らの行動を変えられるのか」について考えていきました。ここで重要なのは、効果的な施策を編み出すには、従来の手法を超えたクリエイティブジャンプを起こす必要がある、ということです。

たとえば、遺伝子組み換え表示制度のように「窒素ロスが少ない食品」にそれを証明するラベル表示を推進することも、アイデアの一つとして挙がりました。しかし、消費者心理に基づくと、必要以上の情報が提示されたとき、人は煩わしさを感じ、むしろ購入しないという選択を取ってしまう可能性があります。

そこで、情報の単なる追加提示ではなく、消費者が主体的に窒素問題を学ぶきっかけとなるような、仕組みや体験へと発想を転換しました。具体的には、食育ツアーやサステナブルな食体験を提供するレストランとのコラボレーションを通じて、調理や保存についての認識を改めたり、窒素問題について学ぶ機会を創出する施策などが、具体的なアイデアとして提案されました。

メンタルモデルを整理した後に提案されたレバレッジポイントの例。飲食店と協力し新しい食体験サービスを考えることで、流通システムと消費者の双方の行動変容が期待される。

今回は時間の制約もあり行いませんでしたが、実際に生産者や飲食店などへのヒアリング調査を併せて実施することも有効です。対象者の行動の動機や慣習の背景にある心理を理解でき、どんな介入をすると状況が好転しそうかといったヒントを得ることもできます。従来のデザインリサーチの手法とシステム思考のアプローチを組み合わせることで、より効果的かつ創造的なアイデアを導くことができます。

最も大事なのは、複雑な課題に対するメンバー内の「共通認識」を作ること

ループ図の作成で目指すのは、「誰もが理解できる、完璧な構造図」を作ることではありません。先に触れたように、むしろ、その作成過程の議論や対話にこそ価値があります。ワークのなかで参加者は知識や思いを共有し、見解や視点の違いをすり合わせていきます。その集積の結果として生まれるループ図は、複雑な課題への共通理解を形成し、次の行動の検討と計画に向けた土台となります。

そして、効果的な共通理解の形成のためには、場や対話のデザインに関わる「ファシリテーション」の技術が欠かせません。

ファシリテーションにおいて、対話に適した環境づくりは重要です。限られた時間の中で多様な視点・立場を持つ参加者が安心して意見を交換できるよう、環境やプログラムを適切に設計する必要があります。

特に今回は取り扱うテーマが複雑なため、参加者間の対話と腹落ち感を促すようなプログラムとコミュニケーションが一層求められました。事前にループ図の原案を複数準備し議論の起点として活用することで、意見交換を活性化させるなど、入念な準備を行いました。

また、ワークの中ではファシリテーターが議論や対話を推進する重要な役割を担います。一人ひとりから意見を丁寧に聞き取り、参加者それぞれの視点を掛け合わせながら、議論を展開しました。同時に、意見やアイデアを整理しながらループ図を調整することで、議論の過程を参加者に向けてリアルタイムで可視化、共有していきました。

より良い議論のためには、議論以外の時間も重要。アイスブレイクや昼食も共にしながら、お互いが打ち解け、議論を楽しむ雰囲気が醸成されていきました。

全体像を捉えにくい「複雑な課題」に対して、私たちはどう向き合い、どんなアクションを起こすべきなのか。窒素問題の認識浸透とその解決に向き合う地球研は、ループ図を使って整理と対話を繰り返すことで、多様なステークホルダーを巻き込みながら、効果的なアクションを考えていくための基盤を築きました。

地球研とロフトワークの取り組みは、現在も進行中です。「より多くの人が窒素問題を自分ごととして捉え、環境と将来世代のために行動を選択できる」、そんな未来を目指して、活動を続けていきます。

Member

林 健太郎

林 健太郎

人間文化研究機構 総合地球環境学研究所
教授

棚橋 弘季

株式会社ロフトワーク
執行役員 兼 イノベーションメーカー

Profile

三輪 彩紀子

株式会社ロフトワーク
クリエイティブディレクター

Profile

山田 富久美

株式会社ロフトワーク
プロデューサー

Profile

メンバーズボイス

“将来世代も幸せに暮らすには窒素問題の解決が不可欠だと思って何年にもなります。多様なステークホルダーの問題意識を高めるには、当然ながら窒素問題に対する認識と理解が必要です。ところが、人と社会と自然の全てが関係し合っている窒素問題はきわめて複雑であり、窒素問題を自分事にすること自体が大きなチャレンジです。今回、ループ図を用いて窒素問題を解釈していく過程で幾つもの驚きがありました。ロフトワークの方々が既存資料をひっくり返しながらループ図を描いていくことで当事者の窒素問題への理解が深まっていき、ループ図を精緻化するワークの過程で既往の取り組みとのリンクを含む様々なアイデアが生まれていきました。ワークショップで得られたレバレッジポイントは今後のアクションの具体化・強化に確実に役立つことでしょう。その時には皆様とも一緒に取り組んでいけることを願っています。”

人間文化研究機構 総合地球環境学研究所 教授
林 健太郎 さま

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マクセル「クセがあるスタジオ」